がっこうぐらし! 孤高のハンター 作:ディクソンさん
今回から本編に繋がる話になって行きます!
どうぞお楽しみください!
また感想や評価もお願いします!
トラップの仕掛けを始め数時間、二人は校舎内の要所を回り手持ちの資材が尽きるまでトラップを仕掛け続けた。道中、物音に反応して二階や三階に迷い込んでいた「かれら」と何度も遭遇した。
だが、陣のクロスボウによる正確な遠距離射撃とくるみのシャベルによる強烈な近接攻撃の連携は回数を重ねるごとに洗練されていった。
陣が体勢を崩しくるみがトドメを刺す。あるいはその逆。言葉を交わさずとも二人は阿吽の呼吸で群れを処理していった。
「……ケーブルは尽きたか。まぁいい、これだけありゃ十分足止めにはなる」
陣は最後の空き缶トラップを階段に設置し終えると立ち上がって軽く肩を回した。
「……これ以上やっても雑になるだけだ。罠は手抜きした瞬間に死ぬ。今日は終いだ、戻るぞ」
「賛成だ。流石にちょっと疲れたな」
くるみもシャベルの柄で肩をトントンと叩きながら小さく息を吐いた。
二人は来た道を戻り、安全が確保された三階の廊下を部室へと向かって歩き始めた。トラップを仕掛け終えたことによる微かな達成感と戦闘後の心地よい疲労感が二人の間に流れている。
夕暮れが近づき、オレンジ色の西日が割れた窓から廊下を長く照らしていた。
「……なあ、陣」
静寂の中くるみがふと口を開いた。その声はいつもの強気な用心棒のものではなく、どこか等身大の一人の少女の脆さを帯びていた。
「なんだ」
「アタシさ……世界がこんな風になってからずっと怖かったんだ」
くるみは歩きながら両手で持っているシャベルの柄をまるで命綱のように強く握りしめた。
「由紀がああなっちまってめぐねえもいなくなって。アタシがこのシャベルでみんなを守らなきゃってずっと気を張ってた。……でも、本当は夜になるたびに手が震えてどうしようもなく怖くなる時があるんだよ」
陣は無言で前を歩きながら彼女の言葉に耳を傾けていた。極限状態の中で他人の命まで背負い込むプレッシャーは計り知れない。ましてや彼女はまだほんの高校生なのだ。
「……あの日」
くるみの声が微かに震えた。
「世界がこんな風になっちまった日、アタシは屋上に逃げたんだ。……陸上部の先輩と一緒に」
陣の足取りがほんの少しだけ遅くなる。
「アタシ、その先輩のことが好きだったんだ。いつも走ってる姿を目で追っててさ……」
くるみは自嘲するように小さく笑った。だが、その瞳には深い悲哀が滲んでいた。
「でも逃げる途中……先輩は噛まれた。……そしてアタシの目の前で『かれらに変わっちまったんだ」
くるみの足が止まった。
陣も立ち止まり、振り返って彼女を見た。西日に照らされたくるみの顔は泣き出しそうなほど歪んでいた。
「先輩はアタシを襲おうとしてきた。……だからアタシは屋上の花壇にあったこの園芸用のシャベルを手に取って……」
くるみはギュッと目を閉じ、震える声で決定的な事実を口にした。
「……アタシが殺したんだ。好きだった人をこの手でぐちゃぐちゃに叩き潰して」
静まり返った廊下にくるみの荒い呼吸だけが響く。彼女がなぜこの無骨なシャベルを片時も手放さず武器として使い続けているのか。それは生き残るための手段であると同時に、彼女が背負った「消えない罪と覚悟の象徴」だったのだ。
「……アタシの手はもう真っ黒だ。由紀やりーさんにはこんな思い絶対にさせたくない。だからアタシは化け物になってでも戦うって決めたんだ」
くるみは顔を上げ陣を真っ直ぐに見つめた。その瞳には涙が光っていたが、決してこぼれ落ちることはなかった。
陣はしばらく無言でくるみを見つめ返していた。安っぽい同情の言葉など彼女には必要ない。彼女が欲しているのは慰めではなく、自分が犯した罪と覚悟を「理解」してくれる存在なのだ。
陣はゆっくりと歩み寄り、くるみの頭にポンと無造作に手を置いた。
「……よくやった」
「え……?」
「……お前がその時シャベルを振らなかったらお前は死んでた。んで次はあの帽子、その次はりーさんだ」
陣の低く落ち着いた声がくるみの心に真っ直ぐに届く。
「……よく聞け。お前が殺したのは人間じゃねえ、もうとっくに死んでた化け物だ。……お前が守ったんだ。ここにいる連中を」
陣のその言葉にくるみの瞳からずっと堪えていた涙がポロリと一粒だけこぼれ落ちた。彼女はずっと誰かにそう言ってほしかったのかもしれない。自分が手を下したことは生きるために、仲間を守るために必要なことだったのだと。
「……っ、バカ。アタシは別に慰めてほしかったわけじゃ……」
くるみは乱暴に目元を拭い照れ隠しのように顔を背けた。
「慰めてねえよ。事実を言っただけだ」
陣は手を離し再び部室の方へと歩き出した。
「……さっさと帰るぞ」
「……ああ、そうだな」
くるみはシャベルを肩に担ぎ直し陣の背中を追った。その足取りは先ほどよりもずっと軽く、彼女の心にずっと重くのしかかっていた呪縛がほんの少しだけ解けたように見えた。
次の朝。
陣は拠点としている隣の空き教室で目を覚ますとまずは自身の装備の確認から一日を始めた。
クロスボウの弦の張り具合を確かめ、ボルトの歪みをチェックし狩猟用ナイフを軽く布で拭き上げる。生き残るためのルーティンを終えた陣は武器を身につけて部室(生徒会室)の扉を開けた。
中に入ると相変わらずりーさんが小さなキッチンで朝食の準備をしており、その隣ではるーちゃんが背伸びをしながらお皿を並べる手伝いをしていた。部屋の隅ではくるみが布でシャベルの刃を丁寧に磨き点検を行っている。
「おはようございます、神崎さん」
「陣、おはよう!」
「起きたか用心棒」
陣が来たことに気づいた三人から次々とおはようと声をかけられ、陣は「……おう」と短く適当に返事をして部屋に入った。
「なあ陣、これから朝の見回りに行くんだが一緒に来てくれないか?」
くるみがシャベルを立ち上がらせながら言う。
「昨日仕掛けたトラップの様子も見ておきたいしな」
「……分かった」
陣は短く答えそのままくるみと共に部室を出た。
二人は二階と三階の主要な通路を回り、昨日仕掛けたワイヤーと空き缶のトラップを確認して歩いた。幸い、夜の間に侵入してきた「かれら」はいなかったようでトラップは仕掛けた時のまま無傷だった。
異常がないことを確認し二人は再び部室へと帰還する。部室の扉を開けると、そこにはやっと目を覚ましていた由紀の姿があった。
由紀は手になにかの缶詰を持ち目をキラキラと輝かせている。
「あ、おかえりなさい! ねえくるみちゃん陣くん! 見てみて、大和煮!」
由紀は嬉しそうに手に持った牛大和煮の缶詰を二人に向けて突き出した。
「お、おう」
突然のテンションにくるみが少しだけ面食らったように相槌を打つ。
「朝から牛だよ! ぜ、ぜいたく~……!」
由紀は缶詰を頬にすりすりしながら心の底から幸せそうな声を上げた。
「昭和かよ……」
くるみが呆れたようにツッコミを入れる。
陣も無言でそのやり取りを見ていたが、極限状態のサバイバルにおいて肉の缶詰がどれほど貴重で「贅沢」なものかを知っているため由紀の反応もあながち間違ってはいないと思っていた。
しかし、キッチンから料理を運んできたりーさんがふと申し訳なさそうな、そして現実を突きつけるような声で言った。
「大事にね、それで大和煮最後だから」
その言葉に陣の眉がピクリと動いた。
(……最後か)
陣は部屋の隅にある段ボール箱の物資置き場に視線をやる。確かに缶詰やレトルト食品のストックは目に見えて減り始めていた。このままここに引きこもっていればいずれ確実に食料は底をつく。
「え?」
りーさんの言葉を聞いた由紀はピタッと動きを止めた。手にある大和煮の缶詰を見つめ、そして部屋の隅の物資置き場をチラリと見る。
「……うーん」
由紀は腕を組み手の中にある大和煮の缶詰と部屋の隅にある残り少ない物資の段ボール箱を交互に見比べながらしばらくの間真剣な顔で唸っていた。その様子を陣、くるみ、りーさん。そしてるーちゃんの四人が静かに見守る。
いつもならすぐに「めぐねえ」に話しかけて現実逃避をするかあるいは別の突拍子もない話題に飛びつく彼女が珍しく「物資の枯渇」という現実的な問題に対して彼女なりの思考を巡らせているようだった。
やがて、由紀は何かを決心したようにパッと顔を上げ満面の笑みを浮かべて宣言した。
「ね! これみんなで食べよ!」
その予想外の言葉にくるみが思わず「え……」と間の抜けた声を漏らした。くるみはてっきり由紀が「じゃあ私が全部食べちゃう!」と無邪気に言うものだとばかり思っていたのだ。
りーさんも少し驚いたように目を丸くしたがすぐに優しい微笑みを浮かべて首を横に振った。
「ううん、いいのよ。それは由紀ちゃんが食べていいわよ」
りーさんにとって由紀の笑顔を守ることこそが最優先事項だ。最後の贅沢な缶詰くらい彼女に独り占めさせてあげたいという親心のようなものだった。
「ダメだよー!」
しかし由紀は頬を膨らませて強く抗議した。
「最後の一個ならみんなで分けるの! 学園生活部はいつでもみんな一緒なんだから!」
由紀のその言葉には彼女なりの確かな部員としての責任感と仲間を思いやる純粋な優しさが込められていた。たとえ彼女の心が幻覚に囚われていようとも、その根底にある「友達を大切にする」という本質は世界が崩壊する前と何一つ変わっていないのだ。
その真っ直ぐな優しさに触れ、りーさんは少しだけ困ったように眉を下げ、そして嬉しそうに微笑んだ。
「……ふふっ、そうね。由紀ちゃんの言う通りだわ。それじゃあ他の缶詰と一緒に五等分にしましょうか」
りーさんがそう提案し、キッチンから小皿を取り出そうとしたその時だった。
「……俺は結構だ」
部屋の隅で壁に寄りかかっていた陣が低くぶっきらぼうな声で口を挟んだ。その言葉に全員の視線が一斉に陣へと集まる。
「えっ? なんで?」
由紀が不思議そうに小首を傾げた。
「陣さんも学園生活部のお客さんなんだからみんな平等だよ!」
「そうだぞ陣、遠慮すんなって。お前体デカいんだから食わねえと力出ねえだろ」
くるみも陣が気を遣っているのだと思いシャベルを傍らに置きながら声をかけた。だが陣は腕を組んだまま忌々しそうに舌打ちをした。
「気ぃ遣ってんじゃねぇ。……そんな缶詰ひとつを五人で分けたって意味ねぇだろ。一口二口食って『食った気』になるくらいならお前らが全部食え。腹減ってるガキと女の方が先だ」
陣は冷たく言い放ち、視線を窓の外へと向けた。
「俺は中途半端に味見するくらいなら最初から食わねぇ方がマシなタチなんだよ。……だから俺の分はあんたらで勝手に分けろ。俺はまだ携行食が残ってる」
それは陣なりの不器用な優しさだった。彼が言う通り小さな缶詰を五等分すれば一人当たりの量はほんの一口分にしかならない。育ち盛りの女子高生たちと幼いるーちゃん。彼女たちに少しでも多くの栄養と「美味しいもの」を食べさせてやりたいという彼なりの配慮だった。
だが、素直に「お前たちで食え」と言えないのが孤高のサバイバーとして生きてきた彼の不器用なところだ。
「……陣さん」
りーさんは陣のそのぶっきらぼうな言葉の裏にある真意を正確に読み取り、胸の前で両手を組んで深く感謝の眼差しを向けた。
「陣、たべないの……?」
るーちゃんが少し寂しそうに陣の革ジャンの裾を引っ張る。
「……俺は甘ったるい味付けの肉は嫌いだ」
陣はるーちゃんの頭をポンと撫でてわざとらしく顔をしかめてみせた。
「むー……陣さんがそう言うなら仕方ないなぁ」
由紀は少し残念そうに唇を尖らせたがすぐに気を取り直してりーさんに缶詰を手渡した。
「じゃありーさん! 私とくるみちゃんとりーさんとるーちゃんと……あとめぐねえの分で五等分ね!」
由紀が「めぐねえ」の分を含めて五等分と言った瞬間、再び部屋の空気がほんの僅かに張り詰めた。だがりーさんはすぐにいつもの優しい笑顔を作り、「ええ、分かったわ。めぐねえの分もちゃんと取り分けておくわね」と答えた。
陣は無言でそのやり取りを見つめながらポケットからカロリーメイトのような固形の携行食を取り出し包装を破って無造作に齧り付いた。パサパサとした無機質な味が口の中に広がる。だが不思議と不味くは感じなかった。
「……チッ」
陣は小さく舌打ちをし窓の外の淀んだ空を見上げた。この奇妙で歪で、そしてどこまでも温かい「学園生活部」の日常に自分がどんどん深く関わってしまっていることを彼はもう否定できなくなっていた。
「ねえ聞いて! 私、昨日の夜すっごいこと思いついちゃった!」
ガタッ、とパイプ椅子を勢いよく鳴らして由紀が突然立ち上がった。その両手にはまだ半分ほどご飯が残っているお茶碗と箸がしっかりと握られたままだ。行儀が悪いことこの上ないが、今の彼女にはそんな些細なマナーなど頭から吹き飛んでしまっているようだった。
全員の視線が一斉に由紀へと集まる中、彼女は目をキラキラと輝かせとんでもない発言を投下した。
「遠足行こう! 遠足!」
その言葉が部室に響き渡った瞬間、空気がピタリと止まった。外の世界は生ける屍が徘徊する危険地帯だというのに、あろうことか「遠足」という平和の象徴のような言葉が飛び出したのだ。
「……遠足?」
最初に沈黙を破ったのはくるみだった。彼女は手に持っていたスプーンを皿に置き心底信じられないものを見るような、あるいは突拍子もない冗談を聞かされたような顔で由紀を見上げた。
「そう! 遠足にはもってこいの季節じゃない?」
由紀はくるみの戸惑いなど一切気にする様子もな、窓の外の淀んだ空を指差して満面の笑みを浮かべた。彼女の瞳には血と埃に塗れた校庭ではなく、青々と晴れ渡った絶好の行楽日和の空が映っているのだろう。
「ゆきちゃん……」
りーさんが困り果てたような声で由紀の名前を呼んだ。どうやってこの無謀な提案を由紀の心を傷つけずに却下すればいいのか必死に頭を回転させているのが陣の位置からも見て取れた。
「ね? いいアイデアでしょ!」
由紀はお茶碗と箸を持ったままえっへんと誇らしげに胸を張る。そのあまりにも無邪気な笑顔に陣は壁際で携行食をかじりながら呆れ半分でため息をついた。
りーさんは小さく深呼吸をし、努めて冷静ないつも通りの「優しい部長」の声を絞り出した。
「……お行儀が悪いわ。座って食べなさい」
まずは日常の延長線上にある注意で由紀のペースを落とそうとする。そしてりーさんは由紀の目を真っ直ぐに見つめ最も強力な「盾」を持ち出した。
「……それと、忘れたの? 学園生活部の規約で『学校を出ちゃダメだ』って決まっているじゃない」
りーさんの言葉にくるみもホッとしたように息を吐いた。
そうだ、学園生活部には「学校で寝泊まりし、学校から出てはいけない」という絶対のルールがある。由紀自身もそのルールを固く信じているはずだ。これで諦めてくれるはずだ、と。
しかし、由紀の反応は彼女たちの予想を斜め上に超えていった。
「ふっふっふーん……!」
由紀はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、持っていた箸でビシッと宙を指差した。
「私、気づいちゃったんだぁ……! 確かに規約には『学校を出てはならない』ってある。……しかし、例外もある! 『学園行事』なら外に出たことにならないの!」
渾身の屁理屈だった。由紀は「どうだ!」と言わんばかりに自信満々に胸を張っているが、そのあまりにも強引な論理展開に残された四人はただただ困惑した表情を見せることしかできなかった。
るーちゃんに至っては何の話をしているのか全く理解できず、ぽかんと口を開けて由紀を見上げている。
「いやいや、おかしいだろ……」
くるみがやれやれと頭を抱えながら深い溜息をついた。
「遠足って部活でやるもんじゃないから……。クラスとか学校全体でやるもんだろ」
くるみの真っ当すぎるツッコミ。陣も心の中で「その通りだ」と同意した。そもそも部活動で遠足に行くなど聞いたことがない。
だがりーさんは違った。彼女はくるみのように正面から否定するのではなく、学校という「システム」を利用してこの無謀な計画を穏便に頓挫させる方法を思いついたのだ。
「そうねぇ……」
りーさんは少し考える素振りを見せた後、ポンと手を打った。
「じゃあ、提出用の文書を作りましょう。部活動で遠足に行くならちゃんと企画書を書いて顧問のめぐねえに見てもらって許可をもらわないとダメよ」
りーさんの見事な機転だった。文書の作成という面倒な作業を課すことで時間を稼ぎ、さらに「めぐねえの許可」というハードルを設ける。めぐねえは由紀の幻覚の中にしか存在しないが、由紀の脳内のめぐねえが「外は危険だからダメ」と判断してくれればこの話は自然消滅する。りーさんはそう計算したのだ。
陣もりーさんのその見事な誘導に内心で感心した。
しかし──由紀の行動力はりーさんの計算をさらに上回っていた。
「じゃーん!」
由紀は持っていたお茶碗と箸をテーブルにコトリと置くと、制服のポケットから綺麗に折りたたまれた一枚の紙を取り出しバッと広げて見せびらかした。そこには可愛らしい丸文字でデカデカと『学園生活部による遠足』と書かれていた。
目的地や目的、持ち物までご丁寧にびっしりと書き込まれている。昨日の夜、彼女が一人でウキウキしながらこれを書いている姿が目に浮かぶようだった。
「……っ」
りーさんが言葉を失い、くるみが「マジかよ……」と呆れ返る。
陣も思わずかじりかけていた携行食を口から落としそうになった。まさかすでに書類まで用意しているとは。
「……そう。ちゃんと用意していたのね」
りーさんは引きつりそうになる笑顔を必死に保ちながらなんとか言葉を紡いだ。
「じゃあ……めぐねえにそれを見せたらいいんじゃないかしら。めぐねえがなんて言うか聞いてみて」
最後の砦は由紀の脳内にいる「めぐねえ」の判断に委ねられた。
「うん! 分かった!」
由紀は企画書を胸に抱きしめ、残っていたご飯を猛烈な勢いでかき込んだ。
「ごちそうさま! 私、めぐねえを呼んでくる!」
そして嵐のように立ち上がると満面の笑みで部室の扉を開け、バタン! と勢いよく閉まった扉の音が部室に響き渡り、その後には再び静寂が舞い降りた。
テーブルの上には由紀が猛烈な勢いで平らげた空の茶碗と、まだ少しだけ残っている大和煮の小皿がポツンと置かれている。
「……さて、どうしましょうか」
りーさんは困ったように眉を下げふうっと小さくため息をついた。その表情に先ほどのような切羽詰まった絶望感はない。むしろ手のかかる妹の突拍子もないワガママに頭を悩ませるどこにでもいる姉のようなどこか穏やかな困惑だった。由紀のこうした突発的な行動にはある程度慣れっこになっている部分もあるのだろう。
「どうするも何もめぐねえがダメだって言ってくれるのを祈るしかねえだろ……」
くるみがシャベルの柄に顎を乗せながらやれやれといった様子でぼやく。
だが、部屋の隅で壁に寄りかかっていた陣は残っていた携行食を飲み込むとゆっくりと口を開いた。
「……いや。そのバカげた『遠足』とやらに付き合う気は毛頭ねえが、外に出ること自体はあながち悪い話でもねぇだろ」
その言葉にりーさんとくるみが驚いたように陣を振り返った。外の危険性を誰よりも理解し、昨日も防衛線の構築に尽力していた彼が自ら外に出ることを肯定するような発言をしたからだ。
「どういうことだ陣? お前、昨日あんなに苦労してバリケード作ったばっかだろ」
くるみが怪訝そうな顔で尋ねる。陣は腕を組み、部屋の隅に積まれた段ボール箱──彼らの命を繋ぐ物資のストック──へと視線を向けた。
「物資の確保だ。……遠足じゃなく『調達』として行くなら俺は賛成だ」
陣はそう言い切り、今度はりーさんの方へと真っ直ぐに視線を向けた。
「りーさん。あんたが備蓄を管理してんだろ。……見た感じ節約はしてるみてぇだが、正直あとどれくらい保つ? 一週間か、それとも一ヶ月か」
そのストレートな問いかけにりーさんは少しだけ目を伏せ、組んでいた両手をギュッと握りしめた。
陣は続ける。
「この学校が他よりマシなのは認める。屋上の畑、電気、雨水まで回してやがる。ここまでやれてる場所なんざそうそうねぇ。……けど畑と水だけで一生生き残れるほど簡単な話じゃねぇんだよ」
指摘は極めて現実的で残酷な事実だった。野菜だけでは栄養が偏るし、カロリーも足りない。米やパスタなどの炭水化物、そして何より肉や魚といったタンパク質は缶詰やレトルト食品に頼るしかない。そしてそれらの備蓄は確実に底をつき始めている。
「……ええ。神崎さんの言う通りです」
りーさんは顔を上げ、静かに頷いた。その瞳には部長としての責任感と現実を見据える確かな覚悟が宿っていた。
「お米や乾麺はまだ少し余裕がありますが缶詰類は……先ほどの牛大和煮が最後でした。調味料やトイレットペーパーなどの日用品もかなり心許ない状況です。このままではいずれ限界が来ます」
りーさんの言葉に部室の空気が少しだけ重くなる。彼女自身、由紀の笑顔を守るために明るく振る舞ってはいたが物資の減少という真綿で首を絞められるような現実にはずっと前から気づいていたのだ。
「……なるほどな。そういうことならしょうがないか」
くるみがシャベルを肩に担ぎ直しながらふっと息を吐いた。
「いつかは外に探しに行かなきゃなんねえってアタシも薄々分かってたしな。それに……」
くるみはチラリと陣を見てニヤリと笑った。
「今は頼もしい『用心棒』がもう一人増えたわけだし。陣がいれば外に出てもなんとかなる気がするぜ」
くるみのその言葉には昨日共に戦い、背中を預け合った陣に対する確かな信頼が込められていた。
陣たちが外への遠征を現実的なものとして受け入れ始めたその時、りーさんの隣に座っていたるーちゃんが不安そうにりーさんの袖を引っ張った。
「……また、おそとにいくの?」
るーちゃんの小さな声は微かに震えていた。彼女にとって、外の世界は「かれら」がうろつく恐ろしい場所だ。陣と一緒にバイクで逃げ回っていた数日間の記憶が彼女の小さな心に暗い影を落としているのだろう。大きな瞳には今にもこぼれ落ちそうな涙が浮かんでいた。
その様子を見た陣は小さく舌打ちをすると、壁から背を離してるーちゃんの目の前まで歩み寄った。そして大きな体を屈め、るーちゃんと同じ目線になるようにしゃがみ込む。
「……勘違いすんな。お前も一緒に来るんだ」
陣がぶっきらぼうな口調でそう告げるとるーちゃんはビクッと肩を揺らし、りーさんの腕にギュッと抱きついた。
りーさんも驚いたように陣を見つめる。危険な外の世界にわざわざ幼い子供を連れ出す理由が分からなかったからだ。
「神崎さん……? それはどういう……」
りーさんが問いかけようとするのを手で制し、陣はるーちゃんの目を真っ直ぐに見据えて言葉を続けた。
「いいか、耳かっぽじって聞け。俺とシャベル女が外に出たらこの学校でまともに戦える奴はほとんどいなくなる。もし俺たちが戻る前にやつらが雪崩れ込んできたら終わりだ。……その時は誰もお前を守れねぇ」
陣の言葉は極めて冷徹で現実的な戦術論だった。学校の防衛線は確かに強化したが、絶対ではない。もし不測の事態が起きた時戦える人間が一人もいない拠点に非戦闘員を残していくのはサバイバルにおいて最も避けるべき「戦力の分散」だった。
「……だから俺の目の届くとこにいろ。俺の背中の後ろから離れんな。お前もりーさんも勝手に前出て死なれたら寝覚めが悪ぃ」
それは孤高のサバイバーが初めて明確に口にした「庇護」の約束だった。乱暴な口調の中に隠された絶対に守り抜くという強烈な意志。その確かな熱量は怯えていたるーちゃんの心にスッと染み込んでいった。
「それにだ」
陣は少しだけ意地悪く口角を上げ、るーちゃんの鼻先を指で軽くつついた。
「食いもんを漁るなら荷物持ちは多い方がいい。……それにお前だって自分で食う菓子くらい自分で選びてぇだろ?」
その言葉にるーちゃんの大きな瞳がパチクリと瞬きをした。怖い外の世界。でも、陣とくるみが守ってくれる。そして自分でお菓子を選べる。
幼い頭で一生懸命に天秤にかけた結果、るーちゃんは涙を引っ込めこくりと力強く頷いた。
「うん……! るー、おかしいっぱいもつ!」
「ああ、頼んだぞ」
陣は満足げに鼻を鳴らし、大きな手でるーちゃんの頭をポンと無造作に撫でて立ち上がった。そのやり取りを見ていたくるみはシャベルに寄りかかりながら「へへっ」と嬉しそうに笑った。
「なんだよ陣、お前って意外と子供の扱い上手いじゃんか。……まあ確かにアタシらがいない間にここを襲われたら最悪だしな。全員で固まって動くのが一番安全だ」
りーさんも陣の不器用な優しさと理にかなった提案に深く安堵したように微笑んだ。
「……ありがとうございます神崎さん。そうですね、由紀ちゃんも『遠足』だと言い張るなら絶対に全員で行くって譲らないでしょうし……。みんなで一緒に行きましょう」
これで方針は決まった。ただの「遠足ごっこ」ではなく、学園生活部全員での命懸けの「物資調達」。
「……さて。あとはあのバカが『めぐねえ』からどういう返事をもらってくるかだな」
陣が腕を組み部室の扉の方へと視線を向けた。もし由紀が「許可をもらえなかった」と言えば遠足という名目は消滅し、陣が主導する純粋な「物資調達」として外に出ることになる。
もし「許可をもらえた」と言えば──あの由紀のペースに巻き込まれながら外の地獄を歩かなければならなくなる。
全員で外へ出るという方針が固まり、部室の中に漂っていた重苦しい空気は微かな希望と前向きな緊張感へと変わっていた。るーちゃんも陣の言葉に安心したのか、りーさんの隣で大人しく座り直している。
「……方針は決まった。だが問題は『足』だ」
陣は腕を組んだまま部屋の中心にいる三人を見回して低い声で切り出した。外の世界は徒歩で移動できるほど甘くはない。物音一つで無数の「かれら」が群がってくる状況下において生身で街を歩き回るのは自殺行為に等しい。それに大量の物資を持ち帰るためにはそれなりの積載量を持つ乗り物が不可欠だった。
「俺のバイクじゃせいぜい俺とるー乗せるので限界だ。物資まで積むとなりゃ余裕もねぇ。……あんたら、使えそうな車か何か心当たりあるか?」
陣の現実的な問いかけにくるみがポンと手を打って明るい声を上げた。
「ああ、それなら心配ねえよ! 駐車場にめぐねえの車が停まってるんだ」
くるみはシャベルの柄を軽く叩きながら自信満々に笑みを浮かべた。
「めぐねえの車ならアタシら全員乗っても余裕があるし、後ろの座席を倒せば物資だって山ほど積める」
「……なるほど。車があるなら話は早い」
陣は小さく頷き思考を巡らせた。車という強固な装甲と機動力があれば多少の群れなら強行突破できる。物資の運搬という最大の課題もクリアできる。
「俺はバイクで出る。前の道見ながら危ねぇ奴がいたら片付ける。……で、その車だがハンドル握れる奴はいんのか?」
陣が当然の疑問としてそう尋ねると、くるみが「おう!」と元気よく右手を高く挙げた。
「アタシが運転するよ!」
その力強い立候補に陣は少しだけ目を丸くした。くるみは高校生だ。当然、車の免許など持っているはずがない。だがこの崩壊した世界において法律や免許の有無など何の意味も持たない。問題は実際に車を動かせる「技術」があるかどうかだ。
「……経験あんのかよ」
陣が疑わしげに目を細めて問う。
「勿論あるぜ!」
くるみはドンと胸を張りこの上なく誇らしげな、そして最高に不安を煽るセリフを放った。
「ゲームでな!」
ピタリ、と。部室の空気が先ほどの由紀の「遠足発言」とはまた違った意味で凍りついた。
「…………は?」
陣の口から低くドスの効いた声が漏れる。
「いやいや任せとけって! アタシ、レースゲームじゃいっつもトップクラスだったんだから! ハンドル握ってアクセル踏めば進むんだろ? 余裕余裕!」
くるみは全く悪びれる様子もなく、むしろ自分の運転技術に絶対の自信を持っているようだった。空中で見えないハンドルを握りキュキュッと右左に切るジェスチャーまでして見せる。
そのあまりにも楽観的な態度に陣は頭痛を堪えるように眉間を指で強く揉みほぐした。
(……このガキ、ゲームの運転と現実の運転が同じだと思ってんのか……)
隣ではりーさんが両手で顔を覆い、「ああ……神様……」と絶望的な声で天を仰いでいた。彼女もまたくるみの運転する車に乗るという恐怖を想像してしまったのだろう。
るーちゃんだけが「くるみお姉ちゃん、ぶーぶーうんてんするの? すごーい!」と無邪気に拍手をしているのが余計に状況のシュールさを際立たせていた。
「……おい、シャベル女」
陣は地を這うような低い声でくるみを睨みつけた。
「現実の車は壁にぶつかってもリセットボタンはねえんだぞ。エンスト起こしてやつらに囲まれたらその時点でゲームオーバーだ。分かってんのか?」
「わ、分かってるって! 冗談だよ冗談!」
陣のあまりの剣幕にくるみは少しだけたじろぎ慌てて両手を振って弁解した。
「……まあ、実車に乗るのは初めてだけどさ。でもアタシ運動神経には自信あるし機械の操作も得意な方だ。りーさんや由紀に運転させるよりは絶対にマシだと思うぜ?」
くるみのその言葉は悔しいが事実だった。おっとりとしたりーさんや幻覚を見ている由紀にハンドルを握らせるよりは反射神経に優れたくるみに任せるのが消去法で考えても最も生存確率が高い。
陣は深く長くため息をつき、忌々しそうに舌打ちをした。
「……チッ。しょうがねえか」
他に選択肢がない以上、腹を括るしかない。陣は壁から背を離し、くるみの目を真っ直ぐに見据えて念を押すように低く言い放った。
「じゃあ運転はお前に任せる。……だが無茶はすんな。事故起こすんじゃねえぞ」
「おう! 任せとけって! 安全運転で行くからよ!」
くるみはニカッと白い歯を見せて笑い親指を立ててみせた。その笑顔の裏にある根拠のない自信が陣の胃をさらにキリキリと痛めつけていた。
これで移動手段と役割分担も決まった。あとはあの突風のような少女がどのような「結果」を持ち帰ってくるかだ。
静まり返った部室で四人は扉が開くその瞬間を静かな緊張と共に待ち構えていた。
そして、部室の空気を切り裂くようにガラガラッ! と勢いよくスライド式の扉が開け放たれたのだった。
お読みいただきありがとうございました!