元おっさんTAS美少女、行きつけの店で看板娘になる。 作: sky
双子との研修が再開された。
「まずはお店の案内してあげる!そらちゃん着いて来て!」
陽奈がそらの腕を掴み、店内を引っ張り始めた。菜月はその後ろを無言でついていく。
陽奈の指が廊下の奥を指した。その先に、もうひとつ扉がある。
「ここがキッチン!ドリンクはここで作るの。で、こっちがスタッフルーム。ロッカーもあるよ。休憩する時はこのテーブル使ってね」
「……陽奈、声が大きい」
「えー、だって嬉しいんだもん!新しい子が入ってくると楽しいじゃん!」
陽奈の目が爛々と輝いている。一方、双子の妹は相変わらず無表情のまま、姉の背中を追うように歩いていた。バックヤードの奥に「STAFF ONLY」と書かれた扉が見えた。
「ここは?」
「あー、気になる?ここはねー?」
「ただの物置」
「菜月!すぐネタバレしたら面白くないじゃん!」
「……事実を言っただけ」
陽奈は頬を膨らませたが、すぐに気を取り直して次の場所に歩き始めた。
「ここがホール。知ってるよね。テーブルにそれぞれ卓番がふってあるから覚えてね。1番さんにこれ持って行って。とか言われるから」
ホールに出ると、見慣れた光景が広がっていた。つい数日前まで客として座っていた席が並んでいる。
そらは無意識に指先でいつもの席の座面を撫でていた。4番テーブル。窓際の角席。ここでいつもあの双子を眺めながらメニューを注文していた。
「……お客様?どしたの、固まっちゃって」
無意識に出た「お客様」という呼び方に、一瞬だけ陽奈自身が気まずい顔をした。
「……早く次行くよ、姉さん」
「あ、うん……あとは、こっちがレジで——あっちがお客様用のトイレ。スタッフ用のトイレはスタッフルームにあるから間違えないでね」
菜月がため息をついて。
「……姉さん、説明が雑」
「大丈夫だって。やってるうちにすぐ覚えるから」
陽奈がパチンと指を鳴らした。
「お店の案内はこんな感じ。次は研修実践編ね!菜月、お客さん役やって」
「え、私が?」
「だって菜月のほうがガード固いから練習になるでしょ」
菜月は不満そうだったが、しぶしぶ客席側に回った。
「……じゃあ行きますよ」
菜月が席に座る。足を組んで、メニューも見ずにそらを見上げた。「冷たい客」の演技が始まった。普段の菜月とは別人のような、値踏みするような目。
「すみません」
低い声。さっきまでの「菜月」とは完全に別人だった。
「はい、お待たせしましたー」
冷たい目でそらを上から下まで舐めるように見た。
「遅いんですけど。どれくらい待たせるんですか」
声に温度がない。完全にクレーマーのそれだった。ホールの空気がピリッと張り詰める。陽奈はカウンターの影からニヤニヤしながら見守っていた。
テーブルを指でトントンと叩く。
「あと、この店って水はセルフサービスなんですか?普通お冷や持ってきますよね。基本的なこともできないんですか?」
完全なイチャモンである。実際のところ、この店はお冷やは店員が持って行くシステムになっている。だが今回は研修で新人の対応力を見る為にあえてアドリブを入れているのだろう。さっきの姉と違い、菜月の演技力は本物で、そこに座っているのは本当に不機嫌な客にしか見えなかった。
「……お水はセルフサービスでという決まりですので。ご自分で取りに行くのがご面倒であればソフトドリンクかアルコールのご注文もお受けできますがいかがですか?」
菜月の眉がぴくりと動いた。ルールだからと突っぱねるか従うかの2択を想定していた菜月にとって、想定外の返しだったらしい。
「……は?」
「決まりですので」とあっさり切り返された上に、代替案まで提示された。クレームを受け流すどころか、逆にメニュー提案で主導権を握り返している。
陽奈がカウンターの影で目を見開いていた。小さく口パクで「やるじゃん」と言っている。
一瞬たじろいだが、すぐに冷徹な表情を取り戻した。
「じゃあコーラ。でも氷なしで。あとグラスも冷えたやつじゃないと嫌なんで。ちゃんとできます?」
畳みかけるように注文をつける菜月。しかしその目の奥に、「さあどう返す?」という挑発の色が見えた。
いつの間にか陽奈がカンペを取り出してこちらに見えるように広げていた。「氷なしコーラはメニューにない!どうする!?」
「陽奈ちゃんは普段どうしてる?氷抜きって注文は突っぱねてる?それともそれくらいならやってあげてる?」
振り返って陽奈に直接聞いた。マニュアル通りにやろうとするのではなく、現場の判断を仰ぐ。これも「後追い」戦法の真骨頂だった。
一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐにプロの顔になった。
「えーっとね、氷抜きはうちの機械だとできないんだよね。だから普通に「申し訳ございません、氷は入ってしまうんです」ってお伝えしてるかな」
的確な回答だった。つまりこの店では氷なしコーラは提供していない。正面からぶつかるか、別の切り口を探すか――菜月演じるクレーマーの鋭い目がそらに突き刺さっている。
足を組み替えながら。
「聞こえましたけど。できないんですか?じゃあこの店のサービスってその程度ってことですよね」
数秒の思考ののち、再び陽奈の方を見た。
「スプーンで氷だけ後から取り出す、みたいなことはしてあげられないかな?」
それを聞いた陽奈は、目をぱちくりさせた。
「え、スプーンで?」
それは陽奈も、そして菜月もやったことのない対応だった。メニューにないものを既存の材料とサービスで補う。まさに創意工夫。
菜月も一瞬演技を忘れかけて、素の顔になりかけたがすぐに持ち直した。
「……ふーん。じゃあやってみてくださいよ。中途半端なことされたら余計怒りますからね」
菜月の中の「仕事なら何でもする積極的な妹」が一瞬顔を出しかけたが、「冷たい客」モードに無理やり戻した。グラスにコーラを注ぎ、氷をたっぷり入れた状態でテーブルに置く。ここからがそらの腕の見せ所だった。
カラン、カラン。と氷がグラスに当たる音。一個、二個、三個――そらは丁寧にスプーンで氷をすくい出していった。コーラの黒い液体が少しずつ姿を現す。
陽奈と菜月。2人共が思わず身を乗り出して見ていた。
だがしかし問題が発生した。氷を全部抜いたグラスは――コーラが薄い。炭酸が氷に吸われて、ほぼコーラ風味の水になっていた。
無惨な中身の入ったグラスを見下ろして鼻で笑う。
「何これ。コーラ頼んだのに水みたいじゃないですか。こんなの出して恥ずかしくないんですか?」
完全な詰みだった。氷を抜けばコーラの炭酸は薄まる。かといって氷を残せばクレームの火種になる。菜月が腕を組んでそらを見据えている。
「うーん……やっぱり難しいですね。自分なりにお客様のためにと思ったんですが、申し訳ありません」
あっさり謝った。「自分なりにお客様のために」という言葉を添えて。これが絶妙だった。言い訳でも開き直りでもない、純粋な善意の失敗。相手の怒りの矛先が行き場を失う。
菜月がまたもや口を開きかけて止まった。
菜月の中で「冷たい客」と「本来の優しい自分」が激しくせめぎ合っていた。目の前でしょんぼりしているのは、新人。とはいえ元は男。でもその姿がどう見ても可愛い女の子で――菜月の心がぐらぐらと揺れていた。
「……っ、べ、別に謝ればいいってもんじゃないんですけど」
声が若干上ずっていた。演技に綻びが出始めている。
陽奈が後ろでぱちぱちと拍手していた。声を殺して興奮している。
「やっぱり素人が机上論で上手くやろうとしてもだめですね、失敗しちゃった」
「素人」「机上論」――自分を下げる言葉の連続。これがまた厄介だった。責めようとすると「いやこの子一生懸命だったんだな」という空気が漂ってしまう。
完全に「冷たい客」の仮面が剥がれかけていた。唇をもごもごさせて。
「だ、だからって……」
「はい、カットー!」
陽奈が間に飛び出してきた。楽しそうな顔が隠しきれていない。そもそも隠す気もなさそうだが。
「ちょっと菜月!もう演技崩壊してんじゃん!「別に謝ればいいってもんじゃない」って言いながら顔真っ赤だよ?」
「してない!赤くない!」
そらに向き直って、満面の笑み。
「そらちゃんさ、今のすっごく良かった。謝り方がうまい。「申し訳ありません」じゃなくて「失敗しちゃった」って言うと、こっちが悪いことしてる気分になるんだよね」
さすがサービス精神旺盛な姉。分析が鋭かった。
「じゃあ次はもっとヤバいお客さんが来た時の練習を——」
カランカラン。その時入口のベルが鳴って2人の女性客が入店した。
「……またまた実技試験だね。いってらっしゃい、新人ちゃん!」
陽奈に背中をパシッと押されて2人の方へと向かう。
五番テーブルへ案内した。女性客二人。今度はさっきみたいな面倒なことは起きない、筈だ。
ショートカットの二十代。そらを見るなり目を輝かせた。
「えっ、なにこの子。お人形さん?」
ロングヘアの三十代。頬杖をつきながら値踏みするように。
「かわいー。ねえねえ、ここの店員ってこんなレベル高いの? 前来た時こんな子いなかったけど」
テーブル越しに手招きして。
「ねえねえ座って座って! メニューよりこの子のが気になるんだけど!」
女性客の距離感は男とはまた違う意味で遠慮がない。ぐいぐいくる。
ニコッと営業用のスマイルで対応する。
「そらですー、今日が初めての出勤なんです。それから座ると私が怒られてしまうので、このままご注文お聞きしますね」
ショートカットの女性が両手で自分の頬を押さえて。
「初めて!? じゃあまだ誰にも汚されてないってこと!? やっばい尊い」
ロングヘアの方はスマホを構えながら。
「てかその笑顔ほんとやばい。インスタ載せていい? ハッシュタグ「美少女店員」で」
ずいっと顔を近づけてきた。甘い香水の匂い。
「ねえ肌つるっつるじゃん。何使ってんの? スキンケア教えて」
もう片方から挟むように。
「あと彼氏いる? いないでしょ? いないって言って!」
完全に包囲された。両サイドからの圧がすごい。女性客特有の「可愛いもの見つけたら共有したい」本能が全開だった。
陽奈が三番テーブルを片付けながら横目で見て、くすっと笑った。
「あーあ、女にもモテちゃってる。罪な子だなあ」
いい加減質問ラッシュが止まらなくてキリがないのでもう一度聞き返す。
もちろん笑顔も忘れずに。
「あのー、ご注文は……」
二人同時にぴたっと止まって、ぱちくりと。
「……注文? あー、そうだここ飲食店だった」
けらけら笑って。
「忘れてたわ。だってこの子がメニューみたいなもんでしょ」
メニューを開きもせず。
「じゃあそらちゃんください」
「出たwww それ言いたかっただけでしょwww」
きゃっきゃと盛り上がる二人。まるで女子校のノリだった。
営業スマイル+首を傾げて、微笑んだまま。さっきの男性客の接客をした後、もう一度メニューを見直しておいた知識を活かす時が来た。夏限定のデザート。トロピカルマンゴーパフェ。
「もしよろしければ当店自慢のパフェはいかがですか? 夏限定のやつ。とっても映えますよ?」
一瞬の沈黙。そして——
ガタッと椅子から半分立ち上がった。
「パフェ!? 映える!? 食べる!!」
もうスマホのカメラ起動してる。
「てかこの子接客うまくない? 初日って嘘でしょ」
テーブルをばんばん叩いて。
「しかも首傾げるとかあざとすぎん!? 天然? 演技? どっちでもいい好き!!」
映え、という単語は女性客に対する最強の殺し文句だった。効果は抜群。二人は財布を同時に取り出した。
「五番さんマンゴーパフェ二つとジンジャーエールとアイスコーヒーオーダーです」
声が通った瞬間、厨房の恵子とホールの全員が反応した。
恵子が伝票を受け取って目を通す。
「トロピカルマンゴーパフェ二つ……夏季限定のやつね。あれ手間かかるのよねえ」
双子がひょいっと厨房を覗き込んで。
「え、あれ作るの陽奈たちじゃないよね? そらちゃんにやらせる?」
恵子がエプロンを締め直して。
「そうね、せっかくだし作り方覚えてもらいましょう。そらさん、ちょっとこっちに来て?」
呼ばれて厨房に入ると、恵子が冷凍庫からマンゴーのピューレ缶と生マンゴー、ホイップクリーム、コーンフレーク、グラノーラ、ミントの葉を次々と並べた。
パフェグラスをとん、とカウンターに置いて。
「いい? まずグラスの底にコーンフレークを敷き詰めて、その上にホイップを——」
「こうやって、絞り袋で渦を巻くように。だらだら出さないで、きゅっきゅっとリズムよく——」
恵子の手つきはさすが二十年のベテラン。ホイップが均一な渦を描いてグラスに収まっていく。
「次にマンゴーピューレを流し込む。ここでケチると味に直結するから気をつけて。その後に生マンゴーをスライスして。薄さは均一にね」
グラスの中で黄金色の層が積み上がっていく。マンゴースライス、ホイップ、ピューレ、グラノーラ、そしてまたホイップ。恵子の指先は迷いなく、まるでピアノを弾くように動いた。最後にミントの葉をちょん、と乗せて完成。
気づけばパフェが完成していた。美しく盛り付けられたグラスの中で、マンゴーのオレンジとホイップの白が螺旋を描き、てっぺんにミントの緑が映える。プロの仕事だった。ただし作ったのは恵子。
ふふ、と得意げに微笑んで。
「こんな感じ。簡単でしょう?」
全然簡単そうじゃなかった。プロの技だった。厨房の隅で見ていた双子が顔をしかめている。
「……あれのどこが簡単なんだろ」
「……同意」
もう一つグラスを出して、今度はそらに手渡した。
「はい、やってみて。見て覚えたでしょう?」
そらがグラスと向き合う。スプーンを持つ手が微かに震えていた——緊張か、それとも単純に不慣れか。まずマンゴーピューレを注ぐ。ここまでは良い。問題はここからだった。
ホイップを絞ろうとした瞬間、力加減を間違えた。ブシュッ、という情けない音と共にホイップが天井に向かって噴射された。白い飛沫が宙を舞い、重力に従ってゆっくりと降下してくる。
恵子の額にホイップが着弾した。
「……そらさん?」
さらに追い打ちをかけるように、バランスを崩したグラスが傾き、中身が一気に流れ出す。カウンターがマンゴー色に染まった。惨状である。
頬に飛んだホイップを指で拭いながら笑顔が引きつっている。しかしすぐにその色を消して、咳払いをひとつ。作り笑顔。
「まあ、初日なんてこんなものよ。うん。……次いこっか」
「パフェ二つ、お待たせしましたー」
結局、二杯とも恵子が作り直した。そらは運搬係である。トレーに載せられた二つのパフェは、さっきの惨劇が嘘のように美しい。さすが二十年、仕上がりに一切の妥協がない。
さっきの二人の視線がパフェに集中した。
「わぁ、可愛い!写真撮っていいですか?」
二人が目を輝かせた。新メニューだけあって、見た目だけでテンションが上がる逸品だ。
パフェのスプーンを持ち上げながら。
「さっきそらちゃん厨房でパフェ作ってなかった?これそらちゃん作?だとしたら凄すぎない⁉︎」
「あー。結局失敗しちゃって、二杯とも店長がやってくれました」
くすっと笑って。
「でもこういう子が頑張ってるの見ると応援したくなるよね。また来ていい?そらちゃんに会いに!ほら、推しってやつ⁉︎」
初日にして客からの推し活が始まった。