春の陽気が肌を温かく照らす今日この頃。
【出雲】、黄金御殿。
リーリエ・アモンが所有する巨大邸宅に、数多の武士が詰め寄せていた。
僕らは座敷の外。白州の上で待機していた。
固辞しても尚、渡された座布団の上に僕、リリア、アルターは並んでいた。
庭の白州には、ランニングマグロの男が一人。
ログマが、座らされている。
「――沙汰を下す」
御殿の奥座敷。
肘置きに肘を置き、座椅子に腰かけながら煙管を吹かしているのは、リーリエ・アモン。
背筋が凍るような、冷たい気迫。
一切の有無を言わさない絶対者が持つ、統治者の覇気だった。
思わず泡立った肌を撫で、リーリエさんの方を見る。
「ログマ殿。貴殿が犯した罪は非常に重い。
二千年を生きる大魔族、イルゲルムと謀反人、リューリュ・ヴェティに人の情報を内通した罪。
魔物化したランニングマグロを率い、【出雲】に危害を加えんとした罪」
ログマは、自首をした。
あの迷宮から帰ってきてからすぐ。
公然の場でリーリエさんに土下座し、裁断を願った。
そして、彼らに引き連れられて今に至る。
「これらは十分に重い罪であり、いかに御簾籠りの貴人であっても無罪放免は許されない」
掌に爪が食い込む。
出血しそうなほど強く、鋭い痛みが起きるほど握っていた。
確かに、許されることではない。だけど、ログマにも事情があった。情状酌量の余地はある。一方的に断罪するなんて、おかしな話ではないか。
石を投げた子供も、共にあった。
少年はログマから目を逸らし、屋敷の奥へ視線を向けていた。
「しかし。我らには謝罪せねばならぬ由がある」
リーリエさんが僕に目配せした。
向けられた時間は一秒にも満たない。だけど、そこに込められていた茶目っ気を読み取るには十分すぎる時間だった。
「恩を忘れ、貴殿を弾劾した。誇りある皇国の民として、失格の態度。
この場すべての武士に代わり、謝罪する」
白髪の彼女は正座し、地にこすりつけそうなほど深く頭を下げた。
「……不要。頭をあげてください。ワタシは憎むことなどありません。
ワタシは沙汰を受ける立場の身。アナタたちが謝る所以はありません」
ログマはわずかに息を飲み、短く言葉を発した。
「ほう。水に流す、ということか?」
「肯定。はい。アナタ達を先に裏切っていたのはワタシです。沙汰をお願いいたします」
「そうか」
リーリエさんは煙管を吸い、胸元から扇子を取り出す。
室内は少し熱が籠っていて、ぼんやりと温かい。金の扇子を見せつけるように扇ぎ、涼風を顔に当てていた。
「――皆の衆」
リーリエさんの声の調子が上がる。
「御簾籠り殿は我らの不義理を水に流すと言った。
であるならばだ。我らもまた、この罪は水に流すべきではないか?」
ログマの顔が上がった。
呆然と口を開け、口元を扇で隠したリーリエさんを見つめていた。
「然り」
「我等もまた、奴らに踊らされていたのは同罪」
「御簾籠り殿に罰を課すのであれば、我等にも同じ罪を課すべきだ」
武士たちは異口同音にログマの無罪を主張し始めた。
一部の武士は、口の端がわずかに緩んでいた。
扇子の内で、リーリエさんは口の端を曲げている。
リーリエさんの倉庫を《蒼眼》で内見すると、中にあった蔵はすっからかんになっていた。
――なるほど。すでに手を回していたのか。
過半数以上は生真面目な顔で頷いていた。
心底からログマに罪がないと考えている、義理堅い人物なのが伺える。
だが、武士とはいえすべてがそうではない。
生真面目なログマのことだ。それで否定するような輩がいたら、一生贖罪の意識に囚われてしまうだろう。
リーリエさんは、それをさせないために先手を打っていた。
収賄。悪く言えば、袖の下だ。生活に困窮する武士たちへ寝技をしかけ、満場一致の議場を作り上げた。
論点をずらしているにも拘らず、それを論う人がいない。
となれば、後は議題の進行もリーリエさんの思うがまま、ってわけだ。
……ほんと、すげえ人だな。
「否定。しかし、ワタシは――!」
「だが」
ログマの反論にリーリエさんが被せる。
「同族の問題がまだ解決していない」
彼女の言うとおりだ。
ランニングマグロの大多数が、まだ魔物から戻れていない。
魔物でいた期間が長すぎて、<
「親愛なる隣人とはいえ、魔物化した存在を保護し続けるのは非常に銭がかかる。一部ではこれを処断せよと語るものもいる。
そこでだ」
リーリエさんが扇子を閉じ、それをログマに向ける。
「貴殿、御簾籠り殿に鎮西大将軍、鴉門凛々絵が命じる。
聖教にある<
そのために必要な伝手や資金はこちらが用意する。
代わりに、その研究成果の特許はすべて、迷宮都市国家が管理する。
貴殿の同族すべて、此の領海にて面倒を見ることを約束しよう」
……なるほど。
これも狙いだったか。
<
しかし、卒業してしまえばその知識は持ち出せる。
最先端の治療技術を、こちらに持ってこさせる。それだけでも今回の出費と勘案すれば、ギリギリ黒字になる。
それが建前。
ログマではなく、リーリエさんの視線が僕に注がれている。
本音は、たぶん僕らも<
これは直感でしかない。
だけど、外れているとは思えない。
(優しいな、リーリエさんは)
政治的なやり取りを含んでいる。
だけど、ただ利用するだけだったのならここまで大それたことをやる必要がない。
リーリエさんの器用な不器用さそのもの。
「…………ありがとう、ございます」
ログマは深く、白州に頭をこすりつけていた。
その目からこぼれたものと、喉から漏れ出たものには言及するまい。
煙管を吹かせ、リーリエさんが指を鳴らした。
「さて。異議のある少年よ。君はいかに思う?」
白髪の彼女の視線がログマへ石を投げた少年へ向く。
武士たちは不自然なほど視線が散漫だった。
石を投げた少年に視線を向けることを禁止されているかのよう。
「……俺は、ランニングマグロのやったことを許せない」
ログマの手が強く握られる。
「だけど、それでも……! 病気で動けないお母様を治してくれたのは、あんただ」
少年が涙をこらえるように、深々と頭を下げた。
「ありがとう、ありがとう……! お母様を助けて、くれて……ありがとう、ございます。石を投げて、ごめんなさい」
大粒の涙が悔恨と共に少年の握られた拳へ流れ落ちる。
その涙に疑う余地はない。胸を締め付けられるような姿で、少年は土下座をログマに向けていた。
ログマの視線がリーリエさんに向けられる。
彼女は鷹揚に頷き、指を曲げた。
ログマは立ち上がり、屋内にいる少年の下へと行く。
土下座した少年の元に立ち寄り、静かに彼を抱きしめた。
「……返答。ワタシこそ、仲間を止められず、申し訳ございませんでした」
ログマの声は震えていた。
少年も土下座を解き、ログマの腕に縋って何度も鼻水を啜っていた。
やっぱり、世界は悪いもんじゃない。
春の陽気を浴びながら、僕は空を見上げた。
※※※
海岸線。
エディンたちがログマの沙汰を見物している最中。
「よう」
黒い背広に身を包んだ青年と白衣に身を包んだ少年。
イルクとリモルだ。
「貴公から話しかけてくるとは珍しい。明日は槍でも降るのかね」
「いつから、気づいてた?」
ぴくり、とリモルの指が跳ねる。
「とぼけなくていいぜ。いつから、小鳥遊惟任教授に気づいていた?」
「最初からだな」
手に魔法陣を浮かべ、リモルはイルクから視線を逸らす。
「貴公の隠蔽は完璧だった。が、僕の迷宮特典が異常を感知した。それだけのことさ」
リモルは自分のモノクルを指さした。
迷宮特典【黒淵銘鏡】。相手の肉体・魔力組成を構成要素ごと分解し、情報を見抜くもの。
「見かけは肉の身体だが、こいつにかかれば教授の身体が高度な錬金術で作られた義体であることは簡単な話さ」
イルクが腰に手を当てる。
気取られることもなく刀の迷宮特典――【濡れ鴉】を取り出していた彼が、彼の首に静かに意を当てる。
コレトーはリヴェータのお気に入り。
イルク――フレドリクス・アイネイアスは<銀蛇卿>に忠実なる番犬。
友とはいえ、彼女の顔を曇らせる要因になるのであれば容赦なく死を贈る。
「ほほほ。そう警戒しないでくれ。彼には何もしておらん。
話を聞かせてもらっただけだとも」
リモルは空中に浮遊したまま肩を竦めた。
「本当か? 信じられないな。廃人になることに目を瞑れば霊魂や脳みそから知識の抽出くらい、朝飯前だろう」
「いいや、無理だったな」
【魔神】たる少年はため息を漏らす。
「高度な防護とカウンターが仕込まれていたのだよ。
下手にいじれば、リヴェータ学長のもとに居場所を発信する仕組みになっていた。
相当なお気に入りなのだろうな。
さすがの僕も、逆鱗に触れた学長を相手に生き延びられるとは思えん。
史上最高の魔法師の名は伊達ではない」
リモルはそう言うと、天に手を翳す。
指を鳴らせば、空中に浮遊するアイテールの隠蔽が解かれた。
海を覆うほどの、巨大な島が空を飛んでいた。
「だが、収穫はあった」
魔法陣を空中に展開し、イルクに楽し気な笑みを浮かべた。
「魔力を半永久的に結晶化させる装置の名前がわかっただけでもよい。
――
光がアイテールの底より、地上へ伸びる。
黄色の光は【出雲】の砂浜に舞い降り、コレトーが地上に送還される。
「あれ、俺の小人美少女楽園ハーレムは……?」
戯言を宣うコレトーを待ち構えていたイルクが一瞬で捕縛し、縄でぐるぐるに縛っていく。
「あ、ちょ――!?」
反論の場を設けられる暇もなく、コレトーは綺麗に梱包された。
顔まで縛られた彼の姿は、まるでエビフライのそれであった。
往生際悪く足元であがき続けるコレトーを無視し、イルクは外を見る。
夕日が、空の果てに沈み始めていた。
「行くのか」
「ああ」
イルクが懐から小さな箱を取り出す。
手にした木の棒へ指を鳴らし、弾けた火花で火を灯す。
「仕事が、溜まっているみたいだからな」
箱から煙草を取り出し、赤い熱を押し付ける。
紫煙を肺いっぱいに吸い込み、ため息と共に吐き出した。
ゆらり、と空に紫立つ煙が立った。
「そうか」
リモルは空に浮かび上がり、イルクに視線を向ける。
アイテールの底に光が集い、浮遊島が動き始めた。
「では、しばしの別れだ。――イルク」
「わかってる」
イルクは市街地から駆け寄る少年に目を向ける。
「別れは、ちゃんと済ませるさ」
彼は煙草の火を拳で握りつぶし、彼の弟分――。
無邪気に手を振りながら走るエディンに、物憂げな視線を送った。
※※※
「イルク~!」
全力で砂浜を駆ける。
イルクは海岸線でリモルさんと話してるけど、関係ない。
足に魔力を回し、イルク目がけて走っていく。
(ログマが、ようやく仲間に――!)
胸がずっと跳ねている。
イルクにこの気持ちを伝えたい。
絶え間なく蠢く砂浜を蹴り、太ももを漲らせながら走っている。
「イルク!」
砂浜の上を滑りながら急停止。
わきわきする気持ちのまま、眼の前のイルクに話しかける。
「イルク、ログマがね! 裁判になったけど、ほぼ無罪!
<
ああだめだ、巧く言葉がまとまらない。
アルターたちは置いてきた。
頭に浮かんだ言葉を矢継ぎ早に話してしまってる。
「ね、イルク! <
僕、学校とか初めてなんだ。わかんないことがたくさんだから、いろいろ教えてほしいな!」
僕はイルクに笑いかけた。
僕たちはずっと一緒だ。これからも。ずっと!
「いや」
イルクはふるふると頭を横に振った。
「エディン。俺とお前は、今日でお別れだ」
※※※
思考が凍り付いた。
全身の筋肉が硬直して、一瞬息ができなくなった。
「ぇ――?」
喉から息が漏れる。
イルクが何を言っているのかわからない。
お別れ――?
「そう。お別れだ」
イルクは僕を見下ろしたまま、わずかに口に残った煙草の煙を吐き出した。
「俺は、やらなきゃいけない仕事がある。
<魔人戦線>の底、魔界と人界の境界の守護。魔王軍が大軍を率いて、人界に出られる門を守護すること。それが俺の仕事だ」
「今までは身代わりの迷宮特典で対応できていたが、もうそう言ってられない。
俺がいかなきゃ、地上にまた魔王軍が大挙して押し寄せる。そうなったら、今も血みどろの<魔人戦線>が、さらに悪い方向へ傾く。
俺でも、ちときつい仕事だ」
――。
息が苦しい。視界が揺らいで、頭が痛む。
よく考えれば、そうだ。イルクはすごく強い人。
<魔人戦線>。
極西でやっている、人類と魔族の全面戦争。
戦争において、兵士が通れる官道を抑えることが、どれだけ重要なのか。統治についてしっかり学んでいない僕でもわかる。
「僕は…………足手まとい?」
「…………………………」
イルクは眼を伏せる。
何も答えず、腕を組んだ。
ああ、そっか。
僕じゃ、足手まといなんだ。
「そう、だよね」
喉が震える。
「イルクは強いもん、ね! 僕は、まだまだイルクより全然弱くて――」
気丈に振舞う。
きっと、だいじょうぶ。できているはずだ。
「イルクにとっても、しんどい仕事なら、僕は――」
きっと、今の僕は笑えている。
鼻を強く堪え、イルクを見つめて笑う。きっと、笑顔のはずだ。
「だから、イルク――」
だいじょうぶ。泣いちゃだめだ。
震える手を抑えて、眼から感情が溢れそうになる。口の端を引っ張って、熱いものを引っ込める。
でも、喉から先の言葉が出てくれない。
イルクの腰に寄り、不格好な笑みをイルクに向け――。
「――やだ」
言えない。
「やだよぉ…。イルクとお別れしたくない。
ごめん、ごめんなさい。イルクをちゃんとお見送りしなきゃいけないのに。ごめんなさい、ごめん。イルクとここでさよならしたくないよ……!」
イルクの腰に抱きつき、滂沱する涙をこすりつける。
いってらっしゃいの一言が、僕にはどうしても言えなかった。
言わなきゃいけない。でも、喉から思った言葉が出てくれない。
イルクだって、頑張って切り出してくれている。なのに喉がいうことを聞いてくれない。
頭に温かく、大きなものが置かれた。
ゆっくりとした手つきでそれは僕の髪を撫で、ぐずる僕の頭を包んでいた。
「エディン」
落ち着いたイルクの声。
東塔に来てくれた時からずっと僕を護ってくれた優しい声が耳に届く。
「大丈夫。永遠のお別れじゃないさ」
顔を上げれば、眼を細めたイルクの顔があった。
まるで、母上のようだった。我が子を慈しむ父、あるいは母のような微笑みを浮かべていた。
イルクが胸元をまさぐる。
黒い背広から取り出したのは、青い宝石に銀の蛇があしらわれたペンダント。
「このペンダントを、エディンに託す。
アイネイアス家の家紋。俺の大切な、生きた証だ。これをもって、聖教国へ行きなさい」
イルクが片膝をつく。
小さな僕に視線を合わせ、僕に笑いかけてくる。
「これが必要なくなったら、俺のところへ返しに来てくれ。
俺のところに来られるくらい強くなって、いつか俺を助けに来てくれ」
髪の上に、イルクの掌が置かれる。
いつもみたいに、力強くなで回す。
イルクの顔が悪童の笑みを浮かべ、力強い弧を描く。
「……なら」
涙をぬぐう。
小指を差し出し、イルクへ向けた。
「指切りして。絶対、そこに行くから。イルクも待っててくれるって」
「――ああ。もちろん」
イルクは僕の小指に指を絡ませる。
分厚く、節くれだった硬い指。僕の指よりも大きな、大事な兄貴分の指。
夕日が、指と指の間に差し込まれる。そこから漏れた光が橙色に滲み、僕とイルクの目を差した。
「ゆびきりげんまん。嘘ついたら針千本のーます」
指を振り、イルクと一緒に声を重ね。
「――指切った!」
指を離す。
それが僕にとっての、最初の契約だった。