竜と歯車 〜帝都魔導院転変譚〜【学園ファンタジー】 作:瀬戸内弁慶
蜻蛉が舞う中、刃鳴り散らす。
その虫型の使い魔は、ジャーダの、そのエニグマ『ハイシルフ』により生じたもの。
シルフとは、風の精霊の名。
だがしかし、世に精霊などいない。
よしんば存在していたとして、実際に視認できた者などいない。
かつてそのヤアド家がその仕業と見做していたもの。
それは虫や菌類、あるいは魚ならざる小型の海洋生物たち。そうした、ちいさなものたち。その働き。
魔導の本質は解釈の拡大と効力の強調にある。
その『ちいさなもの』たちの機能を拡張し、感覚を共有する。それがヤアドの魔道である。
【
蜻蛉たちが結ぶ線に、風圧や真空圧を生じさせることの出来る術。
その間隔が近いほどにその威力は集約され、広げればそれに伴い効果範囲は広がるが、力は弱まる。
前者は主に点的な攻撃に用いられ、後者は面的な防御に用いられる。
それが、彼のパークだった。
シンシャ・ランドバークと競り合う今、主にそれは防御に運用される。
(参ったね、上級生たる俺の方が、挑む側か)
シンシャの無尽蔵の魔力から無造作に繰り出される速攻は、誤れば一瞬で致命的になり得る。それを、己自身の戦技と風の弧でいなして防ぐ。
無論、単純な才覚の差はあるだろうが、現状、後手に回っているのには理由がある。
(右手の自由が効かない)
感覚が鈍く、指先が本人の意思に関わらず痙攣している。添えるようにして握るだけで精一杯だ。もう片手だけで、ほぼ全ての運動を担っている。
(何か仕込まれた可能性があるとすれば、あの武器交換の際……
ゆえに、魔力の大半は治療術に回す。魔力に由来する毒であれば、魔力で除き得る。
毒を治すまでは、パークと武技のみでもって、シンシャの攻撃を防ぐ。追っ付け、下級生二人をいなしてケイトもこちらに合流するはずだ。
そして今、シンシャが攻めの手を緩めたことが、彼の命脈を繋いでいる。
『スコーチングサラマンドラ』。炎の魔導を主軸に置いた、二番手の『
ライトニングワイバーンに代えたそれも確かに、上位であることには違いない。スキルツリーの習熟度も、並みのものではない。
だが、あえてそれに換える戦略的意味は、皆無だ。
「なんの真似かな?」
と、ジャーダが問えば、
「だって今、右手遣えないでしょ」
あっさりこちらの不調を看破されたことを告げられる。
「……だから、手心を加えてくれると?」
「そうじゃなくて、『エニグマの性能差で押し負けた』『不調だったから負けた』。そんなケチのつく決着じゃ、諦めきれないでしょ。これ以上余計な遺恨に巻き込まれたくないんですよ。こっちには、急ぐ必要がない。だからそっちの納得いくよう、待ってます」
ぞくりとするような細めた目で、シンシャは言う。
あぁ、とジャーダは呻いた。
彼の言い分、その意図を、可能な限り正確に汲んでいたと思う。
この下級生は宣ったのは、こういうことだ。
正面から、言い訳の立たないほどに、叩きのめして心を折ると。
手心を加えたうえで。
「参ったな」
その言葉に甘えて、治癒に魔力を注ぎながらもジャーダは髪の生え際に押し拭うように手を遣った。
おそらく、告げた理由に表裏は無く、驕りでさえない。厳然と彼我の戦力比を推し量ったうえでの言葉なのだろう。
だからこそ、尚更に思う。
「舐められている」
と。
他でもない、ジャーダ自身が、魔と武に生きる男なればこそ。その音声は許容できない。
右手に感覚が戻りつつあるのに合わせて、ジャーダは静かに蜻蛉の何匹かを、攻めへと移す。
〜〜〜
正体の怪しいもの同士。
そう揶揄された時、グレアはわずかに眉を顰めた。
「調べたのか、俺のこと」
そうぶっきらぼうに問う彼に、ケイトの笑みが、ますます猫の度合いを増していった。
「お勉強してたのはキミらだけじゃないってコト。ま、ウラまで取れてるワケじゃない与太話だけど……その顔色だと、的外れじゃないのかにゃー?」
「邪推、妄想どうぞご勝手に。どのみち肯定しなきゃそれまでだ」
「肯定も否定も出来ないクセに?」
グレアの眉根が、極限まで寄った。
「本当は、キミ自身が分かってないでしょ。アンティキラの血筋なのか。それとも先代クロノの落とし胤なのか」
え、と小弓を下ろして、ミチルはグレアを見た。少年はただ、灰釉の瞳で一瞥を呉れた後、ケイトへと視線を戻した。
「あんたに、何が分かる?」
低い声で、グレアは問うた。
「猫の道は、猫。キミは、ワタシの能力に共感し、本能的に、誰よりも先んじて理解できた。キミのコトは、触れた瞬間からこっちもホンノーで理解できた。似た者同士じゃなァい?」
誘うように、彼女の左指が開閉を繰り返す。
「どう? こっちにつかない? キミの協力と説得があれば、コトが上手く運んで、みんなハッピー」
そう、誘いをかけてくる。
黙したままのグレアに、間を詰めてくる。
「何をっ……!」
「ちゅっ」
ケイトは、我に返っていきり立つミチルに、投げキッスを飛ばす――文字通りに。
指先から離れた唇からハートのマークが浮かび上がり、それは実体化して蛇のように細まり、伸び上がり、ミチルの両腕を胴体ごと絡め取った。
「今、彼と話してんの。キミは及びじゃないよ」
と、いくらか熱を引いたかのような物言いで制する。
「……確かに、あんたの言う通りかも」
しばしの沈黙の後、グレアはそう答えた。
「俺は、己が何者か分からない。そのせいで家とシンシャ・ランドバークの間をフラつき、そのせいで四六時中そこの女なんかに鳥で看視されるはめになっている」
その言葉に、縛られたままのミチルは眉をかすかに吊り上げた。
「でも、そんな俺の中にも、ただ一つ確かに信じられることがある」
そう宣いながら、自ら前へと進み出る。
「あいつは、シンシャは俺の中に何かを見た。あの瞳を輝かせるだけの、何かを」
「何かって……あっははは! それが何かも分かってないクセに?」
「あぁ、俺は俺自身のことを何一つ信じちゃいないが、あいつの
そう言い様、不意打ち気味に剣を死角から抜き放つ。それを跳んで躱すケイトに更なる追い討ちを加えながら、
「ミチル!」
背越しに、グレアは呼ばわる。
余裕があったのならば、気安く呼ばないで、と返せただろうが、今は迂闊な言動をすることなど出来ようはずもない。
【分千鳥】。残る魔力を総動員して、最後の群れを頭上に
そして複数の隊列に分けて、そのうちの一派で自らの拘束を裂き破り、小弓をつがえて駆け出した。
「はっ! 手を閉ざす隙なんて与えないってワケ? ご苦労なコトだねぇ!」
鳥のまま、あるいは矢となり殺到する群れから逃れようとするケイトだったが、グレアがそれをなお許さない。責め立てる。斬り立てる。なおそれでも強引に後退せんとする猫娘に、
「【速駆】【転】」
小さく呟き、気づけば退路に、歯車の魔法陣を描いてグレアは回り込んでいた。それを、反射的にあえて前進して回避する。
「【地走】」
そしてグレアは歯車を地に滑らせ飛ばす。曲線的だが、単調な軌道。これは容易く躱された。
だが、如何なる仕業か。
グレアは、外れた歯車の軌道上に、跳んでいた。そうとしか言いようがない。そこに至る過程が、ミチルにはまるで視認できなかった。
【転】。その軌道を、反対側に打ち変えた。
「速」
そう言い様、車輪を弾いたケイトの左側から、グレアは撃ち込んだ。だがそれは、遠く延ばされた右腕と体当たりで、惜しくも未遂に終わった。
「やはり、庇ったな。左手を」
組み打ち、肩をぶつけるように競りながらグレアはその左手と握り合った。
「なるほど俺とあんたのパークは似ている。一片の、確かな部分があるあたりとかな」
「……っ」
「さっき見せた、不自然な逆立ち。あれはただの道化じみたパフォーマンスじゃない。左手で、地下の空間に接する必要があった……あんたの『仮想量域』は、必ず左手に嵌めたクラドスを起点にする必要がある……で、合ってますかね」
そう結論づけたからこそ、グレアはケイトの左手を握り締めている。
「さぁね……でもだとしたら、この状況はマズイんじゃない? キミはこの指を曲げさせなければ良いと思ってるけど、人体という
「出来ると思うか?」
「出来ないとタカをくくってる?」
そのまま、釉薬と猫の瞳が睨み合う。
勝利の優越に、ケイトはその目を眇めたが、ややあってそれが当惑と焦りに変わった。
――重ね合わせた彼らの手の内、そのわずかに生じさせた隙に羽ばたくモノが在る。
「お嬢ちゃんの、使い魔……?」
そう、グレア・アンティキラは、一瞬前の最中に、ミチルの鳥の一羽を捕獲。それを握り込んだままケイトの左手と組み合ったのだった。
「あぁ、もう一つ弱点があったみたいで」
わざとらしく、はたと思い当たったかのように、グレアは眉を吊り上げた。
「要は、閉ざされた空間内を『未観測』じゃ無くしちまえば良い。こうしてあらゆる場所に『目』を送り込めるミチル・ジョゼ・サウヴァージュのパークは、あんたにとっちゃ天敵だったわけだ」
「何を得意げに嘯いているの」
彼らの横につき、ケイトの側頭部に狙いを定めたミチル自身は、呆れたように言った。
「さっきの言葉、私が貴方の言葉の意図を汲めなかったらどうするつもりだったの」
『そこの女なんかに鳥で看視されるはめになっている』。愚痴に紛らしたその一言の、意味するところに。あるいは、ケイトからもたらされた虚実定かならない情報に、心乱されていたのなら。
「その時はまぁ、自分の手ごと先輩のクラドスを切り落としてた。失血死する前に、治癒してくれりゃ良いだけの話だ」
「怖ッ」
さしものケイトも、引いていた。その我が身への未練の無さは、どこからくるものやら。
らしくもない詮索をしかけて、ミチルは咳払いをした。
「それでは先輩、敗北を認めていただけますよね」
唯一の魔導発動の条件を潰され、今至近から矢をつきつけられている。
手を挙げられない代わりに、ケイトはとぼけた表情で肩をすくめてみせた。
「
そう、曰くありげに言い添えて。