距離を置きたいだけなんだけど 作:ろしでれ
数日後の放課後。
伊織は、生徒会室へ向けて校舎の一角を歩いていた。
先ほど、統也から一度顔を出してほしいとの話を受けたからである。
詳しい用件については聞いていない。ただ、以前綾乃から今後も必要に応じて生徒会の仕事を手伝ってほしいと言われ、そのためにも一度生徒会役員と顔を合わせておいた方がいい、と説明はされているし、有希から頼まれた手伝いも、既に幾つかこなしている。
十中八九、礼を兼ねた顔合わせ、その辺りの話だろうか。
「(……でもまさか、本当に外堀から埋められてるわけじゃないよね?)」
誰に聞くわけでもなく、伊織は脳内で自問自答をしながら小さく苦笑する。
今回もまた非常に良いタイミングでの呼び出しだった。学校での用事も無ければ、私的な用事もない。すべて把握されている? と考えてしまえば、背中に冷たいものが走るのだが、流石にそれは考え過ぎだろう。
────ただ、綾乃の能力? 技能? を考えたらその限りじゃないのかも知れないが。
生徒会への加入を強要する意図はない、と会長である統也からはっきり聞いている。それを疑っているわけではない。
それでも、生徒会長直々に呼ばれて生徒会室へ向かっている現状だけを切り取れば、着実に何かが進行しているように感じなくもなかった。
もっとも、だからといって不安があるわけでもない。呼ばれて了承した以上、行かないという選択肢もない。ドタキャンなどする訳にはいかないだろう。
そんなことを考えながら階段を上がり、廊下へ出る。
そして、しばらく歩いたところで。
伊織は前方を歩く1人の女子生徒に気付いた。
腰まで届く柔らかな髪。ゆったりとした足取り。そして遠目からでも分かるほど、どこか穏やかな雰囲気を纏っている。
その姿を認めた瞬間、伊織はすぐに相手が誰なのか理解した。
マリヤ・ミハイロヴナ・九条。
愛称はマーシャ。
1学年上の先輩であり、アリサの実姉。そして妹と並び、征嶺学園の二大美女として知られている。
二つ名は【学園の
政近ではないが、伊織も改めて思う。この学園の生徒たちは、本当に二つ名をつけるのが好きらしい。
マリヤ本人も、もう1人の当事者であるアリサも不快に思っていないのなら、良いのかもしれないが。
もちろん伊織も存在は知っている。
校内で見かけたことだって1度や2度ではない。
最近では食堂でだろうか。物凄く周囲が賑やかになるので大変分かりやすい。
ただ――。
「(そう言えば、九条(妹)さんと違って、お姉さんの方とは話したことなかったな……)」
アリサとは同じクラスで、且つ中等部時代、そして入学早々から何かと関わる機会が多かった。話すことも多かった。
しかし、その姉であるマリヤとは不思議なほど接点がない。
学年が違うのだから当然といえば当然なのだが、アリサとの付き合いを考えれば、一度くらい言葉を交わしていてもおかしくなかった。
ただ、仮にアリサ経由でマリヤとも面識がある、交流がある、となった暁にはクラスで大発狂する男の顔が浮かんでくる。まさに号泣、という様相で涙と鼻水を垂れ流しながら、呪詛を延々と聞かせてくる、という非常にめんどくさい毎日が始まっていたかもしれない、と割とどうでも良いことを、含み笑いをしながら、歩いていた時だ。
「あら~?」
色々と考え事をしていた時、不意に柔らかな声が前から聞こえてきた。
その声でようやく伊織は我に返り、顔を上げる。
いつの間にか、先ほどまで前を歩いていたマリヤがこちらを振り返っていたのだ。
その足元には、数枚のプリントが落ちていて、手にもある。
どうやら手にしていた書類を落としてしまい、それを拾おうと振り返ったところで、マリヤは後ろを歩いていた伊織に気付いたらしい。
対する伊織はというと、クラスメイトが涙と鼻水を垂れ流しながら呪詛を吐き続ける未来など想像していたせいで、プリントが落ちたことにも、マリヤが振り返ったことにも気付いていなかった。
「ぁ…………」
何となく少々気まずい。
変なことをしたつもりはないのだが、脳内では彼女を出汁に、とある友人(疑)も出演させて、色々と妄想に耽っていたから。
それはそうと、伊織は足を止めると、ひとまず1学年上の先輩へ軽く頭を下げた。
「こんにちは、九条先輩」
「こんにちは~」
マリヤはいつもの柔らかな笑みを浮かべて、手を振り挨拶を返す。
そして足元のプリントを拾い上げると、軽く埃を払ってから、伊織を見た。
「ぼーっと歩いていると、危ないわよ~?」
「あ……すみません。ちょっと考え事をしてて」
「ふふっ。考え事をするのはいいけど、前もちゃんと見ないと駄目よ?」
「はい。気を付けます」
「は〜い、よろしい〜」
素直に頷きながらも、伊織は目の前の少女を見て、ほんの少しだけ思う。
ゆったりとした話し方に、柔らかな笑顔。『は〜い、よろしい〜』と言う言葉にさえ癒しのオーラが纏われているかのよう。
歩く姿までどこかふわふわとしていて、包み込むような雰囲気。それらは学園で『聖母』などと呼ばれているのも何となく理解できる、と言うものだった。
そんな彼女から『ぼーっと歩いていると危ない』と注意されるのは────。
「(……なんだろう。九条先輩に言われると、ものすごく説得力があるような、ないような……)」
イメージだけの事なので、もちろん口には出さない。
初対面の先輩に向かって言うことではないだろう。
そんな伊織の内心など知る由もなく、マリヤは手にしたプリントを整え──そこで改めて伊織の顔を見た。
「…………あら?」
「???」
じ──っ。
先ほどとは少し違う意味でマリヤに見つめられ、伊織は僅かに首を傾げる。
マリヤもまた小さく首を傾けながら、記憶の中にある何かと目の前の少年を照らし合わせるようにして。
「ひょっとして……あなたが真田くん?」
「え?」
まさか初めて話す相手から名前を呼ばれるとは思っていなかった。
伊織は僅かに目を瞬かせたが、直ぐに気を取り直すと。
「はい。僕は真田です。1年の真田伊織です」
「まあ~、やっぱり!」
ぱぁっとマリヤの表情が明るくなって、手をぽんっ、と叩く。
胸元で両手を合わせ、何やら嬉しそうに笑う彼女とは対照的に、伊織の頭には新しい疑問符が浮かんでいた。
「えっと……僕のこと、知ってるんですか?」
「もちろんよ~。会長からも聞いてるし、何より真田くんはアーリャちゃんのお友達でしょう?」
「! ……なるほど」
統也からならばそれとなく伝わっているのも納得――と、伊織は頷きかけて、僅かに動きを止めた。
アリサの姉なのだから、彼女の口から自分の名前くらい耳にしていても何ら不思議ではない。中等部時代から学業成績で競い、高等部へ進学してからも同じクラス。おまけに入学早々、改めて真正面から宣戦布告までされているのだ。
姉妹の会話の中で名前くらい出ても当然だろう。
気になるところがあるとすれば――。
「……ちなみに、九条さん……アリサさんからは、どんな感じで聞いてます? 僕のこと」
どう言われているのかが非常に気になる。
内容によっては拡散したとして、色々と大変になることもある……と思うからだ。
アリサからマリヤへ。
そこから先はかなり未知数ではあるが、場合によっては何処までも広がる可能性はある。
何しろ、姉妹2人して大人気で、それぞれが学年を代表する美女、と祀り上げられているのだから。
伊織は少々恐る恐る尋ねると、マリヤは頬へ人差し指を当て、「ん~」と記憶を辿るように視線を上へ向けた。
「色々よ~? 中等部の時のお話とか、今は同じクラスだとか。それに最近は、『次は絶対に負けないんだから』って、アーリャちゃん、とっても張り切ってたわ~。頬をプク〜〜ッと膨らませて、とっても可愛かったんだから」
「…………やっぱり僕に対して、ですか? それ」
「あら? 他に誰がいるのかしら?」
「ですよねー…」
答え自体は、聞く前から大体分かっていた。
分かってはいたのだが、姉にまで宣言しているとは思わなかった、と言うのが正直な気持ちだ。アリサは内に秘めるタイプではないか────と、思っていたから……だが。
「(……あ、早々に公衆の面前で宣言されてたっけ……)」
すぐに自分の考えを改めた。
高校へ進学してから、伊織とアリサはまだ一度も定期考査で競ってはいない。だからこそアリサにとっては、これから始まる最初の勝負なのだろう。
中等部時代、学年首位を守っていたアリサを伊織が抜いた。
当然ながら、アリサは悔しがった。
それはもう、非常に分かりやすく。
だが、そこで落ち込んで終わるような少女ではない。
次は負けない。
そう言って、不敵に笑っていたのだから。
まるで、楽しんでいるかのように。
「アリサさん、家でもそんな感じなんですね」
「それはもちろんよ。だってアーリャちゃん、負けず嫌いだもの」
「それは……よく知ってます」
思わず苦笑する伊織を見て、マリヤもくすくすと笑う。
しかし、次に向けられた笑顔は、ほんの少しだけ違っていた。
「でも、真田くんって凄いのね~。沢山聞いてるわ」
「……はい?」
唐突な評価に、伊織は目を瞬かせた。
マリヤは両手を、ぽん、と合わせて笑顔だ。マリヤの言葉を噛み締めつつ、褒めてくれている事を認識して、伊織は僅かだが顔が熱くなる。
「あ、ありがとうございます」
「ふふ。アーリャちゃんに勝っちゃうのもすごいけど、それ以上にみんなみんな、真田くんのこと褒めてるんだもの~」
「みんな……とは?」
「アーリャちゃんもそうでしょう? 生徒会のみんなからもお名前を聞くし、先生たちも真田くんのことをお話ししてるのを聞いたことがあるわ~」
「…………」
知らないところで随分と名前が独り歩きしているらしい。
可能性がある、ではなかった。既に確定拡散されているようだ。
もちろん、悪評をばら撒かれているよりは遥かにありがたいのだが、褒められることに慣れているかと問われれば話は別だ。
気恥ずかしさというものは、なかなか慣れるものではない。
嫉妬や妬みを向けられることこそ、殆ど無いのはありがたいが、こうも諸手を挙げられると尚更。
「それにね~、頼まれたことは断らないとか、困ってる子を放っておけないとか、面倒見がいいって話もよく聞くのよ~」
その後も続くマリヤの説明は、【勉強で結果を出せて凄い】と言う話からどんどんそれていってる感じがする。
「買い被られてるだけだと思いますけど……。なんか、僕のこと聖人君子! って言う勢いじゃないですか……」
「あら、そうなの?」
「僕は僕に出来ることをやってるだけなので。それ以外は普通の男子高生だと思ってますよ? それとアリサさんとのことだって、ただ勝負を挑まれて、一度だけ勝てたってだけですし」
「ふふふ〜」
アリサに勝つ。
つまり、それは学年の頂点を意味する。
傍目からすれば、この学園でトップを取ること自体凄いことなのだが、伊織は自分の力の事を分かっている。分かってるからこそ、どこまでも謙虚な姿勢を崩さないのだ。
頭の中に参考書や辞書の内容が丸ごと入っていれば、誰だって似たようなことはできるだろう、と。
流石にカンニングしている、とまで言うつもりはないけど。
マリヤはそんな伊織の言葉に微笑みで返すだけだった。
そして、笑みを向けたまま、マリヤは伊織の目を見た。
「真田くん、嫌じゃない?」
「?」
そこで、マリヤの纏う雰囲気がほんの少しだけ変わった。そして続いて投げ掛けられたのは、伊織にとって少々意外な問いだった。
「何がです?」
「アーリャちゃんと競うこと」
その問いだけ、僅かに空気が変わったようにも思えた。
マリヤの柔らかな声音も、穏やかな微笑みも変わらない。
それでもその瞳は、先ほどより少しだけ真っ直ぐに伊織を見ていた。
伊織はその意味に気付くことなく、少し考えてから首を横に振る。
「ほら〜色々大変じゃないかな〜って────」
色々と理由付けをしながら、マリヤが聞こうとするが、最後まで言い切る前に。
「嫌じゃないですよ」
そして、さも当然のように伊織は答えた。
「僕も負けるつもりはありませんし、一度勝っただけで満足する気もありません。少なからず負けず嫌いですからね、僕も。アリサさんが次は勝つって言うなら、僕も負けないように頑張るだけです」
「ふふっ。そうなのね~」
「ですが……毎回あれだけ真正面から来られると、ちょっと……と思うことは多々ありますけど」
「あら~」
マリヤが楽しそうに笑い、伊織もつられて小さく笑った。
けれど、その傍らで。
マリヤは胸元に抱えたプリントへ僅かに指を添えながら、伊織の横顔を見つめていた。
その胸中に、たった1つの言葉が浮かぶ。
――凄い。
ただ、それだけ。
そしてそれは先ほど口にした言葉とは、少しだけ意味が違う。
成績が良いからではない。
アリサに勝ち、1位を取ったからだけではない。
教師から評価されているからでも、生徒会から頼りにされているからでもない。
マリヤが心から感心したのは――アリサと、こんな関係を築いていることだった。
競い合って、勝ち負けを決めて。それでもどちらかが傷付いて終わるのではなく、最後には2人とも笑っていられる。そのことだった。
マリヤは昔から、妹のアリサのことが大好きだ。
誰よりも頑張り屋で、いつだって一生懸命で、負けず嫌いで。時にはその真面目さゆえに自分自身を追い込みながら、それでも決して努力することをやめない。
そんな妹が大好きだからこそ。
マリヤは――アリサと競いたくなかった。
姉妹は誰よりも近い。
近いからこそ、比べられる。
どちらが優れているのか。どちらが上なのか。
そんな関係になってしまえば、いつかアリサを傷付けてしまうかもしれない。
だからマリヤは、自分から一歩引いた。
アリサの前では意識して力を抜き、のんびりとした姉でいる。
別にそれが演技というわけではない。元々の自分の性格でもある。
ただ、アリサと真正面から競う道だけは、選ばなかった。
――選べなかった。
けれど。
目の前の少年は、それをやっている。
アリサと真正面から競って。
勝負を挑まれれば受けて。
負けるつもりはないと堂々と言って。
それなのに、2人の関係は壊れていない。
それどころか――。
「最近ね、アーリャちゃん、とっても楽しそうなのよ~」
「九条さんが?」
「ええ。真田くんのことを話してる時もそうよ〜? あともう1人……」
「…………僕のことを?(それにもう1人ってたぶん…)」
伊織の眉が僅かに寄る。
本人にはまるで自覚がないらしい。
その様子がおかしくて、マリヤはまた小さく笑った。
「真田くんのお話をする時、悔しそうなのに、どこか嬉しそうなの。次はどうしよう、今度はどうやって勝とうって、とっても生き生きしてるのよ~」
「……それ、楽しそうっていうより、完全に闘志を燃やしてるだけなんじゃ」
「そう~? でもとっても楽しそうよ?」
「そうなんですかね……」
「ふふーん、お姉ちゃんには分かるものなの」
にこり。
そう微笑まれてしまえば、伊織には何も言えなかった。マリヤだからこそ分かることもあるのだろう。もっとも、アリサ自身が分かりやすい部分も否めないのだが。
一方のマリヤは、そんな伊織を見ながら改めて思う。
自分には出来なかった。
アリサと競い合いながら、アリサにとって大切な人間であり続けること。
勝ったからといって見下すこともなく、負けたアリサの悔しさを軽く扱うこともない。
次は負けないと追い掛けてくる妹を、面倒がることもなく真正面から受け止める。
自分には選べなかった方法で。
真田伊織という少年は、アリサの友人でいてくれている。
それがマリヤには、本当に凄いことのように思えた。
「真田くん」
「はい?」
「アーリャちゃんとお友達になってくれて、ありがとう」
「…………え?」
今度こそ、伊織は完全に固まった。
あまりにも突然だったからだ。
数秒ほど目を瞬かせてから、自分とアリサの関係を頭の中で思い返してみる。
中等部時代から学業で競って。
高校初日には宣戦布告されて。
人気を考えろと苦言を呈したこともあって。
それでも、普通に話して、時には助け合って。
――友達。
そう言われれば、確かにそうなのだろう。
だが。
「……お礼を言われるようなこと、してませんよ?」
「そう?」
「はい。僕だって九条さんと話すのは楽しいですし。それに、友達って……どっちかが一方的に友達になってあげるものじゃないでしょう?」
その言葉に。
マリヤは一瞬だけ、目を丸くした。
そして――ゆっくりと目を細める。
「……そうね」
先ほどまでと同じ、柔らかな声だった。
けれどその微笑みには、ほんの少しだけ温かなものが増えていた。
「うん。やっぱり、会えてよかったわ~」
「え?」
「真田くんに」
「僕ですか?」
「ええ♪」
理由を尋ねようとした伊織だったが、マリヤはそれ以上を説明することなく、にこにこと微笑むだけだった。
伊織には分からない。
けれどマリヤにとっては、それで十分だった。
政近のように、アリサの隣に立って支えてくれる人がいる。
そして伊織のように、その正面に立って競い合い、追い掛け、時には追い掛けられながら、それでも友達でいてくれる人がいる。
どちらも、自分とは違う方法でアリサと向き合ってくれている。
姉として。
それが、ただ嬉しかった。
「……あ、そういえば」
そこで伊織は、ようやく本来の目的を思い出したように廊下の先へ視線を向けた。
「九条先輩も行き先は僕と同じです?」
「ええ~。生徒会室よ。だからこのまま一緒に行きましょう?」
「あはは……そうですね」
そうして、伊織は初めてまともに言葉を交わした『学園の聖母』のマリヤと並んで歩き始める。毅あたりが見たら血の涙を流しながら羨ましがるだろうな、と苦笑いしつつ、歩調を合わせた。
ほんの少し前まで、顔と名前を知っているだけだった1学年上の先輩。しかし、その印象は既に少し変わっていた。
ふわふわしている。
柔らかい。
『聖母』という二つ名も、なるほどと思う。
けれど――。
時折こちらへ向けられた瞳だけは、伊織が最初に抱いていた印象よりもずっと深く、しっかりと周囲を見ているように感じられた。
そんなことを思いながら。
2人は並んで、生徒会室へと向かっていった。
「それにしても~、真田くんって本当にアーリャちゃんと同い年なのよね?」
少し歩いた先で唐突にマリヤに聞かれた伊織。少しキョトン、としたが、気を取り直して答える。
「はい。同じクラス……1年ですけど。どうしてです?」
「ん~。なんだか、あんまり1年生って感じがしないな~って」
「…………」
思わぬ感想に、伊織は自分の身体を見下ろした。
制服は当然ながら1年生のものだ。着崩しているわけでもないし、何かがおかしいとも思わない。
となれば。
「それって……老けて見えるって意味じゃないですよね?」
「あら~?」
マリヤが目を丸くした。
そして数秒後、意味を理解したのか口元へ手を添えて、くすくすと笑い始める。
「違うわよ~。凄く落ち着いてるな〜〜って意味」
「ああ……良かった」
「真田くん、そんなこと気にするのね~」
「そりゃ気にしますよ。まだ高校1年生ですから」
「ふふっ。そういうところは、ちゃんと1年生なのね」
「どういう意味ですか、それ……」
なんだか早くも弄られているような気がする。
ただ、マリヤの声音には悪意など欠片もなく、本当に楽しそうに笑っているだけなので、伊織も困ったように笑うしかない。
するとマリヤは、そんな伊織の顔を横から覗き込むようにして。
「でも、こうしてお話ししてみると、可愛いところもあるのね~」
「…………」
今度は伊織が固まった。
可愛い。
男として生まれて10数年。自身の容姿も相まって皆無だったとは言わないが、少なくとも1学年上の美少女から面と向かって言われる機会など、そうそうあるものではない。
「……一応、男なんですけど」
「あら? 男の子に可愛いって言ったら駄目なの?」
「駄目では……ないと思いますけど」
「じゃあ、いいじゃない~」
「……そういうものですかね?」
「そういうものよ~」
にこにこと微笑みながら断言される。
何となく丸め込まれている気がするのだが、本人があまりにも自然体なので反論する気も失せてしまった。
なるほど。
アリサとは、やはり姉妹でも随分違う。
アリサならば良くも悪くも真正面から来る。それは勝負事に限らず、会話でもそうだ。
対してマリヤは柔らかい。こちらが何かを言おうとしても、いつの間にかふわりと包み込まれて、そのまま話を持っていかれるような感覚がある。
どちらが良い悪いという話ではない。
ただ――。
「(……この人相手に口で勝てる気がしないな)」
そもそもマリヤが誰かと口論をする姿自体、まるで想像できないのだが。そんな伊織の内心など露知らず、マリヤは思い出したように小さく首を傾げた。
「そういえば、真田くんはどうして生徒会室に?」
「ああ。会長に、一度顔を出してほしいって言われたんです。今後も必要な時に手伝ってほしいって話は前から聞いてたので、多分その関係だと思います。生徒会の人たちとも一度顔を合わせておいた方がいいって」
「そうなのね~」
マリヤは納得したように頷く。
しかし、そのまま数歩進んだところで、ふと何かを思いついたように伊織へ顔を向けた。
「じゃあ真田くん、生徒会に入るの?」
「入りませんよ?」
即答だった。
「あら? そうなの??」
あまりにも早い返答に、マリヤがぱちぱちと目を瞬かせる。
伊織としても生徒会そのものが嫌なわけではない。頼まれれば可能な範囲で手伝うつもりだし、既にそうしている。
だが、それと正式に所属することは別の話だ。
「手伝える時は手伝いますけど、僕には僕でやりたいことがありますから。会長にも、その辺りは伝えてますし、納得もしてくれてますよ」
「そっか~。残念ね」
「残念なんですか?」
「だって、真田くんがいてくれたら助かりそうだもの~」
「…………」
にこりと、屈託のない笑顔を向けられ、伊織は思わず足を僅かに緩めた。
先ほどまで考えていたことが、脳裏を過る。
統也からは強要するつもりはないと言われている。事実、今狙っている検定試験などを羅列すると、致し方なし、とも納得してくれた。
綾乃からも、あくまで手伝える時だけで構わないと言われている。
有希からも何度か頼まれ事をされているが、それだって伊織の都合が悪ければ断れるものばかりだ。
誰1人として、加入しろとは言っていない。
言っていないのだが。
「……九条先輩」
「なあに?」
「先輩まで外堀を埋めないでくださいね?」
「そとぼり?」
きょとん、とマリヤが小さく首を傾げる。
本当に分かっていないらしい。
「……いえ、なんでもないです」
「??」
どうやら考え過ぎだったようだ。
少なくとも今のマリヤに裏の意図はない。ただ純粋に、伊織が生徒会にいれば助かると思ったから口にしただけなのだろう。
それはそれで、既に何人目だろうかという話ではあるのだが。
「でも、確かに無理に入る必要はないと思うわ~」
「え?」
「真田くんには真田くんのやりたいことがあるんでしょう? だったら、そっちも大事にしないと」
「……ありがとうございます」
「それに、本当に困った時にちょっと助けてもらえたら、それだけでも嬉しいもの。会長も毎日ぼやいてるからね〜。『人手が足りないよ〜』って。……私もそのあたりは理解しているからね〜」
そう言って微笑むマリヤに、伊織も今度は素直に頷いた。
こういうところなのだろう。
相手へ無理強いすることなく、けれど必要な時には頼り、頼ったことへの感謝も忘れない。
先ほどまで抱いていた『ふわふわした人』という印象だけでは説明できないものが、会話を重ねる度に少しずつ増えていく。
ただ、本当に業務が大変なのは間違いない、と改めて思わされた。ふわふわしてるマリヤでさえも、どこか遠い目をしているのだから。
「僕で出来ることなら。その時は声を掛けてください」
「本当?」
「はい。予定が空いてれば、ですけど」
「ふふっ。ありがとう、真田くん」
嬉しそうに微笑むマリヤを見て、伊織も軽く笑みを返した。
そうして他愛のない話を交わしながら歩いているうちに、廊下の先に目的の場所が見えてくる。
生徒会室。
伊織が視線を向けたことに気付いたのか、マリヤも前を向く。
そして、何かを思い出したように「あっ」と小さな声を漏らした。
「そうだ、真田くん」
「はい?」
「これからは学校で会ったら、普通にお話ししましょうね~」
「……もちろんですけど」
あまりにも自然に言われたので、伊織も自然に答えた。
しかし、マリヤはそれが嬉しかったらしく、ぱっと笑顔を明るくする。
「よかった~。アーリャちゃんのお友達なら、わたしとも仲良くしてくれたら嬉しいもの」
「僕としても、九条先輩と話すのは楽しいです。……でも」
「まあ~! ……でも??」
マリヤが嬉しそうに両手を合わせる。
その仕草を見て、伊織は一瞬だけ首を傾げた。
何か、今の言葉におかしなところがあっただろうか。
「その、場所を選んでくれたら幸いかな、って。九条先輩と話してる所を皆に見られると、……めちゃ大変なことになりそうで」
今度は伊織が遠い目をする。
1年の間でも、マリヤは超有名人だ。
常日頃は生徒会メンバーや、同級の同性の皆と楽しそうに話をしている事が多いのだが、そこに異性である伊織が親しく堂々と話をしている、となれば間違いなく騒がれる。
ただ親しく話している。それだけで騒ぎになるには十分すぎる相手なのだ。
「ふふふ〜。真田くんは恥ずかしがり屋さんなのね」
「や、そういう次元じゃないので………」
「それに、とっても頑張り屋さんでもある、と。よ~し、お姉ちゃんがなでなでしてあげましょうか~?」
「や、勘弁してください………」
どこまでものんびりとした仕草のマリヤに伊織はため息を吐いた。
自分の、自分たちの美貌と影響力をもう少し自覚してもらいたい、と強く思う伊織だった。