ステータス『0』の観測兵 ~転移したクラスを離れた少年は、砲火と魔法の異世界で昇進させられる~ 作:ハルキーノ
《王録》 九章 二十一節
『刃はただ進む。道を選ぶのは、刃の外にいる者である。』
2378- 北東石壁線 羽黒承視点
敵の戦車三両は、横一列では来なかった。
縦でもない。
中央の一両を少し下げ、左右の二両を前へ出す。砲塔はGT-72へ向いているが、車体はアンテラルのいる石壁へ寄せていた。
戦車でこちらを撃つためではない。
敵英雄級の道を、砲塔と結界で広げるためだ。
「敵戦車、英雄級の道を作っています。GT-72、一号二号は正面維持。三号車、採石道口から左へ二十。敵左翼戦車の側面を見せてください」
通信兵が復唱した。声はまだ保っている。符号板の縁に、指の跡が薄く残っていた。汗と煤が混じった跡だ。
「先鋒三、煙幕を浅く。先鋒四は撃たないでください。敵に四両全部を見せない」
「先鋒四、撃たない、復唱」
北東の平地で、ST-71三号車が短く煙を吐いた。白い幕は濃すぎない。濃すぎる煙は敵にも味方にも道を隠す。薄い煙は、敵の砲手に一拍だけ迷わせる。
その一拍で、GT-72三号車が採石道口へ車体をずらした。
遅い。
遅いが、止まらない。
履帯が石を噛み、砕いた音がこちらまで来た。砲塔が左へ回る。短砲身の八十ミリは、長い槍のようには見えない。けれど、近い距離では十分に人と車両を変える。
「GT-72三号、AP。敵左翼戦車の履帯前。撃破ではなく、止めてください」
「撃破ではなく、停止。復唱」
砲声。
敵戦車の正面ではなく、履帯の前の土が割れた。破片と泥が跳ね、履帯が一拍だけ空回りする。車体が横へずれた。
完全には止まらない。でも、道が歪んだ。敵英雄級の走る線が、半歩だけ狭くなる。
アンテラルは、その半歩へ入った。
濃緑外套が煙の中で翻る。敵英雄級の長柄武器が、石壁の上へ火花を散らした。アンテラルの剣は正面から受けず、斜めへ流す。流された刃が、後ろの石を削った。
石片が、王国歩兵の盾に当たる。
歩兵は下がらない。
下がらないための場所を、僕が作らなければならない。
「甲一、前へ。石壁手前八十。右手剣、抜いてください。敵歩兵を薙ぐのではなく、石壁へ寄せる。甲二は甲一の左、機銃覆いを前へ。機銃はまだ」
整備下士官が符号を受けて走った。
機甲衝撃兵、甲一が動く。
王国側の機体は、帝国機より軽く見えた。実際に軽いかどうかは分からない。濃緑布の白線が揺れ、幅広の剣が低く構えられる。
疑似筋束が鳴る。
濡れた革を絞る音。
足元の泥が沈み、結界面が遅れて白く追いつく。
敵歩兵が撃った。十ミリ級の機関銃弾が、甲一の前面で散る。貫通はしない。結界が弾の向きを曲げ、弾は泥と石壁を打った。
でも、結界面は濁った。
六秒は短い。
「甲一、そこで止まらない。二歩だけ前。剣を横へ」
甲一の幅広剣が、低い位置で横へ走った。
人を斬るというより、地面ごと払う動きだった。敵歩兵の前列が崩れる。盾を持った者が一人、石壁へ叩きつけられた。別の一人は足を払われ、銃を落とした。
血は見えた。
でも、それより先に、線が変わった。
敵英雄級へ続く歩兵の道が、左へ折れた。
「敵歩兵前列、崩れ。甲一、効果あり。甲二、機銃短連射。腰より下。敵を伏せさせてください」
「腰より下、短連射」
甲二の左腕が少し上がった。
箱形の覆いの奥で、機関銃が鳴る。長い連射ではない。三発、四発、間を置いてまた三発。泥が跳ね、敵の膝の高さで石が欠けた。
敵歩兵が伏せる。
伏せれば、英雄級の足元が空く。
空いた足元を、アンテラルが踏んだ。
敵英雄級の刃とアンテラルの剣がぶつかる。結界同士が、白く潰れる。敵の方が押している。体格ではない。背後の戦車と術式兵が、敵の結界を厚くしている。
周囲が射線を空けた時だけ、進路が速く見える。
なら、道を削る。
「GT-72一号二号、HE。敵術式兵列の前。直撃狙いではなく、土を上げてください」
「土を上げる、復唱」
「先鋒一、敵右翼戦車へ煙幕。先鋒二、四十ミリ榴散、敵歩兵の後ろ。前ではなく後ろ」
砲声が重なる。
北東林の手前が、土と煙で一度消えた。
敵術式兵の列が乱れる。結界の白さが薄くなった。敵英雄級の刃が、一瞬だけ重さを失う。
アンテラルは、その瞬間を逃さなかった。
口元が、短く動いた。
翻訳札が拾うより早く、風が先に来る。
『風神の如く、賢者曰く「ダウンバースト」』
剣が下から上へ走った。
敵英雄級の胸元の結界が裂ける。鎧ではない。結界面だ。斬撃に弱い面を、同じ線で押し切った。
押し切ったあと、風が落ちた。
上から叩かれたように、敵英雄級の膝が沈む。周囲の歩兵も、盾を持ったまま泥へ片手をついた。
敵も倒れない。
かわりに、アンテラルの右脇腹から血が飛んだ。
閉じたはずの場所だ。
僕の口の中が苦くなる。
「アンテラル、負傷」
通信兵が言った。
「まだ立っています」
「はい」
「赤信号は」
「出ていません」
まだ立っているなら、敵もそこにいる。
あの人は、そう言った。
言った通りになっているのが腹立たしかった。
「GT-73、前進」
自分の声が、思ったより通った。
地図室の空気が変わる。
通信兵が一瞬だけこちらを見た。すぐ符号へ戻る。
「GT-73、中央から北東へ前進。速度、低。砲塔は敵中央戦車。AP準備」
重い車体が動き出した。
GT-73の双発フライホイールが、細い音を太くする。キィィィンという共鳴が、低い履帯音の中へ混じった。車体中央の結界が白く脈打ち、前方の煙を押し分ける。
敵中央戦車が砲塔を向ける。こちらへではない。GT-73へ。
それでいい。
「ST-71四、今です。右から三十、煙幕ではなくHE。敵中央戦車の観測器周辺」
「先鋒四、射撃」
隠していた四両目が、初めて撃った。
四十ミリの弾は、敵中央戦車の装甲を抜かない。抜けない。けれど観測器周りの覆いを叩き、結界の表面を濁らせた。敵砲塔の動きが止まる。
GT-73の八十ミリが撃った。
敵戦車の車体が一度沈む。
爆発ではない。
砲塔基部の近くで結界が割れ、装甲板が曲がった。砲塔は形を残している。だが、もうこちらへ向けない。履帯は泥を噛み、側面の歯車覆いから白い蒸気が漏れていた。
撃破ではない。
戦車ではなくなった。
「敵中央戦車、火力喪失。行動不能寄り。完全撃破ではありません」
通信兵が復唱する。
完全撃破ではない。
その言い方が、なぜか少し救いになる。
でも、砲塔の中で誰かが叩いている音は、ここまで届かない。
✶
敵は退かなかった。
中央戦車が止まっても、左翼戦車が前へ出た。履帯前を削られて横へずれたはずの車体が、無理に姿勢を戻す。操縦手が上手い。
うまい人間ほど、死地へ戻れる。
「敵左翼戦車、再前進。GT-72三号、下がらないでください。APではなく煙幕。あれは逃げる気ではなく、英雄級の背中を隠す気です」
「GT-72三号、煙幕」
煙幕弾が敵戦車の前で割れた。敵は見えなくなる。こちらも見えなくなる。
ただ、数字だけは滲んで残った。濃い値が二つ。一つは敵英雄級。
もう一つは、煙の中で急に膨らんだ。
「敵、機甲衝撃兵」
帝国側の機体が煙を割って出てきた。
こちらの甲一より背が高い。胴が角ばり、右腕の剣が長い。左腕の機関銃覆いには、帝国式の灰色布が巻かれていた。
敵は、英雄級を助けに来たのではない。
アンテラルごと、石壁線を潰しに来ている。
「甲一、敵衝撃兵へ向けてください。甲二は甲一の左腕を守る。GT-73は敵戦車へ撃たない。敵衝撃兵の足元、HE。直撃ではなく、足場」
整備下士官の声が、符号線の横から聞こえた。
「甲一、結界残り薄いです」
「分かっています。六秒ごとに下がらせます。甲一、二歩前、三歩戻る。剣を合わせないでください」
合わせるな。
機体同士が剣を合わせれば、見た目は派手だ。
でも、王国側の結界は薄い。帝国機の方が重い。正面から押せば、疑似筋束を先に傷める。
「甲一、敵の剣を受けない。地面を払ってください。甲二、機銃で膝裏」
甲一の幅広剣が、敵機の剣ではなく足元へ入った。
泥が飛ぶ。
敵機の右足が、ほんの少し沈んだ。沈んだ瞬間、甲二の機銃が膝裏へ短く入る。装甲は抜けない。結界が弾を散らす。
だが、膝の裏で白い面が乱れた。
GT-73のHEが、足元の土を持ち上げる。
敵機がよろけた。
よろけても止まらない。疑似筋束が残っている限り、前へ来る。
敵機の長い剣が、甲一の左肩へ落ちた。
結界が裂ける。
装甲が鳴った。
甲一が片膝をつく。搭乗者の値が揺れる。消えない。まだある。
僕の手が、地図の上で止まった。
ここで甲一を下げれば、アンテラルの横が空く。
下げなければ、甲一の搭乗者が死ぬ。甲一の名前は、名簿にあった。見た。
まだ覚えている。でも、今は呼べない。呼ぶと、命令が遅れる。
「甲一、膝をついたまま剣を横へ。甲二、甲一の後ろを撃たないで。GT-72三号、榴散、敵衝撃兵の背後歩兵。歩兵を剥がしてください」
甲一は動いた。
片膝のまま、幅広剣を横へ払う。敵機の足ではなく、敵機の後ろにいた歩兵が散った。二人が倒れ、一人が銃を捨てて転がった。
敵機は止まらない。
でも、背中が空いた。
「アンテラルさん、下がってください」
通信ではなく、声で言っていた。届く距離ではない。届くはずがない。
それでも、アンテラルは一歩下がった。偶然だ。偶然でいい。
「GT-73、AP。敵衝撃兵、胴前面ではなく右足付け根。結界が濁った今です」
砲声。
敵機の右足付け根に、白い線が走った。
装甲は割れない。けれど、疑似筋束が何本も切れた。黒い繊維が濡れた縄みたいに跳ね、蒸気が太く出る。
敵機が右へ傾く。
甲一が、そこへ剣を入れた。
斬撃。
結界が、弾を受ける時とは違う濁り方をした。線で押され、ずれて、裂ける。王国側の幅広剣が、敵機の腰の結界をこじ開けた。
「甲二、戦闘室。短連射」
甲二の機銃が鳴る。
敵機の胴前面で火花が散った。最初の弾は弾かれる。二度目で装甲へ届く。三度目で、戦闘室の横に穴が開いた。
爆発しない。
敵機は、急に力を失った。
背中の排気口から蒸気が一度太く出て、疑似筋束がだらりと伸びる。大きな体が、膝から崩れた。
「敵機甲衝撃兵、戦闘不能。搭乗者、反応未確認」
言ってから、舌の奥が乾いた。
反応未確認。
そう言えば、まだ死んでいないように聞こえる。
でも、戦闘室を撃った。
撃たせた。
それは、言い換えでは消えない。
✶
敵英雄級は、そこで退くべきだった。
戦車一両は戦闘不能。機甲衝撃兵一体も倒れた。術式兵列は乱れ、歩兵は二度崩れている。道はもう細い。
それでも、敵は前へ来た。敵英雄級の刃が、アンテラルの剣を弾く。アンテラルが石壁へ背を打つ。
白信号は、まだ上がらない。赤信号も、上がらない。
どうしてこの人たちは、合図を出すべき時に出さないのだろう。
たぶん、出したら前に立てないからだ。
「GT-73、敵英雄級へ撃てますか」
GT-73車長からの返答は短かった。味方近すぎ。分かっている。
分かっているから聞いた。
「甲一、まだ動けますか」
整備下士官が怒鳴った。符号ではない。
「動けます。左肩破損、膝可動、搭乗者応答あり」
「甲一、アンテラルさんの右へ。剣を立てて、敵の逃げ道を消してください。斬りに行かないでください」
甲一が立ち上がる。
左肩の装甲が割れ、白い結界がそこだけ薄い。疑似筋束の一部が外へ出ている。それでも立つ。
立ってしまう。敵英雄級の横に、濃緑の壁が生まれた。逃げ道が、消える。
アンテラルが前へ出た。
敵の刃と、アンテラルの剣が噛み合う。鍔迫り合い。結界同士が押し合い、白い火花が散る。
敵は強い。アンテラルも強い。でも、強い者同士の勝負では終わらせない。
終わらせるわけにはいかない。
「GT-72一号、二号。敵英雄級の後ろ、石壁の根元へHE。アンテラルさんには当てない。敵の後退だけ潰してください」
通信兵が息を吸った。
「近すぎます」
「近いです」
「通します」
符号が走る。
砲声が二つ。
石壁の根元が割れ、敵英雄級の後ろで土と石が跳ねた。敵は下がれない。前へ出るしかない。前へ出れば、アンテラルの剣と甲一の剣に挟まれる。
敵英雄級が叫んだ。言葉は聞き取れない。でも、音だけで分かった。
まだ戦う音だ。
「アンテラルさん、左へ一歩」
また、届かない声を出した。今度は、通信兵が符号にした。白信号一。
石壁線から、小さな白い光が上がる。アンテラルが左へ一歩ずれた。
GT-73の砲塔が、ゆっくり敵英雄級へ向いた。
撃てる。
だが、撃てば敵だけでは済まないかもしれない。
アンテラルが、もう一度白信号を上げた。二回。止めた、という合図。
撃て、ではない。
でも、止めたということは、撃てるということだった。
「GT-73、HE。敵英雄級の後ろ一歩。直撃は狙わない。足元を割ってください」
GT-73が撃った。
着弾は、敵英雄級の後ろ一歩。
石が割れ、土が爆ぜる。敵の足が沈む。結界が爆風を受け、白く膨らんでから一気に薄くなった。
アンテラルの剣が、その薄くなった面へ入る。
斬撃。敵英雄級の胴が傾いた。甲一の幅広剣が、逃げようとした腕を払う。
敵はまだ倒れない。
倒れないから、最後を選ばなければならない。
「ST-71二、四十ミリAP。敵英雄級、足元。甲一、下がって。アンテラルさんも下がってください」
白信号が一つ。下がる。ST-71二号車の四十ミリが撃った。
敵英雄級の膝下で、結界が割れる。
次の瞬間、アンテラルの剣が首ではなく胸へ入った。
胸。結界の中。鎧の中。
人のいる場所。敵英雄級が倒れた。
長柄武器が石壁の下へ落ち、敵歩兵の前列から力が抜けた。濃緑の列では盾が上がり、甲一が壊れた左肩のまま剣を立てる。
「石壁線、取った!」
通信具の向こうで声が重なった。敵が作った道は消え、こちらの線が石壁の前へ戻った。
地面へ落ちる音は、機甲衝撃兵よりずっと小さい。
小さいのに、符号板の上で通信兵の手が一度止まった。
「敵英雄級、死亡確認」
僕は言った。
「アンテラル、立っています」
通信兵が続けた。その順番でよかったのかは分からない。敵が死んだ。
アンテラルが立っている。味方は、戻る。そういう順番で、今日は書かれる。
手のひらの奥が痺れていた。アンテラル、戦車三両、機甲衝撃兵二体、甲一と甲二。全部の値を同時に持ったまま、ここまで来た。持ったままでいることに、指先がもう慣れていない。
その中に、アンテラルの数字だけ混じっている。桁が違う。分かっていて、今は横へ置いた。
北東石壁線の煙が、少しずつ薄くなった。濃緑の列は、まだそこにいる。
先鋒戦車一両が結界容量を使い切り、後ろへ下がった。GT-72三号車の砲塔には石片が刺さっている。GT-73の車体中央では、結界がまだ白く脈を打っていた。甲一は左肩を落とし、剣を地面へ預けている。
人が乗っている。
全部に。
「戦果、整理します」
通信兵が言った。
「敵中央戦車、火力喪失。敵機甲衝撃兵、一、戦闘不能。敵英雄級、一、死亡確認。敵歩兵、前列崩壊。敵術式兵列、後退」
「味方は」
「ST-71一両、結界喪失で後退。GT-72三号、軽損。甲一、中破。搭乗者応答あり。アンテラル、負傷継続。歩兵負傷、まだ集計中」
まだ。その言葉が、一番長い。僕は地図を見た。
敵の道は消えた。消した。道を失った敵は、もう速く見えなかった。
ただ、人が倒れているだけだった。
旅団規模と報告された敵集団のうち、ここへ来たのは正面の一部でしかない。残りは、工兵が張り替えた偽装標識と狭く見せた採石道に阻まれ、隣接戦区へ流れたか、動けないまま夜を待つはずだ。
こちらの被害がこの程度で済んだのは、勝ったからではない。地形の方を、先に書き換えていたからだった。
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