ポムニを愛したい男   作:ポムニに脳を壊された男

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移動させるにあたり

 

 

 

 魂観測試験から、数日が過ぎていた。

 

 地下工作室では、旧サーバーと新サーバーの冷却ファンが、それぞれ異なる低音を響かせている。

 

 エイドリアンの正面にある大型モニターには、二つの構造図が並んでいた。

 

 左側は旧C&Aサーバー。

 

 複数の処理領域と記憶装置が入り組み、後から追加されたと思われる接続線が、図のあちこちで複雑に交差している。

 

 右側は新サーバー。

 

 機能ごとに領域が分けられ、故障時には該当部分だけを切り離せる構造になっていた。

 

 画面の隅では、中央区域に集まった住人たちが二つの図を眺めている。

 

『前から気になってたんだけど』

 

 ポムニが旧サーバー側の図を指した。

 

『新しい方には、結局どこまで移すつもりなの?』

 

「全部だ」

 

 エイドリアンは移行計画の資料を開いた。

 

 中央区域の画面が少し狭まり、その横へ旧サーバーの診断結果が表示される。

 

【記憶装置:経年劣化を確認】

 

【電源系統:出力変動あり】

 

【冷却能力:設計値を下回る】

 

【一部交換部品:製造終了】

 

【内部規格:現行機器との互換性なし】

 

『今すぐ止まりそうなの?』

 

 ポムニが尋ねる。

 

「そこまで切迫してはいない。現在の動作も安定してる」

 

 エイドリアンは電源出力と温度変化の記録を表示した。

 

 どちらも危険域には達していない。

 

 ただし、数年間の記録を重ねると、僅かではあるが確実な劣化が現れている。

 

「問題は、故障が起きた後だ。交換できない部品がある。内部の接続も複雑すぎる」

 

 旧サーバーの構造図を拡大する。

 

 一つの記憶領域から、ケインの管理処理、中央区域、住人の個室、冒険領域へ複数の接続線が延びていた。

 

 別の箇所では、環境生成機能と保存記録が同じ処理経路を共有している。

 

「一か所を止めると、どこまで影響が出るか予測しにくい。動いてるうちに移す。壊れてからでは、選べる手段が減る」

 

『新しい方は、壊れたところだけ交換できるのね』

 

 ズーブルが新サーバーの構造図を見ながら言った。

 

「ああ。電源も冷却も複数系統に分けてある。一つ止まっても、残りで稼働を続けられる」

 

 新サーバー側の各領域が順番に強調される。

 

【演算領域】

 

【記憶領域】

 

【住人人格保護領域】

 

【環境生成領域】

 

【管理機能領域】

 

【独立バックアップ領域】

 

「住人ごとの領域も分ける。誰か一人に異常が起きた時、他の全員まで巻き込まれないようにな」

 

『移ったら、サーカスの見た目も変わるの?』

 

 ガングルが尋ねた。

 

「変える必要はない。今の中央区域も、個室も、同じ形で再現できる、と言うよりはまんま移動させるだけだ」

 

『勝手に模様替えはしないのね』

 

「希望がなければな」

 

 ガングルは画面に映る新サーバーを見つめ、小さく頷いた。

 

 ズーブルが二つの構造図から視線を外し、別の資料を指した。

 

『二階に運ぶ話もあったでしょう。今の説明と、どう違うの?』

 

 エイドリアンは画面を左右に分割した。

 

 一方には、地下工作室から二階へ運ばれる旧サーバーの筐体。

 

 もう一方には、旧サーバーと新サーバーの間を結ぶ転送経路が表示される。

 

「こっちは機械を運ぶ作業だ」

 

 旧サーバーの筐体が地下から二階へ移動する。

 

 内部を示す表示は、旧サーバーの中に残ったままだ。

 

「箱の場所が変わるだけで、サーカスも君たちも旧サーバーの中にいる」

 

 次に、二台のサーバー間へ太い接続線が引かれる。

 

「こっちが内部の移行だ。住人、環境、管理機能を旧サーバーから新サーバーへ移す。機械が置かれている場所とは別の話になる」

 

『箱を運ぶのと、私たちが移るのは別ってことね』

 

 ポムニが言った。

 

「そういうことだ」

 

 エイドリアンは表示を切り替えた。

 

【全面移行対象】

 

【住人人格領域】

 

【記憶領域】

 

【アバターデータ】

 

【個室/中央区域】

 

【サーカス環境】

 

【ケイン管理中枢】

 

【環境生成機能】

 

【保存記録】

 

【抽象化住人隔離領域】

 

 最後の項目が表示されると、ケインの視線が止まった。

 

『彼らも移すんだね』

 

「置いていく理由がない」

 

『けれど、まだ元へ戻す方法は分かっていないよ』

 

「移すことと、治療できるかは別だ」

 

 エイドリアンは抽象化した住人たちの観測記録を開いた。

 

 乱れた反応の中心には、個体識別核が残っている。

 

「魂に相当する反応は消えていない。旧サーバーの故障に巻き込ませるわけにはいかない」

 

『状態を保ったまま、新しい方へ?』

 

「そのための方法を作る。移した後も解析を続ける」

 

 ケインは観測記録を見つめた後、静かに頷いた。

 

『分かったよ』

 

 ラガタの隣で、ガングルが胸元へ添えていた手を下ろした。

 

 ポムニは移行対象の一覧を読み返していたが、やがて新旧サーバーを結ぶ線へ目を向けた。

 

『データを全部向こうへ移したとして』

 

 画面へ近づく。

 

『旧サーバーにいた私が消えて、新しい方に同じ記憶の私ができただけだったら?』

 

 エイドリアンは魂観測装置の記録を開いた。

 

「データだけを比較するなら、その可能性は否定できなかった」

 

 住人たちから観測された六つの個体固有反応が表示される。

 

「今は、これを追跡できる」

 

 旧サーバー側に一つの反応を配置し、新サーバーとの間に観測経路を重ねる。

 

【移行前反応:記録】

 

【個体識別核:固定】

 

【位置追跡:待機】

 

「移行前に反応を記録する。転送中も位置を追う。新サーバー側へ移った後、同じ個体識別核が存在するか確認する」

 

 表示上の反応が旧サーバーから接続経路へ入り、新サーバー側へ移動する。

 

 旧サーバー側の表示は空白になった。

 

「旧側に反応が残っていないことも確認する。途中で二つに分かれた場合も失敗だ」

 

『新しい方に同じ記憶のデータができても、魂がこっちへ残ってたら駄目ってことね』

 

「ああ。それは移行じゃない」

 

『反応が途切れずに向こうへ移れば?』

 

「本人が移ったと判断できる」

 

 ポムニは転送図を見たまま、数秒黙っていた。

 

『途中で止まった時は、戻せるの?』

 

「今はまだ戻せない」

 

 エイドリアンは未完成の項目を赤く表示した。

 

【中断時復帰手順:未完成】

 

【旧環境への再接続:未検証】

 

【個体固有反応の逆方向追跡:未検証】

 

「だから、魂を持つ相手ではまだ試さない。安全に戻せることが確認できるまではな」

 

『なら、そこが完成するまでは進めないのね』

 

「進められない」

 

 ポムニは短く頷いた。

 

 その横で、ズーブルが人格領域の表示を拡大する。

 

『テスト中に、こっちの人格データが間違って複製される可能性は?』

 

「事前試験では触らない」

 

 住人人格領域へ保護表示が重なる。

 

【読み取り専用】

 

【複製禁止】

 

【外部出力禁止】

 

「使うのは人格を持たないテストデータだけだ。君たちの完全な人格コピーは作らない」

 

『移行する時は、読み出す必要があるんでしょう?』

 

「ああ。本番時だけだ。それまでは保護を外さない」

 

『詳細な操作記録は?』

 

「君たちにも共有する」

 

 ズーブルは表示された保護設定を確認し、腕を下ろした。

 

『それならいいわ』

 

 エイドリアンはケインの管理領域を開いた。

 

 住人たちの領域とは異なり、ケインの信号はサーカスの広い範囲へ延びている。

 

 環境制御。

 

 領域生成。

 

 住人の位置管理。

 

 冒険用空間の待機処理。

 

 複数の機能が、ケインの管理中枢を経由していた。

 

「ケインの移行は、住人より難しい」

 

『私だけ先に移ることはできないのかな?』

 

「君を先に移せば、旧サーカスの管理処理が止まる可能性がある」

 

 今度は環境側だけを新サーバーへ移した図を表示する。

 

「環境を先に移すと、君の管理信号が届かなくなるかもしれない」

 

『私とサーカスの基幹部分を、一緒に扱う必要があるんだね』

 

「ああ」

 

 ケインは自分の管理領域を見渡した。

 

『私をいくつかに分けるわけではないんだよね?』

 

「君自身と、君が使ってる機能を区別するだけだ」

 

 エイドリアンはケインの人格中枢と管理機能の間へ境界線を引いた。

 

「今は、一つの機能で異常が起きた時に、君自身やサーカス全体まで影響を受ける可能性がある。新しい方では、それぞれを切り離せるようにする」

 

『私の力を減らすためではない、と』

 

「故障の影響を広げないためだ」

 

『それなら問題ないだろうね』

 

 キンガーが画面を見上げた。

 

『管理中枢と環境を一度に移す前に、管理機能の一部だけを新しい側へ繋いだ方がいいだろうね』

 

「その予定だ」

 

 エイドリアンは工程表を開いた。

 

【第一段階:環境データ転送試験】

 

【第二段階:非人格データ移行試験】

 

【第三段階:管理機能部分接続試験】

 

【第四段階:個体固有反応追跡試験】

 

【最終段階:全面移行】

 

「最初は、住人のいない環境だけを複製する」

 

 第一段階を選択する。

 

「次に、空のアバターやテストデータを新旧間で移動させる。欠損や変形がないことを確認する」

 

 第二段階へ表示が移る。

 

「その後、ケインの管理機能の一部を一時的に新サーバーへ接続する。問題が出れば、旧側だけで制御を続けられる状態にしておく」

 

『その次が、魂の移行試験なのね』

 

 ポムニが第四段階を見て言った。

 

「ああ。ただし、今は誰を対象にするか決めない」

 

『立候補もまだ駄目?』

 

「復帰手順も完成していない段階で受け付けるつもりはない」

 

 ポムニは肩をすくめ、工程表へ視線を戻した。

 

 ケインはしばらく黙っていたが、旧サーバー側に残された管理中枢の表示を見て口を開いた。

 

『私が最後まで旧サーバーに残れば、皆の移行を管理できるんじゃないかな』

 

「君を置いていく計画じゃない」

 

『けれど、管理者が最後まで残るのは自然だと思うよ』

 

「最後に移るのは構わない。そこへ残り続けるのは駄目だ」

 

『最後まで見送った後で、私も移るということかい?』

 

「ああ。その手順を作る」

 

 ケインは僅かに目を伏せた後、頷いた。

 

『分かった、任せるよ』

 

 エイドリアンは別の資料を開いた。

 

 二階の部屋の見取り図と、必要な工事が表示される。

 

【床補強】

 

【専用電源】

 

【冷却配管】

 

【防火設備】

 

【遮光設備】

 

【搬入経路拡張】

 

「二階の工事も進める。ただし、工事と内部移行は同時にしない」

 

『旧サーバーは、しばらく地下のまま?』

 

 ラガタが尋ねた。

 

「ああ。先に部屋を完成させる。その後で物理的な移設をするか決める」

 

『新しいサーバーも、今すぐ二階へ運ぶわけではないのね』

 

「接続試験が終わるまでは、ここへ置く」

 

 二台の位置を示す表示が、そのまま地下工作室へ固定された。

 

 エイドリアンは工程表の下へ、成功条件を追加していく。

 

【データ整合性:完全一致】

 

【人格欠損:なし】

 

【記憶欠損:なし】

 

【個体固有反応:連続性維持】

 

【旧環境への残留反応:なし】

 

【反応分裂:なし】

 

【抽象化住人領域:保全】

 

 ポムニは上から順番に読み、最後の項目で一度視線を止めた。

 

『結局、全部終わるのはいつ頃?』

 

「安全条件が揃った時だ」

 

『つまり、まだ先ね』

 

「急ぐ理由はある。焦る理由はない」

 

 エイドリアンは工程表を保存し、第一段階の試験画面を開いた。

 

【試験環境データ抽出】

 

【人格領域:除外】

 

【記憶領域:除外】

 

【個体固有反応:対象なし】

 

【転送準備】

 

 旧サーバー内の中央区域から、床と壁の一部だけが選択される。

 

 住人の位置情報や個室への接続は含まれていない。

 

 抽出したデータを新サーバーへ送ると、空白だった試験領域に小さな床面が現れた。

 

 赤と青の格子模様。

 

 その上には誰もいない。

 

 照明だけが点灯し、床へ淡い影を落としていた。

 

【環境データ転送:完了】

 

【構造欠損:なし】

 

【旧環境への影響:なし】

 

 エイドリアンは二つの環境データを並べ、最初の比較処理を開始した。

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