早朝。学校指定のバッグを片手に、俺――櫻田志功はバス停でシャトルバスを待っていた。
(はてさて、今日から待ちに待った入学式か……)
俺は転生者だ。前世では特に何の変哲もない、平凡な毎日を送っていた男だった。死んでこの世界に放り込まれ、中学の時にこの高度育成高等学校への推薦枠をもらったおかげで、嫌でもこの世界の裏側を知ることになった。
高度育成高等学校。略して高育。
表向きは超名門校で、卒業すればほぼ確実に希望の進路に進める楽園。寮生活で水道光熱費無料、敷地内は小さな街みたいに何でも揃ってる。
……だが、実際はAクラス以外は消耗品みたいな、人間版蠱毒のような場所だ。
俺がこれを知ってるのは、前世でアニメ『ようこそ実力至上主義の教室へ』を見ていたから。動画配信サービスのショート動画でネタバレを漁った程度のアニメ勢だけど、だいたいの展開は把握している。
治安が荒めで暴力沙汰も珍しくないけど、普通に学園生活を送れば貧乏な俺にとっては天国みたいな環境だ。退学しても手厚い編入支援があるらしいし。
(ま、単純に生の原作キャラを間近で見てみたいってのもデカいけどな)
バスが来て、新入生たちと一緒に乗り込む。車内はみんな緊張した顔で、俺は空いてた窓際に座って小さく息を吐いた。
約一時間後、巨大な校門が見えた瞬間、思わず声が出た。
「でけぇ……」
校門をくぐる手前でバスを降り、掲示板の前へ移動する。1年生のクラス分けが大きく張り出されていた。
俺は1年Dクラスの欄を探した。
・七瀬 翼
・宝泉 和臣
「……マジかよ」
思わず声に出してしまった。周りの新入生がチラッとこちらを見るけど、そんなことを気にかける余裕はなかった。
(七瀬翼に宝泉和臣……ってことは、俺、完全に2年生編の時間軸に放り込まれてるじゃん)
頭の中で年表がぐるぐる回る。綾小路清隆はもう2年生だ。俺は勝手に「同い年で仲良くなる作戦」を立ててたのに、完全な勘違いだった。
(……はぁ。まあ、いいか)
考えても仕方ない。俺は額を軽く押さえて、教室棟に向かって歩き始めた。
1年Dクラスの教室に入ると、すでに何人か席についていた。
当然、七瀬翼と宝泉和臣もいた。
自然と目がいってしまうのは七瀬の方……制服越しでもはっきり分かる胸の膨らみに、つい視線が吸い寄せられる。
(うわっ、やべぇな……男の性とはいえ、これは失礼だろ)
慌てて自分自身の頬を軽く殴って視線を逸らす。
傍から見たら急に自分を殴り始めた危ない奴にしか見えないだろうがそうするしかない。
席順を確認する。デジタル黒板によると、一番後ろの左端、窓際だった。
荷物を置いて座り、深く息を吐く。
(当初の目的は完全に潰れたな……)
目的は、綾小路清隆と同じ1年生になって友達になり、普通の高校生活を楽しみながら原作を傍観することだった。
でも今は2年生編スタート。
ホワイトルーム絡みの面倒くさい展開が待ってるし、綾小路に近づくハードルも高い。
(知ってる展開を活かして好きに動くか……高円寺みたいに、自由に楽しむ方向でいこう)
そんな決意をした直後、担任の司馬克典先生が入ってきた。ホームルームが始まる。
Sシステムの説明が終わると、先生はあっさり解散を告げて退出した。
その瞬間、教室の空気がガラッと変わる。ガタンという大きな音を立てて立ち上がったのは、宝泉和臣だった。
彼は教室の中央に移動し、机を軽く叩いて全員の注意を引くと、ニヤリと笑った。
「おい、聞けよ。俺が今日からこのクラスを仕切る。文句ある奴はいるか?」
教室が水を打ったように静まり返る。宝泉の体格と凶暴な雰囲気に、誰もが目を逸らしたり息を潜めたりしていた。
七瀬翼は少し肩をすくめて様子を窺っている。
俺は後ろの席からただ成り行きを見守っていた。
(……ここで何か言った方がいいのか? でも、逆らう理由もないし……)
結局声は出なかった。タイミングを逃した自分がもどかしい。
宝泉は満足げに鼻を鳴らして教室を出て行った。
トイレだろうか。
その後の一週間、俺は何もできずに過ごした。
クラスメイトに積極的に声をかけることもできず、後ろの席でただ様子を窺うだけの毎日。結局、無為に時間を潰すばかりだった。
(……やっぱり俺、交流スキルが致命的に低いな。前世からの性分がここまで足を引っ張るとは)
前世でも、今世でも、自分から誰かに話しかけるなんてほとんどしたことがない。
勉学と身体を鍛えることにばかり集中してきた結果だ。
入学式から土日を挟んで月曜日の1時間目。
担任の司馬克典先生が黒板に映像を表示しながら言った。
「1時間目は、新しく導入されるシステムについて説明する。携帯を操作して、学校のホームページからアプリケーションを一つダウンロードしろ」
クラス全員が従い、**Over All Ability(OAA)**というアプリをインストールした。
「起動後にカメラで学生証を認識させれば初期設定完了だ。情報は携帯と紐づくから、管理には十分注意しろ」
設定が終わったのを確認すると、司馬先生は説明を続けた。
「このOAAには、在籍する全生徒の個人データが入っている。まずは自分の情報を確認することをおすすめする」
俺はスマホを操作して自分の名前をタップした。
ーーー
1-D 櫻田 志功(さくらだ しこう)
学力 :A(93)
身体能力 :A(92)
機転思考力:D+(26)
社会貢献性:C+(60)
総合 :B-(67)
ーーー
(ほへぇ……結構高め)
内心で苦笑する。学力と身体能力は優秀、社会貢献性は普通、機転思考力の低さがドンピシャで出てる。
機転思考力は友人の少なさとコミュニケーション不足の弊害だろう。
周りのクラスメイトたちも自分のOAAを確認してざわついている。
司馬はさらに続けた。
「現時点では成績のみ表示されているが、以後毎月更新される。更新はクラスポイントと同じく、月の初めに行われる」
説明が一段落したところで、先生は黒板の表示を切り替えた。
「今回の特別試験の概要を説明する。1年生と2年生がパートナーを組んで行う筆記試験だ」
(来た……!)
クラス全体がざわめいた。俺はスマホの画面を眺めながら、内心で喜ぶ。
【特別試験:1・2年生パートナー筆記試験】
ルールはシンプル。
2週間後の月末に5科目の筆記試験を実施。
1年生と2年生が1人ずつペアを組む。
申請はOAA経由で1日1回、承諾されれば基本的に解消不可。期日までに組めなかった場合はランダムペア+ペナルティ5%減点。
クラスポイントは平均点で競い、個別報酬として上位ペアにプライベートポイントが支給される。
ただし、ペア合計が500点以下だと2年生は退学、1年生は3ヶ月ポイント停止。故意に点数を操作したら即退学。
(2年生の方が命がけだな……一年生は学力の高い2年生を探せばいい)
学力Aの俺は、間違いなくスカウトの対象になるはずだ。こちらから動かなくても向こうから来る可能性が高い。
(だが……それでいいのか?)
俺は結局、この学校に何をしに来たのかを改めて考える。原作をただ楽しむだけか、それとも少し介入して自分の人生も面白くするか。
司馬先生が退出した後、今度は宝泉が壇上に立った。
「いいか、お前ら。学力がA〜Bの奴は、2年Dクラスから接触してきたら多額のポイントを要求しろ。AとCから来たら保留か、適当にOKしろ。B以下のゴミどもは好きにしろ。以上だ」
簡潔で強引な方針だった。
三四限が終わり、昼休み。
俺は自分の席で弁当箱を広げながら、ぼんやりと考えていた。
(宝泉に従う必要はねえよな……)
調べて見て分かったのは、2年生側には退学者枠が3人あるらしい。どうやら、一年生編で行った通り、Aの戸塚弥彦、Cの真鍋しほ、Dの山内春樹は退学しているようだ。
敢えて余ってランダムペア、もしくは一人になるのもなんか面白そうだ。
(高得点で上位狙うか、それともあえてランダムに身を任せ混沌を楽しむか……)
そんなことを思っていると、携帯に動きがあった。
アプリ内に用意されている全体チャットに何かが書かれている。
差出人は、2年Bクラスのリーダーである一之瀬帆波。
その内容は、本日午後4時から5時まで体育館で1年生と2年生の交流会を行うというものだった。
(そう言えばあったな)
そう、この特別試験においての展開は一通り知っている。
1、2年Bクラスの一之瀬帆波による交流会の開催
2、2年AクラスとCクラスによる優秀な1年へのプライベートポイントでの交渉(マネーゲーム)
3、1年Dクラス(宝泉クラス)と2年Dクラス(堀北クラス)の交渉。
(この交流会に参加する2年生は………そう言えば、綾小路と堀北も行ってたな。そして、2年Aクラスのリーダー坂柳有栖へのパイプ役となる橋本正義が参加する……他で言えば、言い出しっぺの一之瀬帆波、その側近の神崎隆二、他Bクラスの生徒………)
交流会か……と思案してみる。ぶっちゃけて言えば面倒くさいが言ってみる価値はあるだろう。
(よし、参加してみっかな)
携帯から目を離しゆっくりと伸びをした。