いつの間にかパリストンは、「ハンター協会副会長」なんてご大層な椅子に座っていたし、私の表向きの肩書きは、ハンター協会副会長付きの秘書になっていた。
私の実際の仕事は、彼の書類を運び、指示を伝え、時々、誰かのトラウマを味わって、その余韻を抱えたまま戻ってくる。
そうやって何度か往復しているうちに、協会の中での私の扱いは、だんだんと固まっていった。
◇
パリストンの執務室のドアをノックもそこそこに開けたとき、中には既に先客がいた。
ソファに投げ出したみたいな座り方で腰掛けている男。
無造作な髪。だるそうな目。
そして、こちらを見た瞬間だけ、興味深そうに目つきが変わる。
ジン=フリークス。
パリストンが、ことあるごとに名前を出していた「面白い人」の一人。
「邪魔した?」
「ツィル。大丈夫ですよ、ちょうど一段落ですから」
パリストンはデスクの向こうからいつもの笑顔で手を振る。
ジンは私を見て、ニヤリと口角を上げた。
「お前……噂のパリストンの女か?」
「あー、それ久しぶりに聞いたな」
淡々と返しながら、パリストンのデスクに歩み寄る。
「で、これ」
報告書を差し出すと、パリストンは椅子を少し回転させて受け取る。
「はい。あぁ、これですね。ありがとうございます」
手元の書類に視線を落としながらも、声色は崩れない。
私は踵を返しながら、ぼそっと付け加える。
「次は、もっとまともなのちょうだいよ?」
ここ最近の案件は、どうにも薄かった。
不快が足りない。
そもそも不快と呼べるほどの強度があるかどうか怪しいものも混ざってる。
――何かしようとしてるんだろうな。
「はい。いい案件回しますね」
パリストンも引き止めない。
適当に手をひらひらさせてドアへと向かう。
その背中に、乾いた声が飛んできた。
「おい、待てよ。聞きたいことあるんだ」
手首を掴まれる。
振り返ると、ジンが面白そうに目だけで笑っていた。
パリストンは、少し興味深そうにその様子を眺めている。
「こいつの弱点教えろよ。
お前くらいだろ、パリストンとまともに話せるやつ」
ジンはニヤッと、挑発するみたいに私の手を引き寄せる。
パリストンの目の前で。
「……」
パリストンは口を開きかけて、やめた。
観察する側に完全に回っている。
私は、その視線を感じながら、ほんの一拍だけ考えて、ジンの腕に絡みつくように自分の腕を巻き付けた。
そして、軽く胸に押し付ける。
ジンの感情が一瞬で跳ねた。
――驚き。
――動揺。
――興味。
その上から、じわっと別の色が上書きする。
――不快。
――快感。
――嫌悪。
――賞賛。
ごちゃごちゃとした感情の塊が、しばらく同期し続ける。
……パリストンのだ。
いつ感じても、パリストンの感情は美味しい。
今回は特に、濃度が高い。
私がもう少しふざけるつもりで、ジンの肩口に顔を寄せたタイミングで、パリストンが口を開く。
「ジンさん。
僕の彼女なんですから、取っちゃ嫌ですよ?」
声ら柔らかく、体も動かさない。
止めようとも、引きはがそうともしない。
ジンは大きくため息をついた。
「……お前ら、めんどくせぇな?」
「ジンさんから褒めてもらえるなんて、今日は何が起こるんでしょうか。
槍が降ってくる程度じゃ足りませんね」
パリストンは本気で嬉しそうに笑う。
――これ、本当に嬉しがってるな。
ジンに褒められること自体に対する反応だから、私にはそれが本当かは分からないけど。
「お前もそろそろ離れろ」
ジンはしっしと腕を振る。
私はそれに合わせて腕をほどく。
「で? パリストンの弱点だっけ?」
ジンに向き直るふりをして、視線だけパリストンをちらりと見る。
「物理的に殴れば死ぬと思うけど?」
「やめてくださいよ。僕、そういうの苦手なんですから。
本気にされたらどうするんです?」
「死んどけば?
世界平和になるよ」
私がそう笑うと、ジンは無言でそのやり取りを見つめ、やがてパリストンに視線を戻した。
「パリストン。
ツィルディを人質にされたら、お前どう動く?」
一瞬、空気が止まる。
――あぁ、今の、味わいたかったな。
絶対、美味しいやつ。
私がなにかする前に感情の波は収まってしまったようだ。
もったいない。
パリストンは顔に笑みを浮かべたまま、ジンと向き合う。
「ジンさんは、どう動いて欲しいですか?」
「お前がどう動くか聞いてんだよ、こっちは」
「そうですか。……ちなみに、ツィルはどうして欲しい?」
会話を投げてくる。
「えぇ……」
私は肩をすくめる。
「つまんなさそうだから、できれば助けて欲しいかな」
パリストン目当てで私を狙うやつなんて、どうせパリストンがやった程度の不快持ちだ。
そんなの、もう食べ飽きた。
「ということらしいので、助けましょうか」
パリストンは笑顔で締める。
「……ま、いいけどな。俺のことじゃねぇし」
ジンは立ち上がり、用は済んだと言わんばかりに歩き出す。
が、すぐに足を止めて振り返った。
「無くなってから気づいても、遅せぇからな?」
いい逃げでもするように、雑な投げ方だった。
今度こそ本当に部屋から出ていく。
パリストンは、扉が閉まるまでその背中を見続けていた。
……私は出ていきそびれた。
今廊下に出て、ジンと鉢合わせするのも面倒だ。
「ねぇ、パリストン」
ジンが居なくなった方向を見つめたままの彼に、声をかける。
「私とネテロさん、どっち好き?」
即答は返ってこない。
――混乱。
――羞恥に近い、妙な照れ。
ほんの一瞬だけ同期する。
珍しい。
パリストンは、ゆっくりと私の方を見た。
目をうろつかせ、逃げ場を探して、それから観念したみたいに視線を合わせる。
「……。
僕、君がいないと生きていけないかもしれない」
――妙にさっぱりとした「好意」だけが同期した。
濁りが無い。
さっきジンに向けていた、感情とはまるで違う。
私は、それをどう扱うべきか分からず、しばらく黙る。
言葉を探している間に、パリストンは逃げるみたいに言葉を重ね始めた。
「ネテロ会長が居なくなったら、そりゃ寂しいよ。
僕と遊んでくれるのなんて、ネテロ会長くらいだったから」
「僕がやってる事、だいたいネテロ会長にどう嫌がらせできるかで動いてるところあるし」
「面白いんだ。予想外なことが起きて、僕の想定外をいつも作ってくれる」
感情の同期は、最初の一度だけ。
その後の言葉は、どこか説明めいていて、感情の温度が低い。
私は首を傾げる。
「それが、私にどう関係するの?」
パリストンは笑う。
「ツィルが聞いたんでしょう。どっちが好きって。
だから懇切丁寧に説明してあげたのに」
私は呆れた顔で見続ける。
嫌悪が来ると思ってた。
ネテロの話をされることで、嫉妬とか、自己嫌悪とか、そういう汚い感情が混ざってくると思っていた。
なのに、出てきたのは、妙に綺麗な「好意」だけ。
求めてない。
そんな私の考えを分かっているかのように、パリストンは小さく肩をすくめた。
「僕がちゃんと本心を言うとか、珍しいよ?
ジンさんに感化されちゃったかな」
「パリストンってジンさんのこと、嫌いだよね。
同族嫌悪?」
言った瞬間、
――不快感。
図星、らしい。
パリストンはゆっくりと笑みを作る。
「……ツィル、嫉妬した?」
「その感情、私も味わいたかった、ってのは結構あった」
ネテロに向ける感情も、ジンに向ける感情も。
私の知らないパリストンの一面を覗きたい欲は確かにある。
そのせいで、さっきみたいな「綺麗な好意」一色で塗りつぶされるのは、少し気に入らない。
――不快。
――嫌悪。
そして、そこに薄く混ざる嫉妬。
いつものパリストンのベースに、新しい味が乗ったのが分かった。
「……パリストンは美味しいからね。
私にだけ、不快感は向ければいいと思うよ」
私はそう言って笑う。
パリストンは、少し俯いて考え込んだ後、顔を上げた。
「……今後のこと、少し話そうか」
視線の奥に、さっきとは違う種類の決意が見えた。