楽して稼ぎたいクソザコ妖狐の怪異相談所 ~ネットで開業したら影を操る怪異の幼女に懐かれた~ 作:パッタリ
昼過ぎ。
玄関を叩く音がした。
扉を開けると、猫又のミケが立っていた。
いつもの余裕たっぷりな笑みはなく、少し困ったように眉を下げている。
その後ろには、赤い着物を着た小さな少女が隠れていた。
「珍しい顔してるけど猫動画が炎上した?」
「してないわよ。今日は相談」
「ミケが?」
「この子のことでね」
ミケが横へ退く。
少女は不安そうにこちらを見上げた。
年齢は、見た目だけなら七歳くらい。短い黒髪に赤い着物という格好をしている。
その輪郭はひどく薄かった。
少し目を離せば、そこにいたこと自体を忘れてしまいそうになる。
ひとまず部屋に通し、私はちゃぶ台の前で腕を組んだ。
「それで? 何があったの?」
「どこから話せばいいのか……」
少女の名前はスズ。
古い一軒家に何十年も住み、そこで暮らす家族を見守ってきた座敷童だという。
家を大金持ちにするような力はない。
けれど、その家で生まれた子どもたちは、昔からスズの姿を見ることができた。
「でも、三日前から、誰もわたしを見なくなりました」
スズの声は小さかった。
「呼んでも、返事をしてくれません。前に立っても、通り過ぎます。写真からも、わたしだけ消えました」
私は眉をひそめる。
前にアジサイが見つけた黒い染み。
人の撮った写真や映像に紛れ込み、怪異に関する記録だけを壊していた何か。
偶然とは思えなかった。
***
スズが暮らしていた家は、商店街から少し離れた住宅地にあった。
古い木造の一軒家だ。
玄関の柱には子どもの身長を測った傷が残り、庭には小さな柿の木がある。
長い時間を、同じ家族が暮らしてきた家。
「ここです」
スズは玄関の前で立ち止まる。
入るのを怖がっているように見えた。
「入らないの?」
ヨミが尋ねる。
「入っても、誰も見てくれないから」
ヨミはしばらくスズを見たあと、私の袖を握った。
いつもより少し強い。
「大丈夫。今日は私たちがいるよ」
そう言ってから、私は少し驚いた。
いつの間にか、こういう台詞が自然に出るようになっている。
「今回は大人として私もいるから、大船に乗ったつもりでいなさい」
一緒に来ていたミケが胸を張る。
家の中には、スズが見守ってきた家族がいた。
夫婦と、小学生くらいの娘。
事情を聞いても、やはり誰もスズを覚えていない。
しかし、娘だけは不安そうに座敷の隅を見ていた。
「何かいる気がするの」
「どんな感じ?」
「わからない。でも、大事なものを忘れてるみたい」
その言葉を聞いたスズの輪郭が、少し揺れた。
私は部屋の中を調べた。
古い写真立て。家族のアルバム。子どもが描いた絵。
どこにもスズの姿はない。
けれど、写真の隅には必ず黒い染みが映っていた。
最初は小さい。
年代が新しくなるほど大きくなり、最近の写真では、部屋の半分を覆いそうなほど広がっている。
スマホ越しに見ていたアジサイが、低い声を出した。
『これ、スズを隠してるんじゃなさそう』
「じゃあ、何をしてるの?」
『スズがいたっていう記録を食べてる。写真だけじゃない。投稿、日記、動画。人間の記憶まで』
「そんなのあり?」
『怪異に常識求める?』
画面の中で、アジサイは黒い染みを睨んでいた。
『それに、これは本体じゃない。何か大きいものから千切れた一部』
嫌な話だった。
クソザコ妖怪の私が関わるには、規模が大きすぎる。
しかし、すでに来てしまった。
帰りたいと言える空気でもない。
「ユズハ」
ヨミが部屋の隅を見た。
そこには何もない。
けれど、障子に落ちた夕暮れの影が、不自然に揺れていた。
「来る」
ヨミが言った直後、照明が何度か点滅する。
部屋の隅から、黒い染みが広がる。
床を濡らすように這い、壁を登り、天井へ伸びていく。
影ではない。
形も厚みもないのに、見ているだけで頭の中から何かが抜け落ちていく。
「スズ、私の後ろに!」
スズが動く。
だが、黒い染みの一部が先に伸びた。
スズの足元へ触れる。
その瞬間、少女の姿が大きく薄れた。
「ヨミ!」
ヨミの影が部屋中へ広がった。
黒い腕が何本も伸び、染みを床へ縫いつける。
しかし、染みに触れたヨミの体が揺れた。
足元の影が乱れる。
「ヨミ?」
ヨミは私を見た。
いつもの黒い瞳。
けれど、その中に戸惑いがある。
「……あなた、だれ」
息が止まった。
「え?」
「名前が、わからない」
黒い染みが、ヨミの中からも記憶を食べている。
私のことを。
胸の奥が冷たくなった。
「あれに触れるといろいろ忘れる、か。まずいわね」
ミケが険しい表情を浮かべる。
「私はユズハ。ヨミと一緒に住んでる。ゆずは怪異相談所の所長で、ヨミは私の助手」
「ユズハ」
ヨミが繰り返す。
けれど、思い出した様子はない。
それでもヨミの手は、私の袖を掴んだ。
「わからない。でも、離したくない」
袖を握る力が強くなる。
「あなたは、わたしの大事なひと」
記憶を奪われても、執着だけは残っていた。
少し怖い。
でも、今はありがたかった。
「だったら、そのまま掴んでて!」
私は狐火を灯した。
青白い炎が、部屋を照らす。
普通の明かりでは見えなかった黒い染みの輪郭が、いくらか浮かび上がった。
壁から床へ伸びた、無数の細い糸。
それがスズと、この家の家族を結んでいた何かに絡みついている。
「これが、縁を食べてるんだ」
私は狐火を糸へ近づける。
焼き切るだけでは駄目だ。
このままでは、スズと家族を結ぶものまで消えてしまう。
「何か、スズがいた証拠はない?」
ミケの問いに、夫婦は困った顔をする。
覚えていないのだから当然だ。
だが、娘が棚の奥から古い日記帳を取り出した。
「これは、どうかな。お母さんが昔から書いてた」
「見せて」
母親が子どもの頃につけていたものらしい。
私はページをめくる。
そこには、何度も似た記述があった。
なくした髪飾りが、枕元に置かれていた。
夜中に目を覚ますと、布団が掛け直されていた。
誰もいない廊下から、鈴の音がした。
名前はない。姿も残っていない。
それでも、スズがしてきたことは完全には消えていなかった。
「読んで」
私は日記を母親へ渡した。
「声に出して。スズがしてくれたことを、全部」
「は、はぁ……」
母親は戸惑いながらも、日記を読み始めた。
父親も古いアルバムを開く。
娘は、座敷の隅をじっと見つめた。
「布団を掛けてくれた子……」
スズの輪郭が少し戻る。
「落とした鍵を見つけてくれた」
さらに濃くなる。
娘が小さく息を呑んだ。
そして、震える声で呼んだ。
「スズちゃん?」
その瞬間、スズの姿がはっきりと戻った。
黒い染みが大きく揺れる。
家族との縁を取り戻したスズから引き剥がされ、逃げるように壁へ広がった。
「逃がさない」
ヨミの影が、染みを包む。
拘束されてる間に、私は狐火を投げ込んだ。
青白い炎が燃え上がり、黒い染みを内側から照らす。
染みは音もなく縮み、最後に小さな欠片だけを残して消えた。
欠片は床を走り、窓の隙間から外へ逃げていった。
「……逃げたわね」
ミケが呟く。
「本体じゃないなら、仕方ないよ」
私はその場に座り込んだ。
勝ったというより、追い払っただけだ。
それでも、スズは戻った。
家族は完全に記憶を取り戻したわけではないらしい。
けれど、娘にはスズの姿が見えている。
母親も、声だけなら聞こえるという。
これから少しずつ、思い出していくだろう。
***
帰り際。
報酬として渡されたのは、大きな箱だった。
中身はお菓子と野菜、それから米。
「現金じゃない……」
「すみません。急なことで、あまり用意できなくて」
「いや、助かるよ」
まあ、家計への貢献度で言えばかなり大きい。
ヨミはお菓子袋を抱えながら、私を見た。
「ユズハのこと、思い出した」
「そう」
「ユズハは、わたしの大事なひと」
「わざわざ言わなくていいから」
「あらあら」
隣でミケがにやにやしている。
私は見なかったことにした。
自宅へ戻ると、古いノートパソコンの画面に大量の通知が表示されていた。
アジサイが真面目な顔で言う。
『同じような反応、他にも見つかった』
相談所のメールフォームにも、新しい依頼が届いている。
差出人の多くは人間ではなかった。
『自分の名前を思い出せません』
『住んでいた神社から、私の痕跡が消えました』
『昨日までいた仲間を、誰も覚えていません』
私は画面を見た。
それから、台所に置いた米袋を見る。
「……妖怪相手でも、できれば現金で払ってほしいな」
『そこ?』
「大事だよ。うちは慈善事業じゃないんだから」
そう言いながら、私は新しい依頼を一件ずつ開いた。
弱い妖怪から、人との縁を奪う何か。
どうやら、私たちが見つけてしまった怪異は、思っていたよりずっと広く動いているらしい。
そして困ったことに、ゆずは怪異相談所の存在は、妖怪たちの間で少しずつ知られ始めていた。