幸い自分の周りでは大きな被害は有りませんでしたが、安否確認を兼ねて急遽投稿します。
光陰矢のごとし――とはよく言ったものだ。
春の微睡みから季節は瞬く間に巡り、気づけばカレンダーは、中学三年生にとって試練の時である二月を示していた。
雄英高校ヒーロー科の推薦入試を三日後に控えた自室で、俺は荷造りの手を止めこの一年間の出来事をぼんやりと振り返っていた。
5月:テレビにかじりついて拝んだ雄英体育祭での波動先輩の大活躍。
6月:難関と言われるヒーロー仮免許試験に一発合格した彼女の合格祝い。その後、彼女のインターン先がチャート15位以内をキープしている人気実力派、沖縄を拠点とする【ドラグーンヒーロー リューキュウ】に決まったという話題で、二人で大いに盛り上がったこと。
8月の夏休み:秋田に帰省してきた彼女から受けた、容赦のないマンツーマンの実技指導。疲れ果てた後、浴衣姿の彼女に引っ張られて一緒に歩いた夏祭りの夜。
10月6日の波動先輩の誕生日:お祝いとして少し奮発して、ちょっと高いジャスミンティーを贈った。彼女は飛び上がって喜び、以降帰省の度に何杯も淹れては俺に感想を求めてきた。
そして今:推薦入試のために静岡へ赴く俺のために「良い宿泊先があるから任せて!」と、彼女が宿の手配を買って出てくれた――。
「待てよ…?」
ベッドの上に衣装ケースを広げたまま、俺は冷や汗が流れるのを感じた。
脳内で時系列順に並べられた思い出の数々。その全てに『波動ねじれ』という存在が深く、濃く刻まれている。
「クラスの連中が言ってた“波動先輩係”ってあだ名……これ、否定できない証拠が揃いまくってないか?」
ただ面倒見の良い先輩と、そんな先輩を慕う後輩。
その枠をとうに踏み越えているような既成事実の山に、俺は今更ながら軽いショックを受けていた。
肉体に引っ張られてる影響か、実感は薄いが前世を含めると50歳になろうとしている自分。
だからこそ、女子高生とのこの距離感は色々と全方位に申し訳ないというか、胃が痛くなる。
「緋色……準備は進んでる?」
不意に背後から声をかけられ、心臓が跳ね上がった。
振り返ると、いつの間にか部屋の入り口に火伊那が立っていた。
相変わらずの美貌だが、プロヒーローとしての多忙の合間を縫って帰宅したためか、その瞳にはわずかに色濃い疲労と――そして俺に向ける独特なねっとりとした熱が混ざっている。
「う、うん。明日の新幹線で静岡に向かう準備はバッチリだよ」
「そう……本当に一人で大丈夫? 宿はちゃんと手配できているの? ホテルなら、私が今からでも一番良いスイートルームを取るけど」
「大丈夫だって!着いたらすぐ火伊那に連絡するよ。波動先輩が『絶対に安心して休める特別な場所だから!』って紹介してくれた宿泊先だし、心配いらないよ」
俺が呑気に笑ってみせると、火伊那の端正な顔が一瞬ピキリと凍りついた。
その目が、形を変える。
「……そう、ならいいけれど」
(あの小娘の紹介だからこそ、信用できないのよ。私の緋色に散々まとわりついて…今度会ったら、あの巻き毛を全部撃ち抜いてやろうかしら?)
そんな物騒極まりない本音に俺は全く気付く事はなかった。
火伊那もそれを決して口には出さず、俺の髪を愛おしそうに撫でた。
◇◇◇◇
翌日の放課後。
俺は新幹線に揺られて静岡へと向かった。
窓の外を流れる景色を眺めながら、推薦入試への緊張を高めていく。
ミラーモンスターの使役。波動先輩との実践訓練で会得した龍騎への変身。
実技試験でこれらをどう見せるか、シミュレーションは何度も重ねてきた。
予定通り静岡に到着し、事前に波動先輩から教えられた住所をタクシーの運転手に告げる。
駅から少し離れた、閑静な住宅街。
車が止まり、運賃を払って外に出た俺は目の前の建物を仰ぎ見て――そのままポカンと口を開けた。
「……は?」
そこに建っていたのは、どう見てもホテルや旅館じゃない。
綺麗ではあるが、ごく一般的な『学生向けアパート』だった。
しかも表札には、はっきりと見覚えのある名前が刻まれている。
不意に、ポケットの中でスマホが小刻みに震えた。画面を見ると、波動先輩からのLINEだと分かった。
【波動先輩】:『緋色ー』
【波動先輩】:『着いた?着いたよね!』
【波動先輩】:『私、今インターンが忙しくてしばらく部屋に帰れないの。だから私の部屋、好きに使っていいよ☆』
【波動先輩】:『居心地良かったら、合格してからもずっと使っていいからね!』
【波動先輩】:『あ、ポストに合鍵入ってるよ! ポストのダイヤル番号はね――』
スマホの画面を見つめたまま、俺の口から乾いた声が漏れた。
「…なんでやねん」
思わず関西芸人みたいなツッコミが口から漏れる。
特別な宿泊先って、自分の部屋のことかよ!
いくら後輩とはいえ、いや、百歩譲って実の弟だったとしても、年頃の異性を自分の留守宅に軽々しく連れ込む奴があるか!
危機感が皆無すぎるだろ、あの先輩!
周囲を見渡すが、すっかり日も沈み始めており今から別のホテルを探すのは時間的にも厳しい。推薦入試の前に無駄な体力を消耗するわけにはいかない。
「……後でスリッパ三回だな」
頭の中で波動先輩へのツッコミをシミュレートしつつ、俺は観念してポストから合鍵を取り出し彼女の部屋へ入ることにした。
部屋の中は綺麗に整頓されており、微かに波動先輩と同じ甘いジャスミンの香りが漂っていた。
男一人、女の先輩のベッドや家具に囲まれて悶々とした夜を過ごす羽目になるとは夢にも思わなかった。
荷物を置き、一息ついたところで火伊那への連絡を思い出す。
まさか波動先輩の部屋に泊まってますなんて正直に言えるわけがない。
言ったら最後、明日の沖縄に火伊那が重火器を持って突撃して行く未来が何故か脳裏をよぎる。
【緋色】:『無事に着いたよ。駅前の手頃で、綺麗なカプセルホテルが取れたから安心して。明後日に備えてもう寝るね』
よし、これで完璧だ。嘘も方便、お互いの平和のための安全弁だ。
そう自分に言い聞かせ、俺はスマホを置いた。
◇◇◇◇
一方その頃――遠く離れた筒美家。
暗いリビングのソファに腰掛け、緋色からのメッセージを睨みつけていた火伊那の指がピキッとスマホの画面を強く圧迫した。
「カプセルホテル?」
火伊那の瞳から光が消え、底冷えするような声が部屋に響く。
長年公安の命令で、超人社会と人間の闇と対峙してきた彼女の
「嘘ね。緋色は嘘をつく時、いつもより文章が少しだけ丁寧になるもの……。あの小娘、緋色をどこに連れ込んだの……?」
ギリッ、と奥歯が鳴る。
推薦入試を控えた息子を邪魔するわけにはいかない。
だが試験が終わったその瞬間、静岡に何が起きるか。
火伊那の背後に漂う殺気は、すでに一人の母親のそれを完全に逸脱していた。
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