ようこそメスガキのいる教室へ 作:イシガキ
『俺が、俺が悪いのか? 俺の稼いだ金で暮らして愚痴ばかりだな? 何様だお前は!?』
『すぐにイライラして怒鳴り散らす。頭弱いんじゃない? 父親としての自覚もちなさいよ』
『なんだと!? 頭がスッカスカの雑魚が黙ってろよ!』
『はぁ? 雑魚はそっちでしょ? 馬鹿みたいに大きい声出せば私がひるむと思ってんの!?』
ぱぱとままのけんか、おわらないかな。
なかよしがいいな。なかよしがうれしいな。
おみみに手をあてても、おこったこえはきこえてきてかなしかった。
よわよわ。すかすか。ざこ。ざぁこ。
きっとわるいことばじゃない。
だいすきなぱぱと、ままがつかうことばだから。
*
「――人は死ぬのに、なぜ生きるの?」
唐突な問いかけで、意識が現実の教室へと引き戻された。
机に突っ伏していた俺がわずかに視線を動かすと、隣の席で頬杖をついた彼女が瞬き一つせずに虚空を見つめていた。
俺が何事かと反応するよりも早く、彼女は一人芝居を開始する。
「お゛っ♡ 鬱♡」
「お゛♡ 薬飲まないと♡」
甘城は虚空から何かを摘むような仕草をすると、それを口に運んでゴクリと飲み込む動作をした。
「ちゃんと飲めたねえらいぞわたし♡」
「けれど私は私の一部にすぎない」
「……うん。知ってる♡」
誰に向けて発信しているのかもわからない、完全に自己完結した対話。
彼女の精神構造は、明らかに常人のそれから逸脱している。
「
高度育成高校に入学して、約一ヶ月。
Dクラス内の人間関係は、すでに明確な派閥を形成しつつあった。
男子の中心は平田洋介、女子の中心は軽井沢恵。
それに誰もが好意を抱く櫛田桔梗が潤滑油として機能し、クラスの生態系は出来上がりつつある。
だが、その生態系から完全に逸脱した『例外』が一つだけ存在する。
俺の隣の席で、日々虚空に向かって意味不明な言葉を垂れ流しているピンク色のツインテール。
甘城理愛だ。
彼女は中学生時代、ティーン向けファッション誌の読者モデルを務めていた経歴を持つ。
その洗練された愛らしい容姿は、客観的に見ても軽井沢や櫛田をも凌駕するポテンシャルを秘めている。
誰もが彼女を取り囲もうとした。仲良くなろうとした。有名人の甘城理愛と。
だが、雑誌の光沢紙越しでは決して伝わらない致命的な本質――その『破綻した精神構造と語彙力』によって、彼女は周囲を無差別に薙ぎ払った。
『カフェ♡ 空間と時間の浪費♡ タピオカとかいう炭水化物の
『連絡先♡ 私のパーソナルデータはアナハイム社管轄♡ 基礎スペックがデバフ状態のモブ兵が私の
謎の用語と哲学とネットミームをミキサーにかけ、感情の起伏なくフルオートで射出する暴言マシン。
結果として、彼女はクラス中のあらゆるコミュニティから「触れてはいけない歩く災害」と認識され、見事に孤立した。
あの櫛田ですら、彼女との接触には明確な手こずりを見せている。
「……私の無防備な顔面への熱烈な視線確認♡ 圧倒的美少女というカント的『
不意に、虚空を見つめていた甘城がこちらへ顔を向けた。
一切の感情が読み取れない瞳で俺を真っ直ぐに見据え、息をするように煽ってくる。
どうやら、俺が彼女の孤立具合を眺めていたことに気がついたらしい。
「ただの人間観察だ。……今やこのクラスで、俺以外にお前へ干渉しようとする人間がいないからな」
「意味不明♡ 私が他のモブと相互作用しないのは意図的な選択♡ 私という特異点はきよぴーという『
甘城は薄く笑いながら、俺の机の上に身を乗り出してきた。
彼女が俺に対してどのような過去の記憶や幻影を投影しているのかは定かではない。俺にとって重要なのは、誰とも群れないこの少女の存在が、周囲の面倒な人間関係を遮断する『強力な防壁』として機能しているという事実だけだ。
ただし、その防壁が強固すぎるがゆえに、平穏な学生生活の隠れ蓑として必要な『無害な交友関係』の構築すら阻害されているのは、看過できない障害だったが。
放課後の教室には、まだ何人かの生徒が残って談笑している。
そんな中、俺の席の前に冷ややかな気配が立った。
「……綾小路くん。須藤くんたちの赤点を回避するための勉強会に、あなたも参加しなさい。彼らには決定的に基礎学力が不足しているわ。このまま退学者を出せば、クラスポイントに致命的な影響が出る」
堀北鈴音が、相変わらずの隙のない態度で見下ろしてくる。
彼女の指摘は事実だが、俺がその面倒事に巻き込まれる義理はない。適当な理由をつけて断ろうとした、その時だった。
「はい、ここで一句♡ イキるほど、講釈たれる、ザコかな♡ ……季語は『ザコ(春の訪れ)』♡」
俺の隣から、感情の死滅した声が割り込んだ。
甘城が机に突っ伏したまま、堀北に向かってビシッと指を突きつける。
「学力の差とかウダウダ言うの、解像度低すぎ♡ インダストリアル7宙域でスタークジェガンがあのピーマン(クシャトリヤ)に肉薄できた理由♡ それはミサイルパージによるデッドウェイト削減♡ ファンネル無効のインファイトに持ち込んだ『名も無きエース』の戦術的
息継ぎすら感じさせない、無機質な単語の羅列。
真面目で論理的な堀北が、虫の羽音でも聞かされたかのように不快げに眉をひそめた。
「要するに♡ きよぴーこそが連邦の『名も無きエース』という絶対的
「……全くもって、意味がわからないわね。言語によるコミュニケーションを放棄しているのかしら」
堀北は冷たくそう言い捨てた。
彼女の論理的思考において、甘城の言葉は解読する価値すらないノイズとして処理されたらしい。
だが、そのゴミ山のようなノイズの中に紛れ込んでいた『優秀な誰か』という単語にだけは、彼女の目が微かに、しかし確かな敵意を伴って鋭く細められた。
しかし、俺の思考は堀北の抱える背景とは全く別の部分にフォーカスしていた。
ここ一ヶ月、隣で延々と垂れ流される無駄な知識のせいで、俺の脳はこのふざけた言語体系の文脈を半ば強制的に学習してしまっている。
「……甘城。一つ聞きたいんだが」
「なに♡ ついに私の圧倒的知性に降伏♡」
「お前が今言った『メンヘラジオン残党』という組織についてだ。俺の知識が正しければ『メンヘラ』とは精神的に極めて不安定な人間を指す言葉だったはずだ。構成員が全員精神不安定な状態で形成された軍事組織が、極度の感情的起伏や自傷リスクを抱えたまま、一体どうやって指揮系統や最前線の
仮にも戦争を遂行する組織であるなら、メンタルコントロールができない兵士を部隊単位で集めるなど、組織的な自己崩壊を待つようなものだ。俺の至極客観的な事実確認を聞いた瞬間。
ピタッ、と甘城の動きが止まった。
彼女はピンク色の瞳で俺の顔をまじまじと見つめると。
「……wwwwwwww」
絶対に気のせいだと思うが、イラっとした気がした。
「ただのアニメの煽りに対して、メンヘラ軍隊の指揮系統と
「……正気を疑うわ。二人揃って、論理的思考が完全に欠如しているのね」
「おい、俺まで一緒にするな」
呆れ果てたような声が降ってきた。
見れば、堀北がこめかみを指で押さえながら、小さくため息をついていた。
「こんな騒がしい空間で、建設的な話し合いが成立するはずがないわ。綾小路くん、勉強会の件はまた改めて聞きに行くわ。そこの彼女が存在しない場所でね」
これ以上の対話は無益と判断したらしい。
堀北は俺たちに冷ややかな視線を一瞥し、戦略的撤退を選ぶように教室を出ていった。
「あは♡ 逃亡確認♡ 私の実存主義的オーラに耐えきれず敗走♡ ざぁこ♡ 完全勝利♡」
残された空間で、甘城が淡々と勝利宣言をする。
「意味不明♡ 私が助けた事実♡ きよぴーは私という特異点に束縛済み♡ 他のメスと相互作用する権利なし♡ 感謝と崇拝必須♡ ざぁこ♡」
彼女の袖を引っ張る手が肌に触れる、温かな感触。
「……もう隣にいるだろ。少し静かにしてくれないか」
俺は淡々と告げた。
「目的が済んだなら、これ以上騒ぎ立てる必要はないはずだ」
俺としては『すでに隣にいるのだから、大人しくしてくれ』という、ごく単純な事実を指摘しただけだった。
数秒の硬直の後。 甘城の頬が、わずかに熱を持ったように赤く染まった。
それでも彼女は表情を崩さず、いつも通りの早口で全く噛み合わない詭弁を紡ぎ出す。
「顔面温度の上昇♡ きよぴーが『私の隣の占有権』を肯定したという事実に安堵した心理的バイアスなど一切存在しない事実♡ しかし隣接空間の占有が確定した以上、次のフェーズへの移行は必然♡ つまり実質的なデートの合意♡」
「……は?」
「きよぴーは私の専用ザコだから、今すぐ私をゲーセンとご飯にエスコートする義務が発生♡ クレーンゲームでの接待プレイと、カロリーの無償提供を要求する♡ ざぁこ♡ エスコートおそい♡ 早く行くよ♡」
俺の至極真っ当な指摘は、彼女のバグった脳内で完全に都合よく変換されてしまったらしい。
「意味がわからないんだが」
「解像度低すぎ♡ ざぁこ♡ 早く♡」
俺の袖を引っ張る手が、先ほどよりも少しだけ強くなる。
そこから漂うフローラル系の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
俺は『普通の友達を作って平穏な学生生活を送る』という目的が達成できない理由を、この一ヶ月間、隣にいるこの歩く災害のせいにしてきた。
だが、本当はわかっている。
自分から積極的に他者と関係を築く努力をしていない以上、彼女の存在は俺にとって『友達ができない都合のいい言い訳』でしかないのだ。
どうやら今日のところは、これ以上の静寂を取り戻すことは不可能らしい。
「……わかった。行くぞ」
俺が小さくため息をついて立ち上がると、甘城は「ざぁこ♡ エスコートおそい♡」と淡々と勝ち誇った。
耳元でやかましく響く甘城の声、夕暮れの廊下に伸びる二つの影。
とんでもない爆弾に目をつけられたものだと思う。
だが――なぜだろうか。
この面倒で騒がしいだけの状況を、心のどこかで『悪くないな』と感じてしまっている自分がいる。
俺はその小さな矛盾を胸の奥に沈め、やかましいピンク色の頭と並んで歩き出した。
ハイライト的にイベントの要所要所でメスガキを投入してみるね