飛行艇のプロペラ音が延々と響いている。
窓の外には雲海が広がりその向こうから立ち上る蒸気の柱が地鳴らしの進路を告げていた。
目的地はスラトア要塞。
マーレ軍が築いた最後の防衛線でありエレンの地鳴らしが次に向かうであろう場所だ。
だが俺たちの狙いは要塞を守ることではない。
エレンを止めることだ。
狭い船内でハンジさんが地図を広げた。
「スラトア要塞にはマーレ軍の残存部隊が集結している。だがあの数の巨人には一日も持たないだろう」
「なら俺たちはその前にエレンに追いつかなきゃならない」
ジャンが腕を組みながら言った。
「問題はどうやって止めるかだ」
その問いに全員が沈黙する。
エレンは始祖の巨人の力を持っている。
座標を通じて全てのエルディア人を支配し巨人を操る力。
正攻法で近づくことすら難しいかもしれない。
「エレンはなぜ他の巨人の力を奪わないんだ」
アルミンがぽつりと言った。
その言葉に俺は眉をひそめた。
「九つの巨人の力。始祖があれば奪うことくらいできるはずだ。でもエレンはそれをしていない。なぜ?」
「自分を止めてほしいからではないか」
ピークが静かに口を開いた。
「もし全ての巨人の力を奪ってしまえば誰もエレンを止められなくなる。でも彼はあえてそうしていない。それは自分の中にまだ止めたいという意志があるからではないか」
その意見に俺はピークを見つめた。
彼女なりの観察眼でエレンの心理を読んでいるのだ。
「だとしたら話し合いで止められるかもしれない」
アルミンの声に希望の色が混じる。
「言葉で届くならそれが一番だ。僕たちはそう信じてきたはずだ」
ミカサも無言だがその瞳には微かな光が宿っていた。
かつてエレンと共に過ごした日々を信じる者いる。
それが彼女の答えなのだろう。
だが俺は違った。
海辺でエレンが言った言葉が脳裏に焼き付いている。
「もしいつか俺がただの殺戮者になった時はお前が俺を殺せ」
あれは冗談ではなかった。
彼は本気でそう望んでいたのだ。
俺は口を開きかけて何も言えなかった。
仲間たちの希望を否定したくなかったからだ。
その時だった。
視界が白く染まったのは。
いや違う。
意識が引き抜かれたのだ。
目の前に広がる無限の砂漠。
空も地もなくただ白い砂が果てしなく続く空間。
ここは座標。
始祖の巨人が支配する世界の裏側だ。
「これは」
「座標だ」
リヴァイ兵長の声が響く。
俺たちは全員この空間へと引きずり込まれたのだ。
目の前に一人の少年が立っていた。
黒髪。
鋭い目つき。
だがその瞳の奥にはひどく疲れた色が宿っている。
エレン・イェーガー。
「エレン」
ミカサが一歩前に出る。
その声は震えていた。
「お前何をしてるんだ。地鳴らしを止めてくれ」
ジャンが叫ぶ。
「もうたくさんだ。これ以上人を殺すな」
エレンは静かに見つめ返した。
その表情にはかつての怒りも熱意もない。
ただ虚ろな空だけが広がっているようだった。
「エレン話を聞かせてくれ。僕たちは戦いたいんじゃない」
アルミンが必死に訴える。
「お前が本当に望んでいることは何なのか。教えてくれ」
その言葉にエレンは少しだけ目を細めた。
だが次の瞬間彼の口から出た言葉は俺たちの希望を冷徹に断ち切るものだった。
「地鳴らしを止めたければ俺の息の根を止めろ」
その声は静かだった。
あまりにも静かだった。
そこには感情がなかった。
まるで天気の話でもするかのような平坦な声で彼はそう言い放ったのである。
ミカサの瞳が揺れる。
アルミンの顔が歪む。
ジャンが歯噛みする。
俺はただ黙ってエレンの顔を見つめていた。
海辺で交わしたあの問答。
「もしいつか俺がただの殺戮者になった時はお前が俺を殺せ」
その時は来たのだ。
エレンは最初から答えを知っていた。
言葉では届かない。
話し合いでは止まらない。
彼はそう選んでいたのだ。
「エレン」
俺は静かに彼の名を呼んだ。
「お前本当にそれでいいのか」
エレンは俺を見た。
その瞳に微かな光が宿った気がした。
だがそれはすぐに消え去り再び虚ろな闇へと戻っていく。
「いいんだよジョー。俺はもう決めてる」
その言葉が全てだった。
彼は最初から引き返すつもりなどなかった。
ただ最後に一度だけ俺たちの顔を見たかっただけなのかもしれない。
座標の空間が白く弾けた。
意識が現実へと引き戻される。
飛行艇の揺れとプロペラ音が再び耳を打つ。
俺は荒い息を吐きながら座席にしがみついていた。
「エレンは」
アルミンが震える声で言った。
「話し合いじゃ無理だ」
ジャンが俯きながら呟く。
その拳が白くなるほど握りしめられている。
ミカサは無言だった。
だがその手が膝の上で固く握られているのを俺は見た。
「やるしかないか」
コニーの声はひどく小さかった。
俺は窓の外を見た。
蒸気の柱がまだ立ち上っている。
地鳴らしは止まっていない。
エレンは止まらない。
なら俺たちが止めるしかないのだ。
たとえそれが彼の望みであったとしても。
「ピーク」
俺は隣の彼女に目を向けた。
彼女もまたエレンの言葉を受けて何かを考えていた。
「うん。分かってる」
その声は静かだった。
だがその中には確かな決意が宿っていた。
俺は拳を握りしめた。
海辺でエレンに約束した言葉が蘇る。
もしその時が来たら。
俺が彼を止める。
その時はもう来ていたのだ。