少年、山田クラウドも人工知能nousの指示で日々を生きる。
人工知能が推奨しない行動を取れば、その人間の評価値が下がってしまう。
そんな中、隣に住んでいた老人はnousが出来る前の世界を懐かしみ、クラウドはその話に興味を持った。
「おい、じーさん!今日も話聞かせてよ。昔の話!」
俺は山田クラウド、十六歳だ。教育カリキュラムを終わらせて、今日も総合病院へと足を運ぶ。
「また来たのか、クラウド。あまりここへ来てはいけないと言われてるんじゃないか?」
昔、隣に住んでいたお爺さんとの会話が目的だ。今は持病が悪化して、人工知能ヌースの判断によって入院し、治療を受けている。
このお爺さんの話が俺にはとても興味深い。
【警告。眼前の宮島隆文と十分会話することで、貴方のレゾナンスに悪影響を及ぼす確率:83.4%】
うるさい。少し黙ってろ。
「まあね。ヌースが、じーさんとの面会は俺の共鳴値……レゾナンスが下がるとは言ってるよ」
「だろうなぁ。ヌースが世に出る前の昔話なんて、聞けば聞くほどレゾナンスは悪化するに決まってる」
じーさんが水を飲みながら、渋い顔で言う。
「なんで決まってるのさ」
そこがよくわからない。
【警告。レゾナンスが下がりました】
ヌースが脳内で報告してくる。
くそっ。本当に下がるヤツがあるか、バカ。
「ふん。その表情……ヌースに警告されたんじゃないのか?」
じーさんが呆れたように笑う。よくわかったな。
「うん。レゾナンスが低下したってさ。ただ、ご近所さんのお見舞いに来ただけなのに」
俺は病室の冷蔵庫から勝手にお茶を取り出し、飲む。
「……ま、ヌースなんてそんなもんだ」
でた。その、ヌースを下に見るような発言。昔の人間しかしないよ?そんなん。
「そんなもんって、じーさんはヌースが間違ってるとでも言いたげだね?」
そんなことはありはしないのに。
「間違ってるとは思わないさ。ただ、ヌースが絶対とも言い切れん。……という考えなだけさ」
意味がわからない。
「どうしたらそんな思考になるの?」
俺の問いに、じーさんは暫く固まる。
「俺ら老人からしたら、お前たちの思考の方が理解出来ないんだよ。こればかりは、生まれた時代が違うってだけの話さ。ヌースが出来る前を経験した人間は、皆自分の頭で物事を考えていたからな。どうしたらそんな思考になるのか、では無く元々こんな思考だったんだよ」
ふぅん。
「それはわかってるけど、実際に今は絶対正しいヌースがあるわけでしょ?なのに受け入れられ無いのは、つまりはじーさんの方がヌースより正しいってこと?」
それはあり得ない。だって、あり得ないのだから。ヌースが間違うことは100%無い。こればかりはじーさんには悪いけど確かだ。
「ははは。受け入れられない……というのも微妙に違うけど、必ず正解する事がそもそも正しいのかって話なんだよ」
「はあ?正解してたら正しいじゃんか」
「クラウド。今のお前には、俺の言葉は届かないんだよ。この意味も、ヌースが出来る前を生きた人間にしかわからんことだ。悲しいけどな」
そういうものなのか。同じ言語を使い、同じ国に生きていても。老人と若者の間には越えられない壁があるのだろう。
じーさん達は、ヌースが無い不便な時代を生きた人たちだから。
「そんな話よりさ、平成と令和時代の話を聞かせてよ!」
「ふっ。お前は昔が好きだなぁ、本当に」
「だって、ヌースが無かった頃なんて想像つかないんだもん。その日のご飯さえ、自分で用意しなきゃダメだったんでしょ?」
今だと考えられない。
その日の体調、気分、気温に合わせて、適切な時間に配膳マシンが食事を提供してくれる。逆にそうじゃない食事ってなんなの?
「そうだな。まず、何を食べたいかメニューを考える。それからお店に食材を買いに行き、帰宅したら調理していたよ」
「ははっ。非効率すぎてギャグじゃん!」
「……だな。でも、好きなモノばかり食べれるぞ?だって自分で食べるモノを決められるんだから」
じーさんがニヤリと笑う。
え。何か面白いポイントあった??
「そりゃダメでしょ。レゾナンスが下がるし、健康寿命も短くなっちゃうよ」
俺の反論に
「だから、当時はレゾナンスも無かったんだってば」
じーさんは手をひらひらさせて否定した。
そっか。
そもそもレゾナンスも無いのか。じゃあ、ヌースに咎められたりもしないわけだ。それはちょっと良いのかも?
【警告。レゾナンスが下がりました】
またかよっ!つかなんで??
なあヌース。どうしてレゾナンス下がるの?
【説明可能です。貴方は現代社会において非推奨とされる行動様式に好意的反応を示しました】
非推奨?
【はい】
好きなものを食べることが?
【はい】
……そういえば、どうしてなんだ。好きなものを食べても、誰かに迷惑はかけないよな。
【健康寿命の短縮リスクが存在します】
俺もそう思ったけど、でも少しくらいならいいだろ。そりゃ、じーさんみたいに毎日はダメだろうけど。
【累積した場合、社会全体の幸福総量が低下します】
俺は眉をひそめた。
社会全体って……そこまでの問題なのか。
【一個人の選択は微小です。しかし、全人類が同様の行動を取った場合、年間幸福総量は0.00017%低下します】
小さすぎて想像もつかない。だが、ヌースが言うならそうなんだ。小さな損失も見逃さない。
「なんかヌースに、好きなものを食べたら社会全体の幸福量が減るって言われたけど?」
「マジか!社会全体とは。大袈裟だなぁ」
じーさんが笑う。
「大袈裟なの?」
「俺らの頃はな、日々の個人の食事が社会に影響を及ぼすなんて考えすらしなかったよ」
「え、そこは気にすべきでは?」
自分が不健康になれば、誰かのお世話になるよね。つまり、自分だけの問題じゃ無いじゃん。
「気にしてたらポテトチップスなんて食えん」
「ポテトチップス?」
「ジャガイモを薄く切って油で揚げた、塩分たっぷりの身体に悪い食べ物だ」
「なんでそんなもの食うんだよ!?」
毒では?そんなものは。
「……美味いからだ」
へえ。美味しいのか……?食べた事ないから、否定も出来ないが。
「けど、うまいからって身体に毒と知って食べるのは馬鹿じゃん」
「そうだな」
じーさんはあっさり認めた。
なのに。……なぜだろう。
その『美味いから』という理由が、妙に楽しそうに聞こえた。
【警告。レゾナンスが低下しました】
わかったわかった!ポテトチップスは食べないよ。それで良いんだろ?
【報告。レゾナンスが上昇しました】
ああ、そうかい。
「非合理的な行動も、昔は楽しめたってことだ。自らの意思で敢えて選択してな」
「自分で選択……か」
昔の人って凄いな。
俺なんてヌースが無きゃ、何時に寝て起きたら良いのかもわからないのに。
……て、あれ?じーさんの発言はちょっとおかしい。
「けど、待ってよ。昔はヌースそのものが存在してなかったんだから、じーさん達はそうせざるを得なかっただけじゃない?さも自分の意思決定が尊いみたいに言ってるけどさ」
俺の言葉に、じーさんは少しだけ目を丸くした。
「……なるほどな」
「違うの?」
「いや。半分は正しい」
「半分?」
じーさんは窓の外を見た。しばらく考えるような沈黙。俺はその隙にお茶を飲んだ。
「確かに、俺らは選ばされたとも言える」
「でしょ?」
「技術が無かったからな」
「うん」
ヌースが無いから、自分たちで選んでただけってことだ。
「だがな」
じーさんは苦笑した。
「選択を奪われた時に初めて、その価値に気付くこともある」
また意味のわからないことを言う。ちょいちょい、わかりにくいんだよなぁ。
「例えば?」
「お前は今日の夕飯を知ってるか?」
「当然、知ってるよ」
即答だった。脳内表示を開く。
【本日18:30】
【鶏肉の香草焼き】
【季節野菜のスープ】
【栄養評価:S】
【幸福予測値:91.8%】
「うん。今日は鶏肉だってさ」
「だろうな」
「何が?」
「俺は、自分の晩飯も知らんで生きてた」
当たり前だ。じーさんのレゾナンス値では食事提案サービスは利用できない。
「そうじゃない。ヌース以前の昔はな」
じーさんが続ける。
「夕飯までわからなかった」
「なんで?」
「決めてなかったから」
「決めてない?」
「冷蔵庫を見て決める日もあった」
「どうしてさ。毎日食べるものなら、ヌースがなくても一月後くらいまでは献立決めといた方が効率良くない?」
「スーパーで安売り見て決める日もあった」
「意味がわからない」
「面倒になってラーメン食いに行く日もあった」
「……もはや作ってすらいないじゃん!」
じーさんは腹を抱えて笑う。
俺も少し笑った。
意味がわからなすぎて。非効率すぎて。
「お前な」
じーさんが言う。
「今日の夕飯に驚くことあるか?」
「無いけど」
「夕飯を食べる楽しみは?」
「別に」
「だろ?」
俺は首を傾げた。……楽しみ?夕飯に?
そんなもの必要だろうか。食事は摂取するものだ。最適化された栄養を最適化されたタイミングで、最適化された量だけ……それで十分ではないか。
「昔はな」
じーさんが呟く。
「冷蔵庫を開けたらプリンが入ってて嬉しかったんだよ」
「子供かよっ!てか、仮にプリンがあってもヌースの許可なく食べちゃダメでしょっ」
「……そうだな」
じーさんは笑った。その顔は、なぜだか少し羨ましそうだった。
「そういや、恋愛も大変だったな」
不意にじーさんがそんなことを言った。
「恋愛?」
「おう」
恋愛か。学校の授業でも習う、人類の繁栄に必要なパートナーシップ形成行動。昔は感情に任せて行われていたらしい。
……今は違う。
成人が近付くとヌースが最適な相手候補を提示してくれる。
価値観。遺伝子。生活習慣。思考傾向寿命予測。
あらゆるデータを分析した上での提案だ。
「……俺も二十歳になったら候補が紹介されるよ」
「そうか」
「レゾナンスや適性を加味して、幸福度が最大になる相手を選んでくれるらしい」
「らしいな」
「何その反応」
「いや?別に」
じーさんは苦笑する。
「昔はな」
「うん」
「そんなもの無かった」
「またその話?」
「まあ最後まで聞けって」
じーさんは肩を竦めた。
「ある日、突然好きになった」
「誰を?」
「だから恋愛相手をだよ」
「なんで?」
「なんでって……」
じーさんが困った顔をする。
「笑顔が可愛かったとか……話してて楽しかったとか、ふとした仕草に惹かれたとかな」
「……は?」
意味がわからない。全部意味がわからない。どれも効率とは関係がない。
「そんな曖昧な理由で?」
「そうだ」
「相性診断も無し?」
「無し」
「幸福予測も無し?」
「無し」
「人生設計も?」
「無し」
俺は頭を抱えた。
「無茶苦茶じゃん」
「ま、俺ら世代からしても無茶苦茶だったな」
じーさんは楽しそうに笑う。
「それで、結婚したの?」
「いや」
じーさんは頬をかく。
「え?」
「……振られた」
「はぁ!?」
思わず声が出た。
「なんで?」
「知らん!」
「知らん!?」
「相手には、もう好きな人がいたんだ」
俺は絶句した。そんな理由で人生設計が狂うのか。昔の人間は……なんか動物みたいだな。
「最悪じゃん」
「ああ。あれは最悪だった」
「レゾナンス下がった?」
「だから無かったって」
「じゃあ何を基準に立ち直ったんだよ」
「時間だな」
「時間?」
「一年くらい引きずった」
「一年!?」
馬鹿だろ。いや、本当に。馬鹿だろ。
今ならヌースが精神状態を分析して最適なケアプログラムを提示する。長期的な落ち込みなんて発生しない。
「そんなの無駄じゃん」
「無駄だったな」
「非効率じゃん」
「非効率だった」
「何も良いこと無いじゃん」
そう言うと。じーさんは少しだけ考えた。
……そして。
「いや」
静かに首を横に振った。
「今思えば、あれはあれで良かった」
俺は眉をひそめる。だって意味がわからない。
振られて。落ち込んで。一年も無駄にして。
そんなもののどこが良いんだ。
「どうして?」
俺が聞くと、じーさんは窓の外を見ながら答えた。
「……ま、本気だったからかな」
本気。
その言葉だけが妙に耳に残った。
「今のお前らは失敗しない」
「そりゃそうだろ」
「ヌースがいるからな」
「うん」
「でもなぁ……」
じーさんは少し寂しそうに笑った。
「失敗しない代わりに、本気で賭けることも無くなった」
その言葉の意味はよくわからなかった。
……わからなかったのだが。
【警告。レゾナンスが低下しました】
脳内に響くヌースの声が、なぜだか今日は少しだけ鬱陶しく感じた。
翌日。
俺はいつものように総合病院へ向かった。最近の、教育カリキュラムが終わった後の習慣だ。別に、深い理由はない。
じーさんの話が面白かった。……それだけだ。
ポテトチップス、失恋、プリン、ラーメン。
どれも意味のわからない話ばかりだったけど。それでも、なぜか面白かった。
「よー、じーさん」
病室のドアを開ける。
そして。俺は足を止めた。
ベッドが空だった。シーツも綺麗に片付いている。……誰もいない。
「あれ?」
病室を見回す。トイレか?検査か?
そう思った時だった。
【宮島隆文様は昨夜23時14分に安寧プログラムへ移行しました】
脳内にヌースの音声が響く。
「安寧プログラム?」
【はい】
「……ああ」
そういうことか。納得した。
高齢者や重症患者が選択する制度。
幸福期待値の低下が続き、本人が希望した場合に利用できる。
学校でも習った。別に珍しいことではない。俺は少しだけ黙る。ただまあ、昨日まで普通に喋っていた人間が居なくなるのは、やっぱり少し変な感じがした。
【宮島隆文様は最終選択に満足していました】
「そうなんだ」
【はい】
「なら、良かった」
ヌースは正しい。本人も納得している。幸福予測も最適だったのだろう。
……それなら問題はない。問題はないはずだった。
帰ろうとして。ふと机が目に入った。
引き出しが少しだけ開いている。整理担当がまだ来ていないらしい。
なんとなく覗き込んでみると、中には古い写真が一枚。
「これは」
若い頃のじーさんだった。隣には女性が写っている。きっと、昨日話していた振られた相手ではない。その後に出会った人なのだろう。
写真のじーさんは笑っていた。俺が知っているじーさんより、ずっと若くて。ずっと馬鹿そうだった。
その下に小さな紙切れがあった。手書きだ。今時珍しい。
『人生は無駄ばかりだった』
じーさんらしい。俺は苦笑する。だがその下の文章を見て、少しだけ動きが止まった。
『でも面白かった』
たったそれだけだった。……意味がわからない。
本当に、意味がわからない。
無駄なら駄目だろ。非効率なら改善するべきだろ。失敗するくらいなら成功した方が良いに決まっている。
それなのに、なぜだろう。昨日のじーさんの顔が頭に浮かぶ。
ポテトチップスの話をしていた時。振られた話をしていた時。プリンの話をしていた時。
全部、少しだけ楽しそうだった。
俺は写真を引き出しに戻して、病室を出る。
廊下を歩く。脳内には今日の夕食予定が表示されていた。
【本日18:30】
【鶏肉の香草焼き】
【季節野菜のスープ】
【栄養評価:S】
【幸福予測値:91.8%】
完璧だ。何も問題ない。俺はエレベーターへ向かう。その途中、ふと。
本当にふと、どうでもいいことを考えた。
「なあ、ヌース」
【何でしょう】
「ポテトチップスってさあ、結局美味しいの?」
昔の人たちが、身体に悪いとわかっていながらもつい食べてしまうくらいには。
ほんの一秒、ヌースは沈黙する。
だが妙に長く感じた。
【推奨しません】
「や、そうじゃなくて」
【健康上の利益は限定的です】
「だから、そうじゃなくて」
俺は少し笑った。
「美味しいのかって聞いてるんだよ」
再び沈黙。……そして。
【回答不能です】
ヌースがそう答えた。
俺は病院の窓から外を見ると、ビル群が夕日に照らされている。
「綺麗だ……」
こんなありきたりな光景に心を打たれた理由はわからない。
数値化もできない。幸福予測値も表示されない。
ただ、綺麗だと感じた。
【警告。レゾナンスが低下しました】
脳内に通知が響く。俺は空を見たまま、小さく笑った。
「……ああ、そうかい」