1月も終わりが見えてきた頃、三年生の教室は受験と言う言葉しか聞こえなくなっていた。
受験戦争も佳境に差し掛かっているこの時期。
教室内の机には空白が目立ち、ピリピリとした空気は悪意でもって醸成されている。
本当であれば、空白の机に座っていなければならない者たち。登校して授業を受けているはずの欠席者たち。
受験という人生の岐路を前にして、ルールを守るなどという意識は崩れ落ち、登校そのものを拒否して勉強に時間を割く者が現れていた。
それも一つの方法だろうとユウは思う。
実際問題、ユウ自身も場合によってはその道を選んでいたことは想像に難くなく、今までの努力が実を結んだ結果、たまたまそうならなかっただけである。
その点、お互い様だからとユウは全く気にしておらず、幼馴染達も他人のことなどどうでもいいと言う態度を貫いていた。
しかし、受験のストレスがあるのか、この場にいない者たちに対して掟破りだなんだと責め立てる者もそれなりにいて、悪口に盛り上がるクラスメイトを横目に見る。
教師たちの一応と言わんばかりの注意喚起を聞き流しながら、手慰みをかねて窓の外をみる。
天気は快晴。空気は澄んでいる。
遊園地にでも行こうかと、そんなことを思った。
◇ ◇ ◇
昼休み。
ユウを含めた幼馴染たちはいつものように机をくっつけて食事をとっていた。
空白が多いおかげで机は比較的自由に移動できる。
そうでなくても唯我独尊のアリサ・バニングスの一声で机の配置などどうにでもなったし、あるいは月村すずかがお願いしても、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンが上目遣いに頼んでも同様だった。
各々が自分の弁当を食べる風景は普段のそれと何ら変わりなく、この一帯だけが受験戦争から切り離されているように思えた。
一応は戦争の当事者であるユウも、今この時ばかりは受験のことは頭になく、ただひたすらにフェイトのことを見つめていた。
サンドイッチを両手で持ち、もそもそと食べるフェイトの姿。それがリスのようでとてつもなく愛らしいと、ユウの心が悲鳴を上げている。
ユウの琴線に往復ビンタのように触れ、秘めたる変態性があらぬ方向に飛び出そうになるのを必死に堪えた。
「サンドイッチの代わりに私を噛んでくれませんか?」なんて今言うべきことではない。
言葉というものには使うべき時というものがあるのだ。「まさしく今!」なんて心の声は聞いてはいけない。賛同する変態性も今ばかりは無視するべきだった。
「フェイト」
「な、なに!?」
ユウが声をかけると、途端にフェイトの挙動がおかしくなる。
そわそわと落ち着きのない素振りを見せ、ユウと目が合っては逸らすの繰り返しだった。変態メーターが溜まっていく。
「今日、これから、もし暇があったら遊びに行かないか?」
「……あ、遊びに? うん。じゃあ、みんなでどこかに……」
「いや、二人で」
箸を置く音が重なる。
一瞬、ぽかんとしたフェイトは、次の瞬間には顔を真っ赤に染めてしまう。恥ずかしそうにしながら、か細く聞き返す。
「二人で……?」
「うん。天気もいいし、遊園地でもと思ったんだけど、嫌かな?」
「嫌じゃないよ! 全然大丈夫! でも、その……勉強は?」
「一日ぐらい大丈夫」
言ってから不安に駆られ、「大丈夫だよな?」とアリサに尋ねた。アリサは無感情に答える。
「そうね。大丈夫じゃないかしら。一日ぐらいなら」
「うん。一日ぐらいなら大丈夫。でも、その分明日はお勉強会だよ?」
すずかの付け足しにユウは遠い目をしたが、気を取り直して言葉を続けた。
「もし遊園地が嫌なら水族館でもいいし、ウインドウショッピングでもいいんだ。フェイトと遊びたいだけだから」
「……二人で、だよね」
「二人で」
俯くフェイト。少しの間を置いて、こくりと頷くその顔は耳まで赤く染まっている。そのあまりの愛くるしさに、ユウの変態性はこれでもかと刺激されていた。メーターはすでに限界を振り切っている。
「じゃあ、行こうか」
「え?」
フェイトだけではなく、他の幼馴染達の声も重なる。
帰り支度を始めたユウに、はやてが戸惑いながら声をかけた。
「ちょっ、まずいんちゃう? まだ学校終わってへんよ?」
「たまにはいいさ。楽しい時間は長いほうがいいし、フェイトも良い子でいるのは疲れるだろう?」
息抜き息抜きなどとうそぶくユウに、呆れた視線を向ける幼馴染達。
戸惑いで固まるフェイトの元にユウが歩み寄り、手を差し伸べる。
「行こう」
差し出された手に記憶がくすぐられる。
かつて、まだ友達ではなく、敵でしかなかったユウが口にした言葉。戯言だと思うしかなかったそれ。
――――俺が君を幸せにする。
ジュエルシードを集めるために奔走していたあの頃。
母、プレシアの望みを叶えるためにがむしゃらに突き進んだ六年前。
あの時は、その手をはねのけた。でも、今度は……。
おっかなびっくりとその手を掴む。
手の震えを悟られたくなくて、緊張で汗ばんた手に気づかれたくなくて、それでも、その手を掴みたくて。
二人の手が重なったと同時に、ユウは腕を引きフェイトを立たせた。不意に二人の距離が近くなり、ユウは微笑み、フェイトは目を合わせられない。
そのまま教室を飛び出して廊下を走る。通りがかった生徒が不思議そうに二人を見た。
二人っきりの逃避行。
いけないことをしているのに、何故か気分が高揚する。
「ユウ!」
走りながら声をかける。
この気持ちを伝えるために。
「私、今、幸せだよ!」
ユウが振り返り、フェイトを見た。
微笑みと共に、握り合う手に力が籠る。
「まだまだこれから!」
学校を出て、駅までの道をひた走る。
制服姿の子供が走っていることに、怪訝そうにする人は多い。
フェイトはそれを気にしないようにした。
幸せだと思う。幸せしか感じない。だから、余計なことは考えない。
なぜ、今誘われたのか。
どうして、二人っきりなのか。
そのことを考えないようにしながら、フェイトは走った。