駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
◆
それから数日。
僕はまた、上層区の資料館へ来ていた。
受付でオルディアさんから預かった許可証を見せ、もう何度目かになる奥の書架へ向かう。
最近は朝の依頼がない日なら、だいたいここへ顔を出していた。
目的は変わらない。
人間について。
僕と同じ種族が、どんなふうに生きていたのか。
どうして滅びたとされているのか。
何か一つでも新しいことが分からないかと思って古い本を開いてはいるのだけれど――。
「……ないなぁ」
机の上へ広げていた本を閉じる。
これも外れだった。
種族についてまとめた古い書物で、人間を示す『地の民』という言葉は確かにあったけれど、書かれていた内容はこれまでとほとんど変わらない。
身体能力も魔力も他種族に劣り、目立った特異性を持たない種族。
遠い昔には姿を消し、今では滅んだものとされている。
……やっぱり、それだけだ。
椅子へ座り直し、閉じた本の表紙を指でなぞる。
弱い。
それについては、最近になって嫌というほど実感する機会が増えた。
鍛冶屋に並んでいる中では軽い方だと言われた両刃剣でさえ、僕には普通に重い。
力では獣人族にも敵わないし、竜族なんて比べるまでもない。
魔力も大して持っていない。
でも。
僕は生きている。
ハンターとしてモンスターとも戦えている。
それに、遠い昔にエルドランへ来た一人の人間は、この街の暮らしの土台になるほどの知識を残していた。
……だったら。
本当に弱かったというだけで、一つの種族が全部いなくなるんだろうか。
「ふぅむ」
「……?」
妙に近いところから声がした。
顔を上げる。
いつの間に来たのか、机の向こう側から年老いた小人族の男性が僕の読んでいた本を覗き込んでいた。
「うわっ」
「何じゃ。失礼な奴じゃのう」
「すみません。いつからいました?」
「お前さんが眉間へ皺を寄せて、同じ行を三回くらい読んでおった頃からじゃ」
「そんなに前から?」
全然気づかなかった。
資料館を管理しているこの老人とは、ここ数日ですっかり顔を合わせるようになっていた。
最初に来た時は少し無愛想な人なのかと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
僕が毎日のように通い始めてからというもの、頼んでもいないのに本を持ってきたり、気づけば背後から覗き込んでいたりする。
「今日も地の民か」
「はい」
「熱心じゃのう」
「気になりますから」
「うむうむ」
何故か嬉しそうだ。
老人は僕の向かいに勝手に椅子を引っ張ってくると、そこへ腰を下ろした。
「……今日は暇なんですか?」
「今日も暇じゃ」
「言い切った」
「資料館なんぞ、そんな毎日人が押しかけてくる場所ではないからの」
それはまあ。
実際、ここ数日通っていても他の利用者をほとんど見かけない。
いても必要な資料を借りてすぐ帰る人が大半で、僕みたいに朝から何時間も本を開いている方が珍しいらしい。
「じゃからな」
老人が机の上に積んだ本を眺める。
目尻が少し下がった。
「こうして毎日のように来て、本棚を端から端まで漁る若いのがおると、こっちも楽しいんじゃよ」
「そういうものですか?」
「そういうものじゃ。せっかくこんだけ本があるのに、読まれんのはつまらんじゃろう?」
言いながら、さっき僕が閉じた本を手に取る。
ページを何枚か捲っただけで目的の場所を見つけ、そのままこちらへ向けた。
「ちなみに、これの書き手は種族ごとの魔力差を調べるのが専門での。歴史についてはかなり雑じゃ」
「……そんなことまで分かるんですか?」
「当たり前じゃろう。この資料館に何年おると思っとる」
「何年です?」
「それは秘密じゃ」
「何でそこだけ」
老人が楽しそうに笑う。
こういう話になると、いつも少し声が弾む。
たぶんこの人は。
本そのものが好きというより、書いてある知識を誰かに話すのが好きなんだと思う。
「地の民についてなら、直接役立つものはもう大体見たじゃろうな」
「やっぱりですか」
「少なくとも、この資料館にある範囲ではの」
それは少し残念だった。
何日か通えば何か出てくるかもしれないと思っていたけれど、さすがにそんな都合よくはいかないらしい。
「……他の街なら、何か残ってるんでしょうか」
何となく口にする。
老人の眉が上がった。
「ほう」
「何です?」
「いやいや。ようやくそこへ目が向いたかと思ってな」
「そこ?」
老人は答えず、椅子から立ち上がった。
「待っとれ」
「どこ行くんです?」
「いいから待っとれ。面白いもんを見せてやる」
急に足取りまで軽くなって、書架の奥へ消えていく。
しばらく待っていると、大きく巻かれた紙を両腕で抱えて戻ってきた。
机の上にあった本を僕と一緒に端へ寄せ、老人がその紙を勢いよく広げる。
「ほれ」
「……おお」
思わず身を乗り出した。
地図だった。
ただし。
普段ギルドで見る、エルドラン周辺だけを描いたものとは全然違う。
「エルドランは……」
探す。
少し時間が掛かった。
中央からやや南寄りに、ようやく見慣れた街の名前を見つける。
「これ?」
「それじゃ」
「……小さくないですか?」
「世界地図で街一つをでかでか描いてどうするんじゃ」
「そうなんですけど」
指先で簡単に隠れてしまう。
僕にとっては、二年間暮らして。
依頼へ出て。
色んな人と出会って。
水禍渡りまで起きた場所なのに。
この地図の上では、本当に小さな一点でしかない。
そこから何本もの街道が伸びている。
北へ。
南へ。
東へ。
西へ。
途中で枝分かれしながら、僕の知らない名前へ続いていた。
「……こんなにあるんですね」
「何がじゃ?」
「街が」
「そりゃあるわい」
老人はむしろ嬉しそうだった。
「エルドランだけで世界が終わっとるわけではないからの」
「それは分かってましたけど……」
分かっていた。
たぶん。
でも、知ってはいなかった。
僕は指を北西へ滑らせる。
そこには山を示す線が幾重にも重なり、その中へいくつもの街の名前が書き込まれていた。
「ここって、小人族の街ですか?」
「多いのう。鉱山と一緒に発展した都市がいくつもある」
「もしかして……」
数日前、鍛冶屋で言われたことを思い出す。
「僕の武器を見てもらった鍛冶師さんが、故郷なら片刃剣を直せる人がいるかもしれないって言ってたんです。北西の山にある小人族の街だって」
「ほう。それならこの辺りじゃろうな」
老人の指が、山岳地帯のかなり奥を指した。
「鍛冶で有名な都市がいくつかある。古い製法ばかり調べとる偏屈者も多いぞ」
「鍛冶師さんも似たようなこと言ってました」
「良い土地じゃ」
「今の説明で?」
「知識に取り憑かれた奴が多い土地は大抵面白い」
この人も同類なんだと思う。
「ここからどれくらい掛かるんです?」
「さて。目的の街にもよるが……」
老人が地図の上で経路をなぞる。
エルドランから北西へ向かい、途中の都市をいくつか経由して、さらに山道へ。
「普通に行くなら数週間じゃな」
「……数週間?」
思っていたよりずっと遠い。
「片道で?」
「当然じゃ。道の状況や使う騎獣、途中の滞在次第ではもっと掛かる」
「そんなに遠いんですか……」
鍛冶師が旅になると言っていた意味が、ようやく分かった。
ちょっと依頼のついでに寄ってくるような距離ではない。
「何じゃ。近所の山だと思っておったか?」
「そこまで近いとは思ってませんけど、数週間は想像してなかったです」
壊れた片刃剣を直してもらうだけでも。
本当に旅になる。
「では、こっちは何じゃと思う?」
老人が急に地図の別の場所を指した。
……試されている?
「この印……翼?」
「うむ」
「天使族の土地ですか?」
「半分正解じゃ。天使族が多く暮らす地域で、その中心に聖都がある」
「聖都……」
昨日依頼へ同行したミレイアさんを思い出す。
セラフィーンさんも、たぶん行ったことがあるんだろう。
「ここは?」
「竜族が多い地域じゃな」
「フレイヴィアさんの故郷も?」
「その姫さんがどこから来たかまでは知らん。しかし、竜族の都市は面白いぞ。古いものでは山そのものを利用して造られた場所もある」
「山を?」
「そうじゃ。こっちには夜魔族が多く暮らす街もある。日が沈んでからの方が賑わう場所も珍しくない」
老人の指が次々と地図の上を動いていく。
南には大河に沿って発展した交易都市。
深い森には精霊族が多く暮らす集落。
さらに離れた場所には古い遺跡。
誰が造ったのかさえ分からない建物が残っている土地。
街道がほとんど整備されていない地域まである。
「ここの遺跡はの、建築様式が周辺のどの都市とも違うと言われておって――」
「人間の?」
「いや、それは分からん」
「違うんですか」
「すぐ地の民へ結びつけるでない。分からんものは分からん。じゃが、分からんから面白いんじゃろう?」
老人がにやりと笑う。
「……なるほど」
少し分かる気がした。
答えがあるものを読むのも面白い。
でも。
分からないから調べたくなる。
僕が今、人間について何日も本を開いているのも。
たぶん同じだ。
「ほれ、ここも見てみい」
「まだあるんですか?」
「当たり前じゃ! 世界を一枚の地図で見たくらいで分かった気になるな!」
急に元気になった。
「こっちの地域は気候からしてエルドランとはまるで違う。北へ行けば一年の大半を雪に覆われる土地もあるし、南へ下れば冬でも雪をほとんど見ん街もある。海沿いでも西と東では――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
止めないと一生続きそうだ。
老人が不満そうに口を尖らせる。
「何じゃ。ここからが面白いところなのに」
「全部面白いところなんじゃないですか?」
「当たり前じゃろう」
即答された。
思わず笑ってしまった。
「面白いだろう? 世界は」
老人がそう言って。
本当に嬉しそうに笑う。
僕が何日も資料館へ通っている時と同じ。
誰かが知らないことへ興味を持つのが、きっとこの人は嬉しいんだ。
もう一度、机いっぱいに広がった地図を見る。
エルドランは小さい。
そこから先には。
知らない街が。
知らない土地が。
名前すら覚えきれないほど続いている。
「はい」
地図から目を離せないまま頷く。
「世界って、こんなにも広いんですね」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
老人が何度も満足そうに頷いた。
「知らん場所は面白いぞ。知らんことがあるのは、もっと面白い」
「おじいさん、本当にこういう話好きですね」
「何を今さら」
笑いながら、老人が僕の隣へ身を乗り出す。
「で、次はどこが気になる?」
「次?」
「聞きたい場所があるじゃろう。ほれ、言ってみい」
「……じゃあ」
僕は地図の上を眺める。
一つに決めるつもりだったのに。
気になる場所が多すぎて、指が迷った。
「この辺りからお願いします」
「よし来た」
どうして僕より嬉しそうなんだろう。
◆
資料館を出た頃には、とっくに昼を過ぎていた。
少しだけ調べて帰るつもりだったのに、老人が地図を出してから結局何時間も話を聞いてしまった。
階段を下り、上層区から中央区へ向かいながらも、頭の中にはまだ机いっぱいに広げた地図が残っている。
いつもなら気にしない市場の品物まで、今日は少し違って見えた。
色の濃い果物。
模様の入った布。
店先へ積まれた木箱。
どれもエルドランで作られたものとは限らない。
「……これも、どこかから来たのかな」
「何がだ?」
「うわっ」
すぐ横から返事が飛んできて、思わず肩が跳ねた。
振り向く。
荷車の横で、ガルドさんが呆れた顔をしていた。
「人の顔見て驚くなよ」
「すみません。考え事してました」
「見りゃ分かる」
どうやら歩きながら考えているうちに、ガルドさんがよく荷を扱っている広場まで来ていたらしい。
荷台にはいくつもの木箱が積まれ、ガルドさんはその一つを片手で持ち上げて地面へ下ろす。
……あの大きさを片手で持つんだ。
この前から、他種族との力の差が妙に目につく。
「で、何見てたんだ?」
「この箱です」
「箱?」
ガルドさんが自分の下ろした荷を見る。
「これって、エルドランの外から来たんですよね?」
「そりゃな。南の方から来た香辛料だ」
「南……」
木箱を見る。
昨日までなら、それだけで終わっていた。
でも今は。
この箱が、地図のどこかから道を通ってここまで来たんだと思う。
「何だよ、急に」
「今日、資料館で地図を見たんですよ」
「地図?」
「世界の」
ガルドさんの犬耳が片方だけ動いた。
「そりゃ随分でかいもん見たな」
「僕もそう思いました」
荷車の邪魔にならないところへ立つ。
「ガルドさんって、色んな街へ行ったことあるんですよね」
「まあな。ハンターやってた頃も行ったし、運び屋になってからもあちこち走ってる」
「どんなところなんですか?」
「……どこがだ?」
「外です」
「質問がでけえよ」
笑われた。
自分でも雑だと思う。
「じゃあ、小人族の街」
「何でいきなりそこなんだ?」
「片刃剣です。鍛冶屋の人に、故郷なら直せる人がいるかもしれないって言われて」
「ああ。例の数週間掛かるってとこか」
「ガルドさんも知ってるんですか?」
「大体の位置ならな。その辺りには何度か荷を運んだことがある」
やっぱり。
数週間というのは大げさでも何でもないらしい。
「どんな街でした?」
「一括りにすんな。山の中だけでもいくつもあるぞ」
「じゃあ、行ったところで」
ガルドさんは少し考えてから、荷台へ背を預けた。
「山そのものを削って街にしてる場所があったな。道は坂ばっかで、朝から晩までどっかで金属叩いてる音がしてる」
「ずっと?」
「ずっとだ」
「眠れました?」
「疲れてりゃ寝られる」
ガルドさんらしい答えだった。
「鍛冶屋は?」
「腐るほどある。剣専門、鎧専門、魔道具に使う部品ばっか打ってるところ……あと、使い道が分からねえもんばっか作ってる工房もあったぞ」
「それ、資料館のおじいさんが喜びそうですね」
「何の話だよ」
「こっちの話です」
あの老人を連れていったら、たぶん帰ってこなくなる。
「竜族の街は?」
「建物がでかい」
「それだけですか?」
「本当にでかいんだから仕方ねえだろ。扉も椅子も宿の寝台もでかい」
腕を広げて見せる。
「寝台なんざ、俺が横に三人並べたぞ」
「それはちょっと寝てみたいですね」
「一人で使うと落ち着かねえぞ」
「天使族の聖都は?」
「行った」
「どうでした?」
「白い」
「……またそれだけ?」
「あと高い」
「何がです?」
「街が」
よく分からない。
眉を寄せると、ガルドさんが笑った。
「高台に造られてんだよ。白い石の建物が多くて、上へ上へ道が続く。翼持ちが基準だから、歩いて上る側は階段ばっかだ」
「……それは大変そうですね」
「荷物背負って上った時は二度と来ねえって思ったな」
景色より仕事の思い出の方が強いらしい。
「夜魔族の街は?」
「夜がうるせえ」
「うるさい?」
「日が落ちた頃から店が開く場所もあるんだよ。俺が寝たい時間に一番賑やかになる」
「へぇ……」
聞くたびに。
知らない景色が増えていく。
同じ世界にあるのに。
街の造りも。
暮らす時間も。
当たり前のことまで違う。
「他には?」
「まだ聞くのか?」
「はい」
「仕事が終わらねえぞ」
「手伝いますよ」
「じゃあ、これ持て」
大きな木箱を示される。
さっきガルドさんが片手で動かしていたものだ。
「……もう少し小さいのにしてください」
「賢明だ」
笑われた。
比較的小さな箱を受け取り、荷台から倉庫へ運ぶ。
僕が一往復する間にも、ガルドさんはもう二箱運び終えていた。
少し納得いかないけれど、仕方がない。
それからも荷物を運びながら話を聞いた。
大河の上を船で何日も進む地域。
森の中に家々が点在し、精霊族と他種族が一緒に暮らす土地。
一年の大半を雪に覆われる北方。
逆に、冬でもほとんど雪が降らない場所。
古い遺跡の周りにできた街。
今でも遥か昔の建物を使い続けているところ。
ガルドさんにとっては。
全部、自分の目で見た景色だった。
「……いいですね」
「何が?」
最後の小箱を倉庫へ置き、外へ戻る。
「色んなところへ行ってるの」
「ハンターやってりゃ、そこまで珍しい話でもねえぞ」
「そうなんですか?」
「街を跨ぐ依頼もある。何ヶ月も帰らねえ奴だっているし、特定の街に拠点を置かずに渡り歩いてる連中もいる」
「……」
ハンター。
その言葉に。
少しだけ考える。
僕にとってハンターは。
エルドランのギルドで依頼を受けて。
街の外へ行って。
終われば帰ってくるものだった。
でも。
別に、そうじゃなくてもいいらしい。
「僕、ずっとエルドランでしかハンターをやったことないですね」
「そりゃお前、ここでハンターになったんだから当然だろ」
「そうなんですけど……」
エルドランへ来た時。
僕はここで生きていくことしか考えていなかった。
ハンターになる。
依頼を受ける。
ランクを上げる。
それだけで毎日がいっぱいだった。
なのに今は。
地図の向こうに。
僕が知らない世界があることを知ってしまった。
「ガルドさん」
「ん?」
「他の街の資料館って、入ったことあります?」
「資料館?」
「人間のことを調べてるんですけど、エルドランじゃもうほとんど新しいものが見つからなくて」
「ああ……」
ガルドさんが少し考える。
「何度か入ったことはあるが、人間について気にしたことはねえな」
「ですよね」
「ただまあ、街が変われば持ってる記録も変わるだろ」
「資料館のおじいさんにも言われました」
「だったら、探す場所がここだけじゃなくなったってことじゃねえか」
「……そうですね」
簡単に言われた。
でも。
それで少しだけ、何かが繋がる。
壊れた片刃剣。
直せるかもしれない鍛冶師が、数週間も先の山にいる。
人間についての記録。
エルドランに残っていなくても、他の街には何かあるかもしれない。
そして。
それとは別に。
白い街も。
夜に目を覚ます街も。
山を削って造った街も。
古い遺跡も。
僕は。
普通に見てみたいと思っている。
「……行ってみたいな」
気づけば、口から零れていた。
「どこに?」
ガルドさんに聞かれて。
答えようとする。
小人族の街。
天使族の聖都。
竜族の土地。
夜魔族の街。
大河。
遺跡。
一つには決められなかった。
「……色々」
「雑だなぁ」
「僕もそう思います」
まだ。
どこへ行こうとも。
いつ行こうとも決めていない。
ただ。
行ってみたい。
今は。
それだけだった。
◆
夕方。
角兎亭へ帰る途中で、西門の近くを通った。
足が止まる。
門の向こうには、いつもの街道が続いている。
何度も通った道だ。
角兎を捕まえに行った時も。
モンスターを討伐しに行った時も。
昨日だって、あの道を通って依頼へ行った。
でも。
今までは目的地までしか見ていなかった。
森へ行くなら森まで。
山へ行くなら山まで。
その先がどこへ繋がっているのかなんて、ほとんど考えたこともない。
道は。
僕が戻ってきたあとも続いている。
途中で分かれて。
別の街へ。
もっと遠くへ。
何週間も掛かる山の向こうまで。
腰へ手を置く。
掌に触れるのは、まだ慣れない重い両刃剣だ。
壊れた片刃剣は角兎亭の部屋に置いてある。
あれを直せるかもしれない人が、この道をずっと進んだ先にいる。
人間について。
僕がまだ知らないことだって、どこかに残っているかもしれない。
……それだけじゃない。
面白いだろう? 世界は。
資料館の老人が嬉しそうに笑っていた顔を思い出す。
「……はい」
誰もいないのに、小さく返事をした。
夕日に照らされた街道は、遠くで緩く曲がっている。
その先は。
ここからじゃ見えない。
だからこそ。
少しだけ、見てみたいと思った。
……この道の先に、僕の知らない場所がどれくらいあるんだろう。
そんなことを考えながら。
僕はしばらく、門の向こうから目を離せなかった。
◆