カルサアPA後〜聖殿カナンまでのフェイト×ネル。ネルに惹かれていくフェイトの話。

戦争、喪失、罪悪感。
いくつもの痛みを越えて、それでも隣に立ちたいと願った時、フェイトは初めて決意する。

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第1話

「ネルさん、その傷……!?」

 フェイトは思わず声を荒げた。

 夕食を買いに、カルサアの食料品店から出たところだった。扉を開けてくれたネルの右腕から、真っ赤になるほど血が垂れている。

「あぁ、大したことないよ」

 ネルはチラッと一瞥しただけで歩き出した。フェイトは三人分の肉まんが入った買い物袋を持ったまま、その後ろ姿を見つめる。

 怪我をしているなんて、全然気づかなかった。

(……あの時、庇ってもらった時だ)

 フェイトは数時間前の、カルサア修練場での一戦を思い出していた。

 シェルビー戦を終えた帰り道、フェイトが漆黒兵と戦っていたところ、横で回転を始めたリビングアーマーの攻撃をすかさずダガーで止めてくれたのがネルだった。激しい衝撃音がしたことをおぼえている。その時に怪我をしたのだろうと思った。

 カルサアへ帰った時、一度ヒーリングしたはずなのにと思ったが、傷が塞がらなかったのだろう。ちょっとした拍子にまた生々しい血がネルの腕から流れ始めたのだ。

 大丈夫なのだろうか、と意に介した様子もなく先を歩くネルを見ながら思った。

 カルサア修練場はクリフとふたりがかりでもかなりしんどかったのに、ひとりきりで一晩中戦っていたネルが大丈夫なはずはない。

 その上フェイトは、ついさっき宿屋で口論までしてしまったのだ。

 ──納得なんか出来なくてもいいんだよ。そうするしか、道はないんだから……

 こんな傷を抱えてたなんて、言ってくれればいいのに。

 フェイトはひそかに唇を噛んだ。

 

 

 深夜、ふいに目が覚めた。

 隣のベッドでクリフがいびきをかいている。目が覚めたのはこのせいだと、フェイトはクリフの寝顔を睨みつけた。

 それから何の気もなしに、三段ベッドの上の段で寝ているはずのネルの姿を確認しようとした。しかし、ベッドは空だった。

 他のベッドも確認したが、姿が見当たらない。こんな時間に定時連絡とも思えなかった。どこへ行ったのだろうか。

 気になって、探しに出ることにした。宿屋のドアを開けると、しんとした町の軽い夜風が肌を通り過ぎていく。

 宿屋の目の前にある、アストールという名前のネルの直属の部下の隠れ家は、寝静まっているのか明かりはついていなかった。

 南に曲がり、民家を通り過ぎる。昼間は人通りがあってそれなりににぎやかなこの町も、今はただ自分の踏みしめる砂の音がするだけだ。

 左手には大きな馬車が、右手には大きなガス管を避けたところで、ふと右の視界の端に赤いものが映った。夜なのでよく見えないが、目を凝らしてみると、鉄鉱脈跡へ降りる階段のところにネルが座っていた。

 何をしているのだろうと、ガス管の陰に隠れて様子を窺ってみる。

 最初はなにか、右腕をしきりにさすっているように見えた。しかし時々、何かの容器を手に取っている。

 傷薬を塗っているのだと気がついたのは、さすっているのが昼間見た傷のところだと気づいたからだ。

 その瞬間、フェイトはとっさに怒りすらこみ上げてきたが、怒る資格なんてないのだと思い直す。痛みすら一人で抱え込む。それが彼女だから。

 そのかわりに、フェイトはつかつか歩いていくと、彼女の隣に座った。ネルが驚いたようにフェイトを見る。

「どうしたんだい?」

 フェイトは答えずに、ネルの膝にあった傷薬を手に取った。

「貸してください」

「……いいってば」

「左手じゃ塗りにくいでしょう」

「そんなことないってば」

 フェイトは無理やりのようにネルの右腕を引いた。ネルの肘の上に昼間の傷はあった。血は止まっているが生々しい。しかしよく見ると、打撲の痕や擦り傷、なんなのかよくわからない傷痕まであった。左腕を取って見る。左腕も同じだった。

「何するんだい」

 ネルが怒ったように腕を引っ込める。

「……ごめん。こんなに傷だらけで戦っていたんだなって」

 ネルはそっぽを向いた。

「これぐらい普通さ」

「普通って……」

 彼女はどんな現実で生きているんだろう。

 そう思いながら、フェイトはネルの腕に傷薬を塗った。ヒーリングじゃ追いつかないくらい、怪我が日常なのだ。その上、ヒーリングは彼女しか使えない。それがフェイトには歯痒かった。彼女はいつもフェイトやクリフを優先して回復して、自分のことは後回しだ。だからいつも自分にヒーリングをかける頃には余力がたいして残っていない。それが今のパーティーの問題点だった。フェイトは今、ヒーリングをおぼえるためにコモンサポートスペルを暇を見て読んでいるが、まだ読み終わるのに時間がかかる。

(『信用してる』って、言ってくれたのにな……)

 カルサアに来た初めての日、ネルが初めて見せた微笑みを、フェイトは意外な気持ちで見ていたことを思い出す。あんなふうに談笑する彼女を、フェイトは初めて見たのだ。あんなに言い争ったのに、フェイトたちを信用してると言った彼女。

 最初は死ぬか生きるかの選択肢を突きつけ、鋭い眼光で睨みつけてきた。でも本当は、部下を想ってひとり助けに行くような人だった。

 そこでまたフェイトは悔しくなる。

 どうしてひとりで行ったんですか。どうして命を投げ出すんですか。どうして無茶をするんですか。

 どうして僕に、頼ってくれなかったんですか。

 カルサア修練場へ彼女を迎えに行くまで、どうしても頭を離れなかった問いだ。それは今も、胸の中に燻っている。

 フェイトがネルの腕をつかんだまま目を伏せたので、ネルが訊いた。

「どうかしたのかい?」

 フェイトは親指で最後の傷痕を撫でると、ネルの目を覗き込んだ。

「ネルさん。あなたはどうして、ひとりでタイネーブさんたちを助けになんて行ったんですか」

 ネルの目がかすかに揺れた。

「僕たちは三人で力を合わせてシェルビーを倒せた。最初から僕たちを信じてくれていれば……もっと楽に助けられたかもしれないのに、どうして?」

 本当に自分たちを信頼してくれていたら、もっと楽だったかもしれないのに。フェイトはじっとネルを見た。ネルもまた真剣な目でフェイトを見返した。

「あんた達は守らなきゃいけない。それが私の任務なんだよ。今日はたまたま運が良かったからシェルビーを倒せた。漆黒の団長にも見逃してもらえた。でも、もしかしたら現実は違ったかもしれないんだよ」

 ネルの声は最後になるにつれ悲痛になった。

「確かにそうかもしれない。でも、ひとりで行くよりマシな現実ですよ」

 フェイトがそう言うと、ネルは少し黙り込んだ。そして振り絞るようにつぶやいた。

「私ひとりが死ぬことよりもマシな現実がどこにあるって言うんだい」

 ネルはぎゅっと手を握り合わせて、頭を垂れた。

 追い詰めすぎたかもしれない。ネルと話していると感情が止まらなくなる。

 フェイトはふっと息を吐いた。

 フェイトだってわかっていた。ネルはタイネーブとファリンを救いに行ったのだ。そのために一晩中戦っていたのだ。ただ死にに行ったわけじゃない。

 ネルは命を軽んじてるんじゃない。

 むしろ逆で、誰よりも命を大事にしているから、自分を特別扱いしない。だからフェイトは苦しくなる。

「ネルさん……」

 フェイトもまた悲痛につぶやいた。

「あなたの任務はシランドまで僕たちを守ることでしょう?」

「ああ」

「だけど、任務を放り出してタイネーブさんたちを助けに行った」

「それは……」

 ネルは弱々しくマフラーの中に口を沈めた。違う、責めたいわけじゃない。

「あなたが何を守ろうとしているのかは分かりますし、尊重します。だけど、僕にも守りたいものがある。僕はやっぱりあなたを見捨てられはしない。あなたが守ろうとするものも。あなた自身も」

 フェイトがネルをまっすぐに見ると、ネルはたじろぐように目を見張った。

「もう、一人で行かせませんから」

 フェイトがきっぱり言うと、ネルは少し怒ったように顔をそむけて、

「……勝手にしな。もう寝るよ。明日も早いからね」

 と言って立ち上がった。

 遠ざかっていくネルの足音を聞きながら、フェイトは考えていた。

 守るべき民。守るべき仲間。守るべき国。

 その中に、ネル自身は入っていない。

 フェイトはここで初めて気づく。

 ネルにとって自己犠牲は異常じゃなく日常なんだ。

 だから傷ぐらい普通だなんて言える。フェイトには衝撃だった。

 それはおかしいと思うのに、自分には彼女を納得させるだけの力がない。そのことが悔しかった。単なる無力感だけでなく、ネルを理解しきれない自分への不甲斐なさや、彼女を守れないことへの焦りがあった。

 

 

 翌朝、カルサアを出発しアリアスに着いた。

 ずっとネルを心配していた相棒クレアと再会し、喜びあう様子を見るとほっとした。そして何日かぶりにまともな食事を摂った。ここではヘタに家庭的で貧乏クジな兵士がいるおかげでご飯がおいしいのだ。

 そして食後のティータイムになると、必然的に施術兵器開発にフェイトが協力するかどうかの話になった。

 しかしフェイトは首を振った。フェイトにとっては、施術兵器の開発なんて未だ現実味のない話だった。それでも約束通り王都シランドは目指す。そう言うと、ネルがうつむきがちにフェイトを見た。

「やっぱりシランドへは私が同行するよ。構わないかい、フェイト?」

 フェイトは今更のように訊くネルに微笑んだ。

「当然じゃないですか。それがあなたの任務でしょう?」

「ああ、そうだったね」

 そうして、フェイト、クリフ、ネルの一行はその日のうちにペターニを目指した。

 隣街のペターニへ着いたのはすぐだった。戦争でボロボロになったアリアスと打って変わって、ペターニは人の声がにぎやかで、石畳が太陽に反射してキラキラしていた。ここはゲート大陸の中心に位置する交易都市で、隣国のサンマイト共和国とも貿易が盛んだという。ネルやクリフとは待ち合わせをして街を歩いてみると、確かに店の数も多く、いたるところで行商が客を呼んだりしていた。

 その最中、アミーナという少女に出会ったのはフェイトに衝撃をもたらした。なぜならアミーナは、宇宙ではぐれた幼馴染のソフィアと瓜二つだったからだ。性格こそ違うものの、声まで同じだったので、一瞬記憶喪失になったソフィアなのかと疑ったくらいだ。

 アミーナと話しているうちにソフィアを思い出していると、いつのまにかクリフとネルに見られていたので驚いた。

 アミーナが去り際、咳をしていたのをクリフが見咎めた。

「彼女、何かの病気なのか?」

「さぁ? 軽い風邪を引いてるって言ってたけど」

 ネルが宿を取ってくれたので、それから夜まで自由時間だ。クリフは酒場に、ネルは部下のところへ行った。

 ぶらぶらと街を歩いていると、ふたたびアミーナと会った。街の東南にひとりで暮らしているのだった。アミーナの近所のおばさんが、アミーナのことを支えているらしかった。

 それから街の西側へ行くと、ウェルチという怪しげな女性に職人ギルドに勧誘された。日夜クリエイターを集めて、さまざまな発明を行なったり、仕事を斡旋しているところらしい。ギルドに参加すると小型通信機を渡されたので驚いたが、これを使って発明品の登録や、ギルドとの連絡などを行なうらしい。ネルはこのギルドの存在を知っているのだろうか。

 街をひとまわりすると、ホテルの部屋の前でネルが待っていたので、ギルドのことを訊いてみた。

「ネルさん」

 ホテルの外まで手招きしてネルを連れ出す。

 フェイトは、ホテルのほぼ目の前に位置するその建物を指差した。

「あのギルド、怪しくないですよね?」

 おそるおそる訊いてみる。

「ああ。ちゃんと国が認めたギルドさ。もしかして……登録したのかい?」

 フェイトが頷くと、ネルは呆れたように笑った。

「あんたも物好きだね」

「工房を自由に使っていいと言われて」

「じゃあ試しに、今日の夕食はここで作るかい?」

「えっ、料理作れるの?」

 フェイトがつい驚くと、ネルはあからさまにむくれた。

「あんた、私を何だと思ってるんだい!」

 

 

 ネルは見事な包丁さばきだった。

「すごい……速い……」

 凄まじい速さでキャベツを切っている。あまりに手慣れているので驚いた。

 フェイトがじゃがいもを取り出す頃には玉ねぎを、にんじんを取り出す頃にはほうれん草を切っているので、目を見張るような手際の良さだった。

 ふたりでキッチンに並んでじゃがいもの皮を剥いていると、ネルがふいに微笑んだ。

「フフ……」

「なんです?」

「アミーナのこと。仲良いね。あんたがあんなふうに笑うとは思わなかったよ」

 何か冗談を言って笑っていたのだろうか。自分ではおぼえていなかったが、そんなところまで見られていたのかと思うと動揺した。

「出会ったばっかりだし、幼馴染にそっくりで……」

「それも古い殺し文句だね」

「本当だって!」

 つい甘えた口調になってしまって、ネルはますます笑った。それがまた悔しい。

 だがネルは静かに言った。

「それだけ、幼馴染とも仲が良いんだろうなって、羨ましかったよ」

「え……?」

 羨ましかった、なんて言われると思わなくて、フェイトは思わずネルを見た。

 いつものシーハーツの隠密としての険しさはなく、ひとりの女性としてのやわらかさがある。

 不意に、フェイトの視線がネルの右腕に落ちた。

 袖の隙間、昨夜自分が薬を塗った傷痕。白い肌に痛々しく残るそれを、ネルは気づいたふうでもなく、ただ楽しそうに鍋を火にかけ始めた。

 コモンサポートスペルの本、今日中に意地でも読み切ってやろう。フェイトは手元のじゃがいもをぎゅっと握りしめ、そうひそかに決意しながら横顔を見つめていると、

「ほら、手を動かしな!」

 と檄が飛んできた。

 鍋に野菜を放り込んで煮込む。鍋の様子を見ながら、ふたりでカウンターに腰かけた。工房の中は、煮える鍋の音と、外からの人の声。たまに鳥が通り過ぎていく。それだけだ。

「それにしても、私の前ではあんたは怒ってばかりだったから、安心したよ」

「僕も……ネルさんと、こうやって穏やかに話すの、初めてじゃないかな」

「私じゃ不満かい?」

「そうじゃないけど……平和だなって」

「平和……か。本当にそうだといいんだけどね」

 フェイトは失言したと焦った。

「すみません」

「いや、構わない。あんたには本来、関係の無いことだしね。でも、シランドまでは一緒に行ってもらうよ」

「わかってます」

 シランドまで同行する理由を、改めて突きつけられた気がした。それを忘れて、つい浮かれてしまった。無神経だったと反省しながら横目で見ると、ネルもまた申し訳なさそうに口を開いた。

「ルム肉がなくて、すまないね」

 ルム肉ってなんだ。

「べつに、いいですけど」

「本当はルム肉が一番美味しいんだけど、今はペターニでも手に入らない、貴重な肉なんだ。ルムはアーリグリフにしかいないからね」

「ああ……じゃあ、アーリグリフに勝たないとだめってことか」

「ああ。そして、アーリグリフに勝つには、あんたの力が必要なんだ。あんたにしかできない」

「力……僕にしかできない……」

 彼女が求めている、自分の力。フェイトは拳を握りしめた。

 出来上がったカレーはクリフも呼んで食べた。カレーは絶品で、フェイトは感動した。すぐさまテレグラフで登録しながら、ペロリと完食したのだった。

 初めて食べたネルの料理だった。

 

 

 おばさんから、アミーナがダグラスの森で倒れたと聞いたのは翌朝、シランドへ向かう直前だった。急いで頂上まで駆けつけると、アミーナの意識はなく、腕に抱いて帰ることにした。

 早く帰らなきゃと気が急くのに、モンスターは次々に現れる。

 ふいにグレープバインが目の前に現れて、急いでアミーナを木陰に置いた。アミーナを抱く腕が疲れて戦闘中も腕に力が入らない。震える手で剣を抜こうとする間に、ネルが躊躇なく前に出た。グレープバインが激しく木の蔓を振り回す。ことごとくネルに当たって、フェイトは思わず叫びながらフィールドに出た。

「今の避けられたでしょう!?」

「避けたら後ろに当たってた」

 剣を振るいながら、ああ、まただとフェイトは思った。ネルは本当にそういう生き方しかできない。

 この人は止めても止まらない。

 だったら自分が並ぶしかない。フェイトはネルの前に出て、剣を振り抜いた。

 木の根が容赦なく地面を突き破る。

「ネルさん、アミーナをお願いします! 僕はこいつを!」

 フェイトは根っこを避けながら、グレープバインに振りかぶった。枝を一本叩き割る。グレープバインは怒ったように蔓を振り回した。

 グレープバインを倒すと、ネルがアミーナをおんぶしていた。

「すみません、代わります」

「いいよ。交代しながら行こう」

 そう言って先を歩くネルを追いかけて、ヒーリングを唱えた。ネルの細かい傷が、みるみる治癒していく。

「あれ? あんた、それ……」

「おぼえたんです、コモンサポートスペル」

 フェイトは少し得意げに言った。

「もっとも、アミーナには効きそうにないけど」

 アミーナは依然、気を失ったままだった。

 ペターニのアミーナの家へ着くと、すぐさまアミーナを医者に見せた。だがアミーナは思っていたよりも重病らしかった。医者が芳しくない顔をする。

 近所のおばさんは天涯孤独のアミーナに同情して悔しそうに嘆いた。アミーナの両親が死んだのも、アミーナの平穏な暮らしが奪われたのも何もかも戦争のせいだ、と。

 ネルは、「だからこそ、このくだらない戦争を終わらせなければいけない」と言った。

 おばさんは頷いた。自分にもっと力があれば、アーリグリフをやっつけてやれるのにと拳さえ振り回した。

 フェイトはその様子を見て、呟いた。

「力、か……」

 ──あんたたちの力を貸してほしいのさ。

 ネルに初対面で言われた言葉が去来する。

 その時、アミーナが目を覚ました。

 ネルはアミーナの体調を心配し、体調が悪くなったらすぐ医者にかかるよう言った。

 診療代を心配するアミーナに、ネルが話はつけてあると言った。それでも恐縮するアミーナに、しばらく押し問答のようなやりとりが続いた。それでフェイトは、以前アミーナが話していた幼馴染に会うために、病気を治すように言った。そして自分は、やるべきことができたから、と。

 フェイトは、シーハーツに協力することを決めた。

 おばさんの悔しさとアミーナの想い、そしてネルの献身だった。どれが欠けても、決断できなかったかもしれない。

 他人にできなくて、自分にできることがある。

 この戦争を終わらせるために、求められている力を使う。やると決めた。

 フェイトはシランドで施術兵器を開発することにした。

 ネルは急に上機嫌だった。中央広場でフェイトとクリフにアイスクリームを奢ってくれた。

「いいってネル、気にすんなよ」

「いいさ。せめてもの気持ちさ」

 アイスクリームを舐めながら、シランドへの道のりを歩く。フェイトも心なしか歩みが軽かった。

 次の日シランド城内の施術兵器研究所で、ディオンと出会った。眼鏡をかけた好青年で、フェイトはすぐに好感を持った。そして施術兵器の開発を進めるうち、アミーナがシランドにひとりで来たらしく、また倒れていたところを、ずっとはぐれていたミラージュが発見したのだった。

 とりあえず近くの宿へ運んでネルが医者を呼んだ。

 その間にも、戦火が迫っていた。ネルが今後の作戦やディオンがアリアスで施術兵器の指揮を執ることを話していると、眠っていたアミーナがディオンの名を聞き咎めた。

 アミーナはディオンの幼馴染だった。

 だからアミーナはわざわざシランドへ来たのだと、フェイトは納得がいった。急いでディオンを連れてきて、再会を果たした様子を見ていると、フェイトも自分の幼馴染であるソフィアや、行方不明の父のことを思い出してしまった。どうしているのかわからないと、不安ばかりが募る。

 そんなフェイトを見かねたネルは、

「こんなに巻き込んでしまってすまないね」

 と眉を顰めた。

「すぐにでもお父さんを探しに行きたいだろうにさ」

 と。けれど、どのみち今は探しに行ける術もない。今できることをする。その気持ちに変わりはなかった。

 それからディオンも交え、今後の相談を改めてした。ディオンはアミーナと会い、ますます機運が高まったようだった。

 別れ際、みんなの輪から外れてディオンと話した。

「ディオン、本当によかったよ」

「フェイトさん。アミーナのこと、ありがとうございました」

「お礼を言われるほどのことじゃないよ。アミーナが自力で来たんだ」

 するとディオンは急にひそひそ声になった。

「ネル様のことも、ありがとうございます」

「そんな、ネルさんに助けられているのは僕の方だよ」

 フェイトも同じように囁く。

「実は……あの方は無茶をされるから、みんなが心配してるんです」

「ああ、わかるよ」

 フェイトは思わず苦笑した。ネルを心配しているのは自分だけではない、というとほっとするような複雑な思いがした。

 ディオンはいっそう小声になった。

「止められる時は、止めてあげてください」

 ディオンのその言葉に、フェイトは思わず目を伏せた。

 止められるだろうか。

 フェイトが寝ている間、ひとり出ていったネルのことを思った。

 あの人は、止まらない。たとえ傷だらけになっても。

「……せめて」

 思わず漏れる。

「失わないようにしたい……彼女を」

 ディオンは意外そうに眼鏡をかけ直した。

「そうですか……僕もです。アミーナを」

 唇を引き結ぶディオンを、フェイトは眩しく感じて目を細めた。まっすぐに守りたい相手の名を口にできるディオンが少し羨ましかった。

「それじゃ、僕も急ぎますので」

「ああ。アリアスで会おう」

 手を振ってディオンと別れた。

 

 

 ついにシーハーツとアーリグリフの戦争が始まる。その前夜のことだった。

 夕食はネルのおごりで大きなステーキだった。しかも、兵士全員分となると結構な量だ。

「ネルさん、さすがにサイフが痛んでるんじゃないですか」

 こっそりと聞いたら、

「……かなりね」

 と小さく答えるネルが可笑しかった。

 施術兵器の完成をきっかけに、ネルの気が大きくなっていたのだ。

 クレアが号令をかけ、みんなでテーブルを囲む。ちょうどよく味つけされた大きなステーキをいっせいに頬張った。なごやかに笑うみんなの頭の中には、戦争のことがあるはずだ。それでもみんなつゆほどもお首に出さずたらふく食べた。

 クリフやタイネーブなどはおかわりほしさに揉み合っていたほどだ。

「こら。おかわりは十分あるから、揉めるんじゃないよ」

 ネルが温かい目で笑っていた。

 ヘタに家庭的で貧乏クジな兵士だけが右に左にと走り回っていた。給料を上げてあげてほしいものだ、とフェイトは内心同情した。

 ふと、フェイトの皿に大ぶりのステーキが追加された。

「え?」

 見上げると、トングを持ったネルが隣に立っていた。

「あんた、さっきから手が止まってるじゃないか。明日は身体を動かすんだ、しっかり食べな」

「あ、ありがとうございます……!」

 げっぷをこらえながらネルの皿を見ると、みんなに配るのを優先したせいか、少し冷めた肉が申し訳程度に載っているだけだった。いつもそうだ。この人は、こういう時まで自分を最後尾に置く。

 ネルは気づいた様子もなく、ふっといたずらっぽく微笑んだ。

「ルム肉じゃなくて、すまないね」

 ペターニの工房で交わした会話を思い出す。彼女もおぼえていたのだと思うと、フェイトの胸がじんわりとあたたかくなる。

「いえ、すごく美味しいです……それに、アーリグリフに勝てば、今度は本物のルム肉が食べられるんでしょう?」

「フフ……そうだね。勝たなきゃね」

 ネルはそう言って、ガツガツとおかわりを要求するクリフたちの喧騒を見つめた。その横顔は、本当に大切なものを見守るような、優しい目をしている。

「……誰も死ぬんじゃないよ」

 ぽつりと、喧騒にかき消されそうな声でネルがつぶやいた。

 その言葉が、タイネーブたちだけでなく、ひとりひとりの兵士、クレアや、クリフ、そして自分に向けられたものだと分かって、フェイトはごくりと肉を飲み込んだ。

 このあいだ、ディオンと交わした言葉が耳の奥でよみがえる。

 ──止められる時は、止めてあげてください。

 ──失わないようにしたい……彼女を。

 ネルは、みんなを守ると言った。

 だったら、僕は──

 遠くで、ヘタに家庭的で貧乏クジな兵士が

「ああっ! クリフさんそれ私の分の肉です!」

 と悲鳴を上げている。

 明日になれば、嫌でも戦火に身を投じることになる。だけど、今この瞬間だけは、肉の焼けるいい匂いと、彼女の穏やかな横顔だけが、フェイトの世界のすべてだと思った。

 

 

 夜中、ふと目が覚めた。

 隣のベッドのクリフを見ると、いびきをかいていない。それなのに、なんで目が覚めたのだろうと首を振った。戦争を前にして、ナーバスになっているのだろうか。これじゃ本当に寝不足で戦に負けてしまう。

 しばらくぼーっと天井を眺めていたが、埒が明かないのでそっと部屋を出る。

 屋敷の中はみんな寝静まって、しんとしていた。

 確か隣の部屋にネルがいるはずだった。そっとノックをする。中から返事が聞こえた。まだ起きていたのか。

 ドアを開けると、ネルはテーブルで書き物をしていた。

「ネルさん、早く寝ないと明日に響きますよ」

「それはあんたもじゃないかい?」

「あ……」

 速攻で返されて、フェイトは思わず頭を搔いた。

「……なんだか、眠れなくて」

「子守歌でも聴きに来たかい?」

「子供扱いしないでください」

「フフ」

 フェイトがむくれると、ネルは軽く笑った。対等になりたいのに。まだなれてないのか。

 この国の戦争を終わらせるために、ここまで来た。戦争によって不幸な目に遭っている人を少しでも減らすために、自分が力になれるのなら。

 でも今になって自分に何ができるのか、考えるとわからなくなってくる。

 施術兵器はある程度完成させた。剣の点検もした。前よりもずっと強くなっている気がするし、アーリグリフとも対等に渡り合えるようになった。

 それなのに、なぜ手が震えるんだろう。フェイトは拳をぎゅっと握った。

 書き物をしていたネルは、トントンと紙をそろえて、ファイルに挟んだ。それからフェイトに向き直りじっと目を覗き込んできた。彼女はまるでこちらをすべて見透かすかのように真剣な目を向けてくる。でもそれが今は心地よかった。

「怖いのかい?」

「……少し」

 フェイトが正直に答えると、ネルの表情がやわらかくなった。

「それでいいんだよ。怖くなくなったら終わりだからね」

 ネルは微笑みさえ浮かべて、フェイトの臆病な部分を受け入れるかのようだった。

「僕は戦いたいんです。そのために今日までやって来た。でも、自分に何ができるのか、何を失うのか、わからなくなる」

「ああ……わかるよ」

 ネルは静かに言った。フェイトはネルを見返す。

「ネルさんも、怖いんですか?」

 ネルはまっすぐに言った。

「怖いさ。怖くてもやるしかない」

 フェイトは普段の戦闘でのネルを思い浮かべていた。変幻自在に見える攻撃、ピンチにはいつだって駆けつけてくれる。でも人一倍怯みやすい。この人は特別強いんじゃない。怖いまま進んでるんだ。

 ネルと話していると、不思議とフェイトの胸の奥が鎮まっていく。明日がどんなに怖くても、仲間と一緒なら切り開ける気がしてきた。

 ネルがファイルを持って立ち上がった。

「さぁおやすみ。また明日ね」

「明日、無茶しないでください」

「それはあんた次第だね」

「死なないでください」

「それは約束できないね」

 ネルが苦笑いして、少し気まずそうにする。フェイトは微笑んだ。

「……おやすみなさい、ネルさん」

「おやすみ、フェイト」

 ドアをそっと閉めた。

 フェイトはベッドに入って、心に決めた。

 絶対死なせない。ネルも、誰も。

 

 

 夜明けと共に、戦争が開始された。

 土ぼこり舞い立つアイレの丘を走り抜ける。

 どこもかしこも漆黒兵と前線の兵士が揉み合うように戦っていた。漆黒兵が剣を振るい、疾風のエアードラゴンが上から襲ってくる。その合間をくぐり抜けるようにしながら、フェイトたちは最奥にいるであろう疾風の首級、ヴォックスを目指した。

 血で汚れた泥に、何度も足を取られそうになる。敵の血か、味方の血か、流れてしまったあとではもうわからない。

 フェイトは戦場の中に、昨日一緒に食卓を囲んだ兵士を見つけた。あっと思った瞬間には、槍で喉を突かれていた。フェイトは打ちのめされて、思わず足が止まる。敵が槍の先を振るうと、血しぶきが胸まで垂れていた。

「フェイト、何してるんだい! 行くよ!」

 ネルが叫ぶ。その声で我に返る。考えている暇はない。走るしかなかった。

 疾風の団長ヴォックスはやはり最奥のカルサア近辺にいた。ネルが短く頷いた。フェイトも頷き返す。

 この戦争を始めたのは元々このヴォックスの強い進言があったからだとネルに聞いた。くせ者揃いのアーリグリフの中でもタカ派もタカ派、ヴォックスはまるで戦争を楽しむかのように優雅にエアードラゴンに乗って、まるでフェイトたちを迎え入れるようだ。

 フェイトたちはいっせいにヴォックスの下に駆けつけた。

 ネルがドスを効かせた声で叫ぶ。

「ヴォックス! ここがあんたの死に場所だよ。覚悟しな!」

 ヴォックスはまるで動じずに高笑いした。

「威勢のいいことだ。その度胸に免じてお前たちは私自ら葬ってやろう!」

 エアードラゴンが火を噴いた。

 激しい熱風がアイレの丘を焼き焦がす。

「おっと、トカゲのブレスにしちゃあ上等じゃねえか!」

 クリフが挑戦的に笑うが、あまりの熱風に肌がヒリヒリした。これではまともに近寄れない。

「散りな!」

 ネルの声と同時にフェイトは横へ跳んだ。炎が地を焼き、熱風が頬を裂く。着地と同時にフェイトは地を蹴る。

「クリフ!」

「おう!」

 剣がエアードラゴンの顎を跳ね上げ、その隙にネルの凍牙がヴォックスへ走る。

「効かぬわ!」

 ヴォックスはエアードラゴンの凍結対策を入念にしているらしい。一般的なエアードラゴンに有効なネルの凍牙が効果を発揮しない。

 だがその衝撃で炎がおさまった瞬間にクリフはすかさずヴォックスの足元へ肉薄した。大きく振りかぶった拳が空気をもぎ取るような音を立てて、エアードラゴンの太い前脚を殴りつける。

 フェイトも高く飛び上がり、エアードラゴンの腹に剣を突き刺した。しかし硬い皮膚がそれを跳ね返した。重い。腕が痺れるほどの衝撃。

 すかさずヴォックスの槍が頭上を飛んでくる。

「フェイト!」

 ネルが叫びながら、ヴォックスめがけて黒鷹旋を飛ばした。

 だがヴォックスは左手でエアードラゴンの手綱を引き、すんでのところで避ける。

「甘い、シーハーツの隠密め!」

「チッ……」

 ヴォックスの合図とともに、エアードラゴンが不自然な角度で尾を払った。凄まじい質量兵器と化した尾が、ネルの真横から迫る。

「あっ」

 フェイトは走り出したが、間に合わない。

 ネルは後ろに飛び退いたが、エアードラゴンの巨大な尾が手からダガーを揺り落とした。

 今が好機とばかりに、ヴォックスがネルを狙って急降下する。エアードラゴンと背後の岩の狭間で、ネルが手首を庇うように持っていた。

 ──止められる時は、止めてあげてください。

 ディオンの声が、耳の奥でこだまする。

「動け……!」

 フェイトは叫んでいた。思考よりも先に身体が動く。ネルの前にすべり込み、剣を泥に突き立ててシールドのように構える。

 ドン、と視界が真っ赤になるほどの衝撃がフェイトを襲った。喉の奥に血の味が広がる。だが、一歩も引かなかった。

「フェイト……!?」

 怯みからさめたネルの声が聞こえる。

「死なせない……!」

 その時クリフの打撃が決まったのか、エアードラゴンがバランスを崩した。その隙を狙って、エアードラゴンの顔に蹴りをお見舞いする。ネルが落としたダガーを拾い、影祓いを撃った。エアードラゴン全体が衝撃波に揺れ、大きくバランスを崩して地面に倒れた。

「おのれ、うっとうしい !」

 ヴォックスが槍を振り上げ、エアードラゴンの頭を殴る。

「!?」

 早く動けとばかりに殴られたエアードラゴンは、悲鳴を上げながら身震いした。

「そこをどけ! フェイト、ネル!」

 クリフがヴォックスの後ろで飛び上がる。フェイトとネルは左右に散った。

「マイトハンマー!」

 クリフの投げ落とした衝撃波が、ヴォックスの背中を襲った。

「ぐぅ……!」

 しかしヴォックスのエアードラゴンはふたたび飛んだ。凄まじい羽音が空を切っていく。

「なかなかやる。こうでなくては面白くない!」

 ヴォックスは体勢を立て直して余裕を見せる。

 フェイトはふたたび剣を握りしめた。

 その時だった。

 まばゆい光線がヴォックスを貫いた。

 あまりのまぶしさに目が痛くなる。フェイトは目を覆って後ずさった。

 最初、ふたりのうちのどちらかの技かと思った。だが、その光線は空から撃ち抜かれていた。何より人間の出せる光線ではない。

「えっ……!?」

 その時、雲の間から巨大な宇宙船が現れた。

「これは……!」

 クリフが驚いたように空を見上げる。戦っていた兵士の誰もが手を止めて、空を見上げた。赤い船体の、戦闘機だった。それはフェイトが今までの旅で何度も見た──バンデーン艦だった。

「なんでここに!?」

 フェイトは驚愕の目を見張った。こんな辺境の惑星に一体なぜ彼らが。

 あわてて施術兵器がバンデーン艦を狙った。疾風のエアードラゴンがバンデーン艦にいっせいに飛来し火を噴いた。だがバンデーン艦は強力なシールドではじき返し、びくともしない。

 バンデーン艦は、無尽蔵に戦場を攻撃し始めた。

 悲鳴が上がる。衝撃が足下から上がる。血しぶきが上がる。

 誰も彼もが逃げ惑い、パニックになった。

 バンデーン艦はとんでもない力で戦場を一気にめちゃくちゃにした。次々に人が死んでいく。

 フェイトは口からこぼれ出ようとする悲鳴を呑み込んだ。なんでこんなことに、なんでバンデーンが。

 わけのわからないまま、戦場に立ち尽くした。

 ネルが駆け寄ろうとした施術士が爆破され、ネルはあわてて歩を止める。兵糧の樽の上に、施術士の身体が力なく乗っかった。

 後方で指揮を執っていたディオンの声がする。

「みんな、撤退しろ! 施術兵器は放っておいていいから行くんだ!」

 そんなディオンの身体が激しい攻撃によって倒れた。ディオンの悲鳴がフェイトの耳に鳴り響く。

 兵士が、仲間が倒れていく。

「やめろ……もうやめてくれ……」

 フェイトはあまりのことに頭を抱えた。バンデーン艦は容赦なく戦場を襲った。みんなが、倒れていく。

 突然、肩をつかまれた。クリフだった。

「何してんだフェイト! 逃げるぞ、奴らの狙いは──」

「狙い?」

 フェイトはクリフの言葉を聞き咎めた。

「お前、まさか、バンデーンの狙いは──」

 雲の間からバンデーン艦が覗いた時から、薄々感じていたバンデーンが行く先々で現れる理由。

 ハイダ四号星や輸送艦ヘルアが、そしてここエリクール二号星が攻撃されている理由。

 フェイトはクリフにすがりつくようにつかみかかった。

「まさか、バンデーンの狙いは……この僕だっていうのか?」

 言った瞬間、ストンと腑に落ちた。と同時に凄まじい恐怖がフェイトを襲ってきた。

 ──僕のせいなのか。

「落ち着け! これには事情が──」

 クリフがあわてたように言うが、フェイトは否定しないクリフに愕然として耳に入らない。

「やっぱり、そうなんだな! そうか、全部僕が原因だったんだ!」

 今もクリフの後ろで、視界の端で、至るところに転がっている仲間の死体の原因は。

 でも、どうしてもわからなかった。バンデーンは自分に何を求めているんだ。自分に何の力があって、自分になんの価値があるというのか。

 フェイトは思いきり叫んだ。

「僕は一体、なんだっていうんだよ!」

 その時、急速に視界が澄み渡って、額が熱くなるような感じがした。頭を抱えるが、それよりも全身の血が騒いで、力がみなぎってきた。

 何が起こっているのか、考えることもできなかった。

「フェイト!?」

 ネルの悲痛な声だけが、耳に残った。

 

 

 

 長い闇を見ていた気がする。

 どこまでも深遠なる闇の世界。どこにも、何も見えず、藻掻いている感覚だけがあった。

 身体が鉛のように重い。

 それが現実の感覚だと知ったのは、ネルの声を聞いたからだった。

 ゆっくりと瞼を開く。ネルの背中が目に飛び込んできた。赤毛に青い縞のマフラー、赤い剣の鞘、黒装束。

 胸にあふれたあたたかい感覚に、意識が急速に戻り始める。

 ──よかった、生きてた。

 フェイトは重い身体を動かして、起き上がった。

 ここはシランド城の一室だった。

「あ……気がついたね」

 男性兵士と話していたネルは、フェイトの気配にすぐさま気がついて振り向いた。横にはクリフもいた。

「よかった。もう目を覚まさないのかと思ったよ」

 ネルの目が少し赤かった。黒装束には乾いた血がこびりついたままだった。ずっと見ていてくれたのだろうか。

「バンデーンは──」

「それより、身体は大丈夫かい?」

 大丈夫、と言おうとして、全身が筋肉痛のように痛んだ。

「……なんだか、身体中が痛いよ」

 何日眠っていたのだろう。喉がカラカラだった。

 フェイトは戦場でのことを思い出す。バンデーンの攻撃によって兵士が倒れ、施術士が倒れ、ディオンが倒れた。

「──そうだ、ディオン! ディオンはどうなったんです?」

 フェイトは布団を跳ね除けて立ち上がった。足がガクガクする。

「まだ寝ていた方がいいよ」

 ネルが心配するが、フェイトはそれよりディオンがどうなったのか聞きたかった。

 フェイトの剣幕に、ネルは諦めたように首を振った。

 ディオンの部屋へ行くと、ディオンは一応息をしている、というだけの重傷だった。フェイトは言葉を詰まらせる。それはそうだ、バンデーン艦の攻撃に、生身の人間が耐えられるはずがない。医者がつきっきりで施力をディオンの身体に施していたが、もう長くはないと誰もがわかる状態だった。

「ディオン、がんばれ! 今アミーナを連れてくるから!」

 フェイトは今ふたりを会わせなければ一生後悔すると思った。宿屋で療養しているアミーナを半ば無理やり連れ出してきた。

 ネルがその様子を心配そうに見守っている。

 アミーナとディオンは、手を握りあって再会を喜んだ。その声もふたりともかすれていて、まともに喋れていない。それでもふたりが話している様子を、フェイトは見ていた。アミーナがディオンの頬に触れる。優しい時間だった。

 ディオンは息も絶え絶えに話しながら、フェイトたちを見た。微笑んだように見えた。

「会えて……よかった……」

そこで息が途切れる。

 次の瞬間、ディオンが力を失ってベッドに沈みこんだ。それに縋るように、アミーナの身体も崩れ落ちる。

「えっ……」

 フェイトはまさかと思った。寄り添いあったふたりの顔を覗き込む。

 ディオンとアミーナは死んでいた。

「うそだろ……」

 フェイトは後ずさった。部屋中がしんと静まり返る。

 この世に、こんな絶望があるのかと思った。せっかく会えたのに、やっと会えたのに。

 いつかのネルの言葉が頭の中を去来した。

 ──私一人が死ぬことよりもマシな現実がどこにあるんだい。

 フェイトは思わず叫んだ。

 喉の奥から、無限に声が出てくる。

 叫んで、また額の奥が焼けるように熱くなる自分を、ネルが後ろから必死に抱きしめていた。後ろから回された腕が震えていた。

 押さえ込むように強く抱きしめられる。

 まるで離せば壊れてしまうみたいに。

 

 

 フェイトは部屋に戻って、どうしようもない悔しさを噛み締めていた。

 命はもう戻らない。自分がこの星にこなければ、ディオンが、兵士が、施術士が凶弾に倒れることはなかったのに。

 ──自分のせいだ。

 その考えが深く頭をもたげた。

 握りしめた手が震える。身体中から血の匂いが取れない気がして、頭をこすった。

 ──何もかも、自分のせいだ。

 クリフが止めに入るが、耳に入らなかった。

 その時、「星の船がまた現れた」という情報が城中を飛び交った。

 逃げればまた誰かが死ぬ。

 残ればまた狙われる。

 ゆっくりしている暇はない。

 フェイトはバンデーンに投降するしか、道はないのではないかと思い始めた。

 

 

 しかし、フェイトの目の前に現れたのは、クォークのリーダーであるマリアという少女だった。自分のことをなんでも知っているので驚いた。

 バンデーンを消し去ったのも、フェイトの特別な力であること、自分とマリアは兵器であること、紋章遺伝子学者である父の実験によるものだと知らされた。

 あまりに衝撃的なことばかり知らされるので、この少女は何を言っているのだろうと悩んだ。しかし、全部辻褄が合っていたし、認めるしかない事実であった。

 そしてバンデーンには、父だけでなく、幼馴染のソフィアまで捕らわれていることも知った。

 ──父さんだけじゃない、ソフィアもいるんだ。

 助けに行かなきゃ。フェイトは強く思った。

 クォークの戦艦、ディプロに乗り込むまでの手順を具体的に話し合う。またバンデーン艦が襲いに来る恐れがあった。その時に、追い払えるだけの兵器がこの星にあるのか。フェイトとクリフは開発した施術兵器、サンダーアローのことを同時に思い浮かべた。サンダーアローさえあれば、ディプロに乗り込むまでの五分間の時間が稼げるかもしれない。

 だが、そうやって思えば思うほど、ネルのことが頭に思い浮かんだ。彼女の背中が、まるでどこかへ行ってしまうみたいに遠ざかる。行くのは自分の方なのに。

 だが当の彼女は、突然発覚した宇宙人の話に驚きこそすれ動じた様子はなかった。

 事情はよくわからないが、自分から陛下を説得してみると言ってくれた。そして、変わらずフェイトとクリフのことを「信じてる」と言ってくれた。そんな彼女の言葉が、フェイトの胸をあたたかくした。

 そんな折、聖殿カナンにバンデーン兵が侵入したとふたたび城がパニックになった。先日の戦争中、残党が聖殿カナンに乗りつけ、侵入していったという。その狙いは、宇宙でも観測史上類を見ない波形をしたまぎれもないオーパーツであり、シーハーツの至宝『聖珠セフィラ』と見て間違いなかった。

 フェイトはバンデーンをこの星に招いた責任を感じ、自らセフィラ奪還を申し出た。

 すると、仲間たちがみんな、フェイトに同行すると言ってくれた。

「みんな……」

 こんな自分を、まだ見捨てないのか。

 何としてでも、守ってみせる。

 もうそれしか、この星のためにできることはないような気がした。

 

 

 聖殿カナンへの道は、ネルが礼拝堂から封印洞への隠し通路を開けてくれた。もう何百年ものあいだ誰も通ることのなかった完全に秘密の場所だという。

 長い廊下を歩いている時、ネルがフェイトに話しかけてきた。

「無理するんじゃないよ」

「……無理しないと追いつけない」

「ひとりで背負いこんでどうするのさ」

 ネルは少し怒ったように言った。フェイトは何も答えられなかった。

 フェイトは仲間たちと、まずは封印洞へ入った。

 封印洞の中は、長年の間に棲みついたモンスターがうろついていた。

 フェイトはメイジに斬りかかった。敵を斬り伏せても、フェイトは止まらない。次の敵、その次の敵へと突っ込んでいった。

「フェイト!」

 ネルの声にも反応が遅れる。背後からフローティングアーマーの斧が斬りかかってきた。ネルが割り込む。

「……っ!」

「ネルさん!?」

 ネルは短いダガーで斧の軌道を弾いた。クリフが拳を叩き込み、フローティングアーマーをおびき寄せる。

「前しか見えてないよ」

 ネルが低い声で言った。フェイトが息を呑む。

「……すみません」

「謝らなくていい。生き残りな」

 ネルの優しい声が胸に痛かった。

 自分のせいだと思うばかりに急ぎすぎて、仲間と連携が取れていなかった。これでは命取りだ。

 フェイトは深呼吸した。心を落ち着けよう。

 やがて聖殿カナンへ着くと、男性兵士が倒れていた。急いで駆け寄るネルの後を追う。またひとり部下を失ったネルの背中を見るのはつらかった。

 そしてついに聖殿カナンの最奥部へ辿り着いた。ネルがドアに張り付き、様子を窺う。何人かのバンデーン兵の話し声がすると言った。

「行くよ!」

 その声を合図にドアを開け、フェイトたちはいっせいに小部屋に入った。

 バンデーン兵は予想通り、四人でセフィラを囲んでいたが、フェイトの姿を認めると、「探しに行く手間が省けたぞ!」と凄んだ。

 そしてバンデーン兵が、エリミネートライフルを撃ってきた。その軌道は、一番前にいたネルを狙っていた。

「危ない!」

 フェイトはとっさにネルを突き飛ばした。弾丸は肩スレスレを飛んでいった。そのまま間合いを詰める。バンデーン兵の腕を斬りつけて、手に持った銃を振り落とした。すかさずネルが後ろからダガーを飛ばす。ダガーがバンデーン兵の頭に刺さり、バンデーン兵は後ろに倒れた。

 ネルはすぐさまフェイトにヒーリングした。

「大丈夫かい?」

「うん」

 フェイトは短く返事する。バンデーン兵は残り三人となった。ネルが飛び上がりながらダガーを握る。

「背中は任せたよ」

「ああ!」

 縦横する弾丸を右に左に避けながら、フェイトたちはなんとかバンデーン兵を全員倒すことができた。

 セフィラは変わらず、流れる聖水の中で揺れている。

 これがオーパーツだなんて不思議な気分だったが、マリアがクォッドスキャナーで確認したところ、やはり相当なエネルギー波を放っていることに間違いはなかった。

 ネルがしみじみと言った。

「とにかくセフィラが無事でよかったよ。これで陛下を悲しませないですむ」

「ああ」

 フェイトは微笑んだ。ネルが心配するのは、いつだって大切な人のことだ。

「早くシランドに戻って、陛下にセフィラの無事を知らせよう」

「ああ」

 ネルは頷いた。

 小部屋を出る時、ネルがフェイトの肩に手を置いた。

「あんたがいてくれてよかった」

 そう微笑む彼女に、フェイトは思わず胸が詰まった。

 フェイトは嬉しいような、罪悪感に潰れそうな想いで胸がぐちゃぐちゃになった。何も言えないまま、ただ黙って、来た道を戻っていた。

 仲間たちが話している道中も、フェイトは何も話せなかった。

 封印洞の手前で、ネルが突然振り返った。優しい顔をしていた。

「ありがとう。セフィラを守ることができたのは、あんたたちのおかげさ」

 ネルは、セフィラ奪還の感謝の言葉を仲間たちに伝えた。フェイトはまっすぐな言葉が照れくさい反面、それを素直に受け取れなかった。

 ──あんたがいてくれてよかった

 さっきのネルの言葉がよみがえる。

 自分がここにいるせいで襲われた聖殿カナンのことを思うと、胸が苦しくなる。

「僕のせいなんだ」

 フェイトが苦しくなって、吐き出すように言った。するとネルが否定した。

「それは違うね」

 バンデーンがここに来たのは、バンデーンの意思だとネルは言った。

「あんたのせいじゃない」

「ネルさん……」

 ネルは、ネルの知らない世界の話をした。この星以外にも、いろいろな世界があるのだということを。

「セフィラはその中でもめずらしい『おーぱーつ』ってやつらしいじゃないか」

 ネルはいずれ誰かがその力を求めてやってきたかもしれないと話した。そしてそれが今だったことも。

「だから、あんたは気にするんじゃないよ」

「ネルさん……」

 フェイトはしばらく、ネルから目を離せなかった。

 

 ネルの話を終えて、シランドへの帰り道の封印洞へ入る

 ──あんたのせいじゃない

 さっき言われたことが胸によみがえる。

「ネルさん……」

 フェイトは口の中でつぶやいた。

 この人はどれだけの修羅場をくぐり抜けてきたんだろう。ネルはフェイトの責任感や罪悪感の構造を知っていた。ずっとそうやって生きてきたんだ。だからフェイトの責任も罪悪感も解きほぐしてしまう。ネルは優しい顔で振り向いた。

 フェイトは照れくさくなって、首を振った。

「……なんでもないです」

 フェイトは思った。確かに傷ついたかもしれない。ボロボロになったかもしれない。失ったかもしれない。

 それでも進むしかない。痛みを抱えても、立つしかないんだ。

 先を歩くネルの姿を見る。

 傷ついて、怖くて、失って、それでも立ち止まらない人。

 ──怖くてもやるしかない。

 戦争前夜、ネルが言った言葉。今ならその意味がわかるような気がした。

 失った命は戻らない。それでも、この手で守れるものがまだある。きっとそれが、ネルの言う“任務”なのかもしれない。

 フェイトは前を向いた。

 振り向いたネルの指先が、フェイトの裾を軽く引いた。

「なんだい? 置いていくよ」

 その上目遣いが思いのほか近くて、フェイトは照れて微笑んだ。

「ネルさん」

「なんだい?」

「もう、あなた一人で背負わせません」

 フェイトの言葉に、ネルは目を丸くした。それから少しだけ困ったように笑った。

「最初からそのつもりだっただろ?」

 ネルがフェイトを小突く。フェイトは笑った。

 ネルと並んで歩いた。肩が触れそうなくらい、ギリギリの距離だった。

 やっとここに来たと思った。


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