旋律の獣と八つの毒花   作:次世代狼

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お久しぶりです。
今回のお話では、ハーレムメンバーの一人が登場します。



第一話『会敵 呉一族』

問いは虚空に消え、応える者は誰もいなかった。

龍狼(たつろう)は泥にまみれたオルゴールを強く胸に抱いた。

金属製の小さな箱は冷たく硬かったが、その中で微かに震える歯車の感触だけが、彼をこの現実世界につなぎとめている気がした。血と硝煙で満たされた肺腑の奥で、そのチリチリという音色だけが確かに「生」の残滓を伝えている。

 

瓦礫の街を疾駆する。背後からは砂利を削る無数の足音が迫っていた。蟲だ。繋がる者の眷属であり、彼を監視する目であり牙でもある。

 

「ちっ……!」

 

舌打ちと共に龍狼は壁を蹴り上がり、崩れかけた看板へと跳躍する。下では蟲たちが互いの体を乗り越えながら凄まじい速度で追跡してくる。その頭部には幾つもの赤い複眼が輝き、鋭利な顎肢がカチカチと不気味な音を立てていた。一体一体が尋常ではない強靭さを持つだけでなく、連携して獲物を追い詰める知性があった。

(数が多すぎる……!)

 

 龍狼の四肢は既に疲労で悲鳴を上げ始めていた。この数週間の逃亡と戦闘で蓄積されたダメージは小さくない。適応能力で応急処置こそできるものの、根本的な回復には休息と栄養が必要だった。だがそんなものはこの「中」には存在しなかった。

オルゴールを抱えたまま屋根伝いに駆け抜ける。風が血の臭いと埃を運んでくる。前方にも別の蟲の一群が待ち伏せていた。迂回路はない。絶体絶命。

「くそったれがぁッ!!」

 

龍狼は怒号と共にオルゴールを懐深く押し込み、両腕を大きく広げた。全身の筋肉が軋みを上げて変質し、腕部が異形の甲殻と化す。指先には鋭い鉤爪が形成され、肩甲骨付近からは黒曜石のような鱗に覆われた副腕が二本、ズルリと伸びる。

「潰れろッ!!」

跳躍と共に四本の腕による乱打が蟲の群れに叩き込まれた。甲殻が砕け散り、体液が飛び散り、幾匹かの蟲が吹き飛ぶ。しかし蟲たちは怯まない。仲間の死骸を踏み越え、更に数を増して襲いかかってくる。

(足りねぇ……!力が!)

拳法の型などとうに忘れていた。ただ本能の赴くままに拳を振るい、爪を突き刺し、牙を剥く。それは武術ではなく、原始的な捕食行為そのものだった。

オルゴールの不協和音が頭蓋の中で共鳴し続ける。その音は彼を苛立たせると同時に、奇妙な安心感も与えた。自分という存在を認識させ、同時に孤独から引き離してくれる唯一の存在。

(俺は……何だ?殺ししか能がないただの獣か?)

自問が繰り返される。返り血を浴びながら敵を薙ぎ払う彼の姿はまさに獣。だが懐にあるオルゴールの感触が、彼がただの殺戮機械ではないことを思い出させる。

「ガァァァッ!!」

最後の一匹を殴り倒し、周囲が静寂に包まれた。荒い息遣いだけが響く。

龍狼はゆっくりと膝をつき、懐からオルゴールを取り出した。泥だらけになった表面を指先でそっと撫でる。不協和音はそれでもチリチリと鳴り続けている。彼は無意識にそのゼンマイを巻いた。

 

チリ……チリ……

(違う……殺すだけじゃない。俺には……何かあるはずだ)

その思考は曖昧模糊としていて掴みどころがない。だが確かにそこには、「殺意」ではない別の何かが芽生えかけていた。それは希望というにはあまりにも微かで脆いものだったが。

 

(……来る)

次の瞬間、龍狼の研ぎ澄まされた聴覚が新たな接近音を捉えた。蟲とは明らかに異なる足音。整然とし、練度の高い複数の人間の気配。

「そこまでだ」

路地の影から現れたのは、独特の装束に身を包んだ数人の男女だった。彼らは龍狼を半円に囲むように陣形を組み、手に手に刃物や弓矢のような武器を構えている。

 「我々は呉一族。依頼により貴様を始末する。抵抗は無意味だ。大人しく死ね」

 

その言葉が龍狼の鼓膜を叩いた瞬間、空気が一変した。蟲たちとは比較にならないプレッシャーが全身にのしかかる。

「……良く生きていたものだ。」

 

男――呉恵利央は、ゆっくりと一歩前に進み出た。歳の頃は91代半ばだろうか。背後には幾人かの配下が控えているが、誰もが呼吸一つ乱さず、完全に頭首に意識を集中している。

 

龍狼は懐のオルゴールをきつく握りしめた。チリチリという音が頭蓋の奥で不気味に反響する。。繋がる者とは違う種類の圧倒的な力と、徹底的な合理主義を感じさせる存在だった。

 

「見たところ、蟲どもとの戦いで相当消耗しているようだな。好都合じゃな」

恵利央の視線が龍狼の全身を舐めるように移動する。血に濡れた顔面、ところどころ外骨格が露出した肌、そして何よりその異形の肉体と

「眼」

に。

 

「ふむ……蟲め。あ奴も中々面白いものを造ったものよ。単なるキメラとは思えんな」

 

その呟きに含まれた僅かな称賛のニュアンスさえ、今の龍狼にとっては嘲りに等しい。

 

(俺を……品定めする気か……?)

龍狼の視界が真紅に染まった。繋がる者によって作り出され、

「器」

と呼ばれた屈辱が蘇る。そして今、眼前の老爺もまた自分を

「素材」

としか見ていない。

 

「ちっ……違うか……」

 

龍狼の唇から漏れたのは獣のような唸り声と掠れた声だった。

(俺は……何のために……)

その問いの答えを探る暇もなく、恵利央の隣にいた若者が一歩前に出た。年若い女だった。娘くらいの歳だろう。

 

「おじい様、私がやりましょうか?」

 

その声に呼応するように龍狼の爪がガチンッと鳴った。

(……器だと? 冗談じゃねぇ)

 

懐からオルゴールを引っ張り出す。

チリ……チリ……

 

不協和音が脳髄を痺れさせる。これが彼を人間に留める最後の箍か、或いは狂気を加速させるトリガーか。龍狼自身にも判別できなかった。

 

「さっきから何じゃ。その小汚い玩具は?」

 

恵利央が眉をひそめた。

 

「オルゴールか……随分と趣味が悪いな。そんな耳障りな音で己を慰めているのか?」

 

その言葉が引き金だった。

龍狼の纏う空気が一気に歪む。血塗れの両腕が左右非対称に持ち上がる。右腕は鉤爪付きの外骨格装甲、左腕は液体窒素のように蒼白い血管が浮かんだ異形筋肉。足元の瓦礫が衝撃で粉砕され、砂塵が舞い上がる。

 

「……黙れぇぇッ!!」

 

咆哮と共に地を蹴った。その速度は恵利央配下の反応時間を嘲笑うように超えていた。異形の爪が一直線に老爺の首へと閃く。

 

「風水」

 

恵利央の静かな呼びかけと共に、傍らの若者が滑るように間に割って入った。銀光が一閃し、龍狼の腕を受け止める。

キン!

 

甲高い金属音。龍狼の鉤爪は娘の持つ短刀に完璧に防がれていた。

 

「……!」

 龍狼の瞳が見開かれる。まさか。あの速度を防がれるとは。

 

「ふむ。多少は骨がありそうだのぅ。風水よ。せいぜい楽しめ」

 

恵利央は踵を返し始めた。

 

「……えっ!?おじい様!」

 

風水と呼ばれた娘が声を上げる。

 

「儂が出るまでもなかろう。この程度の獣ならお前一人で十分じゃ。ただし……」

 

振り向きざま、恵利央の眼が龍狼を射貫く。

 

「遊びすぎるなよ。手負いの獣は危険じゃからな」

 

その言葉が再び龍狼の胸を抉った。

 

「……き……さ……ま……」

 

呻き声と共に、龍狼はオルゴールを掲げた。不協和音が高まり、まるで共鳴するかのように全身の筋肉が隆起する。

 

「貴様も……俺を飼うつもりかッ!!」

 

絶叫と共に再び風水に襲いかかる龍狼。風水は焦りの表情でそれを捌く。龍狼の怒りは収まらず、オルゴールの音色と共鳴しながら次々と攻撃を繰り出す。

(俺は獣じゃない!俺は俺だ!!)

その叫びは誰にも届かない。

 「ふむ。多少は骨がありそうだのぅ。風水よ。せいぜい楽しめ」

 

恵利央の静かな呼びかけと共に、傍らの若者が滑るように間に割って入った。

 

「了解~、おじい様♪」

 

甘ったるい声で応えると同時に、銀光が一閃し、龍狼の腕を受け止める。

 

「風水……!」

 

キン!

 

甲高い金属音。龍狼の鉤爪は風水の持つ三日月型の短刀に完璧に防がれていた。

 

(なっ……!?)

 

龍狼の瞳が驚愕に見開かれる。ありえない。この速度を、このタイミングを読むとは。

 

「やっほ〜、獣さん。あんたすごいわね~。蟲相手にここまで生きてるなんて。それもその姿のおけげかしら?」

 

風水は短刀を器用に回転させながら、まるで友人に話しかけるかのように馴れ馴れしく笑いかける。しかしその瞳は氷のように冷たい。

 

「貴様……邪魔をするな……!」

 

龍狼は咆哮と共に右腕を振るう。外骨格が変形し、鞭のように伸びて風水を薙ぎ払おうとする。

 

「あははっ! 元気いっぱいね! でもその程度の芸当じゃあたしは捉えられないわよ!」

 

風水は蝶のように軽やかに避け、同時に懐へ飛び込み、龍狼の脇腹に肘打ちを叩き込んだ。

 

「ぐぅっ……!」

 

龍狼の巨体が僅かに揺らぐ。

 

「ほらほら、どうしたの? そんな可愛い顔してちゃだめよぉ。もっと必死に抵抗してくれないと死んじゃうよ」

 

風水は楽しげに言い放つと、続け様に短刀の峰で龍狼の首筋や肩口を狙い撃つ。致命傷を与えずに動きを封じる、熟練された拷問にも似た攻撃だ。

 

「くそっ……! ぐあぁぁ!」

 

龍狼はオルゴールを掲げるようにして風水の攻撃を受け止めた。懐に入れる余裕もない。チリチリという不協和音が防御の代わりをしているような有様だった。

 

「あらあら、大事そうに抱えちゃって。そのオンボロがそんなに大切なの? ……だったら、試してみましょうか。それを壊したらどうなるのか?」

 

風水の短刀が鋭く翻る。狙いは龍狼の手の中にあるオルゴール。

(しまった!)

 

龍狼は咄嗟に腕を引いたが遅い。パキンッ!

乾いた音と共に金属片が宙を舞い、オルゴールの機構が破損するのが分かった。

 

「……!!」

 

龍狼の目に激しい怒りが宿る。チリ……という音色がさらに微かになり、不安定なものへ変わる。

「よくも……! 俺の……!」

「『俺の』だって!? あははっ! 面白いこと言うわねぇ! そいつはただのガラクタじゃない! あんたみたいな獣が人間気取る道具に過ぎないわよ!」

 

風水は哄笑すると同時にもう一度短刀を振るい、龍狼の足元を狙う。

 

「おっととと……足元注意ですよぉ? 危ないですよぉ?」

 

挑発的な口調だが攻撃は的確。龍狼は次第に後退を余儀なくされていく。

 

(まずい……! このままでは……!)

 

「……見苦しいな」

 

静かだが空間を支配するような声が二人の間に投げ込まれた。恵利央だ。

 

「風水。油断するな。貴様ほどの使い手といえど、そやつは未知の変化をする『獣』だ。隙を晒せば一撃で持っていかれるぞ」

 

その忠告に風水は一瞬顔を青くしたが、

 

「分かってるわよ! ちょっと楽しんでただけじゃん! まったく融通が利かないなぁ……」

 

と口を尖らせると、再び龍狼へと向き直った。その顔には新たな殺気が滲み始めている。

 

「さて……と。お遊びは終わり。」

 

風水は短刀を逆手に持ち替え、腰を低く落とした。構えが変わった。今までのようなお遊びではない、確実に仕留めるための構えだ。

 

(来る……!)

 

龍狼はオルゴールを固く握りしめたまま臨戦態勢を取る。

(どうする……? このままじゃ本当に……!)

 

その時―――

 

チリ……チリ……

 

再びあの不協和音が微かに響いた。壊れたはずのオルゴールから。

(なんだ……? まだ音が……?)

 

龍狼の思考が一瞬停滞したその刹那―――

風水の短刀が閃光の如く走り、龍狼の胸を正確に貫かんとする。

 

「さようなら、獣さん。最後の

「グ……ッ……ガアアアアアアッッ!!!!!!」

 

龍狼の咆哮が大地を揺るがした。それは物理的な衝撃波となって風水の細い体を直撃し、数メートル後方へ吹き飛ばす。

 

「きゃあっ!?」

 

風水は瓦礫の山に叩きつけられ、咳き込みながらも即座に起き上がろうとする。しかし――

 

彼女の眼前には、信じられない光景が広がっていた。

 

禍津龍狼の姿が、変わり果てていた。

全身の筋肉が不自然なほど膨張し、皮膚は黒紫色の脈打つ鱗へと変質していく。両腕はさらに巨大化し、鉤爪は鋭利さを増して骨格ごと歪んでいた。背中からは新たな肢が何本も生えようとしており、関節部分からは蒸気のようなものが噴き出している。目は真紅に燃え上がり、焦点が合っていない。口からは涎と紫炎が混じったような息が漏れ出しており、まさに異形の怪物――いや、暴走する災厄そのものだった。

 

「なっ……!?

 

 そこから先は一方的な虐殺だった。

 

風水が瓦礫の上で身を起こそうとした瞬間、龍狼の巨体が爆風のように前方へ躍り出た。その動きはもはや人間どころか生物のそれですらなかった。文字通り

「災害」

だ。

 

「風水!!避けろ!!」

一族の誰かの警告が虚空に消えた。龍狼の剛腕が真空波を伴って横薙ぎに振るわれる。ズバンッ!!

風水のすぐ脇で構えていた大柄な男がを右腕が切断され、鮮血が弾け飛ぶ。

 

 その切断面から噴き出す鮮血が空中で不自然に凝固し、まるで透明な粘土で作られたオブジェのように固定された。

風水が顔を上げた先――龍狼の右腕があった場所は、もはや人の形をしていなかった。代わりにそこに鎮座するのは、漆黒の鎌状の器官。鋸のように鋭利なギザギザが生え揃い、先端はさらに細分化して何本もの糸となって垂れ下がっていた。その糸の一本一本が微細な振動を発しているのが見て取れる。まるで生きた鋼線だ。

 

「……ッ!?」

 

風水は声にならない悲鳴を喉の奥で殺した。あの男――龍狼の身体が、今度は昆虫をモチーフにして再構築されている。しかも、先程までの獣や爬虫類を模したものとは明らかに異なる精密さと恐ろしさだった。鎌蟷螂。その特徴的な狩猟能力を想起させる形状に、風水の本能が最大級の警鐘を鳴らした。

 

「風水!距離を取れ!」

 後方で呉恵利央の怒声が轟く。

(言われなくても!)

風水は瓦礫を蹴って即座に後退しようとした。だが――

 

シュルシュルシュルシュルッッ!

 

無数の糸が生き物のように地面を這い、風水の進路上に複雑な網目を形成する。糸は建物の残骸に絡みつき、瞬く間に大きな拘束罠となって風水を囲い込んだ。

 

「くっ……!」

 

回避不可能。短刀を振るい糸を切ろうとするが、糸は異常に強靭で刃が滑るばかりだ。そしてその刹那、龍狼が咆哮と共に跳躍した。狙いは風水ではない。後方で支援しようとしていた恵利央だ。

 

「おのれ……!」

 

恵利央は背後に備えていた配下に指示を飛ばす間もなく、自らの刀を抜き放つ。龍狼の黒鎌が稲妻の如く振り下ろされる。

ギャィンッ!

火花が散り、金属と金属が擦れ合う轟音が辺りに響き渡った。恵利央の渾身の一太刀と龍狼の鎌が空中で拮抗する。しかし――

 

「ぬ……ぐぅ……!」

 

恵利央の足元が僅かに沈んだ。龍狼の膂力の方が上回っている。さらに鎌の振動が刃を通して伝わり、恵利央の握力を侵食しようとしていた。

(これほどの力……!? 風水ですら抑えきれんか……!)

 

恵利央の額に汗が滲む。だが次の瞬間、均衡が崩れた。

 

「死ねッ!!」

 

龍狼の咆哮と共に鎌が力任せに押し切られ、恵利央の刀が弾き飛ばされる。がら空きになった胴体目掛けて黒鎌が水平に走る。

(万事休すか――!)

 

その時。

 

「おじいさまっ!!」

 

風水の叫び声と共に、彼女の三日月刀が閃光を曳いた。拘束していた糸を切り裂き、風水本人が龍狼の死角である斜め上方から降下してきたのだ。狙いは鎌を操る右腕の付け根。

(浅い! でも!)

銀色の刃が龍狼の黒い外皮に食い込み、僅かながら筋繊維を断った。痛みによる反射か、龍狼の動きが一瞬鈍る。

 

「グォォォッ!!」

 

獣のような雄叫びと共に糸の一部が束ねられ、槍のように尖って恵利央へ突き出された。

 

「……ならば!」

 

恵利央は防御を諦め、逆に前へ踏み込む。迫り来る糸の穂先を紙一重で躱し、そのまま龍狼の懐へと潜り込んだ。零距離。ここなら刀が通用する。

しかし――

 

「!?」

 

恵利央の目に映ったのは、異形に成り果てた龍狼の胸の中心で鈍く光る古いオルゴールだった。それは懐に入れられているわけではなく、まるで外骨格の一部と一体化したかのように固定され、微かに

チリ……チリ……

とあの不協和音を響かせている。

 

(こやつ……! 自らの核として……!?)

 

異様な光景に一瞬思考が奪われた。それが命取りとなった。

 

シュッ!

 

鎌から伸びた糸が数本、恵利央の首筋目掛けて飛来する。回避不能。恵利央は咄嗟に肘を曲げて急所を庇うが――

 

ズプッ!

 

鋭い痛みと共に糸が肘の肉に食い込んだ。だが腱は断たれていない。辛うじて致命傷は免れた。

 

「風水!」

 

恵利央が吼える。風水はすでに態勢を立て直し、落下しながら龍狼の側頭部を目掛け短刀を突き込んでいた。しかし龍狼は振り向きざまに頭部を硬化させ、鋼のような兜角で短刀の刺突を受け止める。

カンッ!

 

鋼鉄同士が噛み合うような衝撃音。風水の突きは阻まれ、龍狼の反撃の一撃が彼女の腹部へと唸りを上げる。

 

「避けるだけで精一杯……!? こんな化け物……!」

 

風水の表情が初めて明らかな恐怖と困惑に歪んだ。彼女は俊敏さを活かし攻撃を寸前で回避するも、その一撃一撃が当たれば即死であることが容易に想像できた。

(強い……! 強すぎる! しかも……どんどん適応してる……!?)

 

確かに龍狼の動きは当初の無秩序な暴走から徐々に洗練されつつあった。昆虫の特性を獲得したことにより、カウンター性能や連続攻撃の精度が格段に向上している。まるで将棋盤の上で駒を自在に変えながら戦略を練るかのようだった。

 

そして、彼の攻撃は確実に風水と恵利央の体力と精神力を削り取っていった。

 

恵利央は肘を押さえつつ後退を強いられ、風水もまた防戦一方となってしまう。

その時――

 

「ぐ……がぁぁっ!!」

 

龍狼が突然天を仰ぎ咆哮した。全身の脈打つ外骨格がさらに肥大化し、背中からは新たな脚肢がズルリと生え出してくる。身体の変異は依然として止まらない。より過剰に。より暴力的に。

その中心でオルゴールが一際大きく

チリン……チリン……

と鳴り響いた。先程までの不協和音とは異なる、どこか美しい響き。

 

「……!?」

 

風水はその音に聞き覚えがあった。

(この音……どこかで……!)

彼女の脳裏に閃くのは幼い頃の記憶。厳格な修練の中、時折遠くから聞こえていた祭囃子に似た旋律。人々の喧騒とは無縁の場所で、ただ静かに時間を刻んでいた――あの音色。

しかし今はそんな感慨に浸っている場合ではない。音と共に龍狼の変異は最高潮に達しようとしていた。

 

「もう……! 手がつけられないじゃないかっ……!!」

 

風水は泣きそうな声で叫びながらも再度龍狼に斬りかかる。しかし最早その剣技は通用せず、逆に龍狼の鎌の一閃で弾き飛ばされる。

 

「風水! 下がれ! 馬鹿者!」

 

恵利央の叱咤が飛ぶが、もはや聞く耳を持たない。

 

「冗談じゃない……! ここまで来て逃げられるわけないでしょ!!」

 

風水は血を吐風水は血を吐きながらも叫ぶと、その全身に異変が起きた。まるで身体中の血液が沸騰したかのように肌が赤黒く染まり、筋肉が服の下でうねる。それは呉一族秘伝の技――

「外し」

。脳の枷を外し、潜在能力の全てを解き放つ禁断の業であった。

 

「グ……ヴゥ……オオオオオオッッ!!」

 

咆哮と共に風水の姿が霞んだ。否、霞んだのではない。残像すら置き去りにする超高速移動だ。先程までの風水とは桁違いの速度で龍狼の周囲を旋回し、短刀による連続斬撃を叩き込む。

 

キィン! ギャリッ! ズバァッ!!

 

火花が散り、風水の変質した皮膚から滲み出る液体が空中に紅の軌跡を描く。龍狼もまたその異質な攻撃に対応しようと鎌を振るうが、風水の動きは予測不能な変幻自在さを増していた。

 その動きは生物的な不規則さと機械的な精密さを併せ持ち、龍狼の獣性に磨かれた直感さえ惑わせる。

 

「チッ……!」

 

龍狼は鎌を横薙ぎに振り払うが、風水の身体は既にそこにいない。液体が付着した石畳がジュッと煙を上げて溶解する。酸性の毒だ。

 

「ハッ!」

 

風水は逆方向から奇襲を仕掛ける。しかし龍狼もまた学習していた。鎌から伸ばした糸を瞬時に絡み合わせ、蜘蛛の巣のような防御網を展開する。

 ガガガガンッ!

風水の刃が網に弾かれ火花を散らす。衝撃で彼女の指先からさらに粘液が飛沫となり、糸に触れた部分が腐蝕していく。だが鎌の威力は落ちていない。

 

(やっぱり駄目……!)

風水は内心で舌打ちする。(

 

「外し」

 

の恩恵があるとはいえ決定打に欠ける。こちらの消耗が先だ)

 

その時――

 

「ぐおォォっ!!」

 

龍狼が苦悶の叫びとともに身体を膨張させた。新たな変異が始まる。脊柱から鋭い棘列が生え出し、胴体の両側面に小型の副腕が形成される。六肢六腕。もはや昆虫よりも異星生命体に近いフォルムだ。各腕末端には鎌や針管が装備され、全方位への迎撃が可能となる。

 

 

 

風水は冷静に戦況を見据える。増加した腕のうち二つが特に長く伸びていることに気づいた。

(あの二本を潰せば動きを制限できるかもしれない……!)

 

彼女は意を決し、正面突破を選択する。全身の筋肉に莫大な負荷をかけ加速。まるで赤黒い弾丸となった風水は龍狼の増設された二本の長い腕へ肉薄する。

しかし――

 

「!!」

 

龍狼がその意図を察知したかのように他の副腕で壁を作り出す。さらに背部の棘列から鱗粉のような微細な粒子が散布され始める。

 

「酸化鱗粉か……!!」

 

風水の皮膚が一瞬でチリチリと焼け始める。呼吸をしても肺が灼熱を感じる。

(ダメだ……接近できない!)

 

迫りくる鎌腕が風水を左右から挟撃しようとする。逃げ場は消失。風水の背筋に冷たいものが走った。

(終わった……?)

その時――

 空か何かがきた。

 悪魔 呉 雷庵 参戦

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