オール・フォー・ワンから逃げきる方法について 作:ヒロアカは青春…?
俺を現実へと引き戻したのは冷たい血の雨だった。
「…コレでキミは─もう忘れることができなくなったね?」
彼女の言葉は心臓を貫いた相手へと呟くにしてはあまりにも情愛に満ちていることがわかってしまう。後悔と逡巡は無駄と切り捨てなければならないというのに、どうにも動くことができない。
(離れないと…)
心に強くそう念じたところで爪も頭も働かない。全てが蜃気楼のようにつかみどころがなくなっていくのがわかる。
「そう。ボクの声だけに耳を傾ければいいのさ。人を殺したくなかった純粋なヒーローじゃもうない」
「認めない」
首を弱々しく振ったところで目の前の彼女が流す血は止まらないし、綺麗な赤が滴り落ちて芳醇な匂いが鉄と共に鼻へとつく。
否定できない。どこか一つ白かったものが黒が垂れて無駄になっていく。
「キミはボクを殺してどう思ってるのか─あぁ、やっぱり悔やんでて喜んでいる。キミとボクは同類なんだね」
細白い腕が冥府へと引きずり込むように己の顔に血をつける。冷たくなっている血なのにそこから段々と熱さを帯びてくる。
「ほら、堕ちてくるのは愉しい。ボクに取り憑かれていたらもっと嬉しい。そう、だから、だからね─」
喜色の笑みで失われていく命は、最後すらも笑みは崩さなかった。殺したいと決めていたその女は、確実に今殺したことがわかった。
「キミは最悪のヴィランになれる」
わかって、しまった。
「…あーあ、どうしよ」
霧の森ではなくなった、誰もいない廃工場。自分の後継として造られていった脳無を悉く破壊しながら爪についた血を払う。下手に舐めたりして人の味を覚えてしまえば残った理性も消し飛んでしまうことは容易に想像がつく。
(見た目もわかんない…いや、正確に言えば自信がないだけだが)
自らが今『普通』に戻って、響香お姉ちゃんがいるような平和な日常を続けられるか。その答えは考えるまでもなく否であるし、殺人衝動を抑えられないならば近い将来で破綻するのが確かだろう。
「わかっては、いたんだけどね」
もともと個性に『ジャック・ザ・リッパー』があった以上、始めてしまえば取り返しのつかないのだ。
最初の獲物を殺してしまえば、そこから先は捕まることがない殺人。どこまでもジャック・ザ・リッパーらしくしなければならない以上、こっからは何人も殺していくのだろう。
(…無意識に殺すのだけは、嫌だな)
せめてもの罪滅ぼしとして、世間で言う犯罪者だけを殺したい。あくまで叶わない願いだと知りつつ祈ることしかできない自分を恨む。
チャッと誰かが南京錠を開ける音。足音でどんな人間が来たのかわかった時点で相当制御が利いていないだろう。
「雪和くん!」
「来んじゃねえ、緑谷出久」
軽く手を振っただけで霧の刃が彼の頬を掠めた。薄皮1枚だけを切り裂いたソレは、彼の横にいる同行者にも恐怖を伝播させる。
「俺は轟に言ったはずだぞ。
上に備え付けてあってライトのワイヤーを霧の刃で断ち切る。力加減そのものすらできない個性─あるいは、あの頃と同じ生存しなければならない強迫感。
(どっちでもいい。俺が背負うべき罰なのだから)
あの時の自分を思い出すわけでもない。ただ深く重い霧のように存在そのものが許せないというだけなのだ。
「これは癇癪であり、殺人鬼に許された唯一の贖罪である」
言葉を出した先から体が崩れる。体躯すらも思うがままに動かせはしない。五体満足でいられる時間もどれだけあるだろうか。
(…いいや、そんなことももう考える意味なんてないか)
ひたすらに心地よさだけを求めて柔らかな肢体を切り裂きたい。眼の前に用意された極上の肉を味わい尽くしたい。
激情の制御なんざもう辛うじての範疇でしか行えはしない。行ってすらしていない。怒りと希望をただ力のままに示すのをこらえる程度。
「
言葉と共に意識を失う。
…本当の願いなんて、口から出ていないけれど。
霧の中で眠るかのような、そんな怖じ気が心の臓から湧き上がった。