私たちは、一瞬何が起こったのか分からなかった。
いや、光が消えてしまった今になっても、まだ理解できていなかったのかもしれない。
ディオドラ・アスタロトを倒し、アーシアさんを拘束していた神滅具の装置も一誠が破壊したことで、ようやく彼女を助け出すことができた。拘束から解放されたアーシアさんはリアス先輩に抱きしめられ、私たちもこれですべて終わったのだと思っていたし、あとはこの神殿から無事に帰るだけのはずだった。
けれど、その直後に突然現れた光の柱がアーシアさんを包み込み、私たちが何かをする暇さえ与えないまま、その姿を光の中へ呑み込んでしまった。
「アーシア!」
一誠の声が、広い神殿の中へ響き渡る。
光が消えた場所には何も残っていなかった。アーシアさんが立っていたはずの床を見ても術式らしい痕跡はなく、周囲へ視線を走らせてもその姿は見つからない。私もアストラノヴァを持ったまま何度も辺りを確認したけれど、アーシアさんの気配さえ感じ取ることができなかった。
「アーシア! どこですか!」
この神殿の別の場所へ飛ばされただけなのかもしれない。何かの術で姿や気配を隠されているのかもしれないし、私たちの知らない方法で別の場所へ移動させられただけかもしれない。
そう考えていたかった。
ほんの数秒前まで目の前にいた人が、突然この世界から消えてしまったように見える現実を、それ以外の形ではまだ受け止めることができなかった。
「神滅具で創りしもの、神滅具の攻撃で散る、か。霧使いめ、手を抜いたな。計画の再構築が必要だ」
そんな私たちの頭上から、不意に聞き覚えのない男の声が降ってきた。
全員が反射的に顔を上げ、私もアストラノヴァを構え直す。
宙に浮かんでいたのは、軽鎧を身につけ、その上からマントを羽織った見知らぬ男だった。敵陣の真ん中へ一人で姿を現したというのに緊張した様子はほとんどなく、それ以上に気になったのは、離れている私の身体の芯まで冷え込んでくるような異様な魔力だった。
「……誰?」
リアス先輩が警戒を強めながら問いかける。
「お初にお目にかかる、忌々しき偽りの魔王の妹よ。私の名前はシャルバ・ベルゼブブ。偉大なる真の魔王ベルゼブブの血を引く、正統なる後継者だ。先ほどの偽りの血族とは違う。ディオドラ・アスタロト、この私が力を貸したというのにこのザマとは。先日のアガレスとの試合でも無断でオーフィスの蛇を使い、計画を敵に予見させた。貴公はあまりに愚行が過ぎる」
「旧ベルゼブブ!」
「こんなときに! アザゼル先生がおっしゃっていた今回の首謀者がご登場とは……」
リアス先輩たちの反応を聞いて、私にも男の立場が理解できた。
旧魔王派。それも、これまで神殿の中で戦ってきた兵士たちとは明らかに格が違う存在らしい。
「シャルバ! 助けておくれ! キミと一緒なら、赤龍帝を殺せる! 旧魔王と現魔王が力を合わせれば――」
床へ倒れていたディオドラが、救いが現れたとでも思ったのか声を上げる。
一誠との戦いで左腕と右脚を潰され、満足に動くこともできない状態だったにもかかわらず、シャルバの姿を見た途端、その顔には明らかな安堵が浮かんでいた。
けれど、シャルバがディオドラへ向けた視線には、仲間を助けようとする色など欠片もない。
「哀れな。あの娘の神器の力まで教えてやったのに、モノにもできずじまい。たかが知れているというもの」
シャルバが腕を動かす。
手元には見慣れない機器が取り付けられており、そこから生まれた眩しい光を見た瞬間、私は思わず目を細めた。
悪魔の魔力とは明らかに違う。
以前見た天使や堕天使が扱っていたものに近い光は、そのままディオドラの胸元へ突き刺さった。
悲鳴を上げる暇すらほとんどなかった。
身体は瞬く間に光へ包まれ、それが消えた時には、そこにディオドラがいた痕跡さえ残っていなかった。
ほんの少し前、一誠はディオドラを殺さなかった。あれほど怒り、何度も殴りつけ、腕や脚を折りながらも、最後には自分の意思で攻撃を止めている。
その相手を、シャルバは味方だったはずなのに、何の躊躇もなく消した。
裕斗も光の正体が気になったのか、シャルバの腕へ取り付けられた装置を注意深く見ていたけれど、本人はディオドラを処分したことなどすでに興味を失ったらしく、今度はリアス先輩へ視線を向けた。
「さて、サーゼクスの妹君。いきなりだが、貴公には死んでいただく。理由は当然。現魔王の血筋をすべて滅ぼすため」
「グランシャラボラス、アスタロト、そして私たちグレモリーを殺すというのね」
「その通りだ。不愉快極まりないのでね。私たち真の血統が、貴公ら現魔王の血族に『旧』などと言われるのが耐えられないのだよ」
シャルバの声には迷いがない。
現魔王への憎悪と、自分たちこそが本来魔王の座へ就くべき存在なのだという確信を、当然の前提として語っている。
「今回の作戦はこれで終了。私たちの負けだ。まさか、神滅具のなかでも中堅クラスのブーステッド・ギアが上位クラスのディメンション・ロストに勝つとは。想定外としか言えない。まあ、今回は今後のテロの実験ケースとして有意義な成果が得られたと納得しよう。クルゼレイが死んだが問題ない。――私がいればヴァーリがいなくても十分に我々は動ける。真のベルゼブブは偉大なのだから。さて、去り際のついでだ。――サーゼクスの妹よ、死んでくれたまえ」
多くの者が傷つき、死んだことさえ、シャルバにとっては次の行動へ利用するための結果でしかないらしい。
「直接現魔王に決闘も申し込まずにその血族から殺すだなんて卑劣だわ!」
「それでいい。まずは現魔王の家族から殺す。絶望を与えなければ意味がない」
その答えを聞いた瞬間、リアス先輩の周囲から紅い魔力が激しく噴き上がった。
「外道っ! 何よりもアーシアを殺した罪! 絶対に許さないわっ!」
朱乃先輩も顔を怒りに歪め、全身へ雷光を纏い始める。小猫さんとギャスパー君は涙を流し、ゼノヴィアも殺気を隠そうとせずシャルバを睨みつけていた。
私も同じだった。
アーシアさんがどこへ行ったのかは分からない。それでも、その場にいる全員が、少しずつ同じ可能性へ辿り着き始めているのが分かった。
もう戻ってこないのではないか。
そんな考えを認めたくないのに、誰も否定することができない。
ただ一人だけ。
「アーシア? アーシア?」
一誠は、まるで別の時間の中へ取り残されているようだった。
シャルバを見ようともせず、ふらふらと神殿の中を歩きながら、まだアーシアさんの姿を探し続けている。
「アーシア? どこに行ったんだよ? ほら、帰るぞ? 家に帰るんだ。父さんも母さんも待ってる。か、隠れていたら、帰れないじゃないか。ハハハ、アーシアはお茶目さんだなぁ」
一誠は笑っているつもりなのだと思う。
けれど、そこに普段の笑顔はなく、口元だけが不自然に動いているのに、目はまったく笑っていなかった。
「アーシア? 帰ろう。もう、誰もアーシアをいじめる奴はいないんだ。いたって、俺がぶん殴るさ! ほら、帰ろう。アーシア、体育祭で一緒に二人三脚するんだから……」
その言葉を聞いた瞬間、この前の光景が頭をよぎる。
体育祭へ向けて練習していたアーシアさんは、慣れない運動に戸惑いながらも楽しそうに笑っていた。
ほんの少し先に、本当にあるはずだった日常だった。
リアス先輩がゆっくりと一誠へ近づき、その身体を優しく抱きしめる。一誠は振り払おうとはしなかったけれど、リアス先輩の腕の中にいても、目だけはまだ神殿の中をさまよい続けていた。
「部長、アーシアがいないんです。やっと帰れるのに。先生が言っていた神殿の地下に隠れなきゃ。でも、アーシアがいないと……、父さんと母さんがアーシアを娘だって、アーシアも俺の父さんと母さんを本当の親のようにって……。俺の、俺たちの大切な家族なんですよ……」
最後の一言が胸へ突き刺さった。
アーシアさんにはもう、帰る家がある。
兵藤家へ戻れば待っている人がいて、学校へ行けば友達がいて、部室へ来れば私たちがいる。自分で望み、自分で選び取った居場所だった。
それを奪った相手が、今すぐ目の前にいる。
「……許さない。許さないッ! 斬るっ! 斬り殺してやるっ!」
ゼノヴィアが二本の聖剣を抜き、リアス先輩が止めるより早く、デュランダルとアスカロンを握ったまま床を蹴った。
「無駄だ」
二本の聖剣が届く直前、シャルバの前へ光り輝く防御障壁が展開され、強烈な反発によってゼノヴィアの身体ごと弾き飛ばす。
そこへ間髪入れず魔力弾が撃ち込まれ、腹部へまともに攻撃を受けたゼノヴィアは、勢いよく床へ叩きつけられた。
「ゼノヴィア!」
聖剣が手元から離れ、床へ転がる。
それでもゼノヴィアは諦めず、痛みに顔を歪めながら床へ突き刺さった聖剣へ腕を伸ばしていた。
「……アーシアを返せ……。……私の……友達なんだ……っ!……やさしい友達なんだ……。誰よりもやさしかったんだ……ッ! どうして……ッ!」
この前聞いたゼノヴィアの言葉を思い出す。
最初はアーシアさんを魔女だと思っていた。それでもアーシアさんは変わらず彼女へ接し、いつしか二人は友達になった。
だからこそ、今度はゼノヴィアが助けたかったのだろう。
けれどシャルバは、そんな彼女を見ても表情を変えず、やがて一誠へ視線を向けた。
「下劣なる転生悪魔と汚物同然のドラゴン。まったくもって、グレモリーの姫君は趣味が悪い。そこの赤い汚物、あの娘は次元の彼方に消えていった。すでにその身も消失しているだろう。――死んだ、ということだ」
一誠の動きが止まった。
それまで神殿の中を探し続けていた目が、ゆっくりとシャルバへ向けられる。
私も息を止めた。
そんなはずはないと言いたい。
けれど、アーシアさんの姿はどこにもなく、気配さえ感じられない。その場にいる誰一人として、シャルバの言葉を否定することができなかった。
一誠も何も言わない。
怒鳴ることも、拳を握ることもしなかった。
少し前までディオドラへ向けていた怒りとは、まるで違う。
あの時の一誠は、どれだけ激怒していても自分が何をしているのか理解していたし、最後には自分の意思で止まることができた。
今は、その表情から何を考えているのかさえ分からない。
『リアス・グレモリー、いますぐこの場を離れろ。死にたくなければすぐに退去したほうがいい』
突然響いたドライグの声に、リアス先輩も私も一誠へ視線を戻した。
なぜそんな警告をするのか分からない。シャルバは一人で、こちらにはまだ戦える者が残っているというのに、その声から冗談や誇張は微塵も感じられなかった。
「そこの悪魔よ。シャルバといったか?」
一誠がリアス先輩の腕を振り払う。
そのまま立ち上がると、死人のようなおぼつかない足取りでシャルバへ向かって歩き始めた。
「一誠……?」
一歩、また一歩と進む速度は遅い。
それなのに、私はなぜか近づいて止めることができなかった。
一誠がシャルバの真下まで来た時、再びドライグの声が響く。
『選択を間違えた』
次の瞬間、神殿全体が大きく揺れた。
一誠の身体から、血を思わせるほど濃い赤色のオーラが噴き上がり、床に転がっていた細かな石片まで浮かせながら、瞬く間に周囲へ広がっていく。
私は反射的にアストラノヴァを地面へつき、押し寄せる圧力へ身体を支えた。
その中で、一誠が口を開く。
聞こえてきたのは、一誠一人の声ではなかった。
老人、若い男、女――いくつもの声が幾重にも重なり、それぞれ別々に喋っているはずなのに、一つの詠唱として神殿中へ響き渡っていく。
『我、目覚めるは――』
〈始まったよ〉〈始まってしまうね〉
『覇の理を神より奪いし二天龍なり――』
〈いつだって、そうでした〉〈そうじゃない、いつだってそうだった〉
『無限を嗤い、夢幻を憂う――』
〈世界が求めるのは――〉〈世界が否定するのは――〉
『我、赤き龍の覇王と成りて――』
〈いつだって、力でした〉〈いつだって、愛だった〉
〈何度でもおまえたちは滅びを選択するのだなっ!〉
詠唱が進むほど、一誠を覆う鎧も異様な形へ変質していく。
いつもの《赤龍帝の鎧》ではない。
装甲は鋭角的になり、巨大な翼が伸び、両手両足には獣を思わせる爪が形成されていく。その姿は一誠が鎧を纏っているというより、鎧そのものが内側にいる一誠を別の存在へ作り替えているように見えた。
『汝を紅蓮の煉獄に沈めよう――』
全身の宝玉から、絶叫に近い声が一斉に放たれる。
『Juggernaut Drive!!!!!!!!!!!!』
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオッ……。」
爆発でも起きたのかと思うほどの衝撃が神殿内部へ広がり、床も壁も柱も激しく震え、天井から大量の破片が降ってきた。
私はアストラノヴァを前へ立て、小猫さんとギャスパー君の方へ飛んできた瓦礫を受け止める。
「ぐぎゅああああああああああああああああああああああああああああっ! アーシアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
一誠の声は、もはや人間の叫びより獣の咆哮に近かった。
四つん這いになると、巨大な翼を大きく羽ばたかせる。
ビュン!
空気を切り裂く音が聞こえた時には、すでに一誠の姿は視界から消えていた。
次に見つけた時には、シャルバへ食らいついている。
「ぬうううううっ!」
牙が肩へ深く突き刺さり、そのまま肉を力任せに引き千切った。
生々しい音とともに血が床へ散る。
私はその光景を見ながら、一誠の戦い方が完全に変わってしまったことを嫌でも理解した。
拳でも、蹴りでもない。
目の前の敵へ食らいつき、その肉を千切る。ただ相手を仕留めるためだけの、獣そのものの動きだった。
「おのれっ!」
シャルバが光を作り出そうとした瞬間、一誠の宝玉の一つが発光し、そこから赤い鱗に覆われた龍の腕が伸びる。シャルバの腕を掴んで動きを止めた直後、別の宝玉から伸びた刃が一気に振り抜かれ、その腕を根元から切断した。
血が床へ飛び散る。
一誠の変化はそれだけでは終わらず、全身の宝玉から龍の腕や刃が次々と伸び、人の形を保っていることの方が不自然に思えるほど異形へ変わっていく。
距離を取ったシャルバが巨大な光を放つ。
神殿を埋め尽くしかねないほどの波動が一誠へ迫る。
『DivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivideDivide』
けれど、白龍皇の力を思わせる音声が連続して響くたびに、巨大な光は半分、さらに半分へと縮小し、最後には脅威と呼べないほどまで弱まっていった。
「ヴァーリの力か! おのれ! どこまでもおまえは私の前に立ちはだかるというのだなッ! ヴァーリィィィィィッ!」
シャルバが憎悪を剥き出しにして叫ぶ。
どうしてそこまでヴァーリを憎んでいるのか、私には分からない。旧ベルゼブブと旧ルシファーという立場に何かあるのかもしれないけれど、今はそんなことを考えている余裕もなかった。
次にシャルバが放ったのは光ではなく、純粋な魔力だった。
残された腕の前へ莫大な魔力が集まり、それが巨大な波となって一誠へ迫っていく。
けれど、一誠は避けることも、防御することもしなかった。
翼を一度振る。
バシィィィィィッ!
それだけで魔力の波は大きく軌道を逸らされ、一誠を掠めることさえなく神殿の壁へ激突した。
その直後、一誠の兜の口元が開き、内部へ赤い光が集まったと思った時には、もう一直線の閃光が放たれていた。
ビィィィィィッ!
「ぐあああああああああっ!」
赤い光はシャルバの左腕を一瞬で吹き飛ばし、そのまま床、壁、天井へ一本の細い破壊痕を刻みながら走り抜けていく。少し遅れて爆発が連続し、神殿内部へ粉塵が広がった。
これでシャルバは両腕を失った。
それでも一誠は止まらない。
全身から膨大な赤いオーラを噴き出し、獣のような咆哮とともに一気に周囲へ解放する。
私はアストラノヴァを構えて衝撃へ耐えたものの、盾越しに伝わる力だけで足元が少しずつ後ろへ押され、ようやく収まった時には、一誠の周囲の床が巨大なクレーターのように抉れていた。
「ば、化け物め! こ、これが『覇龍』だというのか!? 冗談ではない! わ、私の力はオーフィスによって前魔王クラスにまで引き上げられているのだぞ!? データ上のブーステッド・ギアのスペックを逸脱しているではないか!」
シャルバの顔には、つい先ほどまで浮かんでいた余裕も尊大さも欠片ほど残っておらず、大きく見開かれた目と引き攣った表情からは、誰が見ても分かるほど露骨な恐怖が滲み出していた。
それほどまでに、今の一誠が圧倒的だということなのだろう。
けれど、私はそんなシャルバの姿を見ても少しも安心できなかった。目の前にいる存在が一誠ではない別の何かに変わってしまったから怖いわけではなく、むしろ、あれが間違いなく一誠自身だからこそ恐ろしかった。
アーシアさんを助けるために誰よりも必死になってここまで来て、ほんの少し前まで私たちと同じ場所に立ち、普通に話していた一誠が、今は誰の呼びかけにも応えず、目の前にいる敵をただ壊し続けている。
別人になったのではなく、一誠のままなのに止まらないという事実の方が、私にはずっと怖かった。
一誠は両翼をゆっくりと大きく横へ広げると、逃げ場を失ったシャルバへ真正面から身体を向けた。
ガシャッ、と重い機械音が神殿内へ響き、鎧の胸元から腹部にかけての装甲が左右へ展開すると、その奥に隠されていた複数の発射口が姿を現す。そこへ周囲の魔力そのものを吸い寄せているかのように濃密な赤い光が集まり始め、まだ攻撃が放たれてすらいないというのに、離れている私の肌にまで重い圧力が伝わってきた。
「くっ! 私はこんなところで死ぬわけには!」
シャルバも何をされようとしているのか理解したらしく、慌てて足元へ転移魔法陣を展開する。
複雑な術式が光を放ちながら広がり、その身体を包み込もうとしたものの、転移が成立することはなかった。
「……と、停めたのか! 私の足を!」
一誠の兜にある眼が鋭い赤色へ煌めいた直後、今にも転移しようとしていたシャルバの身体が、見えない何かによって空間そのものへ縫い付けられたかのように完全に動きを止める。
私は反射的にギャスパー君へ視線を向けた。時間や動きを停止させる力と聞いて真っ先に思い浮かんだのが彼の神器だったからだけれど、本人も私と同じように目を見開き、何が起きたのか分からないという顔で一誠を見つめている。
つまり、今シャルバを止めているのはギャスパー君ではない。
一誠自身が、ギャスパー君の神器とよく似た現象を起こしていた。
『Boost! Boost! Boost! Boost! Boost!』
立て続けに響く音声に合わせて、一誠の胸元へ集まっていた赤い光が一段ずつ膨れ上がり、その余波だけで床に散らばっていた小石がふわりと宙へ浮かび上がると、神殿内部を満たしていた空気までもが巨大な何かに掴まれているかのように低く震え始めた。
それでも、一誠は止めようとしない。
『Boost! Boost! Boost! Boost! Boost!』
十度目の増幅音が響いた瞬間、それまで辛うじて形を保っていた神殿全体が大きく軋み、壁を這うように亀裂が伸びると、柱の表面からは石片が次々と剥がれ落ち、天井の一部ではすでに崩落さえ始まっていた。
まだ撃たれてすらいない攻撃の余波だけで、この状態だ。
まともに放たれれば、シャルバだけでは済まず、この神殿そのものが耐えられない。
「部長、一時退却しましょう! この神殿から出るべきです!」
裕斗も同じ判断に至ったらしく、リアス先輩へ向かって強く叫んだ。
「一誠……私は……」
それでもリアス先輩は一誠から離れようとせず、崩れ始めた神殿の中央に立つ彼へ手を伸ばそうとする。
「すみません!」
もう返事を待っている時間すら危険だと判断したのだろう。裕斗はリアス先輩を抱え上げると、そのまま出口へ向かって走り始め、朱乃先輩もすぐに小猫さんとギャスパー君を連れて後へ続いた。ゼノヴィアも傷ついた身体を庇いながら懸命に走り、私は最後尾へ回ってアストラノヴァを構え、崩れ始めた天井から次々と落下してくる瓦礫を受け止めながら、みんなが外へ出られるだけの退路を確保する。
「バ、バカな……ッ! 真なる魔王の血筋である私が! ヴァーリに一泡も噴かせていないのだぞ!? ベルゼブブはルシファーよりも偉大なのだ! おのれ! ドラゴンごときが! 赤い龍め! 白い龍めぇぇぇっ!」
背後から響いてくるシャルバの叫びには、もはや威厳も余裕も残されておらず、自分の血筋や力を必死に口へ出すことで、迫り来る死そのものを否定しようとしているようにしか聞こえなかった。
けれど、一誠は何も答えない。
シャルバの罵倒にも、私たちの声にも一切反応しないまま、ただ攻撃の準備だけを続けている。
出口へ飛び出す直前、私はどうしても気になって一度だけ振り返った。
動きを完全に止められたシャルバの真正面で、一誠の胸元へ集められた赤い光は、もはやその輪郭さえまともに見えないほど巨大になっており、神殿全体を赤く染め上げた光の中では、壁も床も柱も巨大な炉の内部へ放り込まれたかのような色へ変わっていた。
『Longinus Smasher』
低い音声が響いた。
次の瞬間、視界のすべてが赤に塗り潰された。
神殿の外へ飛び出した直後、背後から放たれた衝撃が私たちへ追いつき、空気そのものが巨大な壁になって押し寄せてきたかのような圧力に身体を持っていかれそうになる。そのすぐあとには、耳を塞いだ程度では何の意味もないほどの轟音が周囲を揺らした。
「みんな、伏せて!」
裕斗が叫びながら無数の聖魔剣を一斉に形成すると、生み出された剣は私たちの周囲へ次々と突き立ち、互いに重なり合うように組み上がって即席の防壁を作り上げる。
私もすぐにアストラノヴァをその内側へ重ね、さらに《シールド》を発動して防御を厚くした。
その直後、巨大な瓦礫が正面から防壁へ激突した。
凄まじい衝撃が腕から肩へ抜け、思わず足が後ろへ滑ったけれど、それで終わりではない。二つ目、三つ目と続けざまに大きな破片が飛来し、そのたびに聖魔剣の防壁とアストラノヴァが激しく震えた。
背後から聞こえてくるのは、建物の一部が崩れた程度の音ではなかった。
巨大な神殿そのものが基礎からまとめて押し潰され、原形を失っていくような破壊音が絶え間なく響き続け、足元も何かに掴まっていなければ立っていることさえ難しいほど激しく揺れている。さらに、防壁の僅かな隙間から大量の粉塵が流れ込んできたことで、ほんの数メートル先にいる人の姿さえ白く霞んで見えなくなっていった。
誰にも会話をする余裕などなく、ただ身を低くして防壁の内側へ集まり、頭上から降り注ぐ瓦礫と足元を伝わってくる振動が収まるのを待つしかなかった。
実際には、ほんの数秒程度だったのかもしれない。
けれど、次にどれほど大きな瓦礫が飛んでくるのか分からない状況で、絶えず続く轟音と振動に耐えている時間は、異様なほど長く感じられた。
やがて、防壁へ何かがぶつかる音が一つ、また一つと減っていき、足元を激しく揺らしていた振動も少しずつ弱まっていく。最後には、遠くで小さな瓦礫が転がる音だけが残った。
裕斗はすぐに防壁を解除せず、僅かな隙間から慎重に外の様子を確認してから、ようやく小さく息を吐いた。
「……大丈夫そうだ」
その言葉を聞いてから、聖魔剣の防壁がゆっくりと解除される。
私もアストラノヴァを下ろし、まだ大量の粉塵が漂っている向こう側へ目を向けたところで、しばらく何も言えなくなった。
そこにあるはずだった神殿が、ほとんど原形を留めていなかったからだ。
ついさっきまで私たちが中を走り回っていた巨大な建物は完全に崩れ落ち、かろうじて残っている壁や柱も建物の一部だったとは思えないほど砕けている。視界いっぱいに広がっているのは山のように積み重なった無数の瓦礫と、大地そのものを大きく抉り取った破壊の痕だけで、改めてその光景を目にすると、一誠が放った攻撃がどれほど異常な規模だったのか嫌でも理解できた。
シャルバの姿は、どこにも見えない。
意識を集中させて気配を探ってみても、それらしい魔力は一切残っておらず、あの攻撃を真正面から受けたことを考えれば、もう生きているとは思えなかった。
少なくとも、戦うべき敵は消えた。
シャルバを倒し、神殿まで崩壊したのだから、これでようやく終わったはずだった。
「一誠……?」
リアス先輩が、粉塵と瓦礫の向こうへ向かって静かに名前を呼ぶ。
けれど、返事はない。
周囲にはまだ細かな崩落音が残っているし、粉塵も濃い。もしかすると声が聞こえていないだけなのかもしれないと思ったのか、リアス先輩は今度は先ほどよりも大きな声を出した。
「一誠!」
それでも、一誠から返ってくるものは何もなかった。
その時になって、私は目の前に広がっている光景とはどう考えても噛み合わない、一つの異変へ気づいた。
「……まだ、弱くなってない」
「ミライ?」
裕斗がこちらを見る。
私は答えるより先に、瓦礫の向こうから押し寄せてくる魔力へ意識を集中させた。
間違いではない。
シャルバの気配は完全に消えており、神殿も跡形を失っているというのに、一誠から放たれている赤い魔力だけは、シャルバと戦っていた時から少しも衰えていなかった。
むしろ、間に存在していた巨大な神殿が崩れたことで、今まで以上にはっきりとその存在を感じられる。
身体の外側からただ押し潰してくるような魔力ではない。
濃密な力そのものが周囲の空間へ染み込み、呼吸をするたびに身体の奥へ入り込んでくるような、不快なほど重い圧力だった。
「どうして……?」
もう敵はいない。
シャルバは倒れたのだから、戦い続ける理由もなくなったはずだった。
そう考えていると、粉塵の向こうで何かがゆっくりと動いた。
最初は、崩れ残った瓦礫がさらに崩れただけなのかと思ったけれど、赤い光がその輪郭を照らしたことで、それが何なのかすぐに分かった。
全身へ濃密な赤い魔力を纏った巨大な影が、積み重なった瓦礫の中からゆっくりと身体を起こしていた。
「……一誠?」
思わず名前を呼んだ瞬間、シャルバと戦っている最中には感じなかった種類の寒気が、背中をゆっくりと這い上がってきた。
戦っている間なら、まだ理由をつけることができた。
一誠があれほど荒れ狂っていたのは、アーシアさんを奪った敵が目の前にいたからであり、その敵さえ倒してしまえば、きっといつもの一誠に戻ってくれる。
誰も口にはしていなかったけれど、少なくとも私はどこかでそう思っていた。
けれど、現実にはシャルバはもういない。
神殿さえ崩れ落ち、倒すべきものは何一つ残っていないというのに、一誠を包んでいる赤い魔力は少しも弱まらず、私たちが何度名前を呼んでも返事すら返ってこなかった。
粉塵の向こうで、一誠がゆっくりとこちらへ身体を向ける。
その動きは決して速くない。
襲いかかってきたわけでもない。
それなのに、今までシャルバと戦っていた時よりも、ずっと強い危機感が身体の奥から湧き上がってくる。
「一誠……聞こえてますよね?」
もう一度呼びかけてみても、返事はなかった。
赤い光の中からこちらへ向けられた視線が、本当に私たちを見ているのか、それとも目の前にいる新しい何かとしか認識していないのかさえ分からない。
シャルバを倒せば、これで終わると思っていた。
すべてが片付けば、一誠もいつもの一誠へ戻ってくれるのだと信じていた。
けれど、瓦礫だけになった神殿の前で、それでもなお赤い魔力を纏ったまま私たちへ身体を向ける姿を見た時、ようやく私は自分たちの考えが間違っていたのだと理解した。
敵との戦いは終わったのかもしれない。
それでも――一誠は、まだ戻ってきていなかった。
ここからオリジナル展開入ります
ブルアカで一番好きなメインストーリーは? 2026/9/4現在、公開されている範囲でお答えください。
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Vol.1 対策委員会編 1&2章
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Vol.1 対策委員会編 3章
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Vol.2 時計じかけの花のパヴァーヌ編
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Vol.3 エデン条約編 1&2章
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Vol.3 エデン条約編 3&4章
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Vol.4 カルバノグの兎編
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Final. あまねく奇跡の始発点 1&2章
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Final. あまねく奇跡の始発点 3&4章
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Vol.5 百花繚乱編
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Vol.6 過ぎ去りし刻のオラトリオ編
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Vol.EX デカグラマトン編
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第2部 Vol.EX ロア追跡編
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第2部 Vol.1 炎と影編
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第2部 Vol.2 オデュッセイア編
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メインストーリーをほとんど知らない
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ブルアカ未プレイ