自宅のリビングで一人、リンディは溜息を吐いた。
時刻は昼。昼食を作ったはいいものの、まだ手を付けていない。
二人分用意したにもかかわらず、一人分は冷蔵庫にしまってしまった。食欲がないと言われては無理強いすることも出来ない。
どうしたものかしらと頭を抱えてしまう。
昨晩、フェイトが学校をさぼったと言う連絡がリンディに入った。昼休みに学校からいなくなったのだと言う。
いつもの幼馴染たちがユウと一緒に遊園地に向かったと告げたため、大事にはならなかったが、教師から事の次第を聞いたリンディは、親として注意の一つもしなければと思い、フェイトの帰りを待っていた。
そうして、帰って来たフェイトは瞼を赤く腫らして憔悴しきっていた。
親らしくしようなんて気持ちは一瞬で消え去り、何があったのかとリンディは問う。フェイトはユウに紐の件を断られたのだと言った。
心配をかけまいと明るく振る舞おうとしていたフェイトだったが、辛さを押し隠していることは火を見るよりも明らかで、リンディはフェイトのことを優しく抱きしめた。
一晩たち、フェイトはまだ立ち直れていない。
今朝も気丈に振る舞い通学の準備をしていたが、ふとした瞬間に涙を流すフェイトを学校には行かせられなかった。
幸いに今日は金曜日で、土日を挟めば多少なり立ち直るはず。そう思って、今日のところは学校を休ませた。
壁にかけられた時計が秒針を刻む。
フェイトの思いが実らないことは薄々分かっていた。いつか来るはずだった日が昨晩来たに過ぎない。
傷心は時間が癒すだろう。ゆっくりと、時間をかけて。いつか、そんなこともあったねと笑って話せるようになるまで。
驚いたのは、フェイトがユウのことを考えていたよりも好きだったこと。出会いから数えて六年。きっと色々なことがあったのだろうと思う。自分の知らない楽しい思い出がたくさんあったはずだ。
ままならないものねと息を吐く。
緑茶でも飲もうと席を立った瞬間、インターフォンが来客を知らせた。
「はい?」
「あ、リンディさん? なのはです」
「なのはさん?」
インターフォン越しに聞こえるなのはの声。この時間に訪ねてきたことに驚いた。
「学校はどうしたの?」
「サボって来ちゃいました。あ、お母さんたちには内緒にしてくださいね?」
モニターに悪びれることのないなのはの笑顔が写る。
リンディは苦笑した。例え自分が言わなくても、学校から連絡がいくことをこの少女は知っているのだろうか。
「今開けるわね」
エントランスの開錠ボタンを押し、なのはを迎え入れた。
来客用のお茶を用意しなければいけない。
◇ ◇ ◇
「フェイトちゃん、起きてる?」
「……なのは?」
ノックの音の後、よく見知った声が聞こえた。
もうそんな時間なのかと起き上がる。頭がぼうっとして、時間感覚がなくなっていた。
「学校休んだから、お見舞いに来たんだ。具合はどう?」
「心配かけてごめんね。少しよくなってきたところ」
「よかった」
実際、朝に比べれば気分はマシになっている。
加えて、天真爛漫と思えるなのはの笑顔を見たからか、少しだけフェイトの心は明るくなった。
「あ、しまった。何か買ってくればよかったなあ。お見舞いに来るのに、手ぶらで来ちゃったよ」
「ううん、気にしないで。なのはの顔が見られただけで嬉しいから」
自然とフェイトの口からはそんな言葉が出る。眉を八の字にして「ごめんねえ」と謝るなのはに微笑みを浮かべた。
「代わりって言うわけじゃないけど、今度コンビニで新発売のスイーツが出るの。一緒に食べようね」
「いいよ。何味なのかな?」
「えっとね。確かチョコレートのスイーツだったかな。ほら、バレンタインが近いから」
途端に、フェイトの胸に鈍い痛みが走った。
バレンタインデーは今年もチョコレートを作る予定だった。ユウも含めたいつもの幼馴染たちに渡すために。
「ね、フェイトちゃん。聞いたよ」
「え?」
「ゆうくんとのこと」
誰に聞いたかを、なのはは言わなかった。
フェイトはリンディに聞いたのだと勘違いする。
「ひどいよね、ゆうくん。フェイトちゃんの気持ちを弄んで」
「別に弄んだわけじゃないと思うけど……」
「ううん。そのつもりがないなら、もっと早くに断るべきだったよ。それをここまで長引かせて、ホントにゆうくんはひどい」
「元はと言えば、私が勘違いしてたのがいけないから……」
「フェイトちゃんは何も悪くないよ! ゆうくんがしっかりしてないのが悪いんだよ!」
「……」
ユウを悪者扱いするなのはの言葉に、フェイトは段々と耐えられなくなっていく。我慢の限界は、思いのほか早くやって来た。
「なのは」
フェイトは静かに告げる。
「あんまり、ユウのこと悪く言わないであげて」
「フェイトちゃん……」
空気が重くなる。そうなるのは分かっていて告げた。
昨晩、紐の件を断られたばかりではあったものの、好きな人が悪く言われるのはやはり辛かった。
なのはは重くなった空気を感じつつ、別の話題に移ることにした。ある意味で、こちらの方が本題だった
「実はね、お見舞いに来たって言うのは嘘じゃないんだけど、他にフェイトちゃんに提案があって来たの」
「提案?」
「ミッドチルダで私と一緒に暮らさない?」
なのはの提案を聞いて、フェイトは沈黙する。
ミッドチルダでのシェアルーム。それはフェイト自身も何度か考えたことがある。
もしフェイトが執務官試験に合格できないまま中学を卒業し、ミッドチルダに移り住むことになっていたら、同じことを提案していただろう。
「私もいきなり一人暮らしは不安だし、フェイトちゃんだってそういう理由もあってゆうくんのこと誘ってたんでしょ? 折角だし、どうかな?」
「……ごめん、すぐには答えられない」
「ゆうくんのことが気になる?」
「そういうわけじゃないけど……」
まだ一日も経っておらず、気持ちの整理がついていないのもそうだが、あっちが駄目だったからこっちにしようなんて、そんな節操のない真似はしたくなかった。
「ごめんね。突然すぎたかな」
「ううん。そんなことはないけど、ただ気持ちの整理は必要だから」
「そっか。そうだよね。ごめんね。いきなりこんなこと言って」
言うべきことは言ったと言わんばかりに、よいしょと立ち上がったなのはは、「帰るね」と告げて踵を返す。
「もう帰るの?」
「うん。学校サボって来ちゃったから、早く帰らないと怒られちゃう」
「……え? 学校サボって来たの?」
「うん」
「だ、駄目だよなのは! 学校サボったら!」
「フェイトちゃんに言われたくないかも。昨日、ゆうくんと遊園地行ったんでしょ?」
「そ、それは……」
痛いところを突かれて押し黙るフェイト。
その隙になのははドアノブに手をかけていた。
「それじゃあ、また月曜日に会おうね!」
「あ、な、なのは!?」
制止する声に構わず、なのは部屋をあとにする。
閉まった扉の向こうで、リンディとなのはの会話が聞こえた。
「あら、なのはさん。もう帰るの?」
「はい! フェイトちゃんも思ってたより元気そうでよかったです!」
「そう……? 元気になってくれたならよかったわ」
「それじゃあ、私これから学校に戻りますので!」
遠ざかる足音。
玄関の開く音が聞こえた。
フェイトは仰向けに横になり、今しがたの提案を思い返す。
悪い話ではない。むしろ良い話だった。
そう思っていながら踏ん切りがつかないのは、未練があるから。
「……どうしよう」
呟いて目を閉じる。
心の整理が必要だった。
◇ ◇ ◇
その晩のこと。フェイトの元に通信がかかってきた。
名はアルフ。フェイトの使い魔で、今は一足先にミッドチルダに赴き、ユーノの元で無限書庫の仕事を手伝っている女性。
「フェイト!? 聞いたよ!! あの野郎に泣かされたんだって!?」
開口一番、耳をつんざくほどの大音量が部屋中に響き渡った。
「……アルフ? それ、誰から聞いたの?」
「そりゃあクロノさ! フェイトが悲しんでるって聞いて、居ても立ってもいられなかったよ!」
リンディからクロノへ。クロノからアルフへ。恐らくエイミイにも知られているだろう。
フェイトは、知らない間にこの一件が共有されていることに複雑な気持ちを抱いたが、心配してくれていることに違いはないと割り切ることにした。
「あの野郎も贅沢な奴だね! フェイトを振るなんて!!」
「あの、アルフ? 振られたわけじゃないんだけど……」
一緒に住むことを断られただけで、振られた訳ではない。
フェイト本人もいささか苦しいかなと思いつつ訂正する。
「何言ってるんだいフェイト! 年頃の男女が一緒に住むってことはそう言う仲になるってことで、これはつまり愛の告白だろ!? ユーノもそう言ってたよ!!」
「違うよ!? 私告白まではしてないから!」
正確には、それらしきことはしたものの、相手に届いていなかったと言う顛末だった。
「大体、あの野郎はなんでフェイトを振ったのさ! どんな理由があればフェイトを振れるって言うのさ!?」
「だから振られたわけじゃなくて……ユウは先約があったんだよ。アリサたちと同じ学校に行くって……」
「そんなの理由になるもんか!!」
アルフが怒鳴る。
「ユウとアリサが付き合ってるわけじゃないんだろ!? じゃあ別に関係ないじゃないか!!」
「関係は……ない、のかな?」
「ないよ!」
アルフの言葉を聞いていると、その通りだと言う気持ちになってくる。
理屈ではなく感情の話だと言うアルフの言葉には、納得できる部分も多かった。
「でも、ユウはもう決めちゃったから、私にはどうしようもないよ……」
「そこだよフェイト! あたしが言いたいのはそこ!」
画面越しに伝わるアルフの怒気。突きつけられた指が本当に目の前にある気がして、フェイトは完全に気後れしていた。
「どうしてもっと攻めないのさ! 先に約束してたってそんな理由で断られて、なんで怒らないのさ! 好きか嫌いかの話をしてるんだよ、こっちは!!」
「そんな話してないよ……」
「してるじゃないか!!」
最早自分の気持ちは自覚しているため、フェイトの反論には力がない。
もしもユウと一緒に暮らせたら。その先の未来を想像したことも一度や二度ではなかった。
「いいかい、フェイト! ユウとアリサが付き合ってるわけじゃないんだろ? 他の誰とも付き合ってないんだろ!?」
「たぶん……」
「じゃあいいじゃないか! 何回でも言ってやればいいんだよ! お前が好きだって!」
「そんなこと言ったことない……」
「言おうよ! フェイト!」
アルフに諭されて、フェイトの気持ちは段々とその方向に向かっていく。
けれども迷ってしまう。迷惑じゃないだろうか。そう考えてしまう。
「迷惑とかそんなの関係ないよ! これはフェイトのためにやらないといけないんだから!」
「私のため?」
「後か先かじゃなくて、好きか嫌いかで答えてもらうのさ。そうじゃないとフェイトだっていつまでも引きずるだろ?」
確かに、その通りだった。
なのはの提案を保留したのも、心の底で、もしかしたらの可能性を諦めきれていないからだった。
アリサが先だからなんて理由、本音では少しも納得していない。
自分が前に進むために必要な儀式。そう考えたら、そうすべきだと思ってしまう。
「……わかった。もう一回だけユウに言ってみる」
「それでこそフェイトだよ! いつ言うんだい? その時はあたしも一緒だからね! 今急いで帰り支度をしてるところなんだ!」
アルフの喜びようが画面越しでも伝わってくる。
長らく共に暮らしてきたパートナーだ。相手の幸せは自分のことのように嬉しい。越えるべき障壁があるのなら、それは力を合わせて越えるべきだった。
「えっと、2月にユウの受験があるから、それが終わったあとにしようかな……」
「……悠長だねえ。そんなに待つ必要あるのかい?」
「私のせいで不合格になったら嫌だから……」
「いいじゃないか、不合格になっても! むしろそっちの方がいいんじゃないか? 間違いなく連れていけるよ!」
「そんなの絶対駄目だよ! そんな卑怯なことしたくない!」
フェイトの剣幕の強さに、アルフは渋々その案は取り下げる。
「それじゃあフェイト。あたしは近々帰るから。そうしたら作戦を練ろう。あの野郎に好きって言わせるんだ」
「ありがとうアルフ。私頑張るからね」
通信が切れ、空気がしんっと静まり返る。
よし、と自分に喝を入れた。
もう一度ユウと話をする。そしてきちんと言ってもらう。好きか嫌いかを。
どちらの答えが返ってきたとしても、それで終わりにする。そうして前に進もう。
決意を新たにフェイトは立ち上がる。
覚悟を決めた途端に食欲を覚えていた。何か食べようとリビングに向かう。次の戦いに備えるために。