■金持ち大学生「どうしたん? 大丈夫? 話きこか?」 作:あばなたらたやた
③椎名立希
羽丘女子学園中等部。
豊川グループの施設整備に関する打ち合わせを終えた真我は、校舎脇のベンチで一息ついていた。
昼休みの校庭には、生徒たちの賑やかな声が響いている。その中で、一人だけ壁にもたれ、缶ジュースを飲んでいる少女が目に留まった。
黒髪の少女。
CRYCHICでドラムを担当していた、椎名立希だった。
真我は少しだけ考えたあと、ゆっくり歩み寄る。
立希もその視線に気づき、鋭い目を向けた。
「……何か?」
警戒心を隠そうともしない声。
真我は軽く頭を下げる。
「すみません。不快な気持ちにさせてしまいましたね」
真我のその一言に、立希は少しだけ眉をひそめる。
「僕は豊川真我です。祥子さんの兄です。この前のライブ、とても素敵でした。」
「……は?」
立希は目を丸くした。
「えっ!?」
思わず声が裏返る。
「兄……?」
「はい」
真我は穏やかに笑う。
「映像で拝見しました。皆さん、本当に楽しそうに演奏していました。ボーカルの方の心が伝わって来ました」
立希は気まずそうに視線を逸らした。
「……別に、私はそんな大したもんじゃない。でも燈は見る目あるよ」
「ううん、そうかな」
「はいはい、社交辞令どうも」
少し棘のある返し。しかし真我はまったく気にした様子もなく頷く。
「そう思われても仕方ないですね。でも、本心なんですよ」
立希は拍子抜けしたような顔になる。
普通なら少しくらい言い返してくる。だが、この青年は何も返さない。
肯定もしない。
否定もしない。
ただ、そのまま受け止める。
「……変な人」
思わず漏らす。
真我は小さく笑った。
「よく言われます」
「褒めてない」
「うん、分かっています」
立希は缶を握り直した。
「……で」
「祥子の兄が私に何の用?」
「少し、お話しできたらと思って」
「断る」
「当然」
立希の返答に、真我は即座に頷いた。
「それも立希さんの自由です」
「……」
押してこない。だから逆に気になる。
「……少しだけ」
立希はぶっきらぼうに呟いた。
「ありがとう。」
真我は嬉しそうに笑う。
「改めて、CRYCHICでは祥子さんがお世話になりました。共に過ごしてくれてありがとう」
「……私は」
立希は少しだけ言葉を探した。
「祥子に誘われただけ」
だから、お礼を言われる必要ない。そういうニュアンスだった。
「でも、続けたのは立希さん自身でしょう?」
「……まぁ」
「なら、それは立希さんが望み、選んだことです」
立希は黙る。
真我が言う。
「ドラム、好きなんですね」
「……好き……かな。だけど」
「だけど?」
「いや」
立希は首を横に振る。
真我は言う。
「演奏を見ていてそう感じただけです」
「……そう。」
立希は少し照れくさそうに鼻を鳴らした。少しだけ空気が柔らかくなる。
真我は何気なく尋ねた。
「月ノ森でも、活躍されるでしょう」
「そっちはいかない。羽丘」
「おお、月ノ森ではなく羽丘を選んだんですね。理由を聞いても?」
立希は一瞬だけ眉を寄せた。
「無理には、言いませんが」
「……姉がいるから」
「お姉さん?」
「椎名真希」
短く答える。
「どこへ行っても「『真希さんの妹だ』って言われる」
立希は小さく息を吐いた。
「面倒なんだよ。そういう風にちやほやされるのも。比べられるのも。だから別の学校にした」
「なるほど。」
立希は少し身構える。
お姉さんとは仲良くしろ。贅沢な悩みだ。逃げたの?
そんな言葉が返ってくると思っていた。
しかし。
「立希さんらしい選択ですね」
「……は?」
「自分を見てほしかった。お姉さんの妹じゃなくて。椎名立希として」
立希は目を見開いた。
「それって、おかしいことじゃありません」
真我は静かに続ける。
「誰かの影ではなく、自分として見られたい。それは、とても自然な願いです」
「……」
「だから、学校を変えたことも逃げたとは思いません。むしろ、自分で自分の道を選んだ。それは尊いことだと思いますね」
立希は何も言えなかった。
今まで誰にも、そんなふうに言われたことがなかった。しばらくして、小さく口を開く。
「……あんた」
「はい」
「祥子と全然違う」
真我は少し考えてから笑う。
「よく言われます。兄妹でも、性格は別ですから」
立希は思わず小さく吹き出した。
「……変な兄妹」
「そうかもしれません」
穏やかに笑う真我を見て、立希は肩の力を抜いた。初対面なのに、不思議と居心地が悪くない。無理に踏み込まず、否定もせず、それでいてちゃんと自分を見て話してくれる。
そんな大人は、今まであまり出会ったことがなかった。
「……また会ったら。」
立希は少しだけ照れくさそうに視線を逸らす。
「その時は、少しくらい話しても、いいです」
真我は嬉しそうに微笑み、小さく頭を下げた。
「ありがとう。次に会えるのを楽しみにしています、立希さん。」
◼️ 真我はノートを取り出し、静かに書き綴る
……立希さんは、思っていたよりずっと素直な子だった。
口調は鋭い。警戒心も強い。でも、それは人を傷つけたいからじゃない。
自分を守るためなんだろうな。
最初に断られた時も、嫌われたとは思わなかった。知らない大人に警戒するのは当然だ。むしろ健全なくらいだ。
少し意外だったのは、お姉さんの話だった。
「真希さんの妹」
その呼ばれ方が嫌だった。
最初は、姉妹仲が悪いのかと思った。でも違う。彼女はお姉さんを否定しているんじゃない。
自分の存在を肯定してほしいだけなんだ。
「誰かの妹」じゃなくて、「椎名立希」として、それは、とても自然な願いだ。
……人は時々、そういう願いをわがままだと言う。
親の七光り。
兄弟姉妹が優秀なら幸せだろう、と。でも違う。比較され続ける人生は、自分の輪郭が少しずつ曖昧になっていく。だから彼女は、自分で学校を選んだ。
逃げたんじゃない。自分の人生を選びに行った。
僕にはそう見えた。少しだけ、祥子さんと似ているとも思った。
二人とも、誰かが決めた道じゃなく、自分で選ぶことを大切にしている。でも決定的に違う。
祥子さんは、誰かを守るために自分を選ばなかった。
立希さんは、自分を守るために自分を選んだ。どちらも間違いじゃない。ただ、人生の向いている方向が違うだけなんだ。
それにしても「変な人」。
あれは褒め言葉じゃなかった。でも、少し嬉しかった。たぶん彼女は、思ったことをそのまま口にする。
だから最後の「また会ったら」あれも本心なんだろう。少しだけ距離が縮まった。それだけで十分だ。急ぐ必要はない。
信頼は、積み重ねるものだから。
内なる自分が問いかけてくる。
「今日は珍しく、君から質問が多かったね」
そうかな。
「祥子や睦には、『心を整理する』ために話していた。立希には、『立希という人間を知る』ために話していた」
……そうかもしれない。
今日は相談じゃなかった。
初対面だったから。
まずは、安心して話せる相手だと思ってもらうことが大事だった。
「そして君は、一つだけ気付いた」
何を?
「立希は、評価を嫌っているんじゃない。他人が作った評価で、自分を決められることを嫌っている」
……ああ。だから僕は、「お姉さんはすごいね」じゃなくて、「立希さんらしい選択ですね」と言った。
彼女が聞いてほしかったのは過去じゃない。今の自分だったから。
「そう。人は承認されたいわけじゃない。理解されたいんだ。立希は、『すごいね』では動かない。『君はそう考えたんだね』と言われた時に、初めて心を開く」
だから最後、「また会ったら」と言ってくれたのか。
「その通り」
「今日は相談を解決した日じゃない。」
「相談できる関係を作れた日だ」
「カウンセリングは、問題を解決する技術ではない」
「相手が『また話そうかな』と思える関係を築く技術でもある」
……次に会った時は、今日より少しだけ深い話ができるかもしれない。
それでいい。
信頼は、一度に得るものじゃない。少しずつ積み重ねていけばいいんだ。