駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
◆
資料館へ行った翌朝。
僕はガルドさんと並んで、ハンターギルドの掲示板を眺めていた。
水禍渡りが終わってからも街の中で済む依頼はいくつか受けていたけれど、こうして朝から討伐依頼を探すのは随分と久しぶりだ。
身体の痛みはもうほとんど残っていないし、セラフィーンさんからも普段通りに動いて構わないと言われている。
少し前にはフレイヴィアさんと本気で立ち合い、散々地面へ転がされたあとでも自分の足で帰れたのだから……普通の討伐依頼くらいなら、もう問題ないはずだ。
「まだ決まらねえのか?」
「探してるんですよ」
「さっきから同じ辺り見てんじゃねえか」
「ちゃんと見てますって」
横から掲示板を覗き込んできたガルドさんを肩で押し返し、僕は一段上へ視線を移した。
今日はもともと二人で依頼へ行く予定だった。
最近は運送の仕事を続けながら、時間があればハンターとしても依頼を受けているガルドさんに、身体が戻ったなら久しぶりに一緒に行くかと誘われたのが昨日のことだ。
「これとかどうです?」
「角兎の捕獲じゃねえか」
「依頼は依頼ですよ」
「二人で行く仕事じゃねえだろ。お前一人で捕まえてこい」
確かに。
角兎一匹を相手にランク5が二人で向かったら、依頼人の方が困惑しそうだ。
「じゃあ、こっちは」
「薬草採取」
「……討伐じゃないですね」
「お前、本当に読んでんのか?」
読んでいる。
久しぶりだから少し目移りしているだけだ。
以前なら推奨ランクと報酬を見て、面白そうなものがあればすぐ手を伸ばしていた気がするけれど、最近はアルナさんから無茶なものを選ぶなと何度も言われている。
……その成果が出ていると思いたい。
「ルキウスさん、ガルドさん」
背後から呼ばれ、二人で振り返る。
受付台の向こうでは、アルナさんが一枚の依頼書を手にこちらを見ていた。
昨日は私服で一緒に資料館へ行き、そのまま甘味処にまで寄ったのに、制服姿で受付へ座っているだけでもういつものアルナさんにしか見えない。
「お二人で討伐依頼を探しているんですよね?」
「はい」
「そのつもりだ」
僕とガルドさんが答えると、アルナさんの猫耳がぴこりと動いた。
「でしたら、ちょうど良さそうなものがありますよ」
「どれです?」
受付へ向かい、差し出された依頼書へ目を通す。
西門から半日ほど進んだ街道近くの林で、牙鼠の群れが確認されたらしい。
その周辺では鱗蜥蜴と思われる痕跡も残っていて、商隊の往来が本格的に戻る前に周囲を調査し、確認したモンスターを討伐する。
推奨ランクは3以上。
基本報酬は三千二百ソルで、依頼書に記載されていないモンスターを討伐した場合には追加報酬。回収した素材も別途買い取ってもらえる。
「四人なんですね」
参加人数を見て顔を上げる。
「他にも参加する人がいるんですか?」
「はい。ちょうど同じ依頼への参加希望が二名出ていまして、お二人とも臨時での参加になります」
アルナさんの指が、書類に記された名前を順番に辿る。
「お一人はランク3のエルフの方。もうお一人も同じくランク3で――天使族の方です」
「天使族?」
思わず聞き返した。
天使族そのものなら、別に珍しくはない。
セラフィーンさんとは何度も会っているし、エルドランにも翼を持った人は普通に暮らしている。
でも。
「……僕、天使族のハンターと一緒に依頼へ行くのは初めてかもしれません」
「そうでしたっけ?」
「たぶん」
翼があるなら、やっぱり飛びながら戦うんだろうか。
上から攻撃するのか。
それとも空中から魔術を使うのか。
セラフィーンさんが本格的に戦うところだってほとんど見たことがないから、天使族のハンターがどう戦うのかは普通に気になる。
「……何だよ」
横からガルドさんの声がした。
「急に楽しそうな顔しやがって」
「してませんよ」
「していますよ」
アルナさんまで続いた。
二人を見ると、ガルドさんは笑っているし、アルナさんの猫耳も楽しそうに揺れている。
「そんなに顔に出てます?」
「少しだけ」
「別に遊びに行くわけじゃないですよ。見たことがないから気になるだけです」
「はいはい」
ガルドさんが笑いながら依頼書を覗き込む。
「俺はこれでいいぞ。牙鼠と鱗蜥蜴なら、久しぶりに二人でやるにはちょうどいいだろ」
「じゃあ、これにします」
僕が先に署名し、その横へガルドさんも名前を書く。
アルナさんは二人分を確認して受理印を押すと、最後に僕の腰へ視線を落とした。
「その剣にも、まだ慣れてないんですよね?」
「……まあ、そうですね」
腰へ手を置く。
今下げているのは、これまで使っていた片刃剣ではない。
比較的細身に作られた両刃剣だ。
店に置いてあった中では軽い方らしいけれど、それでも僕には十分重く、腰へ差しているだけでも以前とは存在感がまるで違う。
「でしたら、いつも以上に気をつけてくださいね」
「今日はガルドさんもいますから」
「俺を巻き込むな」
「でも、一人より安心でしょう?」
「お前が余計なことしなきゃな」
「……二人とも」
アルナさんの声が少しだけ低くなる。
猫耳がぴんと立った。
「普通に帰ってきてくださいね。できれば、怪我もなしで」
「要求増えてません?」
「増やしました」
即答された。
隣でガルドさんが笑いながら先に出口へ向かう。
「行くぞ、ルキウス」
「はい」
僕も受付から離れ、アルナさんへ軽く手を上げる。
「行ってきます」
「はい。お気をつけて」
ギルドを出て、ガルドさんと並んで西門へ向かう。
朝の通りでは復旧資材を運ぶ荷車が行き交い、店を開き始めた人たちの声があちこちから聞こえていた。
そんな見慣れた街並みを歩きながら、僕は何となく腰の剣へ手を添える。
歩く分には問題ない。
ただ、以前の片刃剣より明らかに重いから、鞘ごと腰を引かれる感覚がある。
実戦で長く振り続けるとなると、少し考えた方がいいかもしれない。
「ん?」
隣を歩いていたガルドさんの犬耳が動いた。
少し遅れて、その視線が僕の腰へ落ちる。
「ルキウス、お前武器変えたのか?」
「……今気づいたんですか?」
「ギルドじゃ依頼書見てただろ。前のはどうした?」
「壊れました」
「壊れた?」
ガルドさんの犬耳が少し立つ。
「水禍渡りのあと、鍛冶屋へ持っていったんですけど……直せるか分からないって言われまして」
「あの片刃剣か。まあ、あれ自体ほとんど見ねえもんな」
「鍛冶屋の人にも散々言われましたよ」
細身の両刃剣の柄を指先で撫でる。
掌へ返ってきた重い感触と一緒に、数日前のことが頭へ浮かんだ。
◆
「直せってつってもなぁ……」
鍛冶師が太い腕を組み、作業台の上へ置いた片刃剣を睨んでいた。
鍛冶場の奥では炉が赤く燃え、その熱が離れたところにいる僕の頬まで届いている。
そんな中で僕の片刃剣だけが鞘から抜かれ、明るい場所へ横たえられていた。
……酷い状態だ。
水禍渡りの最中にも傷んでいることは分かっていたけれど、改めて見ると刃にはいくつもの欠けがあり、細かな傷もあちこちに走っている。
最後には水禍渡りの主の中へ潜り込み、その核へ何度も刃を叩き込んだ。
無事なはずがない。
それでも僕は、鍛冶屋へ持ってくれば何とかなるものだと思っていた。
「駄目ですか?」
「駄目っつーか……」
鍛冶師が刃を持ち上げ、何度か角度を変える。
光へ透かしたあと、根元近くを太い指で軽く叩いた。
「欠けだけならまだ何とかなる。だが歪みも出てるし、中まで細い亀裂が入ってやがる。それより何より――」
一度言葉を切り、片刃剣を端から端まで眺める。
「直せってつってもなぁ。こんなトンチ……変わった武器、どう直せばいいか分からんぞ」
「今、絶対違うこと言おうとしましたよね?」
「気のせいだ」
「トンチまで聞こえましたけど」
「忘れろ」
随分と無茶な要求だった。
「そんなに変わってるんですか?」
「変わってる。片側にしか刃がなくて、おまけにこの反りだろ? 俺も長いこと鍛冶師をやってるが、こういうもんはほとんど触ったことがねえ」
鍛冶師の指が、緩やかに反った刃の背をなぞる。
「普通の剣なら、どこへ熱を入れて何を叩けばどう変わるかくらい分かる。だが、こいつはそもそもどういう考えでこの形にしてるのかから分からん」
「でも、作った人はいるんですよね」
「そりゃいるだろ。勝手に生えてきたんじゃねえんだから」
「なら、どうにか……」
「やってみてもいいが、それで壊れても責任は負えんぞ」
言葉が止まった。
鍛冶師は冗談を言っている顔ではなかった。
「無理に熱を入れて歪みを戻して、亀裂もどうにかして、見た目だけなら直せるかもしれん。だが俺は、この武器がどう打たれたものなのか知らん。直したつもりで中を駄目にして、次に振った時に真っ二つ――なんてこともあり得る」
「……それは困ります」
「俺も困る。直した武器で客が死んだなんて寝覚めが悪い」
作業台へ戻された片刃剣を見る。
フレイヴィアさんから貰った、僕のための武器。
最初の討伐からずっと持っていた。
雪山でも。
水禍渡りでも。
何度も手放しそうになりながら、それでも最後まで一緒に帰ってきた。
「どうにか……ならないですかね」
「どうにか、なぁ……」
鍛冶師が顎髭を弄りながら、しばらく片刃剣を睨む。
やがて何かを思い出したように眉を上げた。
「……まあ、俺の故郷でなら何とかなるかもな」
「故郷?」
「ああ。ここから北西へしばらく行った山に、小人族の街がある」
鍛冶師が片刃剣をもう一度持ち上げる。
「あそこには気狂いが多いから、こういう珍しいもんを知ってる奴もいるかもしれん」
「気狂い?」
「鍛冶のな」
すぐに付け足された。
「誰も使わねえ古い武器の製法を何十年も追っかけてる奴とか、一日中炉の前から動かねえ奴とか、自分の打ったもんを試すためだけに山へ籠もる奴とか……まあ、色々いる」
「それ、褒めてます?」
「最高の褒め言葉だ」
小人族の鍛冶師にとっては、そうらしい。
「その人たちなら直せるんですか?」
「知らん」
「知らないんですか」
「だから、何とかなるかもって言ったんだ。少なくとも、俺よりこういう変わった武器に詳しい奴がいる可能性は高い」
直せると決まったわけではない。
それでも。
もう二度と使えないと言われるよりは、ずっといい。
「じゃあ、これは今のまま持っていた方がいいですか?」
「俺なら触らん。分かる奴に見せるまで、そのままにしとけ」
鍛冶師が布を広げ、片刃剣を丁寧に包み始める。
「ここまでボロボロになるまで働いて、お前を生きて帰したんだ。今すぐ無理して直す必要もねえだろ」
「……はい」
差し出された布包みを両手で受け取る。
ずっと腰にあったものを手に抱えているだけなのに、妙に寂しく感じた。
「で」
「はい?」
「そいつはいいとして、お前はこれから何で仕事するんだ」
「……あ」
完全に忘れていた。
僕が黙ると、鍛冶師が深いため息を吐いた。
「ハンター続けるんだろ?」
「もちろんです」
「なら代わりがいるだろうが」
「同じようなの、あります?」
「あるわけねえだろ」
即答された。
「ですよね……」
「片刃で、反ってて、あそこまで細い剣なんざ店に置いてねえ。それに――」
鍛冶師の目が僕の腕から肩へ動く。
「お前が楽に振れるくらい軽い剣ってのが、そもそもうちじゃ珍しいんだよ」
「そんなにですか?」
「そんなにだ。ここで武器を買うのは竜族や獣人族、エルフに夜魔族……大体そんな連中だぞ。お前みてえな力のねえ奴を基準に剣なんか打ってねえ」
「……ああ」
言われてみれば当然だった。
人間が滅んだ種族なら、この世界に人間用の武器なんてものが売られているはずもない。
僕がこれまで当たり前のように振っていた片刃剣の方が、むしろおかしかったんだ。
「待ってろ」
鍛冶師が店の奥へ消える。
しばらくして戻ってきた腕には、三本の剣が抱えられていた。
どれも両側に刃を持つ普通の剣で、その中では比較的細身のものばかりだ。
「この辺がまだマシだな」
「まだマシ……」
言い方が少し不安だった。
一番細い一本を渡され、受け取った瞬間。
「っ……」
腕へ思った以上に重さが掛かった。
落とすほどではない。
でも、重い。
前の片刃剣なら片手へ持った瞬間からそのまま構えられたのに、これは受け取っただけで手首と肩へ重さが乗ってくる。
「……重いですね」
「それでも剣としちゃ軽い方だぞ」
「これで?」
「ああ」
握り直し、周りに何もないことを確認して一度振ってみる。
振ること自体はできる。
ただ、一度走り始めた刃を止めようとすると腕ごと引かれ、次の動きへ繋げるために余計な力が必要だった。
「これより軽いのは?」
「短剣になる」
「それだと間合いが変わりすぎますね……」
モンスターを相手にする以上、これまでと極端に距離を変えるのは怖い。
なら、選べるものは多くなかった。
「無理に片手だけで扱おうとすんな。重いと思ったら両手も使え」
「はい」
もう一度振る。
重い。
でも。
使えないほどじゃない。
「これにします」
「繋ぎだぞ」
「分かってます」
鍛冶師へ剣を返しながら、作業台の端に置かれた布包みへ目を向ける。
あの片刃剣を使っていた時には、武器の重さなんてほとんど考えたことがなかった。
……随分、助けられてたんだな。
今になって。
初めてそんなことを思った。
◆
「……ってことがありまして」
話し終える頃には、西門が近くまで見えていた。
ガルドさんは僕の腰にある細身の両刃剣を見ながら、少しだけ眉を寄せる。
「お前には重いのか?」
「結構。振れないほどじゃないですけど、前の片刃剣とは全然違いますね」
「そりゃまあ、あれ随分細かったからな」
ガルドさんが自分の剣の柄へ手を置く。
「無理すんなよ。重い武器ってのは疲れ始めると一気に振れなくなるぞ」
「分かってます。今日はその辺も確かめようかなって」
「依頼のついでに試し斬りするみてえな言い方すんな」
「ちゃんと依頼が先ですよ」
そんな話をしながら西門へ着くと、門の脇にいた二人がこちらを見た。
一人は淡い金髪を後ろで束ねた細身の男性で、長く尖った耳からエルフだとすぐに分かる。背中には弓があり、腰にも短剣を下げていた。
もう一人は白に近い薄金の髪を肩まで伸ばした女性で、背中には畳まれた白い翼がある。
手にしているのは、細身の槍。
……天使族だ。
分かっていたのに、実際にハンター装備で立っている姿を見ると、少しだけ胸が浮ついた。
「ルキウスさんとガルドさんですよね?」
エルフの男性が先に声を掛けてくる。
「はい。ルキウスです」
「ガルドだ」
「エイレスです。今日はよろしくお願いします」
「ミレイアと申します。よろしくお願いします」
天使族の女性も頭を下げ、その動きに合わせて白い翼が僅かに揺れた。
僕も挨拶を返そうとしたところで、エイレスさんが嬉しそうに笑う。
「いやぁ、助かりました。まさかルキウスさんと一緒になるとは思わなくて」
「僕を知ってるんですか?」
「もちろんですよ」
当然みたいに返された。
「水禍渡りの時、僕も第三防衛線にいましたから。直接話す余裕はありませんでしたけど、ルキウスさんが戦ってるところは何度か見ています」
「そうだったんですね」
あの時は目の前にいる水憑きと、周りの仲間を見るだけで精一杯だった。
同じ防衛線にいた人たちの顔まで全部覚えている余裕なんてなかった。
「私もです」
ミレイアさんの翼が小さく開く。
「私は第二防衛線から下がってきた組でしたので最後の方だけですが、姿は覚えています。今日はご一緒できて嬉しいです」
「そんなに期待されても、今日は普通の討伐ですよ?」
「だから安心できるんですよ」
エイレスさんが笑う。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
二人揃って嬉しそうに言われると、少しだけ困る。
僕としては。
むしろ、さっきからミレイアさんの背中にある翼の方が気になっていた。
「……ルキウスさん?」
「はい?」
「さっきから私の翼を見てません?」
ばれた。
視線を戻す。
「すみません。天使族のハンターと一緒に依頼へ行くの、初めてなので」
「そうなんですか?」
「はい。だから、どう戦うのかなって気になって」
ミレイアさんは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「そんなに特別じゃないですよ?」
「飛びます?」
「飛びます」
「やっぱり飛ぶんですね」
少し楽しみになった。
「ルキウス」
ガルドさんの呆れた声が横から飛んでくる。
「見物に来たんじゃねえぞ」
「分かってますよ」
「顔は完全に見物人だったぞ」
「初めてなんだから仕方ないでしょう」
エイレスさんとミレイアさんまで笑い始める。
臨時のパーティーとはいえ、妙に堅くなる心配はなさそうだった。
簡単に役割を確認してから、四人で西門を出る。
ガルドさんと僕が前衛。
エイレスさんは弓で後ろから援護し、ミレイアさんは槍を使いながら、必要に応じて翼で位置を変える。
複雑な連携は決めない。
初めて組む四人なのだから、互いの位置を見て、何かあれば声を掛ける。
それくらいで十分だった。
目的地の林へ着いたのは昼前だった。
前日に雨が降ったらしく、木々の根元にはまだ湿った土が残っている。
街道を外れて少し進んだところで、先頭を歩いていたガルドさんの犬耳がぴくりと動いた。
「いるな」
その声で僕も腰の剣へ手を置く。
僕にはまだ何も聞こえない。
エイレスさんが少し先へ進み、地面に残った足跡を確かめた。
「牙鼠ですね。数は……四体だと思います」
「依頼通りか」
「少し上から見てきます」
ミレイアさんがそう言った直後。
畳まれていた白い翼が、大きく広がった。
「……おお」
思わず声が出た。
羽ばたきに押された風が顔へ当たり、ミレイアさんの身体がふわりと地面から離れる。
そこから二度翼を動かしただけで、すぐに木の枝と同じくらいの高さまで上がった。
「ルキウス」
「……はい?」
「また見てるぞ」
「初めてなんだから見ますよ」
別に悪いことはしていない。
少ししてミレイアさんが降りてくると、白い翼が背中へ畳まれた。
「少し先に牙鼠が四体。その奥に大きめの影が二つ見えました。たぶん鱗蜥蜴です」
「全部情報通りだな」
ガルドさんが剣を抜く。
僕も鞘から細身の両刃剣を抜いた。
……重い。
鍛冶屋で振った時にも分かっていたけれど、こうして戦うつもりで構えると改めて腕へ重さを感じる。
片手で持てないほどじゃない。
ただ、長く振り続ければ確実に疲れる。
柄を握り直し、少しだけ腕から力を抜く。
「行くぞ」
ガルドさんの声に頷き、木々の間を進む。
開けた場所へ近づくにつれ、肉を噛み千切る湿った音が聞こえ始めた。
幹の陰から覗けば、牙鼠が四体。
倒れた小型の獣を囲んでいる。
ガルドさんを見る。
目が合う。
それだけで十分だった。
地面を蹴る。
僕たちが開けた場所へ飛び出したところで、一番近くにいた牙鼠が顔を上げた。
前脚を踏ん張り、低い姿勢から一気にこちらへ飛び込んでくる。
肩が上がる。
爪。
右へ半歩だけ外す。
そのまま首へ剣を振る――つもりだった。
「っ……」
振り出した瞬間、腕へ重さが掛かる。
以前の片刃剣なら手首を返すだけで届いた位置へ、今の剣は少し遅れてついてきた。
牙鼠が頭を引き、刃が首の浅いところを抜ける。
倒れない。
牙を剥いて頭が伸びてくる。
半歩下がる。
目の前を牙が通り過ぎたところで、剣を引き戻そうとしてまた腕へ重さが残った。
……やっぱり、重いな。
一度両手で柄を握り直す。
牙鼠が前脚を上げる。
避ける。
今度は振り切る勢いを止めようとせず、そのまま身体ごと回して首へ刃を入れた。
手応え。
牙鼠が地面へ崩れる。
すぐ左から次の一体が来る。
剣を引き戻すより先に爪が伸びたため、身体だけを横へ外す。
爪が胸元を通り過ぎ、牙鼠の前脚が地面へ落ちる。
その頭へ剣を振り下ろす。
重い分、一度動けば刃そのものには力が乗る。
ただ、止めるのが遅い。
刃が牙鼠の首を深く斬り、そのまま地面近くまで流れたため、腕へ力を入れてようやく止める。
……これ、連続で振るのはきついな。
倒れたことだけ確認し、すぐ顔を上げる。
残り二体。
一体はガルドさんの方へ向かっている。
もう一体がこちらへ来ようとして――その直前、頭上から風が落ちた。
「こちらは任せてください!」
白い影が牙鼠の横へ降りる。
ミレイアさんだ。
地面へ着く寸前に翼を開いて身体の向きを変え、そのまま細身の槍を牙鼠の肩へ突き込んだ。
「……すごい」
見ていたい。
けど、今はそれどころじゃない。
牙鼠が身体を捻り、ミレイアさんへ前脚を向ける。
その瞬間、弦の鳴る音がした。
飛んできた矢が牙鼠の前脚へ刺さり、動きが止まる。
「ルキウスさん!」
エイレスさんの声。
もう足は動いていた。
ミレイアさんへ意識を向けた牙鼠の横へ入り、両手で剣を握る。
空いた首へ、上から刃を振り下ろす。
今度は重さをそのまま使う。
刃が首を抜け、牙鼠が地面へ沈んだ。
「ありがとうございます!」
「いえ」
短く返して残りを見る。
四体目はガルドさんが相手をしている。
爪を身体の横へ流し、そのまま牙鼠の懐へ入っているのが見えた。
なら、そっちはいい。
僕は息を吐きながら剣を少し下げる。
まだ三回しかまともに振っていないのに、右腕がいつもより重い。
……これで軽い方なんだから困る。
「来ます!」
上からミレイアさんの声。
林の奥へ目を向ける。
低い唸り声と一緒に、二体の鱗蜥蜴が茂みを押し分けて姿を現した。
硬い鱗で覆われた身体を低く構え、太い尾が左右の草を薙いでいる。
一体が僕へ頭を向けた。
来る。
大きな口が開く。
噛みつきを左へ外し、そのまま身体の横へ入る。
腹側なら鱗は薄い。
剣を下から斬り上げようとして――腕へ掛かる重さに、片手では思った角度まで上がらない。
「……っ」
両手を添える。
そのまま身体ごと押し上げるように振る。
刃が腹へ入った。
鱗蜥蜴が身体を大きく捻る。
でも浅い。
前脚が来る。
一歩外へ。
太い尾が続く。
腰を落とす。
頭の上を尾が通り過ぎる。
振り切った身体が僅かに流れ、首の付け根が見えた。
剣を持ち上げる。
……重い。
持ち上げる途中で振るより、最初から両手の方がいい。
柄を握り直す。
踏み込む。
重さに逆らわず、そのまま上から斜めへ落とした。
硬い鱗へ一瞬引っ掛かり、刃が首へ食い込む。
鱗蜥蜴の身体が地面へ沈んだ。
「……ふぅ」
やっぱり戦いづらい。
片刃剣なら、たぶん最初の一撃でもう少し深く入れられた。
今の剣は一度振るたびに、次にどう重さを動かすか考えないといけない。
顔を上げる。
もう一体はガルドさんが正面から抑えていた。
頭を振り上げる鱗蜥蜴の横へミレイアさんが滑り込む。
地面へ着く直前まで翼で身体を運び、その勢いのまま後脚へ槍を突き込んだ。
「こっちから行きます!」
エイレスさんの声。
弦が鳴る。
矢が鱗蜥蜴の目の横へ刺さり、頭が大きく上がった。
「ルキウス!」
ガルドさんが横へ抜ける。
空いた首が正面に来た。
走る。
剣は重い。
なら、無理に細かく振る必要はない。
両手で柄を握る。
一歩。
足を踏み込み、腰から身体を回す。
振り下ろす。
――刃が首へ入った。
鱗蜥蜴が大きく暴れ、刃が途中で止まる。
力を抜かず、そのまま押し込む。
腕が震える。
それでも。
最後まで刃を通し切ると、鱗蜥蜴の身体から力が抜けた。
「……重っ」
剣を引き抜く。
今度は持ち上げるだけで腕が少し疲れていた。
周囲を見る。
牙鼠四体。
鱗蜥蜴二体。
動いているモンスターはいない。
「終わりだな」
ガルドさんが剣についた血を払う。
僕も真似をしようとして、振り切ったあとの剣を止めるのが面倒になり、少し小さめに血を落としてから刃を確認した。
欠けはない。
「……やっぱり、重いですね」
鞘へ戻しながら肩を回す。
右腕だけ、いつもより少し張っている。
「これで店じゃ軽い方なんですよね……」
「……え?」
妙な声がした。
「どうしました?」
エイレスさんを見る。
彼は弓を下ろしたまま僕を見ていた。
その隣ではミレイアさんも白い翼をゆっくり畳みながら、何とも言えない顔をしている。
「いえ。その……今の剣、重いんですよね?」
「はい。かなり」
「かなり?」
「僕には、ですけど」
ガルドさんや二人が持てば、たぶん普通なんだと思う。
実際、鍛冶師には軽い方だと言われた。
「前の片刃剣よりずっと重いので、全然思ったところに動かなくて。何回か浅く入りましたし」
「……あれで?」
ミレイアさんまで聞き返す。
「はい」
何が不思議なんだろう。
実際、牙鼠相手にも二度斬ることになったし、鱗蜥蜴には途中から両手を使っている。
「私、水禍渡りの時は遠くからしか見えていなかったので……」
「僕もです」
エイレスさんが倒れた牙鼠へ目を向ける。
「もっと、こう……」
「何です?」
「必死に戦う方なのかと思っていました」
「必死でしたよ?」
「今のがですか?」
「え?」
今度は僕が聞き返した。
「牙鼠の爪も、鱗蜥蜴の尾もほとんどぎりぎりで避けてましたよね」
「当たらなければ大丈夫なので」
「エイレスさんの矢が飛んでくる時も、まったく止まりませんでしたし」
「狙ってる場所が分かりやすかったですから」
むしろ、エイレスさんの矢はかなり助かった。
どのモンスターを狙っているのか見れば、僕が次にどこへ動けばいいか決めやすい。
「ミレイアさんも、上から入ってくるのが見えたので合わせやすかったですよ」
「……合わせてくれてたんですか?」
「近くにいたので」
ミレイアさんとエイレスさんが顔を見合わせる。
何だかまた、僕だけ分からない話になってきた。
「ランク5って……皆さん、あんな感じなんでしょうか」
ミレイアさんがガルドさんへ視線を向けた。
「さあな」
ガルドさんは倒れた牙鼠の前へしゃがみながら肩を竦める。
「戦い方なんざ人それぞれだ」
「でもガルドさんもランク5なんですよね?」
「一応な」
二人が少し驚いた顔をする。
ガルドさんはそれ以上続けず、討伐証明になる部位を確認し始めた。
「それより、終わったなら仕事するぞ。帰って報告するまでが依頼だ」
「そうですね」
僕も隣へしゃがむ。
依頼対象の牙鼠が四体。
追加で鱗蜥蜴が二体。
基本報酬に追加分と素材の買い取りも乗るなら、今日は思っていたより稼げそうだ。
素材を傷つけないよう必要な部分を回収していると、少し後ろから小さな声が聞こえた。
「……あれだけ動いて、気になってるの武器の重さなんですね」
「しかも慣れてないって……」
「前はもっと軽い武器を使ってたらしいぞ」
最後にガルドさんまで混ざった。
「聞こえてますよ」
「ならちょうどいい」
顔を上げると、犬耳が少しだけ楽しそうに動いていた。
「何です?」
「別に」
……絶対何かある。
でも、聞いても答えてくれそうにないので諦めた。
全部の回収を終え、四人で林を出る。
帰り道では依頼の話より、水禍渡りの時のことを二人から聞かれる方が多かった。
「本当に、水禍渡りの主の中へ入ったんですか?」
「入りましたよ」
「怖くなかったんです?」
ミレイアさんに聞かれ、少しだけ考える。
「怖かったですよ」
「でも、入ったんですよね?」
「他に核まで届く方法がなさそうだったので」
「……」
また妙な顔をされた。
「ほらな」
ガルドさんが鼻で笑う。
「聞くだけ無駄だぞ」
「何がです?」
「お前はそういう奴だって話だ」
「どういう奴ですか?」
「危なくなるほど前へ行く奴」
「最近はちゃんと周り見てますよ」
「最近はな」
そこは素直に認めてくれてもいいと思う。
「でも、今日は本当にありがとうございました」
少し歩いたところで、エイレスさんが改めて僕とガルドさんへ頭を下げた。
「臨時でランク5のお二人と組むって聞いた時は、正直かなり緊張してたんです。足を引っ張ったらどうしようかって」
「全然そんなことなかったですよ」
僕が答えると、エイレスさんが少し安心したように笑う。
「むしろ矢が分かりやすくて助かりました。狙ってる相手も見えましたし」
「そう言ってもらえるなら良かったです」
「私もです」
ミレイアさんの白い翼が軽く揺れる。
「水禍渡りでは遠くから見ていただけだったので、今日は近くで一緒に戦えて嬉しかったです」
「僕も楽しかったです」
「楽しかった?」
「天使族の人と一緒に戦うのは初めてでしたから」
思い出して、少しだけ口元が緩む。
「上から一気に入ってくるの、格好よかったですよ」
「……ありがとうございます」
ミレイアさんが少し照れたように笑う。
「また機会があれば、ご一緒してもいいですか?」
「もちろんです」
「僕もお願いします」
エイレスさんも続く。
「はい。また機会があれば」
臨時のパーティーだから、次も同じ四人になるとは限らない。
それでも。
こうやって知らない人と一緒に依頼へ出るのも、やっぱり悪くない。
やがてエルドランの外壁が見えてきた。
門を抜け、そのまま四人でハンターギルドへ戻る。
アルナさんは受付台で僕たちを見るなり、真っ先に頭から足元まで視線を動かした。
怪我がないか見ているのが分かりやすすぎる。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい。……怪我は?」
「ないですよ」
「本当に?」
「本当にです」
両腕まで少し広げて見せる。
アルナさんはようやく安心したように息を吐き、猫耳からも力が抜けた。
「それならよかったです。依頼は?」
「牙鼠四体と、追加で鱗蜥蜴が二体です」
回収した討伐証明を渡す。
アルナさんが確認し、素材の買い取り分も含めて計算していく。
基本報酬は四人で三千二百ソル。
そこへ鱗蜥蜴二体分の追加報酬と、回収した素材の買い取り額が加わった。
「お疲れさまでした。こちらが今回の報酬です」
分けられたソルを受け取る。
久しぶりに討伐依頼を終えて、そのまま受付で報酬を受け取る。
たったそれだけなのに。
何だか随分と久しぶりに、いつもの生活へ戻ってきた気がした。
「それじゃ、僕たちはこれで」
エイレスさんが帰り際にもう一度こちらへ手を上げる。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「またお願いします、ルキウスさん。ガルドさん」
「ああ」
「はい。また」
ミレイアさんも翼を小さく揺らして頭を下げ、二人は並んでギルドを出ていった。
それを見送りながら、僕は腰にある細身の両刃剣へ手を置く。
「……やっぱり重いなぁ」
「まだ言ってんのか」
横でガルドさんが呆れたように笑った。
「だって本当に重いんですよ。今日も何回か思った通りに振れませんでしたし」
「それで牙鼠と鱗蜥蜴斬って帰ってきたなら十分だろ」
「でも前の片刃剣なら、もっと楽でしたよ」
柄を少し持ち上げる。
腕にはまだ、戦った時の重さが残っている気がした。
これが。
この世界では普通の剣だ。
僕には少し重くて。
長く振れば疲れて。
だからといって使えないほどではない。
片刃剣を使っていた時は、その軽さがどれだけ僕に合っているのかなんて考えたこともなかった。
失ってから気づくのも、少し遅い気がする。
……鍛冶師さんの故郷、か。
山の中にある小人族の街。
変わった武器ばかり追いかけている鍛冶師がいるかもしれない場所。
今すぐ行くつもりがあるわけじゃない。
ただ。
いつか機会があれば、あの片刃剣を持っていってみたいとは思った。
「ルキウスさん?」
「……あ、はい」
アルナさんの声で我に返る。
「どうしました?」
「いえ。この剣、早く慣れないとなって思ってただけです」
答えてから、もう一度柄へ手を置く。
前の片刃剣とは全然違う。
重いし。
まだ扱いづらい。
それでも、今日の依頼はちゃんと終わった。
なら。
次はもう少し上手く振れるようになればいい。
そんなことを考えながら、僕は受け取った報酬を外套の内側へしまった。
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