楽して稼ぎたいクソザコ妖狐の怪異相談所 ~ネットで開業したら影を操る怪異の幼女に懐かれた~ 作:パッタリ
朝、私はちゃぶ台の前に座り、スマホでネットショップを眺めていた。
背中には、ヨミがくっついている。
ただ寄りかかっているのではない。
私の背中に胸元を押しつけるように密着し、両腕を回し、顎まで肩に乗せている。
「ヨミ。近い」
「近くない」
耳元で、ヨミが淡々と言った。
「ものすごく近い。あと暑い」
「ユズハ、まだ動きにくい」
「だからって背中に貼りつく必要はないでしょ」
「ある」
「何のために?」
「確認」
何を確認しているのか。
昨日、影喰いに影を噛まれたせいで、私はまだ体を動かしにくい。
手足は動くし、歩くこともできる。
ただ、全身に薄い重りをつけられているような感覚があり、少し動くだけでも妙に疲れる。
そのせいで、昨日の夜からヨミはずっとこんな調子だった。
私が立てばついてくる。
座ると隣に座る。
寝ればくっつく。
今朝に至っては、背後から完全に抱きつかれている。
「ヨミ。私は消えないから」
「わからない」
「消えないって」
「昨日は、危なかった」
「それはまあ……」
反論しにくい。
私は諦めて、スマホの画面へ視線を戻した。
今日は大きな買い物をする予定だ。
まず、スマホ。
今使っているものは古い。
充電はすぐ減るし、動画を見ているだけで本体が熱くなる。
「これかな」
中古で状態はそこそこ。
値段は約五万円。
私にとっては大金である。
「高い……」
指が止まる。
家賃一か月分より高い。
スマホ一台で家賃が払える。
そう考えると、急に買うのが怖くなってきた。
「買わない?」
「買いたい。でも高い」
「お金、ある?」
「最近ちゃんと働いたからあるよ」
ヨミが私の肩越しに画面を覗き込む。
「じゃあ買う」
「判断が速い」
私はしばらく悩んだものの、最後には目を閉じて購入ボタンを押した。
「五万円が飛んでいった……」
「お金、まだある」
「あるけども、その言い方どうなの」
次はノートパソコンだ。
こちらはもっと高い。
中古で約八万円。
今使っているノートパソコンは、怪異相談所のサイト更新にも時間がかかるし、動画を見るだけでファンが全力で回る。
さすがに仕事道具として不安だった。
「八万円……」
私は画面を見つめた。
「家賃、二か月分以上……」
「でも、いる?」
「いる」
「じゃあ買う」
「ヨミ、これは一万円が八枚も飛ぶんだよ」
しかし必要なのも事実である。
怪異相談所を続けるなら、スマホもパソコンを更新する必要がある。
私は再び目を閉じて購入ボタンを押す。
「十三万円……」
仕事で稼いだお金の多くが一気に飛んだ。
私はちゃぶ台へ額をつけた。
「働かなきゃ……」
「休む」
「そうだった」
今の私は療養中である。
さすがに、この状態で新しい依頼を受ける気にはなれない。
ゆずは怪異相談所のサイトには、朝のうちにこう表示してある。
『所長療養中につき、数日間、新規依頼の受付を休止します』
原因が怪異との戦闘とは書いていない。
退魔師とかに嗅ぎつけられても困るからだ。
***
ネットの買い物を終えたあと、私は布団の上に寝転がった。
やることがない。本当にない。
体を動かすと疲れるので、掃除もできない。
買い物にも行きたくない。
怪異相談所は休止中。
ヨミは私のすぐ隣にいる。
「暇だね」
「うん」
「ヨミは何かしたいことある?」
「ユズハといる」
「それはもう達成してるでしょ」
私はスマホを持ち上げた。
結局、できることといえば動画を見るくらい。
適当におすすめ欄を眺めていると、見覚えのある三毛猫が出てきた。
ミケだった。
『飼い主が仕事中なので全力で邪魔してみた』
そんな動画のタイトルを見たあと再生する。
画面の中で、三毛猫姿のミケがノートパソコンのキーボードへ堂々と寝転がっていた。
奥から女性の声がする。
『ミケさん、退いてください。仕事ができません』
『にゃあ』
『絶対わかってやってますよね?』
『にゃあ』
動画はそこで切れた。
再生数は、およそ数万。
「……こんなので?」
私は思わず呟いた。
次の動画。
『高級猫ベッドより段ボールを選ぶ猫』
さらに次。
『ブラッシングを要求する猫』
また次。
『おやつの袋の音だけ聞き分ける猫』
どれも伸びている。
かなり伸びている。
「恐ろしい……」
私は画面を見ながら呟いた。
「これが現代社会……」
「ミケ、すごい」
「いや、やってることはほぼ猫なんだけども」
でも、稼げる。
広告収益に企業案件。
ミケが羽振りよくなった理由もわかる。
私は少し考えた。
「狐動画……」
ヨミがこちらを見る。
「ユズハ、狐になる?」
「いや、やらないよ」
「なんで?」
「猫はどこにでもいる。でも、狐はそうじゃないでしょ」
もふもふな狐がワンルームでくつろいでいる。
そんな動画を投稿すれば、珍しさで伸びるかもしれない。
だが、逆に目立つ。
同じ場所で何度も撮れば、背景から住んでいる地域を特定されるかもしれない。
「私、身バレしたくない」
「身バレ?」
「怪異相談所の所長が、実は本物の妖怪でしたってバレたら困るでしょ」
「困る?」
ヨミは首をかしげた。
私は少し考えた。
今のところ、相談所のサイトには私の顔写真を載せていない。
依頼人とは直接会うが、狐耳と尻尾は隠している。
それなのに、動画で狐姿を公開するのは危険である。
「だから狐動画はなし」
「見たい」
「何を?」
「狐のユズハ」
ヨミが黒い瞳でじっと見つめてくる。
無表情だけど期待しているのはわかった。
「……今?」
「うん」
「動画は撮らないよ。見るだけ?」
「見るだけ」
私はため息をついた。
まあ、家の中ならいいか。
久しぶりに本来の姿になるのも悪くない。
「じゃあ、ちょっとだけね」
私は布団の上で目を閉じて姿を変える。
数秒後、布団の上には一匹の狐がいた。
亜麻色に近い淡い毛並み。
ふわふわの大きな尻尾。
人間の姿の面影を残す、薄い琥珀色の目。
「こんな感じ」
私は前足を伸ばした。
ヨミは黙っていた。
「ヨミ?」
次の瞬間、捕まった。
「ちょっ」
両腕で抱き上げられ、さらに頬を毛に埋められた。
「ふわふわ」
「待って。ヨミ、待って」
聞いていない。
頭を撫でられ、背中を撫でられ、耳の後ろを撫でられ、尻尾を抱きしめられる。
「ちょっと、そこは」
「ふわふわ」
「感想はいいから!」
普段のヨミからは考えられないほど、積極的だ。
無表情のまま、ひたすら撫でてくる。
「ヨミ、やめて。抜け毛が増える」
「大丈夫」
「何が大丈夫なの!?」
さらに頬ずりされた。
私は抵抗しようとしたが、まだ体が本調子ではない。
しかも狐の姿は、人間の姿よりずっと小さいので逃げられない。
「ヨミ。もう十分見たでしょ」
「まだ」
「どれくらい見る気?」
「ずっと」
ヨミは私を膝の上に乗せ、そのまま抱きしめた。
完全に猫を抱くような姿勢だった。
いや、私は狐である。
「ミケの動画を見てる時より楽しそうじゃない?」
「ユズハだから」
さらっと言われた。
こういうところだ。
この子は無表情で、突然こういうことを言う。
「……まあ、ちょっとだけなら」
私は諦めて丸くなった。
ヨミの手が、一定の速さで優しく背中を撫でる。
悪くはない。
むしろ、少し気持ちいい。
「動画にしたら、伸びるかな」
つい呟くと、ヨミの手が止まった。
「だめ」
「え?」
「見せない」
「でも、さっき狐動画見たいって」
「わたしだけ見る」
「……独占欲強くない?」
ヨミは答えなかった。
ただ、私を抱く力が少し強くなる。
私はその腕の中で、ふわふわの尻尾を揺らす。
狐動画は稼げるかもしれない。
でも身バレは怖い。
そして何より、うちの助手が公開を許してくれそうにない。
「現代妖怪の商売って、難しいなあ」
私が呟くと、ヨミはまた私の背中を撫で始めた。
その日、私は狐姿のまま、たっぷり一時間ほどもふられ続けた。
布団の上には、抜け毛がそこそこ落ちていた。
「やっぱり抜け毛増えてる」
「また生える」
「そういう問題じゃないんだよ」
怪異相談所は休業中。
スマホとノートパソコンは配送待ち。
そして私は、療養中なのに別の意味で少し疲れていた。
狐動画については、ひとまず保留である。