「お待たせしました。」
倉庫の扉が開き、一人の女性が姿を現した。
先ほどまで毛皮をまとっていた姿とは打って変わり、今は質素な巡礼服を身に着けている。
「グェンさん、村にある服で一番サイズが合ったのがこれだったんです。」
エンリが少し申し訳なさそうに言う。
「いいんですよ。」
クレマンティーヌは柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。」
そのまま武蔵の前まで歩いていく。
「それでは武蔵さん、参りましょう。」
自然な動作で武蔵の腕を抱く。
「待ちなさい。」
鋭い声が飛んだ。
ナーベである。
クレマンティーヌは反射的に振り向く。
「え? げ!」
ナーベも思わず声を漏らした。
「ゲ!?」
一瞬だけ二人の間に妙な沈黙が流れる。
クレマンティーヌは慌てて笑顔を作った。
「い、いえ、何でもありません。」
「どちら様でしょう?」
(げぇぇぇっ!!)
(スケリトルドラゴンを狩った化け物じゃん!)
(なんでここにいるのよ!!)
冷や汗が止まらない。
その様子に気づかないエンリが間へ入る。
「あ、グェンさん。この方はナーベラルさん。」
「以前、うちのンフィーレアが薬草を採りに行った時に護衛してくださった方なんです。」
「双子のお姉さん……でしたっけ?」
「そう。」
ナーベは平然とうなずいた。
「双子よ。」
「そ、そうですか……。」
(双子!?)
(似すぎでしょ!)
(絶対本人じゃないの!?)
クレマンティーヌは必死に笑顔を保つ。
ナーベはじっと彼女を見つめた。
「あなた。」
「この変態とどういう関係?」
武蔵が「誰が変態じゃ」とぼやくが、誰も聞いていない。
クレマンティーヌは胸に手を当てた。
「関係といっても……。」
「命を助けていただいただけです。」
「服まで用意してくださって……。」
しおらしく微笑む。
「それにしては随分馴れ馴れしいわね。」
ナーベの視線は鋭い。
まるで相手の心の中まで見透かそうとしているようだった。
「い、いえ。」
クレマンティーヌは慌てて首を振る。
「私は服も頂きましたし、このまま巡礼の旅へ戻ろうかと……。」
(よし。)
(ここで逃げる!)
(この二人がいるとか絶対ヤバい!)
一歩後ろへ下がろうとした、その時。
「少しいいか。」
武蔵が口を開いた。
「お主、この村にしばらく滞在してくれんか。」
「……え?」
クレマンティーヌの笑顔が固まる。
「実はな。」
「わしは文字が読めん。」
「地図を読ませてみて、改めて不便じゃと思った。」
「簡単ないろはだけでも教えてくれんか。」
「…………。」
クレマンティーヌの頭が高速回転する。
(いやいやいや。)
(ここに居たら絶対正体がバレる!)
「あ、でも……。」
「巡礼がありますので。」
「信者の皆さんが待っていますし……。」
そっと後ずさろうとした。
武蔵が静かに言う。
「ほう。」
「どこに信者がおるんじゃ。」
「……。」
「
その名を呼ばれた瞬間。
空気が凍った。
「……え?」
エンリが目を丸くする。
ナーベも片眉を上げた。
クレマンティーヌだけが、笑顔のまま固まっていた。
「く、クレマンティーヌって誰デスカ?」
片言になっている。
武蔵はため息をついた。
「ごまかさんでもよい。」
「お主が、あの時のクレマンティーヌであることは、とっくに分かっておる。」
「…………。」
「証拠は二つ。」
武蔵は指を一本立てる。
「一つ。」
「首の傷。」
思わずクレマンティーヌは首元を押さえた。
そこには、武蔵に斬られた時の細い傷跡が、今も薄く残っている。
「そして二つ。」
武蔵は静かに笑った。
「お主。」
「最初から、わしの名を知っておった。」
「…………。」
クレマンティーヌの顔から血の気が引く。
「む、武蔵さん。」
「今初めて知りました。」
「素敵なお名前ですね。」
必死の作り笑い。
武蔵は首をかしげる。
「わしが、いつ。」
「お主に武蔵と名乗った?」
「…………。」
一瞬。
完全な沈黙。
(げえええええぇぇぇぇ!!)
(しまったあああああ!!)
クレマンティーヌの脳内で警鐘が鳴り響く。
(やっちゃった!!)
(完全に墓穴掘った!!)
(終わったああああ!!)
顔は笑っている。
だが額からは滝のような汗が流れていた。
その様子を見たエンリは、おそるおそる武蔵を見る。
「武蔵さん……。」
「この人って……。」
武蔵は苦笑した。
「墓場で一度斬った女じゃ。」
「縁とは不思議なものじゃの。」
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「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
クレマンティーヌは地面へ額を擦りつけるように土下座していた。
「もう意味もなく人なんて殺しません!」
「人をいたぶったりもしません!」
「役に立ちます!」
「だから……だから命だけは!」
涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだった。
先ほどまでの余裕も演技も消え失せている。
ただ必死だった。
(死にたくない。)
(この男なら本当に斬る。)
(しかも笑いながらじゃない。)
武蔵は腕を組み、静かに見下ろしている。
ナーベは鼻で笑った。
「このクソ虫。」
「どうするの、変態武蔵。」
「その呼び方やめい。」
武蔵は困ったように頭をかいた。
横ではルプスレギナが楽しそうに犬歯を見せる。
「このままナザリックへ連れて帰るのもアリっすね。」
「色々役に立ってもらえるっす。」
その笑みを見たクレマンティーヌの背筋が凍る。
(いやあああ!!)
(あそこだけは嫌!!)
(絶対拷問コース!!)
(あの骸骨戦士とかいるし!!)
再び勢いよく土下座する。
「お願いします!」
「ナザリックだけは!」
「それだけは勘弁してください!」
ルプスレギナはにやにや笑った。
「おや?」
「ナザリック知ってるんすか?」
「しまっ――」
また失言。
クレマンティーヌは青ざめる。
(私、今日だけで何回墓穴掘ってるの!?)
武蔵はそんなやり取りを見ながら腕を組んでいた。
「ふーむ……。」
少し考えたあと、意外な人物へ視線を向ける。
「おぬしならどうする。」
「エンリ。」
「え?」
突然話を振られ、エンリは目を丸くした。
「わ、私ですか?」
「うむ。」
「この者をどうする。」
エンリは土下座したまま震えているクレマンティーヌを見る。
少し考えてから、おずおずと答えた。
「そうですね……。」
「役に立ちますって言ってますし……。」
「もし本当に反省してるなら……。」
「村で働いてもらうのも、いいかなって。」
武蔵は静かに頷いた。
「そうじゃの。」
「それに。」
「わしも文字を教えてもらいたい。」
その一言で全員が固まる。
「……え?」
クレマンティーヌも顔を上げる。
武蔵はにやりと笑った。
「よし。」
「決めた。」
びしっとクレマンティーヌを指差す。
「クレマン。」
「お主、この村で寺子屋の師匠をせえ。」
「…………。」
「え?」
「寺子屋?」
「そうじゃ。」
「人に読み書きを教える。」
「それがお主の仕事じゃ。」
クレマンティーヌはぽかんとしている。
「私が……先生?」
「そうじゃ。」
「字が読める者は教えられる。」
「読めぬ者は学べる。」
「よい仕事ではないか。」
「…………。」
クレマンティーヌはしばらく呆然としていた
(え。)
(殺されないの?)
(拷問でもない?)
(先生?)
(私が?)
武蔵は続けた。
「反省したと分かれば。」
「あとは好きに生きればよい。」
「人生は一度じゃ。」
「やり直せるなら、その方が面白かろう。」
クレマンティーヌの目から、先ほどとは違う涙が一筋流れた。
「……。」
言葉が出ない。
これまで誰一人、自分にそんなことを言った者はいなかった。
利用する者。
殺そうとする者。
命令する者。
そんな人間ばかりだった。
「……ありがとう。」
小さく漏れたその声は、演技ではなかった。
ナーベは腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。
「甘いわね。」
「変態武蔵。」
武蔵は苦笑した。
「そうかの。」
「人は変われる。」
「そう思いたいだけじゃ。」
ルプスレギナは面白そうに二人を見比べる。
「でも、逃げたらどうするっす?」
武蔵は平然と答えた。
「その時はまた斬る。」
「今度は忘れん。」
その一言に、クレマンティーヌは背筋をぴんと伸ばし、涙目のまま勢いよく頭を下げた。
「に、逃げません!」
「真面目に働きます!」
「先生やります!」
その必死な返事に、エンリは思わず吹き出し、ルプスレギナは腹を抱えて笑い、ナーベだけは呆れたようにため息をつくのだった。