理想のオリ主生活 作:松尾シオン
カープァ王宮は、南大陸西部にあって一、二を争う大国の宮殿らしく、堂々たる威容を誇っている。
玉葱形の丸屋根がいくつも空へと突き出し、白い大理石を積み上げた壁面は涼しげだが、城内といえば、中庭の噴水の水音と窓から吹き込む風だけが、うだるような酷暑の中で、辛うじて涼を運んでくる。
つまり、とんでもなく暑い。
この大陸に四季という概念はない。
あるのは、止まない雨が打ちつける雨期と、太陽が容赦なく肌を焼く酷暑期。
それだけだ。
そんな酷暑期のカープァ王国で、唯一肌寒く感じるほどの気温の部屋がある。
王宮の奥、後宮の、エアコンを稼働させた寝室で、部屋の主人である善治郎は、エアコンを18度で稼働させているはずなのに、背中に汗を感じながら、妻である女王、アウラ・カープァと向かい合っていた。
どこか気まずい空気の中、アウラが表情を引き締めて、居住まいを正す。
「――さて、ゼンジロウ。改めて確認しておきたい」
女王としての声音に、善治郎もまた、姿勢を正す。
「その方の固有魔法――投影魔術、回復魔法、そして道具作成の力。これは、私と、お前と、二人だけの秘密とする。誰にも――王宮の誰にも、双王国にも、たとえ我が子であるカルロスにすら、決して洩らしてはならぬ」
「うん、わかってる」
「よいか、これは絶対だ。仮にお前が善意から誰かを助けようとして、うっかりこの力の一端でも見せれば、その瞬間、我々の立場と関係は根本から覆る」
アウラの声には、普段の軽妙さはない。
女王として、これから先の国の舵取りに関わる、重い言葉だった。
「……うん、約束する」
善治郎は真っ直ぐにアウラを見て、頷いた。
その錆色の目に、迷いの色はない。
アウラはその様子にしばし目を細めていたが、やがて小さく息を吐き、話題を変えるように問いを重ねた。
「ときに、婿殿。改めて聞くが――何故、そのような力を使えるのだ?」
その問いに、善治郎の肩が、わずかに強張った。
――ここで、転生特典だなんて、口が裂けても言えない。
脳裏に蘇るのは、前世で己が何を願ったかという、あまりにも痛々しい記憶だ。
あんな中二病的な願い事を、愛する妻相手にあかせるはずがない。
善治郎は内心で冷や汗をかきながら、あらかじめ考えていた「もっともらしい理由」を、慎重に口にした。
「……多分だけど。俺の先祖が、元々こういう力を持っていたんじゃないかな。向こうの世界にも魔法の伝承とかはあるから、多分昔は使えたんだと思う。でも、ある時から使えなくなった。それがこっちの世界――魔法が使える環境に俺が移動してから、眠っていた力が頭を強く打ったことがきっかけで、目を覚ました……とか。ごめん、俺もよくわからない」
我ながら苦しい説明だ、と善治郎は思う。
しかし、時空魔法とも、双王国の血統魔法とも別の、独自の力を持つ理由として、他にそれらしい説明が思いつかなかった。
アウラはしばらくの間、値踏みするような視線を善治郎に向けていた。
――腑に落ちぬな。
善治郎は思い出したと言っていた。
それに、突然発現した力のはずなのに、なぜか能力の詳細を把握している。
妙だ。
内心でそう思いながらも、アウラは追及の手を緩めた。
善治郎の言葉の真偽はわからない。
だが、この一年余りの共同生活で、善治郎という男が、自分に嘘をついて何か利益を得ようとするような人間ではないことは、よく知っている。
そもそも、嘘をつくくらいなら、アウラに黙ってさえいれば、このような話し合いになることはなかった。
善治郎はアウラを妻として信頼し、一国の王の配偶者として目覚めた能力を危惧したから、打ち明けてくれたのだろう。
「……ふむ、まあいい。今はそういうことにしておこう。他にそれらしい理由も思いつかぬしな」
アウラはそう言うと、話を切り上げた。
少なくとも、悪意はどこにも感じられない。
それだけで、今は十分だった。
♦︎
それから数日後。
アウラは執務室で、山と積まれた書類に目を通していた。
王国の財政は、未だに大戦の爪痕を色濃く残している。
軍備の再建、荒れた農地の復興、戦争孤児となった子らの救済。
金のかかる案件は、数え上げればきりがない。
国庫の中身は、お世辞にも潤沢とは言えなかった。
だからだろうか。
益体のないことを考えてしまう。
ゼンジロウの能力を使うことができれば、こんなものすぐに補填できるというのに、と。
とはいえ、誰に明かす訳にもいかない能力だ。
割り切るしかない。
小さく息を吐いて、書類から視線を外し、窓の外を見る。
照りつける太陽は相変わらずだったが、後宮の寝室のすごしやすさを一度体験すると、この暑さの方を異常と感じるほどだった。
(昔は外に出て、少し動いただけで息切れする叔父上を不思議に思ったものだが)
脳裏によぎったのは、先王カルロス二世――アウラの叔父の顔だった。
生来病弱だったあの叔父は、幾度となく『治癒の秘石』を使う機会を与えられながらも、それを自身に使うことを、頑なに拒み続けていた。
――なぜお使いにならないのですか、カルロス叔父上。
幼い頃、そう問いかけたアウラに、叔父は困ったように笑ってこう答えたものだ。
『アウラよ。秘石は、私の弱った身体を一時凌がせてはくれるだろう。だが、私の身体そのものが強くなるわけではない。今日、秘石で凌いだところで、明日にはまた別の理由で私の身体は悪くなる。それならば、もっと必要とする者のために取っておくべきだろう』
結局、叔父はその言葉通り、秘石を使うことなく、大戦の終結後しばらくして、アウラのために「異世界召喚」を9割ほど完成させ、この世を去った。
(――もし、あの時秘石が使えたなら)
叔父の命は、もう少し長らえたかもしれない。
大戦で散った、父、兄姉、弟妹も、あるいは。
そこまで考えて、アウラは小さく頭を振った。
詮無きことだ。
治癒の秘石とて万能ではない。
今更悔やんでも、死んだ者は帰らない。
時を司る時空魔法ですら、そのような奇跡を起こすことはできない。
しかし、その時。
アウラの脳裏に、ある可能性が閃いた。
(――ゼンジロウの力があれば)
回復魔法……ではない。
投影魔術。
目に映るものを解析し、その作り方を理解する力。
(もし、あの秘石すらも、複製できるとしたら)
アウラは思わず、手にしていた羽根ペンを、強く握った。
回復魔法は、使ってしまえば必ずどこかからか情報が洩れてしまう。
だからこそ、まだ試してすらいないのだが。
しかし、もともとある治癒の秘石を増やすだけなら……?
もし本当に複製できるのならば、これから先、双王国に大金を積んで秘石を購入する必要がなくなるかもしれない。
――いや、待て。
浮かれかけた思考に、アウラはすぐに冷静な判断を割り込ませる。
この異世界において、治癒魔法や付与魔術は、単なる便利な技術ではない。
医療も科学も未発達なこの世界では、それらは時に、国の存亡すら左右しかねない力だ。
いかに善治郎の力が強力であろうと、そのような技術を双王国になんの断りもなしに使うことは、関係を根本から破壊しかねない、危険な賭けでもある。
双王国を完全に切り捨て、敵に回すことなど、今のカープァ王国には到底できはしない。
(そのあたりの扱いは、慎重にせねばな……)
そう己を戒めながらも、アウラの胸の内には、抑えきれない好奇心が疼いていた。
少なくとも、実験してみる価値はある。
♦︎
その夜、後宮の一室。
メイドたちを全員下がらせ、アウラと善治郎、二人きりになった部屋で、アウラは机の引き出しから、緑色の平たい石を取り出した。
「ゼンジロウ、少し付き合ってもらいたい」
「なに?」
「投影魔術とやらで複製できるのか、試してみたいものがある」
テーブルの上に置かれたのは、掌に収まるほどの、淡い緑色の石――治癒の秘石だった。
善治郎は思わず息を呑んだ。
「これ、治癒の秘石だよね? ……いいの?」
「案ずるな。これの正確な数を知っているのは私だけだ。一つ二つ増えたところでわからんさ」
アウラの言葉に頷きつつも、善治郎は緊張した面持ちで、その秘石に右手をかざした。
――
小さく呟かれた言葉と共に、部屋の空気が張り詰める。
善治郎の周囲に、異質な魔力の気配が満ちる。
やがて、静かに右手を下ろした善治郎は、額に浮かんだ汗を拭いながら、口を開いた。
「……できると思う」
「よし、では試してみてくれ」
アウラの言葉に、善治郎は再びテーブルの上に手をかざし、唱える。
先ほどとは違う、もっと荒々しく、鳥肌が立つような魔力がバチバチと、善治郎から迸る。
やがて、善治郎の手のひらの上に、緑色の石が現れた。
できあがったものを、アウラは慎重に手に取り、光にかざす。
元の治癒の秘石と、寸分違わぬ輝きと質感。
「見事だ、ゼンジロウ。まさしく成功と言ってよいだろう」
アウラは満足げに頷いたが、善治郎は少し疲れた顔で、ソファに背中を預けた。
「うん、成功だけど……正直、剣とかの武器を作るときより、こういうものの方が、なんか魔力の消費が変な感じがするんだよね」
「変な、とは?」
「武器っていうのは、なんていうか……用途がはっきりしてるからかな……なんか作りやすいんだ。でも、そうじゃない魔道具は、武器から離れれば離れるほど、なんか制御にコツがいるっていうか、変に魔力を持っていかれる感じがする」
「ふむ……それがお前の能力の癖、ということか?」
「多分、そうだと思う。だから、正直この秘石、量産って言われると、ちょっと厳しいかな。今日みたいなペースだと、多分、一日に五個くらいが限度だと思う」
一日五個。
アウラはその数字を頭の中で反芻した。
決して多い数字ではない。しかし、双王国から輸入する場合の値段と手間を考えれば、それでも十分すぎるほどの価値がある。
(一日五個か。一月で百五十。それだけあれば……)
脳裏に浮かぶのは、王宮に名を連ねる、高位貴族たちの顔だった。
(この治癒の秘石を、あやつらに高値で売りつければ、王家の財政はかなり潤う。しかも、恩を売っておけば、やかましい奴らの発言力も、少しは削れるやもしれぬ)
大戦で疲弊した国庫を思えば、それは十分に魅力的な妄想だった。
高位貴族に借りを作らせ、彼らの発言力を削ぎながら、王家の懐を潤す。
一石二鳥どころではない。
しかし、次の瞬間、アウラは小さく苦笑を漏らして、その考えを打ち消した。
(落ち着け。無理な話だ)
秘石が突如として市場に大量に出回れば、当然、その出所を疑う者が出てくる。
双王国からの正規の輸入経路以外に、秘石の供給源があると知れれば、それこそ真っ先に疑われるのは、婿殿の存在だ。
目端の利く貴族の何人かは、間違いなくその可能性に思い至るだろう。
誰よりもそのことを、アウラ自身が理解していた。
「……いや、なんでもない。忘れてくれ」
「アウラ?」
「少し、良からぬ皮算用をしてしまっただけだ。気にするな」
怪訝そうな顔をする善治郎に、アウラは苦笑いを浮かべ、話題を切り替えるように、机の上のカップに手を伸ばすと、あるものが目に入る。
善治郎が異世界から持ってきた、いくつかの透明な宝玉。
特に使い所もないというので、飾りとして机の上に布を敷いて置いてある。
蝋燭の火を反射して光るそれらを見て、あることを思い出した。
(――そういえば)
脳裏に蘇ったのは、半年ほど前。
この部屋で行われた、イザベッラ王女との会談の光景だった。
あの日、銀のトレイの上に転がしたビー玉――善治郎が持ち込んだ、あのガラス玉に、イザベッラ王女は異様なほどの執着を見せた。
金貨三十枚を提示し、更には自ら金貨五十枚にまで釣り上げてきた、あの反応。
(あの時は、ただの珍しい宝飾品だと思っていたが……)
アウラは、盆の上の宝玉から、値踏みするような視線を、目の前の善治郎へと向けた。
あの反応は、あまりにも異常だった。
単なる宝飾品としての価値を、明らかに超えていた。
さらに、エスピリディオンから聞いた雷壁の杖の話。
――もしや。
脳裏に浮かんだ可能性に、アウラは思わず身を乗り出した。
「ゼンジロウ、一つ聞きたいのだが」
「な、なに?」
急に真剣な表情になったアウラに、善治郎はわずかに身構える。
「以前、お前の解析魔法とやらで、どのように作られたかが分かる、と言っていたな」
「うん、そうだね」
「ではゼンジロウ――お前が故郷から持ち込んだ、この宝玉。これの作り方も、お前は理解しているのか?」
アウラはひとつガラス玉を手に取り、善治郎に見せながら言った。
善治郎は一瞬きょとんとした顔をしたあと、こともなげに頷いた。
「ん? ああ、ビー玉? うん、わかるよ。解析魔法使わなくても、ガラスの作り方自体はそんな難しくないし、球体にするのも別に特殊な工程があるわけじゃないから」
その言葉に、アウラは思わず息を呑んだ。
脳裏で、目まぐるしく計算が走る。
イザベッラ王女が、自ら値段を釣り上げてまで、一つの宝玉に金貨五十枚もの値をつけた理由。
それはきっと、あの宝玉が、双王国の技術では再現できない、何か特別な価値を持っているからに違いない。
しかし、ここで一つ引っ掛かる。
「婿殿よ。以前、宝玉が金貨50枚になったと話した時にはそのようなことを言わなかったな」
「え?」
「これが人の手で作れるものだと言わなかったであろう!」
「あ! いや、違うってアウラ! あの時はビー玉をそんな高くで取引されちゃったことにびっくりして、下手に口出しするのもよくないと思ったんだって!」
妻に机越しに襟首を掴み上げられ、焦りながら善治郎は弁明する。
金貨50枚といえば、この世界ではそこそこ立派な屋敷がひとつ建ってしまうレベルのお金だ。
「その宝玉、うちの地元だと子どもの遊び道具にしかならないですよ(笑)」なんて言えなかった善治郎は、ただ神妙な顔で平静を装い「そっか。それならよかった」などの当たり障りのない言及に終始した。
どうどう、と猛竜をあやすような身振りの夫の頭をゲンコツで小突いた後、アウラは再び落ち着きを取り戻し、思考を再開する。
もし本当に、宝玉の複製が――量産が可能だというのなら。
(双王国相手に交渉の主導権を握れるやもしれぬ)
これまで、魔道具はその希少さ故に、常に双王国側の言い値で買わされてきた。
予約しても半年待ちは当たり前、時には小国の国庫が傾きかねぬほどの値段がつくことすらある。
そんな相手に対し、初めて対等な――いや、それ以上の立場で交渉に臨めるかもしれない。
上手くいけば、ゼンジロウの魔法を認めさせることさえ――
その可能性を思い描いた瞬間、アウラの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
まるで、獲物を前にした肉食獣のような、剥き出しの笑みだった。
善治郎が思わずたじろぐほどの迫力に、しかしアウラはまるで気づく様子もなく、上機嫌な口調で続けた。
「婿殿、頼みがある」
「な、なんでしょう」
突然の豹変ぶりに戸惑いながらも、善治郎はどこか嫌な予感を覚えつつ、姿勢を正す。
「――あの宝玉を、量産してはもらえぬか」
告げられた言葉に、善治郎はしばし呆気に取られたように黙り込んだあと、どこか楽しげな苦笑を浮かべた。
「はいはい、りょーかい。でもそれって俺が投影するだけじゃダメなの? それならすぐにいくらでも作れるけど」
「状況によってはそれも良いが、実際に人の手によって作れることの方が重要だな」
「ふーん……まあ別に材料も珍しいものじゃないし、普通に作れると思うよ」
「まことか!?」
「ちょっと準備がいるけど、問題ないと思う」
「さすがは我が婿殿だ!」
「うわっ、ちょ、アウラ!?」
先ほどとは打って変わって、喜び勇んで机の上を飛び越えて抱きついてきた妻を受け止め、夫はグエーッと呻いた。
窓の外では、酷暑の夜を彩る、無数の星が瞬いている。
カープァ王国の未来を大きく左右するかもしれない企みが、こうしてまた一つ、女王と、その夫の間だけの秘密として、静かに動き出したのだった。