駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
終章『少年は夢を口にする』
◆
ガタン、と荷台が揺れた。
「……ん」
身体が小さく跳ね、その拍子に薄く目を開ける。
頭の後ろには丸めた外套を挟み、背中は旅の荷物を詰め込んだ鞄へ預けていた。
規則正しく続く車輪の音とケルンの足音を聞いているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
目を擦りながら身体を起こすと、街道の左右には緩やかな草原が広がっていた。
遠くには低い丘が重なり、そのさらに向こうには薄く山の影が見える。
エルドランの門を出てからそれなりに時間が経っているらしく、振り返ってみても、もう街の姿はどこにもなかった。
「お。ようやく起きたか、兄ちゃん」
荷台の前から声が飛んでくる。
「……はい。ガルドさん」
「誰だ、そりゃ」
「……え?」
眠気の残るまま顔を上げる。
御者台からこちらを振り返っていたのは、ガルドさんとは似ても似つかない獣人族の男だった。
日に焼けた顔の上で、茶色い獣耳が呆れたように片方だけ傾いている。
「……すみません。寝ぼけてました」
「ははっ! 俺はいつからガルドって名前になったんだ?」
「前に何度か、こういう荷台へ乗せてもらっていた人なんです。声を掛けられたので、つい」
そう言いながら荷物へ座り直す。
この揺れ方と、荷台から見える景色。
それに前から声を掛けられたせいで、身体の方が先に昔を思い出したらしい。
「よく寝てたぞ。街を出たばっかりの奴とは思えないくらいにな」
「そんなにですか?」
「ああ。荷物を全部持っていかれても気づかなそうだった」
「それは困ります」
反射的に隣の鞄へ手を伸ばし、中身があることを確かめる。
旅に必要な道具と保存食。
女将さんから持たされた昼飯。
それから、布で丁寧に包んだ壊れた片刃剣もちゃんと残っていた。
「大丈夫だ。何も盗られてねえよ」
「最初からそう言ってくださいよ」
「兄ちゃんの慌てる顔が面白かったからな」
「……獣人族の御者さんって、皆こうなんですか?」
「誰と比べてんだよ、それ」
男は声を上げて笑いながら前へ向き直り、手綱を軽く鳴らした。
二頭のケルンが耳を動かし、そのまま変わらない速さで街道を進んでいく。
……ガルドさんも、僕が寝ていたら似たようなことを言いそうだ。
そんなことを考えながら、荷台の縁へ背中を預け直した。
「そういや兄ちゃん、エルドランから乗ったんだったか?」
「はい」
「観光で来てたのか?」
「いえ。住んでました」
答えてから。
少しだけ、その言葉が胸へ残った。
「二年と少しです」
「へえ。じゃあ引っ越しか?」
「引っ越し……ではないですね。旅に出たんです」
「一人で?」
「その予定です」
何故か自分で言っておきながら少し引っ掛かったけれど、今のところ間違ってはいない。
「若いのに思い切ったな。それで、どこまで行くんだ?」
「最初の目的地は、小人族の集落です」
「小人族って……北西の山の方か?」
「はい。そこに行けば、この武器を直せる人がいるかもしれないので」
鞄へ手を置く。
中に入っている片刃剣は、エルドランの鍛冶師から安全に直せないと言われたままだ。
「エルドランの鍛冶師じゃ駄目だったのか?」
「珍しい造りらしいです。下手に直そうとして余計に壊すより、昔ながらの武器を扱っている職人を探した方がいいって」
「それで小人族のところまでか。随分遠いぞ」
「聞いてます。普通に行っても何週間か掛かるみたいですね」
「道と天気次第じゃ、もっと掛かる」
「らしいですね」
資料館で地図を見た時にも思ったけれど、エルドランの外は想像していたよりずっと広い。
地図の上では指一本分くらいにしか見えない距離でも、実際に進めば何日も掛かる。
「じゃあ、このまま真っ直ぐ山まで行くのか?」
「いえ。途中の街や村をいくつか経由していくつもりです」
「急いでねえのか?」
「急いではいますけど……せっかくなので、色々見て回ろうと思ってます」
「色々?」
「街とか、景色とか。その土地にしかないものも見たいですし、調べたいこともあります」
人間についても。
エルドランの資料館で読めるものには限界があった。
別の街へ行けば違う記録が残っているかもしれないし、何も見つからないかもしれない。
それでも。
ここしか知らないままでいたくないと思ったから、僕は旅に出た。
「へえ。目的地へ行くだけじゃなくて、寄り道も込みってわけか」
「はい」
「欲張りだなぁ、兄ちゃん」
「……最近、似たようなことを言われました」
オルディアさんにも。
確か、若いうちはそれくらい欲張りな方がいいと言われた。
「でもまあ、俺はそっちの方が好きだぞ。急いで目的地だけ見て帰るより、途中で寄り道した方が旅の話も増える」
「御者さんも色々なところへ行ってるんですか?」
「そりゃな。この街道を行ったり来たりして十年以上だ」
男は少し自慢げに胸を張った。
「じゃあ、途中に面白い場所があったら教えてください」
「次に寄る町なら、中央通りの端にある串焼き屋だな」
「いきなり食べ物ですか」
「旅で飯は大事だぞ」
「……それも最近言われました」
女将さんの顔が浮かぶ。
今朝だけでも普段より随分多く食べさせられたうえに、昼飯まで持たされた。
「小人族の山まで行くなら、そこから先は何度か車を乗り継ぐことになるな。山へ近づくほど便も減るし、最後は徒歩になると思っとけ」
「はい。その辺りもギルドで聞きました」
「準備いいじゃねえか」
「一応、旅に出るって決めてから色々聞きましたから」
「それなら、途中で心折れねえようにな」
「たぶん大丈夫です」
「たぶんかよ」
また笑われる。
それからしばらく、僕は御者さんから街道沿いの話を聞いた。
次に寄る町のこと。
その先にある小さな村のこと。
雨が続くと通れなくなる道や、最近はどの辺りでモンスターが出やすいか。
僕がハンターだと知ると、今度は向こうから色々と聞かれた。
ランクはいくつなのか。
エルドランではどんな依頼をしていたのか。
腰の剣でモンスターと戦うのか。
その辺りまでは普通だった。
「そういやエルドランって、この前あの水禍渡りが来た街だろ? 兄ちゃんも見たのか?」
「ああ……」
少しだけ迷ってから。
隠すことでもないので頷く。
「見たというか、戦ってました」
「……は?」
御者さんが振り返る。
「防波壁とか街の中とかで」
「兄ちゃん、ランクいくつだ?」
「5です」
「歳は?」
「十九です」
「……」
茶色い獣耳がぴんと立った。
「兄ちゃん、もしかして結構とんでもない奴か?」
「普通ですよ」
「ランク5で水禍渡りを生き残ってる十九歳が普通でたまるか」
「僕より強い人なんて、いくらでもいますよ」
「そういう話じゃねえんだけどなぁ……」
何故か呆れられた。
そのあとも何度か水禍渡りについて聞かれたけれど、僕一人で何かをしたわけじゃないと説明すると、御者さんもようやく納得したのか前を向いた。
まあ最後まで「それでも十分おかしい」と言われたので、納得したのかは少し怪しいけれど。
やがて会話も途切れ、荷台には車輪とケルンの足音だけが残った。
僕は鞄へ背中を預け、流れていく景色を見る。
街道の左右には草原が続き、風に揺れる草の向こうには低い丘と、そのさらに先に霞んだ山々が見えていた。
エルドランへ来た時にも。
僕はこうして、ケルン車の荷台から外を眺めていた。
あの時はガルドさんが前に座っていて、僕は何となく荷台に揺られていた。
金はほとんど持っていなかったし、泊まる場所も決めていなかった。
ハンターになりたいということ以外、自分がこれからどうやって生きていくのかさえ、ろくに分かっていなかったと思う。
それでもガルドさんから百ソルを借りて。
エルドランへ入った。
「……」
腰に差した細身の両刃剣へ触れる。
以前の片刃剣よりずっと重くて、今でも振るたびに戦いづらいと思う。
鞄の中には、その壊れた片刃剣と、自分で稼いだソルが入っている。
僕自身も。
今はランク5のハンターだ。
どこへ行きたいのかも。
何をしたいのかも。
二年前よりは、ずっと分かっている。
何より。
今の僕には帰る場所があった。
振り返っても、もうエルドランは見えない。
それでも今朝、門の前で手を振ってくれた人たちの顔はすぐに浮かんだ。
ガルドさん。
アルナさん。
フレイヴィアさん。
セラフィーンさん。
女将さん。
それ以外にも。
本当にたくさんの人がいた。
……散々泣いたなぁ。
思い出すだけで少し恥ずかしくなり、フードを深く引っ張る。
でも。
寂しくないと言えば嘘になるのだから、今さら格好をつけても仕方ない。
戻りたい場所があるというのは。
思っていたより、悪くなかった。
「最初に小人族の集落へ行くなら、途中で二、三ヶ所は大きな街を挟んだ方がいいと思うよ」
「そうですね。僕もそのつもりです」
「山へ近づくほど便も減るし、最後の方は徒歩になるだろうからね」
「御者さんも同じこと言ってました。途中で情報を集めながら――」
そこまで答えたところで、何となく引っ掛かった。
「それに、君は知らない街を見るのも目的なんだろう? なら急いで通り過ぎるのはもったいない」
「はい。せっかくなので、できるだけ色々見て――」
また普通に返事をしてから、ようやく口が止まる。
「……え?」
御者さんの声は前から聞こえていた。
けれど今まで僕と話していた声は、どう考えてもすぐ隣から聞こえている。
しかも。
随分と聞き覚えのある声だった。
「どうしたんだい?」
恐る恐る隣を見る。
荷台の端、僕の荷物から少し離れた場所に、一人の女性が当たり前みたいな顔をして座っていた。
深い藍色の外套は羽織っているものの、今日はフードを被っていないため、白銀に近い髪が風に揺れている。
猫みたいに丸みを帯びた短い髪から覗く横顔は整っていて、淡い赤紫色の瞳が楽しそうにこちらを見つめていた。
……やっぱり綺麗な人だなぁ。
前に会った時にも思ったけれど、こうして何も隠していない姿を明るい場所で見ると余計にそう思う。
細い輪郭も、少し長い睫毛も、柔らかく笑っている口元も、僕の周りにはあまりいない雰囲気で――。
「やあ」
にこりと笑われる。
……いや。
そうじゃない。
「メルシア?」
「うん」
本人は何故か満足そうに頷いた。
「いい天気だね、ルキウス」
「…………何でいるんですか!?」
「うわっ!」
御者さんの肩が大きく跳ね、手綱を握ったまま慌ててこちらを振り返る。
「急に叫ぶな、兄ちゃん! ケルンが驚くだろ!」
「す、すみません! でも、何で!?」
「だから俺に聞くなよ!」
「御者さんじゃなくて!」
慌ててメルシアへ向き直る。
けれど本人は少しも悪びれず、膝の上で手を組んだまま僕を眺めていた。
「何でいるんですか?」
「旅をしているからだけど」
「そういう意味じゃないです!」
「おや。では、どういう意味だろう?」
「何で僕の乗ってるケルン車にいるのかって聞いてるんですよ!」
ようやく意味が通じたらしく、メルシアは「ああ」と小さく頷く。
「途中の乗り場から乗ったんだよ」
「いつです?」
「君が寝ている間だね」
「途中で乗せたぞ」
御者さんまで前から答えてくる。
「俺はてっきり連れだと思ってたが」
「違います!」
「知り合いではあるんだろ?」
「知り合いですけど、こんなところにいるとは知らなかったんです!」
「なら大体合ってるじゃねえか」
「全然違いますよ!」
御者さんが声を上げて笑う。
その横でメルシアまで楽しそうに肩を揺らしていた。
「声掛けてくださいよ」
「よく寝ていたからね」
「だからって、黙って隣に座ります?」
「起こすのも悪いだろう?」
「普通は起きた時に声掛けると思います」
「君がいつ気づくのか興味が湧いてしまって」
「絶対そっちが本当の理由ですよね?」
聞くと、メルシアは答える代わりに楽しそうな笑みを深くした。
……この人。
相変わらずだ。
「それで、メルシアはどこへ行くんです?」
「さあ?」
「さあ?」
聞き返すと、彼女は風に揺れる白銀の髪を片手で押さえながら、街道の先へ目を向けた。
「僕は旅人だからね。行きたい場所があれば行くし、面白そうなものを見つければ寄り道もする。今のところは西の方へ行ってみようと思っているよ」
「……西?」
「うん」
「僕もそっちなんですけど」
嫌な予感がする。
「奇遇だね」
予想通りの答えだった。
「本当に奇遇ですか?」
「奇遇ということにしておこう」
「怪しい……」
「酷いなぁ。僕はただの旅人だよ」
「前にもそれ聞きました」
「覚えていてくれたんだね。嬉しいよ」
何を言っても楽しそうに返される。
これ以上聞いても、まともな答えは返ってこなさそうだった。
「それに」
メルシアが僕の荷物へ視線を落とす。
「最初は小人族の集落を目指すんだろう?」
「何でそこまで知ってるんです?」
「さっき御者さんと楽しそうに話していたじゃないか」
「……起きてたんですか?」
「もちろん」
「じゃあ、ずっと黙って聞いてたんですか」
「よく寝ている君を見る機会なんて、そうないからね」
少しだけ目を細められる。
「それに、エルドランを出たばかりの君がどんな顔をしているのか興味もあった」
「……まさか」
メルシアを見る。
彼女の口元が、僅かに上がった。
「僕が門で泣いてたことも知ってます?」
「さて、何のことかな」
「知ってますよね?」
「安心するといい。誰にも言うつもりはないよ」
「知ってるじゃないですか!」
堪えきれなくなったみたいに、メルシアが声を上げて笑う。
「あははっ! いやぁ、いいものを見たよ」
「今すぐ降りてもらってもいいですか?」
「ここで?」
言われて周囲を見る。
街道の左右には草原が広がり、遠くに低い丘があるだけだった。
「……駄目ですね」
「だろう?」
「何でメルシアが勝ち誇ってるんですか」
また御者さんの笑い声が聞こえた。
「お前ら、本当に仲いいな!」
「よくありません!」
「そうだね。まだ知り合ってから長くはないから、これからかな」
「勝手に仲を深める前提で話さないでください!」
旅を始めて、まだ一日も経っていない。
僕は一人で知らない世界を見に行くつもりだったはずなのに、どうしてもうこんなに騒がしくなっているんだろう。
……まあ。
メルシアが僕と同じ方向へ向かうのなら、途中まで一緒になること自体は別に困らない。
それに、この人は僕が人間だと知っている。
エルドランの外で正体を隠しながら旅をすることを考えれば、事情を知っている人が一人いるのは心強いかもしれない。
「おや。同行してもいいと思い始めた顔だね」
「……何で分かるんですか」
「顔に出ているからかな」
「出てませんよ」
「そういうことにしておこう」
やっぱり。
少し考え直した方がいいかもしれない。
「ところで、ルキウス」
「今度は何です?」
「次の町には、美味しい焼き菓子の店があるらしいよ」
「……」
少し前まで真面目に同行について考えていたのに、一瞬で別のことへ興味が移った。
「御者さん」
「おう?」
「本当ですか?」
「あるぞ。中央通りの端にある店だな。焼きたては結構うまい」
「寄ります」
「即決だね」
メルシアが楽しそうに笑う。
「知らない土地の食べ物を見るのも旅ですから」
「なるほど。立派な目的だ」
「何でちょっと馬鹿にしてるんです?」
「していないよ。僕も食べたいと思っていたところだ」
「……じゃあ、メルシアも行くんですか?」
「もちろん」
何の迷いもなく答えられた。
「僕、お金出しませんよ」
「それくらい持っているとも」
「ならいいです」
「お前ら、本当に旅の目的分かってるか?」
御者さんが呆れた声を出す。
「分かってますよ」
「僕たちは焼き菓子を食べに行くんだ」
「メルシア!」
「違うのかい?」
「まずは小人族の集落です!」
「焼き菓子は?」
「途中です!」
「なら食べるんじゃないか」
「そうですけど!」
御者さんの大きな笑い声が街道へ響いた。
僕も言い返しながら、いつの間にか少し笑っていた。
さっきまで一人で眺めていた草原は何も変わっていないはずなのに、隣に誰かがいてくだらないことで言い合っているだけで、何となく違う景色に見える。
街道は、まだずっと先まで伸びていた。
その向こうには地図でしか見たことのない街があり、僕の知らない人たちが暮らしている。
まず目指すのは、片刃剣を直せるかもしれない職人がいる小人族の土地。
そこへ辿り着くまでにも、いくつもの街や村を通ることになる。
さらにその先には、資料館で聞いた竜族の街や天使族の聖都、夜魔族の都市、精霊族の森だってある。
ガルドさんが実際に訪れた場所もあれば、名前くらいしか知らない場所もあって……世界の地図を思い浮かべるだけでも、行ってみたいところはいくらでも出てきた。
そして。
人間のこともある。
エルドランでは分からなかったことが、別の街なら見つかるかもしれない。
何も見つからない可能性だってあるし、知れば知るほど分からないことが増えるのかもしれない。
それでも、自分の目で確かめてみたいと思う気持ちは変わらなかった。
「……楽しみだな」
思わず零れた声に、メルシアがこちらを向いた。
「何がだい?」
「これからです」
僕は街道の先を見たまま答える。
「知らないところが、いっぱいあるみたいなので」
「そうだね」
風に白銀の髪を揺らしながら、メルシアも同じ方向を見る。
「世界は広いよ」
「……はい」
そのこと自体は、もう知っている。
資料館の地図を見て、いろんな人から話を聞いて、エルドランの外には僕の知らない場所がいくらでもあることを知った。
ただ、実際にどれくらい広くて、その場所に何があって、どんな人が暮らしているのかまでは何も知らない。
だからこそ、今度は誰かの話や本の中だけではなく、自分でそこまで行って確かめてみたい。
「だから、見に行きます」
「うん。僕も付き合おう」
「……いや、同行するとはまだ言ってませんよ?」
「え?」
メルシアが本気で不思議そうな顔をした。
「何でメルシアが驚くんですか。そもそも勝手に同じケルン車へ乗ってきたのはメルシアでしょう?」
「でも、ここまで一緒に旅の話をしたじゃないか」
「それで同行が決まるなら、さっきの御者さんとも一緒に小人族の集落まで行くことになりますよ」
「俺は仕事があるから行かねえぞ!」
前からすぐに否定される。
「ほら」
「残念だね」
「何でメルシアが残念がるんですか」
また話が変な方向へ行きそうになったところで、ガタン、と車輪が大きな石を踏んだ。
荷台が大きく跳ね、僕の身体が少し横へ流れる。
メルシアも揺れに合わせて身体を傾けたものの、僕と違ってまるで慣れているみたいに姿勢を崩さなかった。
「おい、二人とも! 騒ぐのはいいが荷台から落ちるなよ!」
「すみません」
「了解したよ」
僕は荷物へ背中を預け直しながら、もう一度街道の先へ目を向けた。
二年前も、こうしてケルン車の荷台へ乗っていた。
あの時はガルドさんの荷台で揺られながら、名前しか知らないエルドランへ向かっていた。
持っているものなんてほとんどなかった。
泊まる宿も知らなければ、次の日にどうやって金を稼ぐのかも分かっていなかった。
今は違う。
腰には今の僕が使う細身の両刃剣があり、荷物の中には壊れていても大事な片刃剣がある。
自分で稼いだソルもあれば、ランク5のハンターとして受け取った認識票も持っている。
そして何より。
今の僕には帰る場所があった。
だから今度は、何も知らない場所へ流されるように向かっているわけじゃない。
自分で行きたい場所を決めて、自分で見たいものを選び、そのあとにはエルドランへ帰るつもりで旅へ出ている。
「ルキウス」
「はい?」
「次の町に着いたら、まず焼き菓子でいいんだね?」
「……何で今その確認するんですか」
「大事なことだからさ」
「まず宿とか、次のケルン車とか確認しましょうよ」
「焼き菓子は?」
「そのあとです」
「よし。決まりだね」
何故か満足そうに頷かれた。
「だから同行するとも言ってませんって」
「まあまあ。細かいことは町に着いてから考えよう」
「一番大事なところだと思うんですけど……」
呆れて息を吐く。
それでも口元には少し笑みが残っていて、メルシアもそれを見て楽しそうに笑った。
ケルン車は一定の速さで街道を進んでいく。
エルドランはもう見えないけれど、それで帰る場所がなくなったわけじゃない。
この先には小人族の土地があり、そこへ行くまでにも僕の知らない街や村がいくつもある。
そのさらに先にも、地図でしか見たことのない場所がまだまだ広がっている。
何が待っているのかは分からないし、きっと楽しいことばかりでもない。
それでも今は、その分からないことまで少し楽しみだった。
「……楽しみですね」
「うん?」
「旅です」
僕が答えると、メルシアは少しだけ目を細めてから、吹き抜ける風の向こうへ視線を向けた。
「そうだね。きっと面白いよ」
「はい」
ガタン、ともう一度荷台が揺れる。
今度は眠ることもなく、その揺れに身体を任せながら遠くまで続いている街道を眺めた。
二年前、この荷台の先には僕の知らないエルドランがあった。
そこでたくさんの人に出会い、ハンターになって、何度も怪我をしながら二年と少しを過ごし、最後には帰ってきたいと思える場所までできた。
そして今、同じように揺れる荷台の先には、僕の知らない世界が広がっている。
「御者さん。それで、その焼き菓子って何が入ってるんだい?」
「もう聞いてる……」
隣では早速メルシアが御者さんへ身を乗り出し、次の町にある店について詳しく聞き始めていた。
「木の実を蜜で煮たやつが入ってるな。あとは季節によっちゃ果物も使うぞ」
「へえ。ルキウス、両方食べよう」
「何で二つ食べることが決まってるんですか」
「せっかく知らない土地へ来たのに、一つしか食べないのはもったいないだろう?」
「さっき僕が言ったことを便利に使わないでください」
「なら三つにする?」
「増やさないでください!」
御者さんが堪えきれずに笑い出し、メルシアまで楽しそうに笑っている。
どうやら静かな一人旅にはなりそうもなかったけれど、それも含めて、これから何が起こるのかはまだ分からない。
目の前には、どこまでも街道が続いている。
まずは次の町へ行って、その先の村へ。
いくつもの場所を経由しながら小人族の土地を目指して、そこから先はまたその時に考えればいい。
知りたいことも。
見たいものも。
今の僕には、いくらでもある。
僕はフードの奥で小さく笑い、隣で早くも焼き菓子を二つにするか三つにするか悩み始めたメルシアの声を聞きながら、まだ見たことのない世界へ続く道を眺めた。
ケルン車は僕たちを乗せたまま、ゆっくりと街道の先へ進んでいった。
◆
今回で本当に完結となります!
駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~第一部エルドラン編、長い間お付き合いいただきありがとうございます。
口からおろおろと出てくる感謝のことを述べたいところではありますが、前回の場を借りてこの場ではこれからについて二文だけ話させてください。
第二部は誠意制作中となっています。
次回作は別の作品を投稿していくので、よければそちらもお願いします。