駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
◆
朝。
角兎亭の食堂で、僕は今日の朝食を前にしていた。
焼いたパン。
温かいスープ。
薄く焼かれた肉。
それから、少ししょっぱい豆。
うん。
昨日と同じような朝食だ。
でも、昨日と違って、僕の心はかなり前のめりだった。
なぜなら。
「今日は依頼を受けるぞ……」
昨日は剥ぎ取り講習と教会登録で一日が終わった。
大事なことだったのは分かっている。
グラムさんには、奪った命を無駄にするなと教わった。
セラフィーンさんには、怪我をしても大丈夫にするために治癒術があるわけではないと教わった。
どちらも、きっとハンターとして必要なことなのだと思う。
分かっている。
分かっているのだけど。
「やっぱり、ハンターは依頼を受けないとだよね」
ハンターになったのだから。
ギルドカードを持っているのだから。
依頼を受けて、達成して、報酬を得たい。
そう思うのは、仕方ないことではないだろうか。
「おや。今日はやけに気合が入ってるね」
大きな皿を持った女将さんが、僕の席のそばで足を止めた。
大柄で、快活で、朝から声が大きい。
話しかけられると、こちらまで元気がもらえそうである。
角兎亭の女将さんは、今日も元気だった。
「はい! 今日は依頼を受けようと思ってます!」
「そうかい。なら、気を付けていってきなよ」
「努力します!」
「いい返事だ」
女将さんは笑いながら、僕の前に追加の焼き肉を置いた。
じゅわりと脂の匂いが広がる。
僕は思わず、肉と女将さんを見比べた。
「い、いいんですか?」
「食べな。腹が減ってたら、逃げ足も鈍るからね」
「逃げ足前提なんですね……」
「駆け出しは、逃げ足が一番大事さ」
そう言って、女将さんは別の席へ向かっていった。
逃げ足。
たしかに大事なのだろう。
アルナさんにも、危ないと思ったら戻るように言われている。
セラフィーンさんにも、無理をしないように言われた。
グラムさんにも、知らないことを知ったふりする奴から死ぬと言われた。
皆、少しずつ違う言葉で、同じことを言っている気がする。
生きて帰る。
たぶん、それが一番大事なのだ。
「……よし」
僕は朝食を食べ終え、持ち物を確認した。
ギルドカード。
教会登録済みの印。
剥ぎ取り用のナイフ。
素材袋。
片手剣。
それから、深く被ったフード。
準備はできている。
昨日より、少しだけハンターらしい。
そんな気がした。
◆
「おはようございます!」
ハンターズギルドへ入って、僕はまっすぐ受付へ向かった。
ギルドの中は、今日も騒がしい。
革の匂い。
鉄の匂い。
汗の匂い。
それから、獣と血の匂い。
もう少し慣れたかと思っていたけれど、やっぱり最初の一歩では胸が高鳴る。
受付には、いつものようにアルナさんがいた。
「おはようございます、ルキウスさん」
「今日は依頼を受けに来ました!」
「でしょうね」
でしょうね、と言われた。
そんなに顔に出ていただろうか。
出ていたのだろうな。
「昨日は講習と教会登録で終わってしまったので!」
「どちらも大事なことですよ」
「はい。分かってます。でも、依頼も受けたいです」
そう言うと、アルナさんは少しだけ考えるように目を伏せた。
猫耳が、ぴこりと動く。
かわいい。
いや、今は依頼だ。
「では、今日はこちらにしましょう」
アルナさんは依頼書を一枚取り出した。
そこには、見慣れない名前が書かれている。
「ナイフバード」
「はい。小型鳥型モンスターです。渓流地帯で一体だけ確認されています」
「鳥」
「鳥です」
「小さいですか?」
「小さいです」
「なら――」
「切れます」
「切れる」
「はい。名前の通り、切れます」
アルナさんが真面目な顔で言った。
切れる鳥。
鳥なのに切れる。
いや、名前がナイフバードなのだから、そうなのだろうけど。
「翼と尾羽が薄く硬く、刃物のようになっています。飛び込む時に切りつけてくるので、昨日のスノウラビとは違って、向こうから攻撃してきます」
「向こうから」
「はい。逃げるだけではありません」
「なるほど」
「本当に分かっていますか?」
「はい!」
「本当に?」
「本当に本当です!」
「……不安ですね」
また不安がられた。
なぜだ。
僕はこんなにも真剣に聞いているのに。
「無理はしないでください。単体ならランク1の依頼ですが、群れだとランク2相当の危険なモンスターです」
「分かりました。気をつけます」
「本当に?」
「本当に本当です!」
「……」
「……」
アルナさんは、依頼書を持ったまま僕をじっと見た。
猫耳が少しだけ横に倒れている。
しばらくして、彼女は小さく息を吐いた。
「では、受注します」
少し間があった。
でも受けられた。
勝ちだ。
いや、何に勝ったのかは分からないが、勝った気分になった・
「では、行ってきます!」
「はい。お気をつけていってらっしゃいませ」
アルナさんは、僕にも律儀に頭を下げてくれる。
そんなアルナさんに、僕も深く頭を下げてギルドを出た。
◆
渓流地帯は、昨日と同じ姿をしていた。
まあ、二日や三日で景色が変わるわけもない。
小さな虫の羽音。
遠くで鳴く鳥の声。
水の流れる音。
湿った土と葉の匂い。
昨日より、少しだけ落ち着いて周りを見られている気がする。
「ナイフバード……ナイフバード……」
依頼書を確認しながら、木々の間を進む。
探すべき痕跡は、アルナさんが教えてくれた。
木の幹についた浅い切り傷。
地面に落ちた硬い羽根。
斜めに切れた枝。
そして、甲高い鳴き声。
しばらく歩くと、木の幹に細い傷を見つけた。
爪痕ではない。
獣が噛んだ跡でもない。
まるで、小さな刃で浅く斬ったみたいな傷。
「……これは」
足元には、薄い羽根が落ちていた。
拾ってみる。
軽い。
けれど、端が硬い。
指でなぞると、ひやりとした。
刃物、というほどではない。
けれど、勢いよく当たれば皮膚くらい簡単に切れそうだった。
「なるほど。これは確かに当たったら痛そうだ」
僕は羽根を素材袋に入れた。
その時だった。
高く、細い音がした。
どこか金属を擦ったみたいな音が、木々の間を抜けて鼓膜を震わせる。
自然と、指に力がこもった。
顔を上げる。
枝の上に、それはいた。
大きさは、僕の腕より少し大きいくらい。
細い脚。
鋭い嘴。
青みがかった灰色の体。
そして、光を受けて薄く輝く翼。
羽根の先が、きらりと光った。
刃みたいだった。
ゆっくりと剣に手をかける。
その次の瞬間。
ナイフバードが、枝を蹴った。
「っ!」
風が鳴る。
反射的に身を引いた。
けれど、遅い。
頬に熱が走った。
一瞬遅れて、血が流れる感覚がある。
「痛っ」
ナイフバードは、もう別の枝に止まっていた。
速い。
咄嗟に片手剣を抜く。
ナイフバードが鳴く。
また飛び込んでくる。
剣を振る。
空を切る。
腕に鋭い痛みが走った。
「くっ」
袖が裂ける。
赤い線が走る。
浅い。
浅いけれど、痛い。
ナイフバードはまた離れる。
枝に止まり、こちらを見下ろしている。
まるで、こちらの様子を見ているみたいだった。
「……速いな」
もう一度来る。
今度は受けようと、剣を構えた。
けれど、飛んでくる角度が急に変わる。
肩を切られる。
服が裂ける。
血が滲む。
僕は後ろへ下がった。
足元の土がぬかるむ。
踏ん張りが遅れる。
また、来る。
今度は首元を狙われた。
慌てて身をひねる。
フードの端が裂けた。
「……っ」
嫌な汗が背を伝う。
見えない。
追えない。
当たらない。
剣を振っても届かない。
足を動かしても間に合わない。
避けても、避けきれない。
その事実が、じんわりと足に絡んでくる。
僕は、弱い。
「……どうする」
ナイフバードは、また枝の上にいる。
こちらを見ている。
このまま剣を振り回しても、当たらない。
逃げることはできる。
戻ることもできる。
アルナさんにも、危ないと思ったら戻るように言われている。
生きて帰るのが一番大事だ。
それは分かっている。
分かっている――けれど。
僕はまだ立っている。
傷は浅い。
まだ全然、動ける。
このまま帰りたくない。
なら、考えろ。
あいつは速い。
けれど、攻撃してくる時だけは必ず近づく。
避けようとするから、追えない。
剣で捉えようとするから、遅れる。
それなら。
「……来い」
僕は剣を少し下げた。
左手を少し開く。自然、脇腹を、わざと空ける。
ナイフバードが鳴いた。
枝を蹴る。
風が鳴る。
さっきよりも、はっきり見えた気がした。
逃げないと決めたからだろうか。
いや、見えているわけではない。
分かるだけだ。
あいつはここに来る。
僕の、空いた脇腹へ。
次の瞬間。
熱いものが、脇腹を走った。
「っ、ぐ」
息が詰まる。
翼が服を裂き、皮膚を裂く。
血が出る。
痛い。………でも、もう飛べない。
もう逃げられない。
「……捕まえた」
思わず、口元が歪む。
声が漏れた。
笑っていた。
自分でも分かる。
嬉しかった。
血が出ているのに。
痛いはずなのに。
それよりも、この狩りを成功させられることが、どうしようもなく嬉しかった。
「僕の勝ちだ」
今度は、はっきりと。
暴れるナイフバードを押さえ込み、僕は片手剣を握り直した。
そして、終わらせた。
「……はぁ」
息が荒い。
脇腹が熱い。
でも。
ナイフバードは、もう動かない。
依頼は、達成した。
「……やった」
僕はその場に座り込んだ。
笑みが、まだ少し残っていた。
よかった。
勝てた。
そうして、初めて自分の力で勝った感触を噛みしめながら、僕は素材袋を背負った。
◆
「ただいま戻りました!」
ギルドに入って、僕はいつものように受付へ向かった。
少し怪我はした。
けれど、依頼は達成した。
しかも今回は、昨日の講習を思い出しながら、きちんと剥ぎ取りもできた。
これはもしかしたら、褒めてくれるんじゃないだろうか。
なんて、少しだけ期待しながら。
「アルナさん、依頼達成――」
顔を上げたアルナさんと目が合った。
その瞬間、アルナさんの表情が固まった。
猫耳が、ぴんと立つ。
目が、僕の頬から腕へ。
腕から肩へ。
そして、脇腹へ移る。
「る、ルキウスさん!?それ……だ、大丈夫ですか!?」
アルナさんが、カウンターから飛び出してきた。
昨日の悲鳴とは違う。
今日はもっと近い。
もっと強い。
驚きと、心配と、少しの怒りが混じった声だった。
「大丈夫です。少しえぐられただけです」
「えぐ……そ、それは全然大丈夫じゃありません!」
「でも、歩いて帰ってきましたし」
「歩けるから大丈夫、ではありません!」
怒られた。
それもかなり。
アルナさんは僕の前に立ち、傷を確認する。
頬。
腕。
肩。
そして脇腹。
裂けた服と滲んだ血を見た瞬間、眉がはっきり寄った。
「この脇腹の傷、どうしたんですか」
「ナイフバードにやられました」
「それは見れば分かります。どうして、こんな場所を」
「動きが速くて、追えなかったので」
「はい」
「攻撃してくるところを、捕まえようと思って」
「はい?」
「なので、受けました」
「……自分から?」
「はい」
アルナさんの顔から、すっと笑みが消えた。
まずい。
これはかなりまずい。
僕でも分かる。
「ルキウスさん」
「はい」
「はい、ではありません」
「まだ何も言ってないのに」
「言う前からです!」
アルナさんの尻尾が、ぶわっと膨らんでいる。
完全に怒っている。
いや、心配してくれているのだ。
でも怒っている。
両方だ。
「昨日、教会登録を済ませておいて本当によかったです」
「早速役に立ちましたね」
「そういう意味ではありません!」
「はい。ごめんなさい」
今度は素直に謝罪した。
これは僕が悪い気がする。
少なくとも、アルナさんの顔を見る限り、かなり悪い。
「依頼の報告は後です。素材はこちらで預かります」
「でも、硬羽根の状態を」
「後です」
「報酬は」
「後です」
「剥ぎ取りは昨日より」
「教会です」
「はい」
圧があった。
今までで一番あった。
とても怖かった。
僕は素材袋をアルナさんに預ける。
アルナさんはそれを受け取ると、すぐに近くの職員さんへ渡した。
それから、もう一度僕を見る。
「すぐに行ってください。場所は分かりますね?」
「はい。白い尖塔です」
「寄り道しないでくださいね」
「しません」
「本当に?」
「本当に本当です」
アルナさんは、まだ少し疑わしそうに僕を見ていた。
けれど今度は何も言わなかった。
僕は頭を下げ、ギルドの扉へ向かう。
依頼は達成した。
素材も持ち帰った。
なのに、胸の中に残っていたのは達成感だけではなかった。
アルナさんの、怒った顔。
心配した声。
それが妙に、脇腹の痛みよりも強く残っていた。
昨日登録したばかりの教会へ、まさか次の日に向かうことになるなんて。
自分でも少し気まずく思いながら、僕は白い尖塔を目指して歩き出した。
◆
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回はナイフバード討伐の回でした。
次回は、早すぎた教会への訪問です。ルキウスはセラフィ―ンにも怒られるんでしょうか。
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