大本営。それは、対深海戦艦のために用意された艦娘達を統率するための場所である。
そんな中、肩を組みながら椅子に座り、静かに目を瞑っている老人がいた。
その人物は、大本営のトップである参謀総長であった。
そんな総長は普段はキリッとした顔をしているのだが、今は疲れたような顔をして小さく呟いた。
「……どうするべきか……」
……悩みの種とは一つの鎮守府のことである。鎮守府には艦娘達が何人も存在しており、人類の敵である深海戦艦から守るべく動いてくれているのだが、指揮官がいなければ意味がない。
そんな指揮官は、提督と呼ばれ命がけで現場の指揮を取らなければならない。そして、その提督は厳正なる調査を経て選ばれる……
それならばここまで苦労はしていない。提督にも適正というものが存在し、人類にはその適正を持っている人間はごく僅かである。選んでいる余裕など今はないのだ。
参謀総長は深く息を吐いた。
机の上には一枚の報告書が置かれていた。もう何度読んだかわからない。読むたびに、胃が重くなる。
「……始末書ではなく、彼のやってきたことの後始末が必要だったな……」
誰にともなく呟いた言葉に、側に控えていた部下が静かに応じた。
「参謀総長。舞鶴鎮守府、前提督の件ですが。本日付けで更迭処分が完了しました」
「そうか」
総長は目を閉じた。
舞鶴鎮守府前提督。その男がやらかしたことは、一言では済まない。
まず金だ。艦娘たちへの補給物資費、修繕費、演習費。名目上は全て鎮守府運営のために使われるはずの予算が、気づけば半分以上消えていた。
調査してみれば私腹を肥やすために使われていたことが発覚した。艦娘たちが満足に補給も受けられない中、男はシャブや風俗、高級料理など、贅沢の限りを尽くしていた。
次に任務だ。難しい海域、損耗リスクの高い作戦。男はそういった任務を全て他の鎮守府に押し付け、自分は安全な場所から命令だけを下していた。失敗すれば艦娘のせいにした。成功すれば自分の手柄にした。
そして艦娘への扱いだ。
報告書の該当箇所を、総長はもう読みたくなかった。
補給を罰として取り上げる。深夜まで無意味な待機を強制する。気に入らなければ怒鳴り、時には手を上げることもあったという。
艦娘たちは誰も上に報告しなかった。報告しても無駄だと思っていたのか。それとも、報告すること自体を恐れていたのか。
結局、発覚したのは外部からの告発だった。
「……なぜもっと早く気づけなかった」
「申し訳ございません」
「君を責めているわけではない」
総長は自分自身を責めていた。気づけなかった自分の愚かさを。
総長は目を開けた。窓の外には、鉛色の海が広がっている。いつもは綺麗だと思う色が、今は漆黒に染まっているような幻覚にとらわれた。
「それで。後任はどうする」
部下が一瞬、躊躇うように間を置いた。
「……適性保有者のリストを改めて精査いたしました」
「それで」
「成人保有者は、既に全員他の鎮守府に配属済みです」
総長は静かに部下を見た。
「つまり」
「はい」
差し出された書類を受け取る。名前と、年齢を確認する。
十四歳。中学一年生。
「……子供ではないか」
「適性値は高いようです。現保有者の中でも上位に入ります」
総長は黙った。
舞鶴鎮守府の艦娘たちは今も提督なしで任務をこなしている。前提督が去ってから既に三ヶ月。いつまで持つかわからない。もはや崩壊しかけているのかもしれない。
「……その鎮守府の現状は」
「把握しております」
その答えの短さが、全てを物語っていた。
総長は長い息を吐いた。書類の中の名前をもう一度見た。
「……すまない……」
命令書に判を押す手が、わずかに震えていた。
―――
呼び出されたのは、何でもない火曜日だった。
休み時間になったので僕は友達とトランプをして遊んでいた。
さっきの授業まで眠気がすごかったのに、今はもう頭がすっきりしている。
「やった!勝った!」
「だーー!負けたー!」
「ぐぬあーー!!!」
「ちくしょー!!」
友達が頭を抱えている。僕らはババ抜きをして遊んでいた。結果は僕の一人抜け。一人でも抜けたら終了、というルールで4人ほどで楽しんでいた。
参加メンバーは、僕、西崎、吉本、橋田だ。
周りには他にも友達がおり、僕らのババ抜きを見物している。
「くっそ!今吉本が勝つと思ってたのに!俺の賭け分がぁぁぁ!」
「うわぁ!私西崎に賭けてたのにぃぃ!」
皆が思い思い叫ぶ中、クラスのムードメーカー、有野が僕の肩をぽんぽんと叩いて皆に勝ち誇っていた。
「はっはっはっ!俺は最初からこいつに賭けてた!残念だったな敗北者共!」
「なんだと!!!!」
「ふざけるなー!!!!」
「俺も賭けとけばよかったぁぁ!」
ハッハッハと勝ち誇ったように笑っているアリ。
最初は皆アリを睨みつけていたが、次第に僕らも全員アリに釣られて笑った。
……ああ、楽しい。僕らはこうやって、気楽で、勉強に少し苦しめられながらも、楽しい日々を毎日送る。
平日は勉強をして休みの日は遊ぶ。楽しんだ者勝ちだ。
……本当に、楽しい生活だ。これからも、毎日続いていくのだろう。
……しかし、日常とはとても呆気なく崩壊する。まるで、水中に霧散する泡のように……
もう一度トランプをしよう、そう皆で決めた瞬間、肩に手を置かれた。
「なぁ、ちょっと職員室まで来てくれるか」
いつの間にか、担任の田中先生が微笑みながら僕の肩を叩いていた。
「えっ、僕ですか?」
「そうそう、お前お前」
僕は首を傾げながら立ち上がった。
「え~!せっかく本気出してやろうと思ったのに!」
「戻ってきたらまたやろうぜ」
「早く戻ってこいよー!」
先生は、そう文句を垂れている皆になんともいえない、表情をしながら職員室まで僕を連れて行った。
……後ろから響いてくる皆の声が、今はやけに遠く感じられた。
……僕が職員室へと連れて行かれる心当たりがない。僕は何かしてしまったのだろうか?
宿題は出してるし、トラブルを起こしたこともない。廊下も走ってないし、学校にお金を持ってきたこともない。本当に、全く心当たりがなかった。
職員室についていくと、田中先生の隣に見知らぬ男が立っていた。軍服姿で、表情がなくて、なんだか空気ごと固まってるみたいな人だった。
「君が適性保有者か」
いきなりそう言われた。
「……はい?」
「提督適性を持つ人間だ。君がそうだと確認が取れている」
提督、という言葉は知っていた。艦娘を指揮して深海棲艦と戦う人のこと。ニュースでたまに見かけたが、かっこいいとは微塵も思わなかった。それどころか、めんどくさそうな仕事だな、と感じていた。
でもまさか自分がその適性を持っているとは、これっぽっちも思っていなかった。
「え、僕がですか」
「そうだ」
「なんで今まで僕が知らなかったんですか」
「調査の結果、今回初めて判明した」
男は答えながら、田中先生に書類を差し出した。先生はそれを受け取って、一度だけ僕を見た。
その顔が、少し変だった。困ったような、申し訳なさそうな、でも何も言えないような顔。
「転属命令は既に発令済みだ」
「転属って……学校は?」
「休学扱いになる。問題ない」
「あの、鎮守府ってどんなところですか」
男は一瞬だけ間を置いた。
「行けば分かる」
……答えになっていないのだが。
「……あの、いつ行くんですか」
「今すぐだ」
「え」
「車が外で待っている。荷物はない。行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください、着替えとか——」
「必要ない。全て鎮守府で支給される」
田中先生を振り返った。先生はまた、あの顔をしていた。何も言えないような、申し訳なさそうな顔。
「先生……」
「……頑張れよ」
それだけだった。
廊下を歩きながら、僕はなんとなく教室の方を振り返った。何となく、友達の笑い声が、もう二度と僕の方へと届かない気がして。
黒い色をした車に乗った。車内は僕一人ではもったいないほどのスペースがある。取り敢えず座ってみる。ふかふかだ。上質なものなのだろうとすぐにわかった。
「大本営までは時間がかかる。ゆっくりしててくれ」
「……はい」
こんな状況でゆっくりできるかな?と僕は思いながら少しの間考えた。
適正とは何なのだろうか。まぁ、これは流石に僕でも知っている。今は世界的に艦娘を率いる存在……提督が不足している。
そのため、全国民がデータを取られるのだ。ここから成人で適正を持っている人を探していくらしい。
だが、僕はまだ中学生だ。そんな僕が、提督に……?
僕は閃いた。そうだ、これはドッキリなのだろう。中学生に日本の未来を預けるなどという自殺行為をさせるはずなどない。これは今日の夜くらいに、テレビで放送されるのではないのだろうか。
そう考えると緊張がほぐれてきた。暇なので少し運転手さんと話してみようか。
「あの」
「……なんだ」
運転手さんは前を向いたまま答えた。ミラー越しに目が合う。鋭い目だった。
「鎮守府って、海の近くですか」
「……そうだ」
「じゃあ、艦娘の皆さんって毎日海が見えるんですね。いいなあ」
運転手さんは沈黙した。それは、言葉を探しているかのような間だった。
「……そうだな」
「運転手さんって、艦娘の人たちと会ったことありますか」
「……ああ、あるぞ」
「どんな人たちでしたか」
答えが返ってくるまで、少し時間がかかった。
「……良い子達だ。君も直ぐ打ち解けられるさ。」
「へぇ〜。僕は仲良くなれますかね?」
運転手さんは答えなかった。ただ、微笑んでくれた。
ミラー越しの目が前へと戻る。まあ、いいか。着いたら会えるし。
窓の外を眺めた。街並みがだんだん変わって、海が見え始めていた。
その後も、運転手さんと話をした。好きな食べ物は、とか、音楽、だとか。そんな、くだらない話を1時間ほど続けた。良い暇つぶしになった。
―――
……この子は純粋すぎる。車を運転しながら彼と話している時、俺はそう思った。
余りにも無邪気で、悪意をまったくと言っていいほどに感じないのだ。
子供ならば、普通のことなのかもしれない。だが、彼が今から行く場所は文字通りの地獄だ。
……この子は、耐えられるのだろうか……
―――
大本営、というのは思ったより大きかった。
車が門をくぐった瞬間、思わず窓に顔を近づけた。大きい。とにかく大きい。学校の体育館が何個入るんだろう、と考えたけど、数え切れなかった。プールなら数えられるかもしれない。
「着いたぞ」
「ありがとうございました」
ちゃんとお礼を言って降りる。お礼を言うのは当たり前の事だと、本で見たことがあった。そこから僕はお礼を言うことを大切にしている。
車を降りると潮の匂いがした。海が近いのかもしれない。空は青くて、風が少し冷たかった。
「こっちだ」
軍服を着た人たちがたくさんいた。皆きびきびと動いていて、誰も僕を見なかった。いや、正確には一瞬だけ見て、すぐに視線を外した。
子供がいる、とでも思ったのかもしれない。まあ、実際そうなんだけど。
案内されたのは、廊下の奥にある部屋だった。重そうな扉をノックして、中に入る。
「失礼します!」
職員室と同じくらい大きな声を上げて入る。一度小さい声で入った時、聞こえないと怒られたことがあるからだ。大きくしたら怒られなくなったので、これで良かったのだろう。
「……おお、来てくれたか!」
席に座っていたおじいさん?みたいな人が歩いてきた。
優しそうな表情をしている。
「こんにちは!」
「おお、こんにちは。元気があるとは嬉しいことだ」
穏やかに微笑みながらそう言ってくれる。やっぱりこれはテレビ番組なのではないだろうか。肩の力がふっと抜ける。
「はじめまして!僕は―――」
「構わんよ。そこに座ってくれ」
自己紹介をする前に制された。まぁ、それは不要ということなのだろう。指定された席に腰を下ろす。とてもふかふかで、僕の頬は思わず緩んだ。
「君が新しく舞鶴鎮守府の指揮を執る、提督だ」
おじいさん――参謀総長さんは、机の上の書類を僕の前に差し出した。
そこには僕の顔写真と、なんだか難しそうな漢字が並んでいる。
「はい! よろしくお願いします!」
僕が元気に返事をすると、おじいさんは一瞬だけ目を見開いて、それから酷く悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔をした。
やっぱりこれ、ドッキリメインのテレビ番組なんだ。大人の役者さんって本当に演技が上手いなぁ、と僕は心の中で感心していた。きっとどこかに隠しカメラがあって、僕のこの緊張した顔を撮影しているに違いない。
「……すまない。本当に、すまないな。君のような子供を、あそこへ送ることになってしまって……」
「いえ! 僕、頑張りますから! テレビの前のみんなにカッコいいところ見せちゃいます!」
「テレビ……だと?」
「……え?これ、ドッキリですよね?」
あ、言ったらダメなのか、と今更気づく。ど、どうしよう!これ、企画倒れってやつ!?どうしよう!
「……なるほどな。それで、君はそんなに明るい態度を……」
「あわわ、すみません!これ、企画倒れになりませんか!?大丈夫かな!?」
「……君に、言っておきたいことがある」
真剣な顔になったおじいさん。どうしたのだろうか。ああ!これが『アドリブ』って言うやつなんだね!
凄いや。大人の機転の良さには憧れてしまう。
「……はい、なんでしょうか」
僕も真剣な顔をする。そっちのアドリブに、僕は合わせてやる。さぁ、何を言うんだ?
「……これは、ドッキリなどではない。これから君は大人になるまで……
いいや、下手をすると私程の年になるまで君は、家に帰れないかもしれないんだ。君が今から行くのは、そういう場所だ」
「……へ?」
「もう一度言おう。ドッキリなどではない!これは、命懸けの仕事だ!」
「……えええええええ!?!?!?!?!?」
……僕は膝から崩れ落ちかけた……
……これから、僕は、どうなってしまうのだろうか……
甘い考えを書いてみた