不老なのをいいことに、移りゆく世代を眺めながら辺境で気ままに過ごしていたら、知らないうちにレベルが限界を振り切っていた 作:無性主人公広めたい
どれだけ、そうしていただろう。
納屋の隙間から差しこむ光が、藍色から、白っぽい灰色へと変わりはじめた頃。両手のなかの卵が、ひときわ大きく、とん、と跳ねた。
夜通し、飽きもせず包んでいた、そのぬくもり。それが、まるでオレの手のあたたかさに応えるみたいに——ぴし、と、小さな音を立てて、殻に、ひとすじのひびが走った。
オレは、息を止めた。
ひびは、ゆっくりと、けれど確かに、広がっていく。とん、とん、と内側から叩かれるたび、白い殻のかけらが、ぽろぽろと、オレの膝に落ちた。
「……出て、くるのか」
声が、われながら、間抜けなくらい、上ずっていた。
やがて、殻の割れ目から、白いものが、もぞ、と覗く。濡れて、頼りなくて、けれど——ふわふわの、毛だ。
最後のひと押しで、殻が、ぱかりと、二つに割れた。転がり出てきたのは、オレの両手にすっぽりおさまる、まんまるの、毛玉だった。
銀色がかった、白い毛。ころんと丸くて、手足がどこにあるのかも、毛に埋もれて、よく分からない。
その毛のあいだから、黒くて、つぶらな目が、ふたつ。それが、きょとん、と、オレを見上げていた。
「……なんだ、お前」
可愛いとか、そういう気の利いた言葉より先に、口をついて出たのが、それだった。
この世界の、うさぎでも、猫でもない。強いて言うなら——チンチラ、に、少しだけ、似ているだろうか。もっとも、こんなに白くて、モフモフではなかった気がするけど。
「きゅ」
毛玉が、鳴いた。
鳴きながら、短い前足を——たぶん、前足だ——ぷに、とオレの親指に乗せてくる。まだ濡れているくせに、もう、あたたかい。
その瞬間、なぜだか、鼻の奥が、つんとした。
……思えば。この世界に来てから、ずっと、独りだった。
城を追い出されて、森を彷徨って、村の隅で、ただ黙って、働いて。「行くぞ」と、自分に言い聞かせるみたいに声をかけたって、返ってくるものなんて、なかった。
それが、いま。
「きゅう」
その、頼りない鳴き声が。なぜだか、オレに応えているみたいに、聞こえた。
……いや。そんなわけが、ない。孵ったばかりの獣が、人の言葉なんて、分かるものか。分かっているはずが、ない。
それでも。オレが「腹、減ってるか」と訊けば「きゅい」と鳴き、「寒くないか」と言えば、「きゅ、きゅ」と、鳴く。まるで、話が噛み合っているみたいな——そんな、妙な間が、あった。
「……気のせい、だよな」
毛玉は、答えるみたいに、また、ぷにぷにと、オレの指を踏んだ。
とりあえず、腹が減っているのは、たぶん、本当だろう。オレだって、そうだ。
困った。何を、食わせればいい。オレは、ゆうべの器に残っていた、最後のパンの端切れを思い出して、小さくちぎり、毛玉の鼻先に、そっと差し出した。
毛玉は、くん、と匂いを嗅いで——もむ、もむ、と、その小さな口で、ちゃんと食べた。
食べながら、器用に、オレの制服の袖口の奥へと、もぐりこんでくる。この世界の誰も着ていない、妙な仕立ての、擦り切れた一着。その袖の中が、よほど、あたたかいらしい。
「……くすぐったいって」
袖の中で、もぞもぞと丸くなる、その感触に。オレは、思わず、笑ってしまった。ずいぶんと、久しぶりに。
「名前、いるよな。お前」
膝に戻した毛玉を見おろして、オレは、少し、考えた。ころんと、白くて、やわらかい。
……そういえば。つい、この間まで、いた世界に。こういう、白くて、まんまるで、口に入れるとふわっと溶ける、やわらかい菓子が、あった。名前は、たしか——
「マシュ……マロ、とか」
毛玉は、ぴくりとも、しなかった。
「じゃあ……マロ、は」
「きゅ!」
毛玉が、はねた。ころん、と一回転して、また、きょとんと、オレを見上げる。
「……マロで、いいのか」
「きゅう」
こいつが、どこまで分かって鳴いているのか。それは、分からない。分からないけど。
「そうか。じゃあ、マロだ」
そういうと、マロは満足そうに「きゅう」と鳴いた。
*
マロのことを、村の連中に隠す気は、なかった。隠したところで、袖から顔を出すし、隙あらば、肩によじ登ってくる。
それに——妙な生き物を懐に隠している方が、よっぽど、あやしいかもだし。
案の定、はじめて肩にマロを乗せて畑に出たオレを見て、まっさきに駆けてきたのは、あの子供だった。テオ、という名前らしい。
「なにそれ! もふもふ! さわっていい?」
「……そっと、な」
テオが、おそるおそる、マロの背に触れる。そのとたん、まんまるの目を、ぱあっと、輝かせた。
「やわらかい! ねえ、なんて名前?」
「マロ、だ」
「マロ!」
大人たちは、あいかわらずだった。オレが見慣れない獣を連れていても、ちらりと目をよこすだけで、誰も、話しかけては、こない。
どこの馬の骨とも知れない余所者が、どこの馬の骨とも知れない獣を拾った。——ただ、それだけのこと。相変わらず、オレは、この村では、よそ者のままだ。
それで、いい。悪い癖かもしれないが、目立たないに、越したことはない。
その日も、日が暮れるまで、土にまみれた。石を拾い、草を抜く。かがみこむたび、伸びた前髪が、はらりと、目にかかった。
……そういえば。この世界へ来てから、一度も、髪を切っていない。鋏なんて上等なものは、オレは持っていない。放っておけば、伸びる一方だ。汗で額に貼りついたそれを、手の甲で払う。
短く整えていた、前の世界の頭を思えば——ずいぶんと、見られない格好に、なったものだ。肩の上のマロは、我関せずと、まるくなって、寝ていた。
*
その晩。納屋の藁の寝床で、マロと、二人、丸くなる。懐が、あたたかい。ゆうべまでの、卵ひとつ分の熱とは、比べものにならない。
まぶたの裏に、いつもの窓が、浮かんだ。
『デイリーリワード――経験値 +1』
……今日は、1。ゆうべは、2だった。あいかわらず、気まぐれな数字だ。レベルは、びくとも、しない。
それでも。今日は、なんだか、悪くなかった。数字がひとつ増えたことより——懐で、小さな寝息が、聞こえること。そっちの方が、よっぽど。
目を、閉じかけた。その時。
村の方から、犬が、けたたましく吠える声がした。一匹が、二匹に。二匹が、三匹に。何かに怯えるみたいな、切れ切れの声。
袖の中で、マロが、ぴく、と、身じろぎをした。
「……なんだ?」
返事は、ない。あるわけが、ない。
ただ、その夜。犬たちの声は、しばらく、やまなかった。