時間が経つのはあっという間だ。
フェイトは暮れかけの夕焼け空を見ながら思った。
学校を飛び出してから数時間。
まだ半日足らずのこの時間が、これから永遠に続いてほしいと心から思う。
言葉を交わした一言一言が、一緒に歩いた一歩一歩が、こんなにも輝いて思えるなんて、フェイトは夢にも思わなかった。
まだ一緒にいたい。もっと一緒に歩きたい。そう願って、けれども、無情にも閉園を知らせるアナウンスが園内に響き渡る。
また、明日。
別れの言葉を予感し、一緒にいたいと言う思いを強くする。
この気持ちを告げるなら、それは今しかないのではないか。
そう思い立っても、中々行動には移せない。
恥ずかしいと言う気持ち。もし断られたらと言う恐れ。
雁字搦めに縛られて、名を呼ぶことすら出来ずにいた。
「フェイト」
不意に呼ばれたその声が、フェイトの身体を自由にした。
「話したいことがあるんだ」
いつになく真剣な面持ち。
その視線にいくつかの光景が重なって、思わず後ずさる。
「紐の話だけど」
「あ……」
何を言われるのか。それを理解していたからこそ、フェイトは何も言えない。ただ、言葉を待つことしか出来なかった。
「俺は、君と一緒にはいけない」
息を呑み、言葉をなくす。
その意味を理解する前に、ユウは言葉を重ねた。
「俺は地球に残る」
聞き間違いではないその声が、聞き間違いでほしかった言葉を紡ぐ。
二人を照らす夕日が少しずつその姿を消していく。
暗くなっていくその世界で、アナウンスの音だけが変わらず、いつまでもいつまでも鳴り響いていた。
◇ ◇ ◇
寝覚めはすこぶる悪かった。
フェイトは自らのベットの上で起き上がる。
目覚まし時計はセットした5分前を指している。体内時計は寸分の狂いもなく、身体を包む疲労感は精神的なものだった。
酷い夢を見た。
重い頭を支えるように額に触れる。
プレシアとの別れ。その瞬間。
いくら手を伸ばしても届かない。虚数空間に落ちていくのを、ただ見ていることしか出来なかったあの時のこと。
何度も何度も夢に見た光景。
最近は見なくなっていたのに、どうしてまた見てしまったのか。
鈍い身体を無理やり動かして立ち上がる。
部屋を出ようと歩く途中、姿見に写った自分の顔を見て、思わず立ち止まった。
「……酷い顔」
鏡に写った自分に触れ、他人事のように呟く。
泣き腫らした瞳と生気のない顔。どこからどう見ても、病人のそれだった。
「……ユウ」
そうなった原因。自分をそうした男の子の名を呼ぶ。
途端に瞼から涙が溢れてきた。
鏡の向こうで涙が頬を伝わるのが見えた。
「ユウぅ……」
膝から崩れ落ちる。くしゃくしゃになった顔が鏡を通して自分を見ていた。
好きです。大好きです。ずっと好きでした。
そんな言葉が浮かんでは消えていく。
ずっと前に自覚していたはずなのに、思っていたよりずっとユウのことが好きだった。
今さら気づいたところでどうしようもないのに。気づいていればもっと頑張れたのかなって後悔するだけなのに。頭に浮かぶのはユウのことばかりで。
声を押し殺してすすり泣く。
やがて目覚まし時計が鳴り響き、声をかき消すほどに大きくなる。
その場から動くことも出来ないほどに、どうしようもない気持ちが後から後から押し寄せてくる。
◇ ◇ ◇
「どうして?」
やっとのことで口をついて出た言葉は震えていた。
聞き間違いであってほしい、嘘であってほしいと、込められた微かな希望は、ユウの返答で儚く潰える。
「約束したんだ。同じ学校に行くって。だから、フェイトと一緒には行けない」
知っている。
その場には自分もいたから。
あの時の会話は、ほとんど売り言葉に買い言葉だった。
ユウがアリサと同じ学校に行けるなんて、幼馴染の誰も本気にしていなかった。
本気だったのはアリサだけで、分かりにくい彼女の、分かりにくすぎるアプローチだった。
「……私の方が先だった」
「わかってる」
「アリサがああ言う前に、私が言ったんだよ? ユウを紐にしてあげるって。だから……」
「わかってる!」
ユウの口調が荒くなる。
思わず押し黙ったフェイトの目の前で、「わかってるよ」とユウは苦しそうに呟いた。
「でも、冗談だと思ったんだ。紐にしてくれるなんて、普通は言わない。フェイトだって、きちんと理解してなかっただろ? 紐の意味を」
それはその通りだ。
つい数ヶ月前まで、紐になるとはどういう関係か、その本当の意味を知らなかった。
でも、だからって……。
「私は、どんな意味でもユウと一緒にいたかった。どんな関係でもよかった。ユウが一緒にいてくれたなら」
必死の懇願に、ユウは頭を振る。
「アリサと先に約束したんだ。きちんとその意味を理解して、お互い合意をとって、そうすると決めたんだ」
「……先だったらよかったの? なら、私はどうすればよかったの? 私はユウと一緒に暮らしたかっただけ。なのに、どうして……」
言葉が続かない。
最早、行き着く先が見えていた。
ユウは結論を出し、それを曲げる気はないように思う。
何を言っても無駄なのではないか。そう思う自分がいて、諦めたくないと思う自分がいる。諦めたら、何もかもが終わる予感がした。
「ユウ、私……」
いくら言葉を探しても何も出てこない。
こんなにも伝えたい思いがあって、伝えきれない気持ちがあるというのに。
言葉にできなかった気持ちが瞼から溢れ出る。
頬を伝った涙を見て、ユウは驚き言葉をなくす。
「フェイト……」
「ごめん。ごめんね。こんなつもりじゃ、なかったんだけど……」
いくら拭っても涙は止まらない。
涙と共に感情も溢れてくる。もはや自分でも止められなかった。
「嫌だよ……一緒にいたいよ……ユウと一緒にいたい……」
子供のように泣きじゃくるフェイトを見て、ユウはいてもたってもいられず、その身体を抱きしめた。
思いのほか華奢な身体から熱が伝わってくる。
フェイトもまた、ユウの背中に腕を回して抱きしめ返した。
離したくない。離さないで。
そんな思いとともに、涙を流す。
◇ ◇ ◇
閉園と共に追い出されるように帰路についた二人は、駅でも電車の中でも、ずっと手を握り合っていた。
自宅への道をわざとゆっくりと歩き、あえて遠回りをして、二人の時間を引き延ばしていた。
しかし、どれだけ引き延ばしたところで、その時間にも終わりはやって来る。
フェイトの住むマンションまで戻ってきた二人は、どちらともなく手を離した。
ゆっくりと歩き出したフェイトの背中を見送り、声の一つもかけられなかったユウは、その背中がエントランスへと消えようとした瞬間、微かな声で呟かれた声を聞いた。
「……おやすみ。また、明日……」
一瞬のことで、気づいた時にはフェイトの姿はなかった。
何も答えられなかった自分が恥ずかしく、拳を握りしめ踵を返した。
「うおおぉぉっ!!」
雄叫びをあげながら、全てを振り切るように疾走する。
走って、走って、気づいた時にはそこに着いていた。
「なのは! なのはぁ!」
何度も叫び、そして懇願する。
「俺を踏めぇっ! なのはぁ!!」
「うるさいなあ」
ガラリと開かれた窓からなのはが顔を見せる。
どうしたのと言う呆れ顔と、近所迷惑だろと言う僅かな怒り。それらを飲み下し、いつものことかとため息を吐いた。
「フェイトちゃんとはお話できたの?」
実のところ、あまり心配などしていなかったなのはだったが、予想に反してその質問への答えはなく、ただうなだれるユウを見て、様子がおかしいことに気づく。
何かおかしな方向に跳ねたのではないかと不安を覚えた。
「……私ともお話しよっか」
言いながらスマートフォンを確認する。
フェイトからの連絡は入っていない。
どちらに転んだのか。あるいは右斜め上にでも跳ねたのか。
「とりあえず、お家入って」
とぼとぼと玄関に回るユウを見送って、なのはは父母に「ゆうくんが来た」と伝えに行く。
面倒なことになっていなければいいなあ、と思いながら。