四月の朝の光は記憶よりずっと白かった。
通学路の桜はもう半分散っている。踏まれてアスファルトに茶色く潰れていた。その上を紺の制服がぞろぞろ流れていく。
爆豪勝己はその流れの少し後ろを歩いていた。
朝は普通に飯を食った。
くそババアが普通に怒鳴って卵焼きを焦がして「いってこい」と背中を叩いた。
当たり前の朝だ。当たり前すぎて足元が抜けそうになる。
現実感がねェ。だが、これが現実だ。灰をかぶった最期は、もう来させねェ。
(……ちっ)
舌打ちで抜けかけた足を地面に縫いつけた。
雄英の正門が見えてくる。馬鹿でかいアーチだ。一度目の終わり、半分溶けて崩れていた門が、今は無傷で朝日を撥ね返している。
門をくぐる前に一度だけ息を吐いた。
二度と死なねェ。二度と失わねェ。
それが俺の覚悟だ。
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一時間目はプレゼント・マイクの英語だった。
「おらエヴィバディ、ヘンズアップ盛り上がれー!!!」
ボイスヒーローが教卓でわめいている。生徒を「リスナー」と呼んで、関係詞だのをラジオのノリで流していく。
窓の外へ視線を逃がした。聞く必要はねェ。一度、全部やった。
ノートの端でシャーペンを遊ばせる。書きはしねェ。書いたものは残る。残れば読まれる。
頭の中だけで組む。昨夜、天井を睨みながら並べた段取りだ。
午後の戦闘訓練は体が覚えてる。出久の渾身の必殺技。負けた屈辱。クラスメイトからの総評。何もかも嫌な思いでだ。
だが問題はその先。
USJ。
入学して間もなく来る。あの黒い渦が、馬鹿でかいセットのど真ん中で口を開ける。
(黒霧)
ワープ一発で組が散った。戦線を張る間もなかった。相澤先生が一人で受けて削られ、割かれて。あの一年の、最初の邂逅だ。
シャーペンの尻でこめかみを小突く。
順番が逆だ。
オールマイトはいい。あの人はあの時、まだ折れちゃいねェ。
入口さえ閉めりゃ済む。黒霧。あの霧さえ最初に潰せば、誰も散らされねェ。散らされなきゃ、相澤先生も十三も無事だ。
霧は斬れねェ。殴っても抜ける。だが芯はある。首んとこの金属、あの中身が本体だ。一度目は切島と二人がかりで引きずり出した。
今度は最初の数秒で行く。あいつが口上を垂れる前に。
立ち位置が要る。
渦が開くのは、十三が救助の講習をやってる真っ最中。あの瞬間にどこへ立ってるかで、全部が決まる。前に出すぎりゃ浮く。引きすぎりゃ届かねェ。
「おーいそこのリスナー、寝てんのかー!」
「起きてる」
舌打ちで返した。マイクが「ヒュ〜」とか口笛を吹いている。くだらねェ。
そもそも、誰にも言えねェのが厄介だ。
「USJに敵が来る」――口にした瞬間、なんで知ってると詰められて終わる。下手すりゃ、未来を知る都合のいい駒に祭り上げられる。
黙って、一人で潰すしかねェ。
この体はまだ十五だ。
頭だけ先に行っても、出力も速さも入試のガキのまま。届くかは、やってみねェと分からねェ。
……まあいい。一度目もこの体でこじ開けた。迷いがねェ分、今度の方が速い。
(死柄木は)
指を四本立てて崩す、痩せたガキ。あの場のボスだ。
どうするか…倒せるか?
……いや。
後ろにいるのはオール・フォー・ワンだ。ここで死柄木を消したところで、本命が同じ絵を描き直すだけ。手を出しゃ、この先の未来全てが変わる。
今は勝たせなきゃいい。連中があの日に持ち帰ったものを、一つ残らずゼロにする。それで足りる。
体育祭は、その先。
全国に顔と個性を晒す、馬鹿でかい品評会だ。
一度目の俺はあそこで全部薙ぎ倒して一位を獲った。獲って、口に枷を嵌められて、メダルを噛まされて。誰にも認められてねェ気がして、それでも認めろと吠えた。
(今度は、勝ち方を変える)
細けェ手は組が出揃ってからでいい。轟もまだ炎を出しちゃいねェ頃だ。順番がある。
顔を上げた。
マイクはまだ騒いでる。誰かが当てられて「関係詞の位置で……四番!」とか答えていた。
普通の、英語の授業だった。
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昼は大食堂だった。
一流の料理を安く食わせる触れ込みの飯を、何も考えずに盆へ乗せた。白米。最終的に白米へ落ち着くのは、二度目でも同じだ。
少し離れた席で、出久が飯田と麗日に挟まれて何かをぶつぶつ喋っている。
手を口元に当てて、早口で止まらない。あの癖だ。隣で飯田が背筋を伸ばし、麗日が口を開けて笑っている。
生きてる顔だった。
出久だけじゃねェ。
向こうで切島が歯を剥いて笑ってる。隣で上鳴と瀬呂が肩を揺らしてる。少し離れて、八百万が背筋を伸ばして茶を飲み、芦戸が大きな手振りで誰かを笑わせていた。
全員、生きてた。
一度目の最後に、瓦礫の上で数えた数より、ずっと多く。
白米を口に運んだ。味はよく分からなかった。
盆を返すとき、出久と一瞬目が合った。
あいつはびくっと肩を跳ねさせて、慌てて目を逸らした。昔のままだ。
何も言わずに背を向けた。
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そして午後。
教室の空気が朝とは別物になっていた。「ヒーロー基礎学」。黒板の上の表示を、二十人が睨んでいる。
廊下が妙に静かになった。
次の瞬間。
「わーたーしーがー!!」
扉が普通に開いた。
普通にドアから、それは入ってきた。
「普通にドアから来た!!!」
誰かが叫ぶ。出久だ。椅子から腰が浮いている。
銀時代のコスチューム。マントを翻して仁王立ちになった金髪の巨体に、教室がどよめいた。
「オールマイトだ……!! すげえや、本当に先生やってるんだね……!!!」
出久の声が裏返っている。画風が違いすぎる、鳥肌が立つ、と誰かが言って笑いが起きた。
爆豪は笑わなかった。
(……でけェ)
当たり前だ。今のオールマイトはまだ全盛だ。痩せ細った本当の姿も、吐く血も、まだずっと遠い。
あの背中が最後の最後まで何を背負って立っていたか。それを知ってるのは、この教室で爆豪だけだ。
生きて、立っている。それを見られただけで十分だった。
「ヒーロー基礎学、早速だが今日はこれ!──実戦だ!!」
オールマイトが指を突きつける。
「戦闘訓練!! まずは着替えてもらおう。着替えたら順次グラウンドβに集まるんだ!!」
壁面が開いて、銀色のケースが番号順に迫り出してくる。
歓声が上がった。自分で図面を出したコスチュームが、初めて形になって出てくるのだ。
勝己は自分のケースを引き出した。
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更衣室は騒がしかった。
ケースを開ける。黒の生地。ニトロを溜める手榴弾型のガントレット。首回りの装甲。マスク。全部、自分で描いた図面の通りだ。
ガントレットへ手を伸ばす。
触れた瞬間体が勝手に動いた。
息が止まる。肩が落ちて、重心がつま先へ流れる。誰にも命じられてねェのに、体が戦いの前の構えを取っていた。
体が覚えてる。この鉄を腕に嵌めて、何度も振るった。最後まで。
重い。
グラムで量ればたいした重さじゃねェ。図面通りの軽さのはずだ。なのに嫌に重い。
(新品だからか)
角が立ってる。擦り傷ひとつねェ。工場の油とゴムの匂いがする。
手は形を覚えてるのに、この一個だけは知らねェ。馴染むようで馴染まねェ。誂えたばかりの、二度目の鎧だ。
更衣室の喧騒がやけに遠い。
心臓だけが戦場のテンポで鳴ってる。誰も死んじゃいねェのに。何も始まっちゃいねェのに。
ガントレットの中で掌が汗ばむ。火種だ。引き金を引けばいつでも爆ぜる。
この感覚は、この前のテストでもちらついた。ボール投げの構えに入った刹那、体だけが先にあの頃へ飛んでいた。頭がいくら平静を装っても、肉が勝手に身構える。
息を吐いた。一回。
肩を、無理やり元の高さに戻す。
「……行くぞ」
誰に言ったわけでもなかった。
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グラウンドβ。模擬市街地のビル群が、青空の下にそびえている。
コスチューム姿の二十人がトンネルから吐き出された。
麗日の宇宙服めいたやつ。八百万の、創造のために肌を晒した露出。常闇のマント。切島の、肩を剥き出しにした厳ついギア。耳郎のジャックを差せるブーツ。皆、初めて袖を通す戦装束にはしゃいでいた。
爆豪はその一着一着をちらりと見た。
こいつらの何人が、一度目は最後まで保たなかったか。
(……今度は全員だ)
口には出さなかった。
オールマイトが皆の前に立つ。
「今回は市街地演習ではなく、もう二歩先に進む!屋内での対人戦闘訓練さ!!」
「これからみんなには、2vs2の屋内戦を行ってもらう!」
途端にクラス中から質問が一斉に飛び交う
「勝敗のシステムは!?」
「ブッ飛ばしてもいいんスか」
「また相澤先生みたいな除籍とか……」
「このマント、ヤバくない?」
四方から一斉に来て、オールマイトが固まった。
「んんん〜〜〜聖徳太子ィ!!!」
一人ずつ聞き取れねェ、と頭を抱えてから、仕切り直す。
「いいかい!? 状況設定はこうだ! 『敵』がアジトに『核兵器』を隠していて、『ヒーロー』はそれを処理しようとしている!」
(設定アメリカンだな!!)と誰かが心の中で茶々を入れていた。
ヒーロー側は、制限時間内に敵を捕縛テープで縛るか、核兵器を回収すれば勝ち。
ヴィラン側は、時間まで守り切るか、ヒーローを縛り上げれば勝ち。
攻めと守りの、取り合いだ。
「コンビ及び対戦相手は──くじだ!」
オールマイトが「Lots」と書かれた箱を掲げる。
「適当なのですか!?」
噛みついたのは飯田だった。背筋を伸ばし、手刀の角度で挙手している。
「いやいや。プロは他事務所のヒーローと急増でチームアップすることが多いし、そう言うことじゃないかな…」
「そうか……!先を見据えた計らい!失礼致しました!」
きっちり頭を下げる飯田に、オールマイトが微妙な顔で固まっていた。
爆豪は列に並んで、箱に手を突っ込む。指先に紙が触れる。
引いた。
「D」
紙の文字を、ちらと見ただけだった。
「Dだ。俺も、Dだ」
横で飯田が同じ紙を手刀みたいに掲げている。眼鏡の奥が、もう本気だ。
「爆豪君、よろしく頼む。ヴィランかヒーローかはまだ分からないが、どちらにせよ作戦を立てるべきだ。連携を──」
「分かってる」
被せて切った。飯田は口を尖らせたが、それ以上は言わなかった。
一度目なら、ここで「てめェの指図は受けねェ」と吐き捨てて、こいつを置いて突っ走っていた。今日は、走らなかった。それだけだ。
オールマイトがもう一つの箱から、玉を二つ抜く。
「続いて最初の対戦相手はこいつらだ! Aコンビがヒーロー! Dコンビがヴィランだ!!」
Aの札の二人が前に出た。
出久と、麗日お茶子。
ざわ、と周りが揺れた。
出久と爆豪のことは、もう何人かが察している。この前のテストの後、ボール投げを見て掴みかかった爆豪を、相澤先生が縛り上げたのを見た奴もいる。最初の試合が、よりにもよってこの二人だ。空気が一段と張り詰めた。
出久の拳が、胸の前で固く握られていた。怯えちゃいねェ。あの目だ。何かをやると決めた時の、芯の通った目。
「デクくん、一緒に頑張ろうね……!」
麗日が小さく拳を上げる。出久がぎこちなく頷いた。
向かい合う形になった。攻める側の出久と、守る側の爆豪。
(……さあ、どうする)
一度目、爆豪はこいつに襲いかかった。理由なんざなかった。顔が気に食わねェ。無個性のくせに前に立つのが許せねェ。それだけで、本気で潰しにいった。
で、こいつは初めて拳を空に振り抜いた。上の階ごと吹っ飛ばす、出鱈目な一撃を。
化けた。あそこで。
つまり、要るんだ。あの一撃が。あの瞬間が。
オール・フォー・ワンの隣に立たせるには、ここで一度、殻を破らせなきゃ話にならねェ。
壁が要る。
殴り破る、壁が。
……俺が、また壁をやんのか。
潰しにいったあの構図に、今度は「成長のため」なんて綺麗な札を貼って、もう一回なぞる。
それで救けて勝つ、なんて、よく言えたもんだ。
かといって、手を抜けば。
ぬるい壁を立てて、こいつがあの一撃を覚えそこなったら。一度目より弱いまま、あの死柄木の前に放り出すことになる。
それは、殴るより質の悪い殺し方だ。
潰すのも、甘やかすのも、結局はこいつを崖から突き落とす。やり方が違うだけだ。
(……っ)
ガントレットの中で拳を握った。新品の鉄が、やっぱり嫌に重い。
向かいで出久がマスクを直している。こっちを、まっすぐ見ていた。逸らさねェ。怯えも媚びもねェ。
雑魚デク、なんて呼んでいた頃には、なかった目だ。
遠くで、オールマイトが合図に手をかける。
どうすんだ、俺は。
……分からねェ。本気で。
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