駆け出しハンターは英雄に憧れる ~だけども、どうやら人間は滅んでいるらしい~ 作:木乃実なぎ
◆
エルドラン教会支部。
昨日来たばかりの白い建物。
昨日は、初めて来る場所として少し緊張した。
今日は、別の意味で緊張していた。
なぜなら、登録してから一日しか経っていない。
早い。
利用が早すぎる。
受付で事情を伝えると、すぐに奥へ案内された。
そして、昨日と同じように、白と淡い青の衣をまとった人が現れる。
セラフィーン・エル=ラファ。
教会の静けさの中心にいるような人。
淡い金の髪。
深い湖の底みたいな青い瞳。
背中に寄り添う白い翼。
その人は僕を見ると、ほんの少しだけ目を細めた。
「お早い利用でしたね」
「はい……」
気まずい。
かなり気まずい。
「昨日、登録されたばかりでしたよね」
「はい」
「できれば、もう少し後の利用になることを願っていました」
「僕もです」
セラフィーンさんは怒鳴らなかった。
声も穏やかだった。
けれど、静かな分だけ、余計に胸にくる。
「こちらへ」
「はい」
処置室に通される。
白い布の敷かれた寝台。
水の入った器。
清潔な布。
薬草の匂い。
僕は言われた通りに座り、装備を少し外した。
セラフィーンさんが傷を見る。
頬。
腕。
肩。
そして脇腹。
布を外すと、乾きかけた血が少し引っ張られて痛んだ。
「……ナイフバードですね」
「分かるんですか?」
「これだけ患者さんを診ていると、分かるようになりますよー」
「なるほど」
すごい。
このレベルになると、傷からモンスターが分かるのか。
「いたっ」
脇腹に触れられて、思わず声が出た。
セラフィーンさんは手を止め、傷の向きを確かめるように少しだけ目を細める。
「……この脇腹。避け損ねた傷ではありませんね」
「……」
「ルキウス君? どうして黙るのですか?」
「正直に言ったら怒られると思って」
「正直に言わないと、もっと怒りますよー」
「ごめんなさい」
反射に近い速度で謝る。
「でも、どうして分かったんですか?」
「傷の向きが不自然ですのでー」
セラフィーンさんは、処置の準備をしながら静かに言った。
誤魔化せない。
誤魔化すつもりは、あまりなかったけれど。
「どうして、わざと傷を受けるような真似をしたんですか?」
静かだけど、圧を感じる声だった。
怒られている。
それは分かった。
けれど、それが僕を心配してくれてのことだということも分かったので、できる限り真剣に答える。
「捕まえるために、受けました」
そう言うと、セラフィーンさんは少しだけ目を伏せた。
長い睫毛が、青い瞳に影を落とす。
「そうですか」
それだけだった。
でも、その一言で、僕はなぜか背筋を伸ばした。
「それじゃあ、治療しますねー」
「はい。お願いします」
セラフィーンさんの手が、傷の近くにかざされる。
淡い光が、彼女の指先からこぼれた。
水に朝日を溶かしたような光。
それが、脇腹の傷に触れる。
「……っ」
痛みが引いていく。
熱が冷めていく。
二回目でもあまり慣れない、奇妙な感覚。
体の内側を、細い水が流れていくような感覚。
傷が塞がっていく。
血が止まる。
切られた場所が、ゆっくり元に戻っていく。
すごい。
やはり、治癒術はすごい。
そう思っていると、セラフィーンさんの指先がほんの少し止まった。
「……やはり、治癒の通りが良いですね」
「良いこと、なんですよね?」
「はい。治療の上では、とても助かります」
その言い方が、少しだけ引っかかった。
治療の上では。
つまり、治療以外では何かあるのだろうか。
そう思ったけれど、セラフィーンさんはそれ以上言わなかった。
治療は続く。
腕の傷。
肩の傷。
頬の傷。
どれも淡い光に包まれて、少しずつ消えていく。
「なぜ、受けたのですか?」
それは、きっとナイフバードとの戦いのことだろう。
「普通に戦ったら、当てられなかったんです」
「はい」
「見えなくて。追えなくて。剣を振っても空を切ってばかりで」
「はい」
「でも、あいつが攻撃してくる時だけは、近づいてくるので」
「だから、わざと受けて動きを止めよう、と」
「……はい。それしか思いつきませんでした」
セラフィーンさんは、しばらく黙っていた。
光だけが静かに揺れている。
やがて、彼女は言った。
「それは、勝つ方法ではあります」
「はい」
「ですが、生き残る方法とは限りません」
言葉が、胸に落ちた。
勝つ方法。
生き残る方法。
僕は、ナイフバードに勝った。
依頼は達成した。
けれど、そのために脇腹を切らせた。
それは、勝ったと言えるのだろうか。
いや、勝ちは勝ちだ。
でも、セラフィーンさんが言いたいことは、たぶんそういうことではない。
「傷つくことを前提にした戦い方は、何度も続けられるものではありません」
「……はい」
「痛みに耐えられることと、体が壊れないことは違います」
「……」
「私の治癒術も、万能ではないのですから。治せない傷もありますし、全ての病を癒せるわけでもありません」
そこで、セラフィーンさんは少しだけ表情をやわらげた。
「勿論、そうあれるよう、日々努力はしていますけどねー」
何も言えなかった。
「弱いんです、僕」
気づけば、口からこぼれていた。
セラフィーンさんの手が止まる。
僕は傷の塞がった腕を見ながら続けた。
「追えなくて、当てられなくて。避けるのも下手で。普通に戦ったら、勝てなくて」
「はい」
「肯定」
「否定しても仕方ないですからー」
「……」
予想以上にまっすぐ肯定された。
ちょっと痛い。
傷より痛いかもしれない。
「もうちょっと、フォローの言葉が入ると思いました」
「嘘をついても、傷は減りませんから」
「それは、そうですね」
「それに、弱いことと、命を雑に扱っていいことは違います」
セラフィーンさんの声は、相変わらず静かだった。
でも、そこには芯があった。
白い布の下に隠れた、折れない何か。
「私は傷を治します」
「はい」
「けれど、傷ついた時間までは戻せません」
セラフィーンさんは、僕の脇腹に新しい布を当てた。
もう血は止まっている。
傷も塞がっている。
でも、服は裂けたままだ。
布に染みた血も、なくなったわけではない。
「流れた血も、怖かった思いも、誰かがあなたを心配した時間も、なかったことにはできません」
アルナさんの顔が浮かんだ。
受付から飛び出してきた時の顔。
本気で心配して、本気で怒っていた顔。
僕はへらへらしていた。
大丈夫だと思っていた。
歩けるから。
意識があるから。
依頼を達成したから。
でも、それは僕だけの話だった。
「……すみません」
「謝るより、次に活かしてください」
「はい」
「本当に分かりました?」
「本当に本当です」
セラフィーンさんが、少しだけ首を傾げた。
「……不安ですが、信じることにしましょー」
「セラフィーンさんにも不安がられた」
「不安にさせている自覚はありますか?」
「少し」
「少し」
「……かなり」
「はい」
セラフィーンさんが、ふっと小さく笑った。
その笑みで、少しだけ空気が柔らかくなる。
治療は終わった。
脇腹も、腕も、頬も、傷は塞がっている。
体が軽い。
さっきまであった熱も、痛みも、かなり消えていた。
「今日はもう依頼を受けないでくださいねー」
「え」
「ルキウス君?」
じとっとした目つきが、僕に刺さる。
「あ、あはは……わ、分かってますよ? 怪我したばかりですもんね」
「はぁ。分かってくれたなら何よりです。まあ、どうせギルドにはもう伝えてあるのですが」
「そこまで」
「はい」
逃げ場がなかった。
いや、逃げるつもりはないのだけれど。
たぶん。
「次は、できれば怪我をする前に来てください」
「怪我をする前に教会へ来るのは難しくないですか?」
「では、怪我をしないようにしてください」
「それはもっと難しいです」
「それでも、目指してください」
セラフィーンさんは真顔で言った。
たぶん冗談ではない。
怪我をしない。
ハンターとして活動する以上、それは難しいことなのだと思う。
でも、目指すことはできる。
少なくとも、わざと脇腹を差し出すのはやめた方がいい。
それは、僕にも分かった。
「ありがとうございました、セラフィーンさん」
「はい。どうか、お大事に」
そうして僕は頭を下げ、教会を後にした。
◆
ギルドに戻ると、アルナさんが受付で待っていた。
僕の姿を見るなり、すぐにこちらへ歩いてくる。
「大丈夫でしたか?」
「はい。セラフィーンさんに治してもらいました」
「よかったです……」
アルナさんが、本当に安心したように息を吐いた。
その顔を見て、少し胸が痛くなる。
「あの、アルナさん」
「はい」
「心配かけて、すみませんでした」
そう言うと、アルナさんは少しだけ目を丸くした。
それから、柔らかく眉を下げる。
「いいんですよ。ハンターに怪我は付き物ですからね。でも、それと怪我を顧みないのは別の問題です」
「はい」
「では、こちら今回の依頼の報酬になります」
カウンターには依頼達成の確認書類と、小さな革袋が置かれていた。
もう初めての時ほどの新鮮さはない。
それでも、自分で受けた依頼の報酬はやっぱり嬉しい。
「ありがとうございます!」
「はい。昨日の剥ぎ取り講習のおかげですね。綺麗に剥ぎ取りができていたので、少しだけ報酬を上乗せしておきました」
「あ、ありがとうございます!」
「グラムさんも褒めていましたよ」
「グラムさんが?」
「はい。『昨日の今日にしては、なかなかやるじゃねぇか』って」
声を低くして、しかめっ面をするアルナさんを見て、思わず笑った。
よかった。
昨日、頭の中で何度も復習したおかげだと信じたい。
そう思っていると、アルナさんがじっと僕を見ていることに気づいた。
それはもう、口に出てしまうほどじっと。
「えっと」
「ルキウスさん」
「はい」
「装備。ぼろぼろですね」
言われて、自分の姿を見る。
服は裂れている。
袖も切れている。
脇腹のあたりは、セラフィーンさんに治してもらったとはいえ、布がざっくり裂けたままだ。
革鎧も、ところどころ浅く傷がついている。
手袋も薄い。
靴には泥がついていて、底も少しすり減っている。
なるほど。
今見ると、なかなか心許ない。
アルナさんは、ぴしっと指を立てた。
「というわけで、ルキウスさん」
「はい!」
「装備を整えましょう!」
「装備?」
首を傾げる。
「はい。装備です」
「流石に、ですかね」
「流石に、ですね。それに、もともとルキウスさんの装備は必要最低限でしたし」
「必要最低限」
「……いえ」
「え」
「必要最低限にも届いてませんね」
「届いてなかった……」
衝撃だった。
必要最低限だと思っていた。
いや、自分ではそれなりに準備しているつもりだった。
でも、届いていなかったらしい。
「ナイフバードの傷は、腕当てや厚手の手袋、首元の防具でかなり防げます。脇腹も、ちゃんと補強していれば傷は浅く済んだかもしれません」
「そうなんですか」
「はい。技術も必要です。ですが、装備も必要です」
「僕が弱いから、というだけではないんですか?」
「弱いからこそ、装備で補うんです」
アルナさんの声は、優しかった。
けれど、言葉ははっきりしていた。
なるほど。
装備は、強い人がさらに強くなるためだけのものではない。
弱い僕が、生きて帰るためのものなのだ。
そう思えば、装備を買うことに迷いなんていらなかった。
「買います!」
「では、予算を確認しましょう」
「予算」
「当たり前です。無料で装備を出している防具屋さんや武具屋さんはありませんから」
そりゃそうだ。
僕は、最近少しだけ重くなってきた小銭入れを出した。
アルナさんが中身を確認し、手早く数えてくれる。
「ふむ。……全然足りませんね」
「ですよね」
届いていなかった。
薄々分かってはいたが、やはり駄目か。
傷薬や宿代とは違うのだから、装備が高いのは分かっていた。
それでも心のどこかで、もしかしたら、と思っていたので少し残念だ。
「まあ、装備一式を今すぐ整える必要はありません。ですが、最低限補強するにも、それなりにお金が必要です」
「はい……」
「宿代も必要ですし、食費も必要です」
「はい」
「なので、計画的にお金を貯めましょうか」
アルナさんは、依頼書の束をいくつか取り出した。
「ルキウスさんの今の装備で無理なく受けられる依頼なら、一週間ほどで最低限の補強分は貯まると思います」
「一週間」
「はい。そのために、依頼はいくつか見繕っておきます。明日から、それをやっていきましょう」
「すみません、何から何まで」
「いえいえ。これも受付の仕事ですから」
そう言って、アルナさんは耳をぴこぴこと動かしながら笑う。
優しい。
ここに来てからというもの、アルナさんに助けられてばかりである。
「討伐依頼は控えめにします。採取、運搬、簡単な捕獲、素材整理。剥ぎ取りの練習も続けましょう」
本当は討伐依頼もやりたい。
けれど、この場合は仕方ない。
無理に受けようものなら、アルナさん、それに治してくれたセラフィーンさんに何を言われるか分かったものではない。
「そして報酬は、宿代と食費を引いて貯金です」
「はい」
「それで一週間後、最低限必要なものを買いに行きます」
「はい!」
「一人では行かせません。私もついていきます」
「え」
「変なものを買いそうなので」
アルナさんの言葉に、僕は肩を落とした。
一体僕はどこでそんなに信用を落としてしまったのだろう。
何の経験もないままギルド登録。
初依頼で血まみれで帰ってきて。
その次では軽くない怪我で帰ってきただけだというのに。
……うん。
仕方のないことかもしれない。
過去の自分の行いを思い返して、僕はおとなしくアルナさんの言葉に同意した。
「分かりました。お金を貯めます。でも、いいんですか? 僕の買い物なんかに付き合わせちゃって」
「はい。それも受付の仕事ですから」
「ありがとうございます!」
すごい。
受付の人って、こんなところまでサポートしてくれるのか。
そう思って、ふと後ろを見る。
そこには、どこかにまにまとした顔で、他のハンターさんたちがこちらを見ていた。
「ひゅー。よかったねぇ、アルナちゃん!初めてのデートの約束、成功したじゃないか!」
灰色の毛並みをした獣人族の男の人が、ジョッキを片手に笑っている。
「んなっ!?そ、そんなものじゃありません!私はルキウスさんのためを思って!」
「でもでもー、私がこの前デートに誘った時は、アルナちゃん『仕事がありますので』って来てくれなかったじゃない」
今度は、僕の半分くらいの背丈の小人族の女の人が、頬杖をつきながら笑った。
「マ、マキアさん。そ、それはだって、私にも仕事が」
「あーあ。私も装備整えたかったんだけどなぁ」
「からかわないでください!」
みんな楽しそうにアルナさんに話しかけている。
困りながらも、元気よくハンターさんたちに弁解するアルナさん。
その様子を見ていると、このギルドは仲がいいのだなと、なんだか微笑ましい気持ちになった。
「ちょっと! ルキウスさんも何をニコニコしてるんですか!」
「いや、みんな仲がいいんだな、と思って」
それを聞いた獣人族のハンターは、豪快に笑いながら手に持っていたジョッキを一気に飲み干した。
「そりゃあそうとも! 俺たちはアルナちゃんがこんな時から知ってるからな!」
そう言って、獣人族のハンターは人差し指と親指で、小さな大きさを示した。
いや、それは小さすぎる。
さすがにジョッキくらいしかない。
「君もこっちおいでよ! アルナちゃんの小さい頃の話をしてあげる!」
「いいんですか?」
「勿論さ! ほら、ルキウスだったか? 何を飲む? ここは俺の奢りだ!」
「ちょ、ちょっと! ルキウスさんにあることないこと吹き込まないでくださいよ!?」
「大丈夫よ、アルナちゃん。そうねぇ。これはアルナちゃんが八歳の頃なんだけど――」
「こ、こらー! や、やめてくださいよー!」
受付から飛び出してくるアルナさん。
口を押さえられそうになりながらも、楽しそうに話し続けるマキアさん。
それを見て笑う獣人族の男の人。
周りのハンターたちも、面白そうに声を上げる。
その中心にいるアルナさんは、頬を赤くしながら怒っていた。
でも、どこか楽しそうでもあった。
そんな姿を見ていたら、僕も自然に笑いがこぼれてきた。
怪我をして、怒られて、反省して。
装備を買うために、一週間お金を貯めることになって。
それでも、こうして笑える場所がある。
そのことが、少しだけ嬉しかった。
その日は結局、夜遅くまでギルドの食堂で話を聞くことになった。
アルナさんの小さい頃の話が本当だったのか、半分くらい盛られていたのかは分からない。
ただ一つ分かったのは、この街には、僕の知らないことがまだまだたくさんあるということ。
そして、明日からまた地道な依頼が始まるということだった。
◆
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、教会での治療、そしてアルナとのデートの約束でした。
次回はルキウスの愉快な一週間の話です。
感想・評価などいただけると励みになります。
よろしくお願いします。