朱の騎士と白き御座の子   作:ぶーく・ぶくぶく

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本作は完結まで予約投稿済みです。
7月2日完結予定で、それまで毎日19:30に更新します。
最後までお付き合いいただければ幸いです。




七十枚のデリアス金貨

 

 照りつける南のラケジアの太陽の下、深い谷のような石掘を渡り、重厚な大扉を潜る若者が二人。

 

 ここは、清らかな名を持つアキーム湖のほとり。四大王国が一つ、神聖帝国サルフ。

 

 その帝都において最大の規模を持つ奴隷市場に、供を従えた若者二人が入っていくのは、日常の一コマでしかない。

 

 その片割れ、オルトレンと呼ばれる若者は、帝都でも十指に入る商人、ドミニアル家を若くして取り仕切る者であり、この市場の上客でもあった。

 

 彼とその連れの対応に、市を取り仕切る「目利きのマルコキアス」が出てくるのも当然のこと。まして、オルトレンの連れは、先日の風来坊とは格が違う。

 

 それは六年前、人界に吹き荒れた四大王国戦役において、魔族と、剣失いし王国ダルヴァーグに侵略された東の大国、知恵の王国ラウーで多大な武誉を上げたノルド・セリブス・クレーベグの一人。

 

 当時、若干十六歳でありながら単騎にて巨人を打ち倒し、ラウー反撃の狼煙となったデビアス包囲戦で活躍。聖宝の移送、ファラド奪還戦などを戦い、戦役後は聖王ラハブの騎士クラード・アグスウェルス卿、地の果てよりの来訪者リングロウ・ハヤスと共に、世界の東、レイティック山脈を越え、東方見聞を行った。

 

 そして聖王ラハブより、朱の騎士の名を賜った男。

 

 キーツ・ウォルフェル。

 

 その彼も、先日まで運命と時の司ルトスの悪戯により、剣闘士として帝都の闘技場にあり、名も無き闘士として一時を過ごしていた。

 

 だが、その腕で無敵と謳われた王者を下し、独力で自由を勝ち取っている。

 

 その折、彼の仲間、運命と時の使徒ラン・ビーヒルは、サルフを統べる「白痴の」レヴィを害する白の司祭ラシアルヌスと戦い、それに尽力したが、その物語はまた別の物語。

 

 別の機会に語られよう。

 

「オルトレン、なんだってまた奴隷市に来なきゃならないんだ?」

 

 狼のような精悍さを漂わせる金髪の若者、キーツが、傍らのオルトレンにぶつくさとこぼす。

 

 己の在り方を己で決める彼にとって、ここは面白い場所ではなかった。

 

 そんなキーツをなだめるように、オルトレンは答える。

 

「そう言うなよ。恩人でもあり、友人でもある君たちに、寂しい都暮らしはさせられないだろう?」

 

 オルトレンもそれなりに長身であり、整った容貌の持ち主である。

 

 だが、生命力に溢れるキーツと並ぶと、昼間の月のように霞んで見えた。

 

 ドーン人であり、ラウー出身でもあるオルトレンは、友人には誠実であり、人をもてなすのが――その方法はともかくとして――好きなのだ。

 

 先日、彼を訪ねてきた共通の友人ダースを奴隷市場に連れ込み、ダースが大層気に入ったようであったため、その相棒と呼べる間柄のキーツも気に入るだろうと、オルトレンはここに彼を誘ったのである。

 

「手桶も自分で洗えるし、別に不自由はしていないがな。……ダースが野暮用を済ますまでのことだ」

 

「これはオルトレン様。本日はよくお越しくださいました。高名なキーツ様ともお取引をしていただけるとは、感謝の極みでございます」

 

 反論という名の文句を口に上らせたところで、市を取り仕切るマルコキアスが現れ、キーツは口を閉じた。

 

 彼も、わざわざ商人の機嫌を損ねるほど馬鹿ではない。

 

 両側を、魔神像のような屈強な黒い肌の奴隷たちに押さえられた少女たち。

 

 互いを鉄鎖で繋がれ、ぼろ着を着せられた少女たちの瞳を、キーツは一人ずつ覗き込んだ。

 

 すがるような、怯えることにも疲れたような瞳。

 

 なじるように睨みつけ、すぐに背けられる瞳。

 

 月でも見ているかのような、夜空のように静かな瞳。

 

 ふん、と軽蔑するようにキーツは鼻を鳴らすと、何かの薬草が漬けられたワインで喉を湿らせた。

 

「男の嗜虐心や征服欲を満足させるものしかいないのか」

 

 現状に不満があるのなら、自分を、世界を変えればよい。

 

 己を捨ててまで生きるのは、己を貫き通した先人たちへの――ひいては己の生命への侮辱である。

 

 それこそが、解放王の友たらんとするノルドの民の誇り。

 

 だからこそ、その瞳が気に入らない。

 

「あのな……闘士奴隷じゃないんだぜ、キーツ? それを満足させるのが楽しみなんだろう」

 

 呆れたように肩を竦めるオルトレンに、キーツもまた肩を竦めて見せた。

 

「他人の趣味をどうこう言いはしないが、な。……配達される時は、なんとかなるんだろうな?」

 

 わざとらしく鼻を鳴らし、少女たちの体臭が気になるとばかりに、キーツはマルコキアスへ嫌味を投げつけた。

 

 正確に言うならば、碌な扱いを受けなかった剣奴時代の自分を思い出しての当て擦りである。

 

 奴隷の一人、金髪で碧眼の少女が、キーツの言葉に反応し、小さく、責めるような視線を向けた。

 

 キーツは聖王国で一般的なアルキア語ではなく、交易商人たちの間で一般的なラックス語で会話していた。

 

 だからこそ、その反応に驚き、少女を見返した。

 

「おいおい、少々匂うが……言ったろう?」

 

 オルトレンが苦笑しながら口を挟む。

 

「古いチーズと同じで、これも楽しみなのさ。例えるなら、骨董品を買う時もそうだ。真新しい絹に包まれた壺より、遺跡から掘り出してきたようなぼろ布や紙に包まれている方が……ほら、そそるだろう? 一種のサービスなのさ。

 

 それに、買い取った時は、ちゃんと清掃して、綺麗に着飾らせてから配達される。だから安心していいよ」

 

 その少女が、キーツの目に止まった。

 

 いや、魅入られたと言うべきか。

 

 南の太陽。その強烈な日差しを跳ね返す金属のように、光沢を放つ金の髪。

 

 ぼろを身にまとっているからこそ、かえって隠しきれない、しなやかな輪郭。

 

 キーツは、知恵の王国に住まうドーン人ではない。

 

 聖王国に住まうアルキア人でもない。

 

 剣失いし王国ダルヴァーグの北。

 

 かの妖魔戦争を終結させ、人々を大戦とレシュメルゲの腐敗から解放した七英雄最大の王、解放王クレーベの意志を受け継ぐ地。

 

 人界を守る盾。

 

 魔族と人との狭間に立った戦士たちの末裔。

 

 エダンの剣騎士団領で生まれた、ノルドジール人である。

 

 クレーベに自らの剣を与えし女神エダンの加護を受けるかの地には、女神と同じ金の髪を持つ者が多く生まれ、また彼らはその色に強く惹かれる。

 

 いや、それも言い訳にすぎない。

 

 そんなものがなくとも、やはりキーツは彼女に惹かれただろう。

 

 そんなキーツに、マルコキアスがそっと肩を叩くように言った。

 

「いかがでしょうか。お気に召していただけましたかな? よろしければ……私めに商品の自慢などさせていただければと存じます」

 

「この狐めが、奴隷の自慢……いや、説明をしてくれるそうだ」

 

 オルトレンが小さく笑う。

 

「聞いてみるかい? もちろん、話半分に聞いておくべきだけどね」

 

「ああ、そうだな。それじゃ……」

 

 

/*/

 

 

 居並ぶいずれ劣らぬ籠の美姫たちの中で、その少女がキーツの目に留まった。

 

 いや、魅入られたと言うべきか。

 

 南の太陽、その強烈な日差しを跳ね返す、金属のごとき光沢を放つ金の髪。ボロを纏っているからこそ嫌でも分かる、男を虜にする曲線。

 

 キーツは知恵の王国のドーン人ではない。

 

 剣失いし王国ダルヴァーグの北、かの妖魔戦争を終結させ、人々を腐敗から解放した七英雄最大の王、解放王クレーべの意志を継ぎ、人界を護る盾として魔族と人の狭間に立った戦士の末裔――エダンの剣騎士団領で生まれたノルドジール人だ。

 

 クレーべに自らの剣を授けた女神エダンの加護を受けるその地には、女神と同じ金の髪を持つ者が多く生まれ、また彼らはその色に強く惹かれる性質を持っていた。

 

 いや、それも言い訳に過ぎない。

 

 そんな宿縁などなくとも、やはりキーツは彼女に惹かれていたはずだ。

 

「これはこれは……流石はお目が高い。

 

 この者は先日まで、さる大商人の屋敷で勤めておりました優秀な身でしてな。保証状と共に買い取った逸品です。

 

 キーツ様が独り暮らしをなさる際の側女に置くには、最高の買い物だと保証いたしましょう。ラックス語、アルキア語、ドーン語を解し、読み書きは言わずもがな。簿記に筆記、朗読から家事全般までこなせます。命を下す際にも不自由はございませんし……いかがでしょう、これを機に……」

 

 饒舌な奴隷商の言葉を、冷笑を浮かべたオルトレンが遮った。

 

「待てよ、この狐め。

 

 お前がそれだけ勧めるってことは、こいつは傷物だな?

 

 その女、処女じゃないだろう。匂いで分かる。

 

 俺の親友に、中古のすれっからしを売りつける気か?」

 

 守護神たる女神が処女神であるためか、ノルドジールの民は一般に純潔を尊ぶとされる。

 

 オルトレンの無遠慮な言葉に、金の長髪を垂らした少女の顔がかっと屈辱と怒りに染まり、刃のような視線が三人へ向けられた。

 

 だが、キーツはその静かな激怒を惚れ惚れと眺め、オルトレンはそれを無視して、マルコキアスを詰問し続けた。

 

「……申し訳ございません。

 

 朱の騎士様たちを欺くなど滅相もない。ただ、先に美徳を並べるのは私どもの性分でして……。

 

 確かに処女でない商品を出したことはお詫びいたしますが、この奴隷は身体にも性器にも一点の曇りなき良品。床の中でお使いになるには、この中で一番かと……。これだけは、神聖なる陛下の御足跡に賭けて誓えます。

 

 いかがでしょう? お値段の方は、その……」

 

「確かに男好きのする体つきだが……

 

 値段次第だな。どうする、他を見てみるか、キーツ?」

 

 オルトレンがそう言った時だった。アルキア語の、鋭い叫びのような制止の声が少女たちの背後で響いた。

 

 泥の中を躓くように走る小さな足音が聞こえ、視線を向ければ、小姓を振り切って駆け寄ってきたらしい幼い子供が、あの金の髪の女奴隷の脚にしがみついていた。

 

「あ……ああ……レメイ……」

 

「置いてっちゃ……やだぁ……」

 

 ボロを纏わされた幼女を抱きとめた少女の瞳に、胸を切り裂くような切なさが宿る。

 

 そして初めて、彼女の瞳に怯えの感情が走り、キーツと幼女の間を狼狽したように彷徨った。

 

 女神エダンが最も愛し守護したのは、力なくとも子を護らんとする母の愛。守る術なくとも正義を貫こうとする子供の純粋さ。

 

 それに応えるのは、如何なる不条理をも笑い飛ばす不屈の意志。人の子たる男の勇気だ。

 

「……行っちゃやだ……お姉ちゃん……行っちゃやだよぉ」

 

 しがみつく幼女の必死な声が、二人の絆を如実に表していた。

 

 不意の闖入者に初めて苛立ちを見せたマルコキアスは、音のない舌打ちをして黒人奴隷に目配せをした。

 

 鉄のごとき腕が伸び、幼女の小さな手を少女の裾から剥ぎ取ろうとする。

 

「そこまでだ」

 

 キーツの静かな声が、その場の空気を凍りつかせた。その剣技を知らずとも、彼らの動きを封じるだけの重みがあった。

 

 猛獣に立ち向かえる人間など、そう多くはない。

 

 この時、キーツは正しく、子を庇う獣の威圧を放っていた。

 

「……君は、変わらないな……。

 

 おい、マルコキアス。そのままにさせてやれ。……せっかくの商品を失いたくなければな」

 

 マルコキアスが命じるまでもなく、黒人奴隷は震える手を引っ込め、幼女を少女の下へと戻した。

 

「その子は、君の妹か?」

 

「そ……そうよ。

 

 わたしの……

 

 ……あの……ありがとう……」

 

 亜麻色の髪を揺らす少女は、藍の瞳をキーツに向け、口ごもりながら視線を逸らした。

 

 彼女のラックス語は、明らかに騎士団領できちんとした教育を受けた者の、訛りのない流麗な発音だった。キーツのように幼くして狩られた者ではあり得ない。

 

「……この姉妹を貰おう」

 

「おお、流石は朱の騎士様。お目が高い。それで、お値段の方ですが……」

 

「あいにくと持ち合わせがデリアス金貨しかない。九十枚でいいか?」

 

 ドワーフの所領で造られるデリアス金貨は、その純度と細工の精巧さから、取引の場では最高級の価値を持つ。

 

「キーツ、払いすぎだ。この強欲者には五十枚も出せば十分だろう」

 

「オルトレン様、それはあんまりでございます。せめて六十枚は頂きたく……」

 

「七十出そう。目利きの名を信用させてもらう」

 

「おお、流石は名高き騎士様でいらっしゃる」

 

 キーツはデリアス金貨三十枚入りの紙包みを三つ取り出すと、小姓の銀盆に二つと、破った包みから十枚を置いた。小姓は一礼して下がる。キーツの名をそれだけ信頼しているのだ。ダースの時とは、随分な違いであった。

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