崩れた闘技場。
武蔵の前には、アウラの相棒である巨大な魔獣フェンリルが低く唸っていた。
「グルルル……。」
アウラは武蔵――ナーベの姿を見て尋ねる。
「本当にやる?」
武蔵は静かに頷いた。
「うむ。」
そして真顔で聞く。
「本気を出してもよいのか。」
「!!」
ルプスの顔色が変わる。
(だ、駄目っす!!)
慌てて二人の間へ飛び込んだ。
「ナーちゃん!」
「本気の……。」
少し考えてから言い直す。
「本気のホくらいでお願いするっす!」
武蔵は腕を組む。
「うーーむ。」
「難しいが。」
「やってみるか。」
ルプスは胸を撫で下ろした。
(危なかったっす。)
(本気なんて出したら。)
(フェンリルが粉みじんになるっす。)
アウラは不思議そうに見ている。
「何の話?」
「な、なんでもないっす!」
武蔵はゆっくり前へ出た。
そして。
何も持っていない右手を腰へ。
すっと添える。
まるでそこに刀があるかのように。
「……。」
空気が変わった。
闘技場全体が静まり返る。
ユリが息を呑む。
「これは……。」
ソリュシャンも目を細めた。
「剣が……。」
「見える?」
エントマが小さく震える。
「持ってない……。」
「でも、いる。」
シズが淡々と告げる。
「認識。」
「武器なし。」
「視覚情報。」
「剣あり。」
アウラも思わず後ずさった。
「な、なに……。」
「どうして?」
「剣を持ってないのに。」
「剣を持ってるように見える……。」
武蔵の構えには一切の隙がない。
そこには確かに一本の刀が存在しているようだった。
フェンリルも本能で理解した。
目の前の相手は危険だと。
「グル……。」
飛び掛かれない。
足が止まる。
武蔵は少し笑った。
「どうした。」
「来ぬなら。」
「こちらから行くぞ。」
その一歩。
フェンリルは反射的に飛び出した。
「ガアアアアッ!!」
巨大な牙。
鋭い爪。
凄まじい速度。
プレアデスですら目で追えない。
しかし。
武蔵は一歩も動かなかった。
右手だけが。
すっと動く。
ヒュン。
風が鳴った。
それだけだった。
フェンリルは空中で目を見開き――
「ギャウン!!」
情けない悲鳴を上げる。
ドサリ。
その場に倒れ伏した。
静寂。
「フェン!」
アウラが慌てて駆け寄る。
「大丈夫!?」
フェンリルは目を回しているだけだった。
傷はない。
血も流れていない。
武蔵は空を握った右手をゆっくり下ろす。
「峰打ちじゃ。」
「心配はいらぬ。」
アウラはぽかんとした。
「峰打ち?」
「……刀ないじゃん。」
武蔵は首を傾げる。
「心にある。」
「え?」
「剣とは。」
「持つものではない。」
「己の内に宿すものじゃ。」
その場にいた全員が絶句した。
ルプスは頭を抱える。
(もう隠す気ゼロっす……。)
ユリは静かにため息をつく。
「ナーベ。」
「その台詞だけで。」
「もう誰もあなたをナーベだとは思っていないわ……。」
武蔵だけは不思議そうな顔で首を傾げていた。
「そうか?」
「今のは普通であろう?」
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倒れたフェンリルは気を失っているだけだった。
アウラは胸をなで下ろす。
「よかった……。」
「本当に気絶してるだけだ。」
武蔵は穏やかに頷いた。
「峰打ちじゃ。」
「少し眠ってもらっただけよ。」
プレアデスたちは、その言葉よりも別のことに意識を向けていた。
沈黙。
やがて――
ユリ・アルファが一歩前へ出る。
眼鏡を押し上げ、静かに武蔵を見つめる。
「……ナーベ。」
一拍置いて。
「いいえ。」
「あなた。」
「武蔵さんね。」
その場の空気が固まる。
武蔵は隠す様子もなく頷いた。
「うむ。」
「そうじゃ。」
「…………。」
プレアデス全員が額に手を当てた。
「認めた!」
ソリュシャンが思わず叫ぶ。
「認めましたわ!」
シズが淡々と記録する。
「本人確認。」
「完了。」
エントマが小さく拍手する。
「やっぱり。」
ユリは深いため息をついた。
「ルプス。」
「あなた。」
「最初から分かっていたでしょう。」
ルプスは冷や汗を流す。
「あ、あはは。」
「ユリ姉。」
「聞いてほしいっす。」
「これは。」
「みんなに武技を修練させるためで……。」
「結果的に武技の理解も深まったっす!」
「だから!」
「決して遊んでたわけじゃ――」
「ルプス!」
ユリの一喝が飛ぶ。
「は、はいっす!」
「あなたは途中から完全に面白がっていたでしょう!」
「う……。」
図星だった。
ルプスは目を逸らす。
「ちょっとだけっす。」
「ちょっと?」
「……いっぱいっす。」
ユリは額を押さえた。
「後で詳しく聞きます。」
「ひぃっ。」
一方。
アウラはまだフェンリルを撫でていた。
武蔵が近付く。
「アウラ殿。」
「ん?」
「ほかの魔獣はおらぬのか。」
「もっと立ち会ってみたい。」
その一言で、
アウラはぶんぶんと首を横に振った。
「いい!」
「十分!」
「もう十分だから!」
武蔵は少し残念そうだ。
「そうか。」
「残念じゃ。」
アウラは苦笑いする。
(武蔵相手じゃ。)
(うちの魔獣たち勝てないよ、これ。)
(フェンだってナザリックでもかなり強い方なのに。)
(しかも。)
(今の峰打ちって。)
(刀すら持ってなかったよね……。)
アウラは改めて武蔵を見る。
「……やっぱり。」
「規格外。」
その言葉に、その場の全員が無言で頷いた。
ルプスだけは肩をすくめながら笑う。
「まあ。」
「ナーちゃんじゃなくて武蔵さんだったから納得っす。」
「でも。」
「本物のナーちゃんが戻ってきた時。」
「どう説明するっすかね。」
その場の全員が、
一斉に黙り込んだ。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
武蔵だけが首をかしげる。
「説明?」
「何を説明するのじゃ?」
ユリは思わず空を仰いだ。
「その説明を、これから考えなくてはいけないんです……。」