皆様ありがとうございます!
騎馬戦の喧騒が引くと、会場はつかの間の凪に入った。
昼休み。
午後の個人戦までの、短い息継ぎの時間だ。
俺はスタジアムの日陰に背を預けて、ひとり掌を開いたり閉じたりしていた。
(……やっぱり、何も残ってねェな)
さっき轟の懐に潜り込んだ、あの一瞬。
置いたつもりの爆破が、想像よりずっと深く食い込んだあの手応え。今はどこを探してもねェ。
試しに、もう一度汗を握り込んでみる。
意識してあの感じを引き寄せようとする。だが出てくるのは、いつも通りの爆破だ。指の腺の開き方も、熱の乗り方も何ひとつ変わっちゃいねェ。
(……出そうとして、出せるんでもねェか)
追い詰められて、出るもんが出ただけ。火事場の馬鹿力。
そう片付けて俺は掌をぐっと閉じた。
頭はもう、十分すぎるほど識ってる。
追いつかねェのはいつも、体のほうだ。その差を一戦ごとに、半歩でも詰める。
それが今の俺の宿題だ。
この舞台は全国に中継されてる。
客席にも画面の向こうにも、プロのスカウトの目がぎらついてる。ここでの結果が、そのままヒーローへの最短距離になる。
だが今の俺にとっちゃ、ここはただの通過点だ。
この先で待つ本物の化け物に届くための──最初のほんの一段目にすぎねェ。
深く考えるな。
今はそれより、目の前だ。
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フィールドの中央では、応援団だのチアだののにぎやかな出し物が始まっていた。
麗日と八百万が、慣れない衣装で手を振らされてる。日に焼けた芝の上で、十二万の客席がわっと沸いた。
俺には心底どうでもいい時間だ。
「いやー……ヤオモモのチア、眼福すぎんだろ……!」
横で上鳴が、だらしねェ顔で拝んでる。
切島がその後頭部を、軽くどついた。
そのとき、客席の手すりのほうから聞き覚えのある声が飛んできた。
「A組A組って、たかが学校行事でいい気になってさ──」
物間だ。
騎馬戦で散ったってのに、まだ嫌味を垂れ流してる。だがその台詞は、最後まで続かなかった。
ぱしん、と小気味いい音がした。
「はい、そこまで」
白目を剥いた物間が、ぐらりと崩れ落ちる。
その隣でB組の女が、手刀を振り抜いた格好のまま深々とため息をついていた。委員長の拳藤だ。
「ごめんねA組。コイツ、根は悪くないんだよ。口だけはどうにもならないけど」
ふん、と鼻を鳴らして俺は視線を切った。
こいつらとも、いつか肩を並べることが──いや。
今は、いい。
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『さあて。楽しい余興のあとは……繰り上げのお知らせよ!』
ミッドナイトのアナウンスが空気を引き締めた。
個人戦の出場枠は、騎馬戦の上位四チーム──計十六人。
だが二人、辞退者が出たという。
尾白と、B組の庄田。
騎馬戦のあいだ心操の洗脳で操られ、自分が何をしたか覚えてねェ。覚えのねェ勝ち上がりで上の舞台には立てねェ。そういう筋の通し方だった。
(……尾白の野郎。相変わらず、馬鹿正直だな)
あの真っ直ぐさが、いざってときに何人を拾うか。俺はそれを識ってる。
繰り上がったのは、ポイントを多く残してた塩崎と、鉄哲。どちらもB組だ。
一度目と、同じだ。
ここまではまだ、地図の通りに進んでる。
だが、と俺は思う。
問題はここから先だ。
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電光掲示板の表示が切り替わった。
個人戦トーナメント。
十六人の名が横に並び、線で結ばれていく。
最初の一戦に名が灯る。
緑谷出久──対──心操人使。
(……出久が、初っ端から心操か)
知ってる。
あの洗脳が出久を場外へ歩かせる。そして出久は、自分の内側の"何か"でそれを振りほどく。一度目はそうだった。
表を目で追っていく。
轟と、瀬呂。常闇と、八百万。
切島と、鉄哲。硬化とスティールのぶつかり合いだ。あのクソ髪がどんな削り合いをするのか──少しだけ、見てやりたくはある。
そして、いちばん端。
爆豪勝己──対──麗日お茶子。
(……麗日、か)
ふっと口の端が歪んだ。
胸の内に苦いものと、それから妙な熱が同時に湧き上がる。
あの女がどんな顔で、俺の前に立つのか。
笑っちまうくらい、まっすぐでしぶとい奴だ。一度目も、最後の最後まで膝をつかなかった。
そのまっすぐさを。今度は、潰しちゃならねェ。
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視界の隅で、轟が立ち上がった。
人混みを縫って、まっすぐ出久のほうへ歩いていく。
(……始まるのか。あれが)
知ってる。轟が今から出久に、自分の生まれを吐き出す。
万年No.2の、あの炎の親父。半分の力を意地で封じてる、その理由を。
一度目、轟が左の炎を握るのに、出久がぼろぼろになるまで殴り合い、無理やり引きずり出した。
親父の呪縛から、出久があいつを引っぺがした。
今度は、どうなる。
(……また、かすれてやがる)
俺がいくら識っていようが、轟の心が一度目と同じ場所へ転がる保証なんざ、もうどこにもねェ。
USJで俺が盤面に手を突っ込んだその日から。
それでも、と思う。
あいつがいつか、あの炎を自分の意志で握る日が来るなら。
そのとき背中を預け合える奴は──多いほうがいい。
柄じゃねェ考えだ。
一度目の俺なら、唾を吐いてた。馴れ合いだ、と。
だが独りで立つ天辺が、どこに繋がってたか。俺はもう、識っちまってる。
その出久を、少し離れた物陰からオールマイトが手招きしていた。
何か言い含めてる。あの人なりの不器用な激励だ。
(……あんたの時間も、そう長くはねェんだよな)
あの馬鹿でかい笑顔の裏で、もうとっくに体は限界を抱えてる。
それを知ってるのは、この会場でたぶん、俺だけだ。
あの人が、まだシンボルでいられるうちに。
俺は──一段でも上へ。
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「なァ、爆豪」
切島が、めずらしく歯切れ悪く隣に来た。
「麗日のヤツな……お前と当たんの、相当気合い入ってんだ。んで俺も、ちょっとだけ知恵を貸しちまってよ」
ばつが悪そうに頭を掻いてる。
(……知ってるさ。あいつが、何を仕込んでくるかも)
瓦礫を無重力で、空いっぱいに浮かべて。
流星みてェに頭上から、いっせいに落とす。最後の最後の、捨て身の一手。麗日は、そういう女だ。
笑っちまうくらい、まっすぐな。
頭の中でもう、対処は組み上がってる。
あの物量を今の俺の火力じゃ、力ずくで吹き飛ばすのは無理だ。だが要らねェ。
落ちてくる岩の、束の要を見抜いて一点。点を線で繋ぐみてェに撃ち抜きゃ、形は勝手に崩れる。
力で薙ぐな。観て、判じて、急所に置く。
それで十分だ。
「……上等だ」
俺は短く言った。
「全力で来させろ。手ェ抜いて勝つのは──あいつへの、侮辱だ」
切島が目を丸くした。
それからにっと、牙を剥いて笑う。
「……おう。お前、やっぱ漢だな!」
手を抜いて、相手を見下して、ろくに見もしねェで叩き潰して。その先で何を取りこぼしたか。
識ってるだけじゃ、何も守れねェ。
だったら──識ってるだけの俺で、終わってたまるかよ。
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切島が軽口を残し、仲間のほうへ戻っていった。
ひとりになると、また静けさが戻ってくる。
妙な感覚だった。
周りはこれから始まる一対一に、緊張と興奮で浮き足立ってる。誰もが初めての舞台だ。
俺だけが、その先を識ってる。
誰が勝って、誰が泣いて、誰が何を抱えてここに立ってるか。
心強いはずだった。
なのにこの胸の奥は騎馬戦のときと同じだ。やけに独りだ。
(……言えねェからな。何ひとつ)
轟の生まれも。心操の夢も。麗日の覚悟も。
そしてこの先で、こいつら全員を待ち受けてる、あの景色も。
ぜんぶ識ってて、ぜんぶ独りで飲み込むしかねェ。
だが、と勝己はゆっくりと拳を握った。
それでいい。
独りで抱えてでも変えてみせる。今度こそ、誰ひとり取りこぼさねェように。
それが、もう一度ここに戻ってきた俺の──たった一つの役目だ。
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『さーて、お待ちかね!個人戦トーナメント、開幕よ!』
ミッドナイトの声が、会場を一気に引き戻した。
わっ、と地鳴りみてェな歓声が膨れ上がる。
コンクリートのフィールドへ、最初の二人が進み出ていく。
緑色の、見慣れた背中。
そして、無表情に間合いを計る普通科の男。
(……ついさっきは、こっちが狙われる側だったがな)
騎馬戦で一千万を背負い、四方から追われた。あの的の重さを、俺はもう識ってる。
今度は俺が観る側だ。あいつがどう足掻くのかを。
勝己は、フィールドへ歩み出る出久の背中をまばたきもせず見据えた。
『それじゃあ第一試合……はじめェ!』
ミッドナイトの合図。
だが心操は、動かなかった。
代わりにゆっくりと、口を開く。
「なあ緑谷。さっき辞退した尾白って奴……正直、馬鹿だよなあ。せっかくの椅子を自分から蹴るなんてさ」
心操の個性は、問いかけに相手が言葉で応じた瞬間に刺さる。
だが。
「──違うっ!尾白くんは、馬鹿なんかじゃ……っ」
言っちまった。
仲間を悪く言われて、黙ってられる奴じゃねェ。それが出久だ。それがあいつのいちばんいいところで──いちばん危ねェところだ。
出久の目から、すっと光が抜けた。
くるり、と踵を返す。
ふらふらと自分から、場外の白線へ向かって歩き出す。あやつられてる。
『おおっと緑谷選手、なぜか自分から場外へ!? これが心操選手の個性かァ!』
『解説、イレイザー。今のは』
『"洗脳"だ。問いに声で応じると、相手を操れる。喋らせなきゃ何もできない、ピーキーな個性だな。……だからあの入試は合理的じゃねぇって言ったんだ。』
解説席の、気だるげな声。相澤先生だ。
淡々と急所だけを突く。相変わらずだ。
『だが、解けねェ個性じゃない。強い衝撃でも入りゃ、な』
(……ここからだ。出久)
知ってる。一度目、こいつはここからひっくり返した。
自分の内側にあるあの力で──洗脳ごと振り払った。
だが地図は、かすれてる。
今度も同じように、戻ってこれるのか。それとも、このまま──
拳の中で、爪が手のひらに食い込む。
識ってるはずなのに、確信が持てねェ。盤面はもう、一度目とは違うんだ。
ここで出久が戻れなきゃ俺はまた、ただ見てるだけになる。
白線まで、あと数歩。
そのとき。
出久の足が止まった。
ぴくり、とその左手の指が跳ねる。
ばちっ、と緑色の火花が指先で爆ぜた。
「──っ、ぁああ……!!」
激痛に、出久が顔を歪める。
だがその目には──光が戻ってる。
(……戻ってきやがった)
胸の奥が、妙に熱くなる。
悔しさとも誇らしさともつかねェ、ぐちゃぐちゃの何かだ。
『……自分の個性で、自分を撃って洗脳を上書きしたか』
解説席の声がぽつりと落ちる。
『乱暴だが、理にかなってる。誰に教わったわけでもねェだろうにな』
誰にも教わってねェやり方で出久は、自分の檻を内側から叩き割った。
心操の顔から余裕が消えた。
「……嘘だろ。俺の洗脳を、自力でこじ開けた……?」
初めてだったんだろうな。
自分の個性を内側からぶち破られたのは。
心操が慌てて、もう一度口を開く。
「何とか言えよ!!指動かすだけでそんな威力羨ましいよ──」
だが出久は、もう喋らねェ。
唇を固く結んだまま。仕組みを見切った目だ。
地を蹴って、出久が突っ込む。
速ェ。さっきまで操られてたとは思えねェ、迷いのねェ踏み込みだ。
心操が咄嗟に、動揺させようと喋り続ける。だがもう遅ェ。
出久がその懐へ潜り込み、腕を取って腰を落とす。
背負い投げ。
小せェ体が、てこの一点で心操をまるごと巻き上げる。
宙を舞った体が、白線の外へ叩きつけられた。
『場外ァ──!! 勝者、緑谷出久ゥ!!』
わっ、と会場が沸いた。
初戦から飛び出した、土壇場のひっくり返し。
普通科の刺客を真っ向からねじ伏せたあいつの名は、あの会場の目にしっかり焼きついたはずだ。
一度目、出久がこの大会で爪痕を残した、その第一歩。
今度も──変わらず踏み出しやがった。
――――――――――――――――――――――
倒れた心操が、空を睨んだまま声を絞り出す。
「……結果によっちゃ、ヒーロー科編入も検討してもらえる。覚えとけよ…ヒーロー科入って資格取得して、絶対お前らより立派にヒーローやってやる」
ヒーロー、か。
一度目の俺なら、聞き流してた。普通科のモブの負け惜しみだと。
だが今は──その必死さが、少しだけ分かる気がした。
誰だって、最初は届かねェところに手を伸ばすんだ。
夢の遠さなら、俺だって嫌ってほど識ってる。
一度、何もかもが灰になるその先まで──見ちまったんだからな。
出久が、肩で息をしながらフィールドを引き上げてくる。
すれ違いざま、一瞬だけ目が合った。
何も言わなかった。あいつも、俺も。
電光掲示板で、出久の名が次の枠へ進んでいく。
その先で待つのは──轟だ。あいつの炎の話だ。
そして、表の反対の端で俺の名が、静かに出番を待ってる。
爆豪勝己──対──麗日お茶子。
(……じき、俺の番だ)
視線を観客席の下のほうへ流す。
チアの衣装のまま、麗日がフィールドを見下ろしてた。出久の勝ちを見届けて、唇を固く結んでる。
その目に怯えはねェ。あるのは、覚悟だけだ。
(……ああ。来い)
全力で来い、丸顔。
手は、抜かねェ。それがここまで上がってきたてめェへの礼儀だ。
勝己はゆっくりと立ち上がると、まだ熱の引かないフィールドへ静かに足を向けた。
個人戦ってヤバいですね…