冬休み明けの朝、大喜は少し早く目を覚ました。布団の中で手を伸ばし、枕元の時計を確かめる。あと五分ほど眠れそうだったが、目を閉じ直す気にはならなかった。冬休みが終わり、今日から学校が始まる。朝練も久しぶりに通常の時間へ戻るため、身体を鈍らせないよう休み中も走ったり軽く打ったりはしていた。それでも、制服を着て学校へ行き、体育館で部員たちと練習する朝は久しぶりだった。
ベッドから起き上がったところで、廊下の向こうから小さな物音がした。昨日までなら気にも留めなかった音に、大喜は着替えの手を一度止める。長野から戻った千夏が、また隣の部屋にいる。昨日は鹿野家の両親を交えて話し、そのあと荷物を部屋まで運んだ。何日も離れていたわけではないのに、年末からずっとメッセージや電話越しだったせいか、同じ家の中に千夏の気配があることが妙に久しぶりに感じられた。
大喜は練習着に着替え、制服と鞄を確認してから部屋を出た。ほぼ同じタイミングで向かいの扉が開き、髪をまとめた千夏が顔を出す。二人とも一度だけ足を止めたものの、クリスマスの翌朝ほどのぎこちなさはなかった。
「おはよう、ちーちゃん」
「おはよう、大喜くん」
それでも、この家にいる全員が二人のことを知っている朝は初めてだった。階段へ向かって同時に足を出したせいで肩が近づき、千夏が隣で笑う。
「何か歩きにくくない?」
「ちーちゃんも同じタイミングで出すからでしょ」
「大喜くんが合わせてるんじゃないの?」
「合わせてないよ」
「じゃあ先どうぞ」
「いや、そこまでしなくていいから」
結局、二人は並んで階段を下りた。食卓では、大喜の父が新聞を読み、祖父が湯気の上がる味噌汁をすすっていた。母は弁当箱を二つ並べ、最後のおかずを詰めている。大喜と千夏が入ってきても、誰かが意味ありげに顔を見合わせることはなく、母もいつもと同じ調子で二人を席へ急かした。
「おはよう。今日から朝練でしょ。冷める前に食べなさい」
「うん」
「ありがとうございます」
「帰りは二人ともいつもくらい?」
「たぶん。今日は休み明けだから、そこまで遅くならないと思う」
「私も通常練習です」
「分かった。夕飯は七時半くらいにしておくね」
祖父はテレビの天気予報を見ながら、大喜へ向かって顎を上げる。
「朝、路面凍ってるらしいぞ。走って転ぶなよ」
「学校まで走らないって」
「お前は時間なくなったら走るだろ」
「今日は余裕あるから」
「ならいい」
昨日、両家が揃って交際について話したことも、大喜と千夏が恋人になったことも、朝食の話題にはならなかった。母は弁当を渡し、父は天気を確認させ、祖父は食後のお茶を飲んでいる。大喜が味噌汁を飲みながら向かいを見ると、千夏もちょうどこちらを見ていて、目が合ったところで口元だけを緩めた。
朝食を終え、二人はそれぞれの荷物を持って家を出た。もっとも、大喜は玄関先で母からマフラーを持つよう言われ、一度部屋まで取りに戻ることになった。外へ出た時には千夏が門の前で待っていて、マフラーを巻きながら近づく大喜を見て笑っている。
「だから余裕あるって言ってたのに」
「まだ余裕あるよ」
「お母さんに止められてたけど」
「マフラー忘れただけだから」
「忘れてたんだ」
「……忘れてた」
正月明けの朝は空気が鋭く、息を吐くたび白くなった。冬休み前まで毎日歩いていた道を、二人はいつもの速さで進む。学校が始まれば授業も部活も元へ戻り、今日からまたそれぞれの予定で一日が埋まっていく。大喜が長野の話を振ると、千夏も雪道の歩きにくさや祖父母の家で過ごした正月のことを話した。
「長野よりは暖かい?」
「朝はそんなに変わらないかも。でも雪がないだけ歩きやすい」
「雪道、ほんとに走れないんだ」
「まだ言ってる。大喜くんが一回走れば分かるよ」
「転びそう」
「だから言ったのに」
そんな話をしながら住宅街を抜けかけたところで、千夏の腕が大喜の腕へ近づいた。最初は鞄が当たりそうになっただけだと思ったが、次に触れたのは千夏の指だった。手袋をしていない大喜の手の甲を指先がなぞるように触れ、一度離れたあと、もう一度同じ場所へ戻ってくる。
大喜が横を見ると、千夏は前を向いたままだった。けれど触れた指はもう離れない。大喜が歩く速度を落とすと、千夏も同じように足を緩め、そこでようやくこちらを見た。
「学校の近くまでなら、いいよね」
「うん」
大喜はその手を取った。
クリスマスの帰り道にも、二人は手をつないでいる。あの時は大喜が聞き、千夏が応えてくれた。今日は何も聞く前に、千夏から指を伸ばしてきた。大喜はその違いを言葉にはせず、千夏の手が収まりやすいように向きを変えて握り直す。千夏も自然に指を絡め、そのまま二人は歩き出した。しばらくして、千夏が横から様子を窺う。
「……何か言わないの?」
「何を?」
「いや、何でもない」
「ちーちゃんこそ、何か言ってほしかったの?」
「大喜くん、さっき止まってたから」
「びっくりしただけ」
「嫌だった?」
「そんなわけないでしょ」
返事が思ったより早く出て、千夏が吹き出した。
「ならよかった」
「ちーちゃんこそ、急だったじゃん」
「昨日までは家族いたし」
「今朝も家にいたよ」
「そうじゃなくて。二人になってからなら、いいかなって思ったの」
千夏はそう言って、つないだ手を一度だけ揺らした。大喜はそれ以上理由を聞かず、千夏も続きを説明しなかった。信号待ちで立ち止まっても、二人の手はそのままだった。反対側には同じ制服の生徒が何人か見えるものの、学校まではまだ距離がある。青信号に変わって人の流れが動き出すと、千夏が横断歩道を渡りながら、今度は自分から別の話を始めた。
「こういうのって、これから増えるのかな」
「こういうの?」
「今までと違うこと」
「例えば?」
「……今度出かける時とか。最初から、デートってことになるとか」
「デート」
大喜の返事がそこで止まり、千夏が横から顔をのぞき込んだ。
「そこだけ繰り返すんだ」
「いや、急にその言葉出るとちょっと」
「付き合ってるんだから、変じゃないでしょ」
「変じゃないけど」
二人で出かけたことなら何度もある。小さい頃から数えればきりがなく、高校へ入ってからも買い物や夏祭りへ行き、クリスマスには二人でマーケットを歩いた。それでも、最初から「デート」と呼んで誘ったことはない。大喜は少し先に見えてきた学校への曲がり角を見ながら考え、つないだ手はそのままに答えた。
「じゃあ、今度はちゃんとデートって言って誘う」
「本当に?」
「うん。どこ行くかまだ何も考えてないけど」
「それはその時考えればいいよ」
「じゃあ、楽しみにしてて」
「うん。楽しみにしてる」
日にちも場所も決めないままだったが、千夏は満足そうだった。冬休みが明ければ学校も部活も戻ってくる。千夏には新しいチームでやることがあり、大喜にも春へ向けて積み上げたいものがある。その間のどこかに二人で出かけられる日があればいい。今はそれだけで十分だった。
学校が近づくにつれて同じ制服の生徒が増えていき、校門へ続く通りが見え始める。千夏の指がゆっくりほどけ、大喜もそれに合わせて手を離した。隠したいからではない。まだ自分たちから話していない相手も多く、朝からわざわざ学校中の視線を集める必要もなかった。大喜が離れた手をコートのポケットへ入れてから、何となく尋ねる。
「帰りもつなぐ?」
「大喜くんが先に終わっても、ちゃんと待てるなら」
「いつもどおり待つよ」
「じゃあ考えとく」
「そこは決定じゃないんだ」
「帰りの気分次第」
「厳しいなあ」
千夏は笑ったまま校門をくぐった。昇降口で靴を履き替えたあと、二人は教室へ向かう生徒たちとは別れて体育館へ向かった。朝練の開始まではまだ時間がある。冬休み前から何度も歩いた通路なのに、休みを挟んだせいか、扉を開けた瞬間に触れる冷えた空気さえ少し新鮮だった。
まだ人の少ない館内では、シューズの音が普段よりよく響いた。大喜はバドミントン側の用具庫から支柱とネットを出し、千夏は女子バスケ部のボール籠を引いてコートへ運ぶ。恋人になる前から何度も繰り返してきた準備だった。大喜がネットの高さを確かめる頃には、千夏もアップ用のボールを揃え、シューズの紐を結び直している。準備がほぼ同じタイミングで終わり、二人はコートの間で一度だけ顔を合わせた。
「今日も頑張ろうね」
「うん。ちーちゃんも」
「うん」
千夏はボールを抱えて女子側へ戻り、大喜もラケットケースを開いた。ほどなくして部員たちが集まり始め、挨拶の声とシューズが床を擦る音が館内へ増えていく。女子側ではボールが弾み、男子側ではシャトルを打つ乾いた音が続き始めた。休み中は静かだった体育館が、あっという間にいつもの朝へ戻っていった。
女子バスケットボール部は、ウィンターカップを終えて新しいチームへ切り替わり始めていた。大会まで一緒に戦った三年生がいなくなっただけで、同じ体育館でもコートの見え方は変わる。今までなら迷わず通っていた場所に別の選手が入り、同じ形を試してもパスを出すタイミングが半歩ずれる。千夏たち二年生にとっては、それを以前のチームへ戻すのではなく、今いる選手たちで新しく合わせ直していくところからのスタートだった。
ハーフコートの確認では、後輩のガードがドライブへ入ったものの、ヘルプに寄られて行き場を失った。千夏は外でボールを受け直してプレーを止めたが、すぐに自分の立つ場所を指示することはせず、最初にどこを見ていたのかを確認した。後輩がゴール下へ入る味方を見ていたと答えると、反対側の選手も自分が外へ開くのが遅れたと話す。
次の攻撃では、千夏が先に中へ走って守備を引きつけた。後輩はその動きを見て空いた外側へボールを送り、受けた選手が迷わずシュートへ入る。ボールはリングの手前に当たって外れたが、千夏はリバウンドへ向かいながらすぐに声を出した。
「今の形、もう一回やろう!」
次も同じ形から始めたが、今度は相手役の守備が外側へのパスを警戒した。後輩は一度止まり、自分で逆側に空いた選手を見つけて展開する。そこからもう一度ボールが中へ戻ると、千夏はゴール下へ入り、味方が作ったずれを使って得点した。千夏はボールを拾って後輩へ返した。
「今の、最初に何が変わった?」
「外を見られたので、中に戻す時に守備が遅れました」
「うん。じゃあ次も、最初から形を決めすぎないで見てみよう」
「はい」
千夏は自分が正解を出すのではなく、次のプレーへ戻った。
ウィンターカップの最後、自分が出したパスは間違っていなかったと思っている。それでもシュートは入らず、栄明は負けた。だからといって最後の一本だけを別の選択へ置き換えたいとは思わない。次に同じ場面が来た時、そのパスから得点までつなげられるチームでいたかった。
自分が打つべき時には打つ。その一方で、自分へ守備が集まった時に味方が次を選べるようにする。三年生が抜けた今は、自分一人の判断だけでなく、コートにいる全員の判断を揃えていく必要がある。千夏は次の攻撃でボールを受けると、寄ってきた守備を一度引きつけ、後輩が動き出すのを待ってからパスを送った。
男子バドミントン部では、基礎打ちを終えた大喜が針生とシングルス形式の練習へ入っていた。休み明けなので最初から限界まで速度を上げるのではなく、ラリーの中で足の運びとシャトルまでの距離を確かめながら身体を戻していく。それでも大喜は、針生の球を追い続けるだけで終わるつもりはなかった。
最初の数本、針生は大喜のバック奥へ深い球を集め、追い込んでから前を使おうとしてきた。大喜は無理に速い返球を選ばず、高く深く返して針生を奥へ残す。次の球をストレートへ落とすと針生が前へ入り、その動きを見て今度は逆の奥へ送った。針生は身体をひねりながら追いつき、そこから鋭いクロスを大喜のフォア前へ返してくる。
大喜は一歩遅れながらも、無理に決めようとはせずネット際へ沈めた。針生も前へ入り、低い位置からシャトルを持ち上げる。その返球がわずかに浅くなったところで、大喜は初めて強く踏み込み、空いたサイドへスマッシュを打ち込んだ。
「一本!」
シャトルを拾った針生が、ネットの向こうで鼻を鳴らす。
「休み明けのくせに、嫌なところ打つよな」
「褒めてます?」
「半分な。もう半分は次それやったら潰すって意味」
「じゃあ、またやります」
「言うじゃねえか」
宣言どおり、大喜が次のラリーでも奥から前へ動かそうとすると、針生は今度は早いタイミングでストレートへ切り返した。大喜の重心が逆へ残り、二歩目が間に合わないままシャトルが床へ落ちる。
「ほら」
「……早いな」
「同じ相手に同じの二回やって、そのまま通ると思うなよ」
大喜はシャトルを拾いながら、針生が前へ出た位置を頭の中で戻した。読まれたなら、同じ入り方から別の球を使えばいい。次は前へ落とす構えを見せながら奥へ戻し、針生が一歩踏み込んだ分だけ後ろへの反応を遅らせる。そこから完全に主導権を取れるほど簡単な相手ではなく、強引に攻めた球を逆に利用される場面もあったが、大喜は失点するたびに最初の二、三球を変えた。
以前なら、針生と長くラリーを続けられただけでも手応えを感じていた。今は違う。何本拾っても、最後にポイントを取られれば悔しかった。
長いラリーの途中、針生がまた大喜のバック奥を狙った。大喜は追いつきながら身体を開き、クロスへ逃げるように見せてストレートへ返す。針生の重心が一瞬ずれ、その次の球が短くなった。大喜は前へ入り、ネット際へ沈める。針生も飛び込んだが、返球はわずかに浮き、大喜がラケット面を立てて空いた場所へ押し込んだ。
シャトルが床へ落ちると、二人はそれぞれ呼吸を整えた。針生はラケットを肩へ乗せながら、大喜を見る。
「前よりもっと面倒な相手になったな、大喜」
「まだ終わってないですよ」
「知ってるよ。だから面倒なんだろ」
針生はすぐにサービス位置へ戻った。後輩の成長を喜ぶだけの顔ではなく、次は取らせないと考えている競技者の表情だった。大喜も褒められたことへ気を取られず、次の構えを作る。そこからは針生も球の高さやテンポを変え、大喜が組み立てようとする前に崩しに来た。大喜は何度も先手を奪われたが、それでもただ耐えるラリーには戻らなかった。
隣のコートでは、匡が別の部員とラリーを続けていた。大喜と針生の長いラリーが終わった時だけ横目で確認し、すぐに自分のシャトルへ戻る。大喜が以前より相手を動かす球を増やしていることには気づいていたが、そのことを口にする暇があるなら、自分のコートで試した方がいい。
匡は相手が中央へ戻る時に身体をやや奥へ残す癖を見て、次の一本を安全に深く返すのをやめた。奥へ振ったあと、同じ構えから前へ落とす。相手の入りが遅れて返球が浮くと、今度は迷わず前へ詰め、打ち切った。一本取っただけで表情は変わらなかったが、次のサービスを受ける位置はさっきより半歩前になっていた。練習が進むにつれ、体育館の冷たかった空気にも人の熱が混ざり始めた。
女子側では千夏が後輩へ声を掛けながら、自分のシュート練習にも戻っている。一本外せば自分でボールを追い、次の位置へ動く。その声が男子側まで届くことはあったが、大喜はそちらを振り向かず、目の前の針生の構えを見た。サービスが来ると一歩目を出し、先ほど読まれた形とは違う位置からラリーへ入っていく。
千夏の方も、休憩でボトルを取った時に男子側を一度見ただけだった。大喜が針生の速い返球へ追いつき、今度は守るだけではなく自分から奥と前を使い分けている。逆を取られた次のラリーでは、同じ入り方をしない。数秒その攻防を見たところで、女子側から後輩に呼ばれた。
「千夏先輩、もう一回お願いします!」
「うん、やろう」
千夏はボトルを置いて立ち上がり、すぐに自分のコートへ戻った。休み明けで身体の感覚を戻すだけだった朝練も、終盤になる頃にはどちらのコートも普段の強度へ近づいていた。男子と女子の休憩がたまたま重なり、大喜がタオルを首へ掛けたままコートの境目付近へ歩いていくと、反対側から千夏もボトルを持ってやってくる。朝には手をつないで歩いた相手なのに、体育館に入ってからまともに話すのはそれが初めてだった。
「調子よさそうだね」
「ちーちゃんも」
「私はまだまだ。休み明けだし、新しい組み合わせも合わせないと」
「でも声、すごい出てたよ」
「聞こえてた?」
「うん。こっちまで」
千夏は男子コートへ目を向けた。針生は少し離れた場所で西田と話しながらシャトルを選び、匡は休憩中にもラケットを振ってタイミングを確かめている。
「大喜くん、針生君から結構取ってたね」
「でもすぐ対応されるんだよね」
大喜はタオルで額を拭きながら笑った。
「ちーちゃんの方は?」
「まだ合わせ直してるところ。でも、次はちゃんと全国で勝ち切りたいから」
「全国制覇?」
「うん」
千夏の返事には迷いがなかった。準々決勝で負けた悔しさが消えたわけではない。むしろ、全国の上位まで行ったからこそ、その先が簡単ではないことも分かっている。それでも今は、最後の一本だけを振り返るより、新しいチームで次に何を積み上げるかを考えていた。大喜もラケットを握り直す。
「俺も全国で優勝する」
「じゃあ、どっちが先に全国で優勝するか勝負だね」
「大会も時期も違うじゃん」
「分かってるよ。気持ちの問題」
「なら負けないよ」
「私も」
二人で笑ったところへ、それぞれのコートから声が掛かった。千夏は女子側を一度振り返り、ボトルを持ち直す。
「じゃあ、戻るね」
「うん」
「大喜くん」
「何?」
「帰り、ちゃんと待っててね」
「もちろん」
千夏はそれだけ確認すると、女子側へ走っていった。大喜もタオルを置き、針生が待っている男子コートへ戻る。
「随分余裕だな」
「すみません」
「別に謝れとは言ってねえよ。ほら、続きやるぞ」
「はい」
再開直後の一本は、針生に先に前へ入られた。ネット際へ落とされた球を大喜が持ち上げると、待っていた針生が空いた場所へ押し込み、簡単に一本取る。大喜はすぐにシャトルを拾い、同じ入り方をしないよう次は前へ急がず、まず奥へ返して針生の位置を動かした。針生もそれを読んで早く戻り、そこからまた長いラリーが始まる。
女子コートでは、千夏が味方からパスを受けた。守備が二人寄り、そのまま自分でシュートへ行くには狭い。右側では、さっきまでタイミングが合わなかった後輩が空いた場所へ入り始めている。千夏はゴールへ身体を向けて守備を引きつけてから、その動きに合わせてボールを送った。
後輩は受け取ったところで迷わなかった。足を止めずにシュートへ入り、放たれたボールがリングの内側へ落ちる。千夏はそれを見届けるとすぐに守備へ戻り、後輩も同じように走って戻ってきた。
「今のよかった! 次、守ろう!」
男子側では、大喜が針生の深い返球へ下がっていた。苦しい位置から無理に攻めるのではなく、まず奥へ返して一度体勢を戻す。針生が次に前へ落としてくるのを読んで踏み込み、低い位置で拾った球をクロスへ運んだ。針生も追いつく。大喜はその返球を待ちながら、さらに次の一球でどこを空けるかを考えていた。
女子側でボールが床を打ち、男子側でシャトルを叩く音が返る。それぞれの声とシューズの音が重なって、朝の体育館を満たしていく。大喜は針生の返球へ踏み込み、空いたコースへラケットを振った。その頃には千夏も次のパスを受け、後輩が作ったスペースへ向かって一歩を踏み出していた。朝、二人で歩いた道では手をつないでいた。
体育館では、それぞれの手にラケットとボールがある。二人とも、目の前のプレーから目を離さなかった。