Q.江戸時代に失踪した先妻が帰ってきたらどうするべき?
A.ど、どうしようもない……。
「あ、私って人生二回目なのかも」と気づいたのは、小学生のとき。
幼稚園時代、あいうえお表を覚えるのも数の概念を理解するのも早かったから、驚いた両親はすわ天才児かと私に多くを学ばせてくれた。頭の出来が特別よかったわけではないけれど、私はとにかく物覚えがよかった。まるですでに雛形があるように。
前世モノの漫画を読んでいたとき、ふと「私には別の人生の記憶がないだけで、似たような国に生まれたのは二回目なんじゃない?」という仮説を思いついた。
自分の前世についてわかるのは、数学がわかって、日本語がわかって、英語がわかるってこと。具体的に言えば学習のコツを知っている。つまり、教育を受けられる時代と環境に生きていたことくらい。男か女か、何歳まで生きたかもわからない。
でも、別に問題はなかった。自分の体や顔に違和感を覚えたことはないし、私はどこまでも「私」で、ちょっと物覚えのいい女の子。空気を読むのもうまいし、親の前でいい子に振る舞いつつ、要求を通す甘え方もわかる。少しだけ狡猾ってところかな。
まあしかし、清く正しくほんの少しだけ狡猾に、そしてかわいく生きていたとしても理不尽は存在するもの。高校生の時に妖怪にうちが目をつけられて、かなりの窮地に陥った。みんな、普通に死にかけた。そこを助けてくれた、この町を縄張りにする半妖のお兄さんに助けられて──私は恋をした。
まるで物語みたいね! 漫画やライトノベルにありそう。
彼には忘れられない人がいて、家には跡継ぎが必要だったけど子どものことは諦めきっていた。でも、私は振り向いてほしくて、私を知ってほしくて、そして彼を知りたくて。なんでもないことをたくさん話して、フ、と笑ってくれるだけで舞い上がって。
そうして恋を原動力に戦略を仕掛け続け、十八のときにプロポーズを受けた。短大を出たあとに結婚して、そこからすぐに妊娠と出産。お互い初めての子育てにてんてこまいになりながら、お屋敷のみんなに手伝ってもらって──妖怪たちも人間の子育ては久しぶりすぎて、勝手がかなり違ったみたい──幸せに暮らしていた。
「鯉伴様……!」
「山吹……!? おめぇなのかい!?」
「お会いしとうございました……!」
抱き合う美男美女。
その光景と、屋敷全体に広がった騒ぎに、私はただ戸惑った。
息子が六歳になった直後に、失踪した先妻が現れたんだけど。私ってどうしたらいいんだろう?
いや、夫に愛する女が複数いても問題じゃないの。彼は愛に優劣をつけない。私へのプロポーズの言葉も「お前が生きている間、特別な関係でお前の傍に居続けたい」だったので。それでいいと頷いたのは私だ。私だって初恋と失恋は甘く切ない思い出として存在するし。今一番好きなのが夫ってだけ、といえばそうだから。
ただ、うちには小学校入学を控えた息子がいる。
ほどほどにこまっしゃくれて生意気で、やんちゃでわんぱくで、私と夫が大好きな息子が。
先妻の彼女が夫の元を去ったのは不妊が原因。さらに私は人間で、彼女は妖怪。つまり彼女に子どもが生まれてさえいれば、この「妖怪任侠奴良組」は安泰で、二人の愛が悲恋に終わることもなかったわけで。
(まずいんじゃないかな……?)
静かに襖を閉めつつ、私は自分の顔が引きつっていくのを感じていた。
懸念通り、レディコミのような展開が始まった。
私を心配して傍に居てくれるのは数少ない女妖怪たちで、大半の男衆は二代目からの下僕。彼女、山吹乙女が総大将の妻として家政を取り仕切っていたときのこともよく覚えている。郷愁にすっかりやられてしまった男たちは、少しずつ山吹さんを正妻とし、私を側室とする空気になっていってしまった。
鯉伴さんは私と山吹さんの二人ともをリクオの母親にしたいみたいだし、彼の中で私たちに優劣はついていないのはわかる。でも、周りはそうじゃないのだ。
「若菜様、大丈夫ですかぁ……?」
「頭が痛いわ。組が割れそうで」
「そうなんですよぇ! なんでこんなことになっちゃうのかしら、あの馬鹿ども! 若菜様だって二代目の奥さんで、リクオ様のお母様なのに!!」
閉め切った私の部屋で、毛倡妓は髪をうねらせて吠えた。
怒ってくれる彼女にお礼を言いつつ、私は熱いお茶を啜る。
正直なところ、敵対組織の工作と言われたら納得してしまう自分がいる。なにせタイミングがタイミングだ。まるで狙いすましたかのよう、と思うのは不自然ではない。
実際に組は二分されてしまった。少数派の私が消極的だから目立った軋轢が生まれていないだけで。
義父もそれを考慮に入れているから、それとなく私とリクオを保護しつつ静観の構えだ。話に聞いたことはないが、たぶん奴良組因縁の相手がああいう手口を使いかねないのだろう。
今までの時間を取り戻すように山吹さんは鯉伴さんに愛をぶつけにぶつけているので、家の運営自体はまだ私に主導権がある。お勝手仕事をしているせいで男衆たちが私の序列を下げている雰囲気はあるけど。
ちょっと! 家事を馬鹿にするんじゃないわよ! 私が女主人なのは変わってないんだからね!? 仮に私が使用人ポジションになったって女中頭なのに、まったく。そもそも今の私の仕事はリクオの教育と家を保つことよ。鯉伴さんを愛して愛されるのは仕事じゃなくて趣味。もしくはお役目とやりたいことの違い。
まあただ……山吹さんから私への悋気は察するものがある。三人で仲良くお話、なんてのは土台無理って感じ。鯉伴さんも力を使って抜け出して、私とリクオを構いに来る始末だ。家の中にいつ導火線に火がつくかわからない爆弾があるのは変わらない。
リクオもリクオで、山吹さん派からは私をそれとなく下げる言葉を聞いているらしい。
山吹さんが帰ってきてから半月、リクオは私の後追いとおねしょが復活してしまった。家のことが不安で幼稚園にも行きたがらない。
ふとしたときに感情が不安定になるので、目の届かない場所でどんなストレスがかかっているのか、私たち両親も把握しきれていないくらいだ。
「おじい様の傍だったら絶対に大丈夫だからね」と言い含めてからは、義父の傍にぴったり張りついて一人にならないようにしているみたい。
我が子ながら賢い子だ。まあ私と鯉伴さんの子なら、そりゃあのらりくらりとしてるわね。ただ、六歳児に私たちと同じレベルを求めるのは酷だってだけ。ただでさえ海千山千の妖怪だらけだし。
一回私が別居して、その間に鯉伴さんが組をまとめて山吹さんを説得するっていうのが今のところの最適解だけど……一番の問題はリクオをどうするかってこと。
奴良邸はリクオにとってどこより安全だ。妖怪の総大将というのは実力主義なので、リクオを亡き者にすれば誰だって若頭にはなれる。今のリクオはただの嫡男。私と一緒に外に出てしまえば身の危険がゼロにはならないし、かといって本家に残していくと(仮に山吹さんにその気がなくても)私が奴良家から締め出されて母親の立場をすり替えられる。
リクオの命と心を天秤にかけるような状態だ。
夫婦二人と義父で話し合って、一時的に私が家を出ることは決まった。昔のツテを使って京都の陰陽師のところに送ってくれるらしい。「若菜さんは人間だからな、あいつらにとっても守る対象じゃ」とお義父様はにっこり笑った。ワシもたまには飯を食いに行きたいのうと言うところはまさにぬらりひょん。
とりあえずリクオには旅行に行くと説明して私は脱出、向こうにはお義父様から話が言っていたのでスムーズに保護された。鯉伴さんは「合間を縫って会いに行く」と約束してくれたし、本当に心配なのはリクオのことだけ。
夫がアホじゃなくてよかったと思う。私を大切に思ってくれていて、嬉しい。ただまあ、思い通りにならないのが他人というもので、だからこそ他者と関係を築くのは面白いとわかっていても、面倒なのは面倒だ。
私たちみんな、山吹さんのことが嫌いなわけじゃない。けれど突然の帰還を勘ぐるなというのは無理な話。鯉伴さんは愛が勝ってるから穏当な立ち位置をキープしているけど、もし彼女や彼女に感化された妖怪が私とリクオに直接危害を加えていたら、組織の長として元凶の彼女を切り捨てるくらいはするだろう。
ものすごく苦しみながらね。だって山吹さんを愛しているのは本当だから。おアツいわね〜。
私と鯉伴さんが出会って、結ばれてからだいたい十年。
人間の十年は短くない。今まで注いでもらった愛情は、私をしっかり立たせてくれる。
あの人はちゃんと私を愛している。同時に二人の女を同じ熱量で愛せるくらい愛の大きな人だけど、女たちの折衝に入るのには苦労するひとりの半妖だ。この辺の愛嬌で憎めない。むしろ好き。
だけども、子どもにこれをわかれと言うのが無茶なのだ。
「母さん! いつ帰ってくるんだ! あの女がいなくなればいいのか!?」
京都に来てから七日。ある夜のことだった。
後頭部が伸びて、髪と瞳の色が変わった息子が叫んでいる。ボロボロに泣いて、陰陽師相手に大立ち回りをして痣だらけで。一人で家を飛び出してきたのだろう。着ているのは室内着の着物で、裸足だった。
私は、一も二もなく駆け出してリクオを抱きしめていた。
「ごめんねリクオ、ごめんね。不安にさせたね」
小さな肩が震えて、すぐに私にしがみつく。
「う、うう~~!」
歯を食いしばるように泣く声を聞いて、私も泣いてしまいたくなった。
でも、私はこの子の母親なんだ。今は自分の感情よりも、リクオの傷を癒すことの方がずっと大事だ。そう思った。
努めて優しい声を出す。
「お父さんもね、お母さんのことが嫌いになったわけじゃないのよ。お母さんもリクオも守るために、ひとまずお母さんを逃がしたの。でも、リクオはお母さんが急にいなくなって寂しかったよね。ごめんね……」
がばりとリクオが顔を上げた。鯉伴さんと同じ金色の目が、涙で反射されてきらきら光った。赤くなった鼻と目元が痛々しい。
そっと涙を拭ったが、すぐに次の涙が浮かぶ。
リクオはぎゅうっと顔を歪めた。
「さ、寂しかった! 父さんのバカ! 俺になんにも言わないで! 昼の俺なんか、母さんが人間だから追い出されたのかと思って、妖怪をやめたいって俺を押し殺そうとしてよぉ!」
「あらら……それで
長くなった髪、頭を優しく撫でる。リクオはぐうっと唇を噛んで、もう一度私の首元に顔を埋めた。
「俺だって今はあの家が嫌いだ! 首無も青も黒もあの女を優先して、あの女を母親だと思えって言う! 俺の母さんは母さんだけだ! 俺は、妖怪と人間の両方揃って俺なんだ! どっちかだけなんて──」
血を吐くように叫んだあと、リクオの声は嗚咽だけになった。ぐすぐす鼻を啜る音を聞きながら、私はひたすら息子の背を軽く叩き、頭を優しく撫でて抱擁を続けた。
鼻水と涙がつくのなんてどうでもいい。この子を傷つけたのは私たち大人の失態なのだから。
私は内心ため息を吐いた。
(はあ、まったく……一週間でケリをつけられないのはわかるけど、今だけは鯉伴さんと山吹さんが恨めしいわ……)
そもそも、配下たちがノスタルジーに情緒を焼かれているのがいけない。彼らともだいたい十年共に過ごしたが、向こうにはそれじゃあ足りないらしい。
いや、毛倡妓や雪女、納豆小僧たちが味方になってくれたのは大きかったけど、そういうことじゃなくて……派閥を作って対立をしないでほしいっていうか……。親の心子知らずのごとく総大将の心を配下は知らない……。
リクオの呼吸が落ち着いたのを見計らってから、月明かりの下で私は彼の顔を覗き込んだ。
「おじい様には連絡しなきゃいけないけど、お父さんにも話していい?」
「……やだ。あと帰りたくない」
「帰りたくないならしばらく帰んなくてもいいわよ」
「え。い、いいのかよ」
「花開院の人たちの説得はちょっと大変だろうけど、なんとかするわ。まずはあなたたちの大喧嘩を謝らないとね。さ、とりあえず三日間、京都にいなさい。ほら、顔を洗って、着替えて、お母さんと一緒に寝ましょ。明日の朝はなにが食べたい?」
「……卵焼き。大根おろしもつけて」
「まっかせなさい!」
両脇に腕を差し込んで、我が子を抱き上げる。
うーんだいぶ重くなった。赤ちゃんのときも命が重かったけど、こんなに大きくなったと思うと感慨深い。
うちの子がごめんなさいね〜と、ひしっと抱きついたリクオには見えないところで頭を下げて、私は自分に与えられた部屋に戻るのだった。
リクオ 割を食った 悪化すると妖怪の反転アンチになる
女たち 胃をきりきりさせている
男たち 若干様子がおかしい
山吹乙女 憎悪メーターが溜まるとワープ進化する
鯉伴 いい目を見ている分代償を払うことになる 嫁とは似たもの夫婦
総大将 明らか仕掛けられててダルい 男衆を胡乱な目で見ている