完全に逸れてしまった。
ハウメアについて歩き始めてから、まだ数分しか経っていないはずだった。
だが、ついさっきまで耳に届いていた仲間達の戦闘音は、いつの間にかほとんど聞こえなくなっている。
それが聞こえないということは、思っていた以上に奥まで連れてこられてしまったのだろう。
耳に届くのは、湿った石畳を踏みしめる僕達の足音と、どこからともなく滴る水音だけ。その静けさを埋めるように、前を歩くハウメアが上機嫌に鼻歌を口ずさんでいる。
本人は気楽なものだ。別に責めるつもりはないけど。
……もっとも、連れて来られている僕からすると、そんな余裕はまったくなかった。
途中までは帰り道を覚えようとも思っていた。だが、それもすぐに諦めた。
地下通路は何度も枝分かれし、その度にハウメアは迷う様子もなく進んでいく。右へ曲がったかと思えば今度は左、さらに長い通路を抜けた先にも似たような分岐がいくつも続き、今ではどちらから来たのかすらさっぱりわからない。
無理だ。一本道でもたまに迷う僕に、この地下迷宮の道順を覚えろという方が酷である。
仮に覚えられたとしても、一人で帰れる自信はまったくないけど。
ハウメアは相変わらず一定の歩幅で先を進んでいく。
速すぎず、遅すぎず。
後ろを歩く僕を気遣っているのか、それともこれがこの人の普段の速度なのかはわからない。
ただ一つわかるのは、迷っている様子がまるでないということだった。
右へ。左へ。少し進んではまた分岐。
地下とは思えないほど入り組んだ通路を、ハウメアは一瞬たりとも立ち止まることなく歩き続ける。
凄いな。僕だったら最初の分岐で終わっている。というか、今どっちから来たんだっけ?
軽く後ろを振り返る。もちろん、来た道なんてもうわからない。どこも同じ景色だし。
石壁。石畳。松明……ではないな。壁に埋め込まれた結晶のようなものが淡く周囲を照らしている。
高度物理文明の遺産なんだろうか。便利だなぁ。僕のクランにも欲しい。いや、維持費とか高そうだからやっぱりいらないか。
そんなことを考えていると、不意にハウメアが口を開いた。
「クライさんって、静かっすねー」
「え?」
「もっと色々質問してくる人かと思ってました。」
「そうかな?」
「そうっすよー。普通なら『ここどこ?』とか『何するの?』とか聞きまくるじゃないですか。」
「まぁ、聞いたところで教えてくれなさそうだし。」
「お、鋭い。」
あっさり認めた。認めるんだ。
「でも、別に秘密ってわけじゃないんすよ?」
「そうなの?」
「はい。」
なら教えてくれてもいいんじゃないかな。
僕の視線に気付いたのか、ハウメアは肩を竦めて笑った。
「私が説明苦手なんす。」
「…………」
「難しいことは全部ソル様担当なんで。」
「なるほど。」
適材適所というやつか。
《嘆きの亡霊》もそんな感じだしね。
僕は何も担当していないけど。
いや、一応リーダーなんだけど。
考え始めると少し悲しくなってきたのでやめた。
しばらく歩く。
すると、それまで一定だった通路の幅が少しずつ広くなっていく。
天井も高い。
空気まで変わった気がした。
湿気の多い地下独特の重苦しさが薄れ、代わりに澄んだ空気が流れている。
奥の方から、微かに光も見えた。
「もうすぐっす。」
ハウメアがそう言って歩調を少しだけ速める。
その先には、大きな岩壁があった。
行き止まり。そう見えた。
「ここ?」
「ここっす。」
「……壁だけど。」
「まぁまぁ。」
ハウメアは笑いながら岩壁の前に立つと、そのまま右手を軽く掲げた。
次の瞬間だった。
重々しい振動が地下全体を揺らす。
岩壁に刻まれていた複雑な紋様が淡く輝き始め、巨大な石壁が左右へとゆっくり開いていく。
まるで最初から扉だったかのように。
「……すご。」
思わず声が漏れた。
扉の向こうには、広大な空間が広がっていた。
思わず足を止める。地下とは思えない。
巨大な空洞。いや、空洞という表現では足りない。
一つの街が、そのまま岩盤の中へ収まっているような光景だった。
石造りの建造物。
人工的に整えられた通路。
そして空間全体を照らす無数の光。
これ全部、地下なの?
さすがに驚きを隠せなかった。
「じゃ、私はもう行きますねー。」
「え?」
振り返ると、ハウメアはいつもの調子で手をひらひら振っていた。
「ここから先はソル様が待ってるんで。」
「だれ?」
「じゃ、頑張ってください。」
「え、いや、何を――」
「それじゃ。」
止める間もなく、ハウメアは来た道を軽い足取りで戻っていく。
……帰っちゃった。
残されたのは僕一人。
目の前には見たこともない地下空間。
そして、この先で待っているというソルさん。
ソルさんって、迷子の女の子を一緒に探した、あの穏やかな人のことじゃないよね?
まさか、こんな場所で再会するわけないし。
僕は小さく息を吐くと、覚悟を決めて一歩踏み出した。
静まり返った地下空間に、靴音だけがゆっくりと響いていく。
「――久しぶりだね、クライ君」
聞き覚えのある穏やかな声が聞こえてきた。
「……え?」
目を丸くする。そんな馬鹿な。いや、でも間違いない。
「ソルさん?」
本当に迷子になったルナちゃんを一緒に探した、あのソルさんだった。
思わず辺りを見回す。
誰もいない。ということは、ハウメアさんが言っていた『ソル様』って、このソルさんのことだったのか。
いやいや。待って。なんで?
なんでソルさんがこんな場所にいるの?
あの人、確か普通の錬金術師……だったよね?
普通じゃないのかな。
いや、ルナちゃんを探していた時も妙に落ち着いていたし。でも、だからってこんな場所にいる理由にはならない。
僕の困惑をよそに、ソルさんは相変わらず穏やかな笑みを浮かべたままだった。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないか」
「いや、驚くよ」
思わず即答してしまう。
「だって、なんでソルさんがここにいるの?」
素直な疑問だった。
ソルさんは肩をすくめると、少しだけ楽しそうに笑った。
「その答えを話すために、君をここまで呼んだんだよ。」
———
ソルさんの話は、正直なところ理解が追いつかなかった。
理解しようとはしたんだけど、途中で諦めた。
だって仕方ないじゃないか。
まず、今回【白狼の巣】で起きた異変は、秘密結社《アカシャの塔》とかいう組織に所属するノト・コクレアという人物が引き起こしたらしい。
ここまではいい。よくはないけど、とりあえずいいことにしておく。
問題はその先だった。
ソルさんがその計画を利用し、『マナ・マテリアル撹拌装置』とかいう聞いたこともない代物を改良し、本来存在しないはずの擬似レベル8宝物殿――【狼王の巣】を作り上げたらしい。
…………。
いや、待って。宝物殿って作れるものなの?初耳なんだけど。
しかも、その話をまるで「昨日パンを焼いた」くらいの気軽さで言うものだから困る。
そして、更に驚いたことがある。
ソルさんは帝都最強クラン《創星界》のクランマスターであり、《創神》の二つ名を持つ世界でたった4人しかいないレベル10ハンターらしい。
要するに帝都最強のハンターだったのだ。
…………まじっすか。そんな人だったの?
迷子の女の子を探していた時は、もっとこう……穏やかなおじさんって感じだったよね?
人って肩書き一つでこんなに印象が変わるものなんだ。
いや、実際は肩書きじゃなくて本人が凄いんだけど。
それにしても、そんな帝都最強のハンターが、どうして僕なんかに会いたかったんだろう。本当に意味がわからない。
僕が黙って考え込んでいると、ソルさんが静かに口を開いた。
「色々思うことはあるだろうがね。まずは、私が何故この宝物殿を生み出したのか、その理由から話そう」
「う、うん」
流石の僕でも危機感を抱く。それ以外にも聞きたいことは山ほどある。でも、全部聞いたら今日中に終わらない気がした。
ソルさんは紅茶を一口飲むと、ゆっくり語り始める。
最初に接触したのは偶然ではなかったこと。
迷子探しも。今回の依頼も。僕がここへ来ることも。全部、最初から計画していたこと。ハウメアを案内役にしたのも。僕が仲間から離れることも。
僕がいなくなったと悟られないよう、狼王をぶつけて時間を稼ぐことも。
撤退する時にはハウメアさんが何事もなかったように合流することまで。
全部、最初から決めていたらしい。
やばい人だった。
いや、レベル10なんだから普通じゃないとは思うけど。ここまでとは思わなかった。
ということは、あの迷子探しの時から狙われていたってこと?
僕、何かしたっけ?何もしてないよね?
多分。恐る恐る口を開く。
「えっと……一応聞くけど、どうしてそこまでして僕に?」
ソルさんは少しだけ目を細めた。
「前に言ったことを覚えているかい?」
前?るーちゃんを探していた時かな。
いや、あの時そんな重要な話したっけ。
やばい。全然思い出せない。
僕の表情を見ただけで察したのか、ソルさんは苦笑した。
「一応言っておくが、るーちゃんを探していた時じゃないよ」
「……え?」
「五年前だ」
五年前。その言葉だけで、頭の奥が僅かに熱を帯びる。
「私は君に言ったんだ」
静かな声だった。
「君は逸材だ。あと十年もすれば、私と並ぶハンターになる、と」
――その瞬間だった。
忘れていた記憶が、一気に蘇る。
思い出した。ハンターを辞めようとしていた僕を引き止めた人。あの時の。
「……ソルさん」
「今日は、その続きをしようと思ってね」
そう言ってソルさんは、静かに僕を見つめた。
「私には異能がある」
「異能?」
「他者の感情、感覚を読み取り、その先の未来すら垣間見る能力――《
聞いたこともない能力だった。
もし本当なら。いや、本当だからこそ、ソルさんはレベル10なんだろう。
「初めて君を見た時、理解した」
その声には迷いがなかった。
「クライ君には、何もない」
「!?」
「力も」
「……」
「才能も」
「……」
「運も」
「……」
……そこまで言う?
でも、腹は立たない。だってその通りだから。僕自身が一番よく知っている。
力もない。才能もない。運なんて特にない。
だからこそ、僕はハンターを辞めようとしていたんだから。
「それでも」
ソルさんが静かに笑う。
「君には、今から五年後――レベル10ハンターになる未来が視えている」
「…………はい?」
一瞬、思考が止まる。
レベル10?僕が?いやいやいや。無理だ。だって僕、レベル8どころかレベル1にも満たない凡人だ。
「未来は一つじゃない。無数にある未来の中に、君がレベル10になる未来が見えた。ハンターどころか成人したばかりの町娘にも負けそうな君が、だ。」
よく分からないけど、バカにされていることくらいは分かるよ? 流石に勝てるし。
ソルの穏やかな笑みは変わらない。
「見せてもらうよ。何も持たない君が、どうやって私を超えるのか」
いや超えないよ?その予定ないよ?
心の中だけで全力で否定する。
ソルさんはそんな僕の反応すら面白そうに眺めていた。
「それまで君にはここで待っていてもらうよ」
「待つ?何を待つの?」
「それは私にもわからない。ただそうすることで、君の本来とは違う未来が見えるらしい。私もこんなことは初めてだ」
危機感がないと散々言われてきた僕にも分かる。これはもう帰った方がいいね。
「その代わり――退屈はさせないよ」
そう言って、ソルさんは足元に置いてあった大きな袋を持ち上げる。
どさり、と重い音。袋の口が少し開き、中が見えた。見覚えのある意匠。見覚えのある魔力。
…………宝具だった。
しかも数百個はある。
いや。ちょっと待って。これ全部宝具?
…………落ち着け。
僕はレベル8ハンター。
宝具なんて見慣れている。
そう。見慣れているだけだ。別に目が輝いたりなんかしていない。
断じて。多分。
ソルさんは何も言わず、ただ笑っていた。
……やばい、全部見透かされている。
僕は小さく咳払いをすると、壁へ身体を預ける。
仲間は強い。アークも。リィズも。ルシアも。シトリーも。
皆、自分の役目を果たせる人達だ。
なら、僕が慌てる必要はない。
待てというなら、待とう。
僕は腕を組み、小さく笑った。少しくらい、格好つけてもいいだろう。断じて宝具に目が眩んだ訳じゃあない。
「そうだね。それまで待つとするかな」
……ハードボイルドって、こういうことだよね。
これにて『嘆きの亡霊は創星と出会う』は完結となります。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。