金持ち大学生「どうしたん? 大丈夫? 話きこか?」 作:あばなたらたやた
ピークを過ぎた店内に響くのは、磁器カップが触れ合うかすかな音。窓際の席で温かなコーヒーに手を添えていた豊川真我のもとへ、控えめな足音が近づいてきた。
「……こんにちは」
羽丘女子学園の制服に身を包んだ若葉睦が、軽く頭を下げて対面の席へ腰掛けた。
「来てくれてありがとう、睦さん。急に呼び出してごめんね」
「……ううん」
短く流れる沈黙。真我は店員へ注文を済ませると、改めて彼女へと視線を戻した。
「今日は、祥子さんのことで聞きたいんだ」
「……うん」
「最近、学校ではどう?」
「……来ない」
「祥子さんが?」
「……練習も」
「バンドの練習にも来ていないんだね」
「……うん」
急かすことなく、真我は次の言葉を待つ。睦という少女が思考を言葉に変えるには時間がかかることを、彼はよく理解していた。
やがて、小さな唇がわずかに開く。
「……私を」
途切れた言葉を、真我は温かな眼差しで拾い上げた。
「祥子さんが、睦さんを……?」
「……見てる」
「うん」
「……理由」
「理由?」
「……来ない理由」
真我は彼女の紡ぐ断片を注意深く繋ぎ合わせる。
「祥子さんが練習に来ない理由は、睦さんに原因があると、思った?」
睦は静かに頷いた。
「……うん」
「どうしてそう思ったの?」
「……私」
「うん」
「……下手だか」
睦の卓越した演奏技術を真我は知っていた。だが、彼女の主観を安易に否定することはしない。
「ギター?」
「……さきは、もっと……弾いてほしいって」
「祥子さんが満足できるギターを、自分は弾けてないと思っている?」
「……うん」
微かに震えるその声に、真我はコーヒーカップに手を伸ばし、一口含んだ。
(それはあんまり関係ないはず。睦さんも祥子さんの父親のことは知っているはずなのに、こう思い詰めてしまうのか)
胸中で思考を巡らせながら、真我は変わらぬ穏やかさで問いかける。
「睦さん、一つ聞いてもいい?」
「……うん」
「祥子さんは、睦さんの演奏を嫌いだと言ったことはある?」
「……ない」
「怒ったことは?」
「……ない」
「失望した、と?」
「……ない」
「なるほど」
長い沈黙が二人を包み込む。落とした視線のまま、睦は呟くように吐き出した。
「でも……私のせい」
(なぜ、そこまで己を責めるのだろう)
内に湧く疑問を隠し、真我は柔らかな微笑みを浮かべた。
「そうか。ありがとう。僕はね、睦さんの話を聞いていて、祥子さんが来ない理由を睦さんが全部自分のせいにしている感じた」
無言の睦に、優しく問いを重ねる。
「それは、睦さん的にはどう思う?」
「……分からない」
「そうか、うん。分からないなら、『自分のせいだ』と決めなくてもいいと思うかな」
「……」
「祥子さんには祥子さんの事情があるように、睦さんには睦さんの気持ちがある。まだ話を聞けてない以上、本当の理由は誰にも分からないからね」
言葉の粒を確かめるように、睦はじっと耳を傾けている。
「そういう気持ちになるのは睦さんの責任感と優しさで、とても素敵だと思う。それはそのままで良いと思う。でと、一つだけ残しておいてほしい考えがある」
「……考え?」
「祥子さんは睦さんのせいで苦しんでいるのではなくて、祥子さん自身の問題で苦しんでいるのかもしれない、という可能性」
睦は静かに瞬きをした。その視界に、今まで存在しなかった答えの光が差し込む。
「……そう、かも」
「うん。僕もまだ分からない。だから決めつけないで、一緒に考えたいと思う。睦さんはどう思う?」
運ばれてきたココアのカップを、睦は両手で包み込んだ。彼女の肩からわずかに緊張が抜けていく。
「……ありがとう」
小さな、先ほどよりも温かみを帯びた声。真我はその勇気を大切に受け止めるように、深く頷いた。
「……さき」
「うん」
「……転校」
「学校を変わったんだね」
「……学費が高いからって」
真我はその事実をすでに把握していた。
屋敷を出た祥子が、父・清告と暮らす荒んだ日常。酒に溺れた父と、困窮する生活。
中学生の妹が背負うにはあまりに重すぎる現実を思えば、彼女がバンドから離脱した理由は明らかだった。しかし睦は、その事実と自身の感情をうまく結びつけられずにいる。
「他のみんなは?」
「……みんな。自分だと……思ってる」
「祥子さんが来ない理由は、自分にあるって?」
「……うん。私も、でも……さき壊れそう」
一人で家計と父を支えようと孤軍奮闘する祥子の姿が、眼裏に浮かぶ。
「……助けて」
意を決した瞳が、真我を真っ直ぐに見つめる。
「……さきに。さきは、それが必要」
「そうだね。助ける用意はできているよ。今すぐにでも」
一瞬パッと明るくなった睦の表情が、すぐに深い疑問に彩られた。
「……なら」
「うん」
「なんで……?」
揺れる瞳。言葉にならない疑問が、その表情に滲み出ている。
——もう限界なのに。なぜ助けないの?
「これは、祥子さんの選択だからね」
「……?」
「祥子さんは、自分でお父さんについて行くことを選んだ。僕はその選択を尊重すると約束したんだ」
だから。
「ここで僕が手を差し伸べることはできる。豊川家へ戻すことも、生活を支えることも全部ね。歯痒いけれど、それを勝手にやってしまったら、僕は祥子さんの選択を否定することになってしまう」
睦は微動だにせず、彼の横顔を見つめている。
「だから待つんだ。祥子さんが助けを求めたら助ける。それが僕の考える『尊重』なんだよ」
「……それで、さき……苦しんでも?」
「うん。苦しむと思う。でもね、その苦しみに価値を見出すかもしれない。価値があるか、ないかを決めるのは僕じゃない。祥子さんなんだ。自分で選んだ道を『苦しかった』『間違っていた』『進んで良かった』と思うのも、もう無理だと助けを求めるのも、全部彼女自身が決めることだから」
真我は穏やかな笑みを浮かべた。
「僕は、その自由を奪いたくないんだよ。自ら選び戦うことを選んだのなら最後まで戦って欲しい。その後の戦後処理は僕がやるからね」
睦は静かに目を伏せた。
冷徹さから見放しているのではない。助けを求めるという祥子自身の意志と尊重を、彼は何よりも重く受け止めているのだと、睦は感じ取っていた。
真我は空になったカップをそっとテーブルへ置くと、静かな声で言葉を紡ぐ。
「睦さん」
「……うん」
「君にも、言っておくね」
顔を上げた彼女に、真我は優しく語りかけた。
「睦さんも、助けてほしい時は僕を頼っていいからね」
「……」
「そのためのお金だ。そのための権力だ。僕が豊川グループにいる意味の一つでもある」
静かな確信に満ちた言葉。
「君たちが助けを求めるなら、僕は喜んで支援するよ。学校のことでも、生活のことでも、誰にも言えない悩みでも。できる限り、一緒に考える」
そして、どこか困ったような苦笑を交える。
「だけどね。助けてほしいという声がなければ、僕は動けない。勝手に踏み込むことは、相手の人生を僕が決めてしまうことになるから」
「……?」
睦は首を傾げる。
「うん、それで十分。今すぐ理解できなくてもいいんだ。ただ、一つの選択肢として頭の片隅に残してくれれば嬉しいかな。『困ったら頼ってもいい人がいる』——その選択肢があることだけは、忘れないで」
睦はしばらく彼を見つめたのち、今日一番はっきりと頷いた。
「……うん」
小さな首肯を、真我は受け入れた
サブストーリーとして一番交流してほしいキャラは?(メインは祥子と初音
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若葉睦
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椎名立希
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長崎そよ
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高松燈
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野良猫
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祐天寺にゃむ
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八幡海鈴
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モーティス