距離を置きたいだけなんだけど 作:ろしでれ
政近は玄関の鍵を回す。
カチリ、と聞き慣れた音が静かな廊下へ響き、政近はいつものように靴を脱ぎながら、小さく息を吐いた。
今日も一日、何だかんだで騒がしかった。
朝からアーリャに振り回され(自業自得感は否めないが)、昼は光瑠や毅、伊織とくだらない話で盛り上がり、食堂では本当に色々合った。
偏に有希のせいだが。
ものの見事に引っかき回してくれたもんだ。しかしながらアレで益々希少にして貴重なかつたのヲタ友との再会、遠ざかるのではなかろうか? と思わざるを得ないのが悲しい。でも、伊織が逃げずに最後までいてくれたのは、ある意味では一歩前進したのかもしれない。
それはそうと、ようやく一人になれる。一人の時間も大切で貴重。オタクとしては掛け替えのない大切、有意義な時間だから。
そう思った矢先だった。
「……ん?」
視界の端に、見覚えのない靴が映る。
いや、正確には見覚えはある。見覚えがありすぎる。
小柄な女性用スニーカー。
見覚えがない、と言うのは普段この家の主は自分と海外赴任中の父親だけ。父親がそんな可愛らしい靴を履くはずもなく、ましてや自分でもない。だから、見覚えがない、がくるのだ。
つまり。
「……帰ったんじゃなかったのかよ」
朝方まで実家にいたはずの妹が、何故か再びこの家へいる、と結論。
そしてそれと同時にやはり嫌な予感しかしない。
政近は半眼になりながら廊下を歩き、リビングの扉へ手を掛けた。
ガチャリ、と扉を開ける。
そこには、学校で『大層な呼び名』『二つ名をもつ美少女』などと呼ばれ、多くの男子生徒が憧れる少女の姿はどこにもなかった。
ソファへ寝転がり。
クッションを抱え。
片手にはポテトチップス。
テーブルには飲みかけの炭酸飲料。
テレビでは今まさに深夜アニメの再放送が流れ、画面の中では主人公が盛大に爆散していた。
「おっ、おっ、おっ……おーいおい、そこフラグだって! だから言ったじゃーん!」
拳を握ってテレビへツッコミを入れる少女。
その横顔を見て、政近は確信した。
僅かな可能性、女泥棒のような可能性は無くなった。間違いない。
我が妹だ。
その妹とは—学園では幼馴染で通している深奥のおひい様、と呼ばれる周防有希、その人である。
「あ、おかえりー、お兄ちゃ〜〜〜ん♪」
こちらへ気付くと、有希は振り返りもせず片手だけひらひらと振った。
実に雑である。
「……なんでいる有希」
「え?」
有希はようやくテレビから視線を外す。
きょとん、と首を傾げるその姿だけ切り取れば可愛らしいのだが、その直後の返答が全てを台無しにした。
「遊びに来た」
「いや、それは見りゃ分かる」
「泊まりに来た」
「それも聞いてねぇ」
「じゃあ、お邪魔しております兄上?」
「だからそこじゃねぇ!!」
政近が深々とため息を吐く。
しかし有希は悪びれる様子など一切ない。
それどころか、「あ、そうだ」と何かを思い出したように立ち上がると、てくてくとキッチンへ歩いていった。
「冷蔵庫借りたー」
「借りる前に借りたって報告すんな」
「プリン食べたー」
「借りるどころか消費してるじゃねぇか!」
「賞味期限、明日だったよ?」
「今日食う予定だったんだよ!」
「結果的に今日食べられたじゃない」
「食ったのお前だろ!」
「細かいことは気にしない気にしない」
唐突に始まるのはまるで漫才のようなやりとり。
そう言って人差し指を立てる有希。
全く説得力がない。
学校でこの姿を見た男子生徒がいたら、この人誰? と一体何人が幻想を砕かれるだろうか。
少なくとも『深窓のおひい様』という二つ名は五秒で返上されるに違いない。それ以上に親しみやすく話しかけやすさは倍増になりそうだ。
もっとも、政近としては今さら驚きもしない。
この妹は昔からこうだ。
家では好き勝手。
思い立ったら即行動。
人の予定より自分の興味を優先することも多い。
そして、それを悪いことだとあまり思っていない。何より口では何だかんだ言っていても、政近自身も構わない、と思っている。……周防の重責をその身で頑張り続けている妹。……自分はそこから
「そうそう」
有希は冷蔵庫から新しいジュースを取り出しながら振り返った。
「今日だけじゃなくて、数日、お世話になりまーす」
「いや、だから聞いてねぇって」
「そりゃそーだ。だって言ってないもん」
「開き直るな」
「えへ♪」
舌をちょこんと出して笑う。
反省の色は皆無である。
政近はもう一度ため息を吐き、鞄をソファの脇へ置いた。
「母さんは?」
「もちろん許可済み。それに泊まり続ける訳じゃなくてちゃんと帰るし」
「父さんは?」
「海外」
「聞く意味なかったな」
「そういうこと」
有希は満足そうに頷くと、再びソファへ腰を下ろす。
そして何事もなかったかのようにテレビをつけ直した。
画面ではちょうどエンディングが流れ始めている。
「いやぁ……今週も神回だった」
「毎週言ってないか?」
わざとらしく目元を拭う有希に対して、呆れたように言う政近。
当然だが、政近も同感だったりするが。
「神は何柱いてもいいんだよ」
「八百万か」
「さすが兄者。分かってるぅ〜」
「いや、何となく合わせただけだ」
テレビの画面が暗転し、CMへ切り替わる。
実写映画の予告。
人気漫画原作。
豪華俳優陣。
大ヒット上映中。
そんな文字が次々と躍る。
「あっ」
有希が身を乗り出した。
「これこれ!」
「ん?」
デカデカと表示されているのは『Dark World』
原作が某人気ファンタジーアドベンチャー漫画。
原作はめちゃくちゃ売れてるが、地雷臭しかないやつ筆頭である。
何故実写化した? と小一時間問い詰めたいやつ。
「今度観に行くやつ!」
「へぇ」
「もちろん兄者もだ。道連れが欲しい」
「今道連れ言ったか! いや分かるけれども。つーか、何も聞いてねぇぞ」
「うん、言ってないもん。今言った!」
「またそれか」
政近は呆れたように笑う。有希も笑う。
兄妹だけの、気の抜けた空気がリビングへ流れる。
学校で見せる姿とはまるで違い、そこには礼儀も格式も、お淑やかさもない。あるのは気兼ねなく言葉をぶつけ合える兄妹だけの距離感だった。
だからこそ政近は気付く。
今日の有希は、いつも以上に機嫌がいい。
テレビを見ていても。ジュースを飲んでいても。何かを思い出したように口元が緩み。一人で笑いそうになっては、慌てて咳払いを繰り返している。
「……何だ?」
「んん〜? 何がだね? 兄上」
口角は吊り上がり、歯をニカッと見せながら笑う有希。それはそれは長い付き合い〜だけじゃなくてもわかる。
「今日、何かあっただろ」
「え?」
「機嫌良すぎ」
「そうかな?」
「そうだ」
有希は少しだけ目を逸らすのは数秒。
そして。
「……ふふっ。流石はお兄ちゃん様よ。鈍感系主人公にはなれないなぁ〜」
堪えきれず有希は笑った。だが、政近は心外と言わんばかりにふんずりかえる。
「誰が鈍感主人公か。あんな見ていてヘイトたまる系はフィクションの中だけで十分だ」
「あっはは! ごめんごめん」
謝っているわりには全く悪びれない。
それどころか、笑いを堪えようとして余計に肩が震えている。
政近はそんな妹を見つめながら首を傾げた。
「(……さては学校で何かあったっぽいな)」
長年兄妹をやっていれば分かると言うものだが、それにしても普段の3割増くらいには機嫌がいいのも珍しいというものだ。
学校で何か面白いことでもあったのか。
それとも、生徒会で何かあったのか。
学校で有希と絡んだのはあの食堂だけだから、それだけの情報じゃ弱い。
政近の頭へ幾つか可能性は浮かぶものの、どうにもどれも決め手には欠ける印象だ。
そもそも有希は、嬉しいことがあれば黙っていられる性格ではない。
隠そうとしても、その内勝手に口が滑る事が多々だし、イタズラ目的を除くなら黙っているのは考えにくい。
昔からそうだった。
でも、その分余計な事を考えてる可能性も高い。
だからこそ政近は深く追及することなく、冷蔵庫から新しい麦茶を取り出し、コップへ注ぐ。
氷へ当たる音だけが、静かなリビングへ小さく響いた。
その間も、有希はソファへ腰掛けたままテレビを眺めている。
いや。眺めているだけだった。
視線は画面へ向いている。
けれど、その意識は別のところへ飛んでいるらしい。むふーむふーと、鼻息荒いのがわかる。
CMが変わる。
芸人が騒ぐ。
映画の予告が流れる。
それでも有希は何一つ反応を示さない。
その代わり。
「……ふっふっふ〜♪」
時折鼻息荒い中に、鼻歌交じりが聞こえてくる。
たぶん、思い出しては笑みを浮かべているんだろう。
そして、まるで指摘して! と言わんばかりにわざとらしく慌てたように口元を押さえている。そして、一度零れた笑みは簡単には引っ込まない。
肩まで小さく揺れている。
その様子を横目で眺めながら、政近は麦茶を一口飲んだ。
「(……触らぬ神に祟りなし、ってやつね)」
アニメの神回を観た時とも違う。
ガチャで最高レアを引き当てた時とも違う。
推しの新情報が公開された時とも違う。
わからないが、その上で何かを察しろ、と言うのか或いは聞いて聞いて、と待ち構えているのか、はたまた、本当に胸の内だけで大事に温めておきたいとでも言うのか。
そんな妙な機嫌の良さだったが、特に自分から動くことはしない、と政近は小さく笑う。
どうせ、このまま黙っていられる妹ではない。
数分もしない内に、勝手に始まるだろう。何がかは、不明だが。
そんな政近の予想通り。いや、数分くらいは、と思っていたが数秒以内にやってくる。
「……時に兄者様よ」
ぽつり、と。
先程まで笑いを堪えていた人物とは思えないほど静かな声だった。
政近はコップを口元まで運びかけ、そのまま動きを止める。
来たか。
そう思ったものの、いつもの「兄者!」と勢いよく切り出す有希とはどこか違う。ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ歯切れが悪い。
それだけの違いだった。
だが、長年一つ屋根の下で暮らしてきた兄には、その小さな変化が妙に引っ掛かった。
「何だ?」
「本日、イベントが発生いたしまして」
「イベント?」
身構えていたが、割と真面目な話なのか? と政近は思った。
「はい。それも、個人的にはかなり大型です」
しかも、有希は真面目な口調。
内容だけ聞けばいつもの有希だった。個人的な大型イベント、ともなると選択肢は限られてくる。
政近も特に構えることなく麦茶を一口飲む。
「今年の文化祭か?」
「違います」
「んじゃ体育祭?」
「もっと重大です」
「んじゃあ国家予算でも動いたか?」
「兄者、それ以上です」
「いや、もうお前の基準が分からん」
ようやくいつもの調子に戻った。
そう思った政近だったが、有希はクッションを抱き直しながら、小さく視線を逸らす。
その横顔だけは、どこか落ち着きがない。
話したい。
けれど、どこから話せばいいのか分からない。
そんな迷いが、僅かな仕草の端々から見えていた。
「……大型イベント発生。それ伊織くんのことなんです」
その名前が出た瞬間、政近は「あぁ」とだけ返した。
昼休みの出来事を思い出す。
有希が伊織へ積極的に話しかけ、いつものように生徒会に勧誘していた。
それくらいの認識しかない。その流れ弾で、アリサに色々問い詰められて大変だった、という認識はある。あの幼馴染ムーブで盛大に煽りつつ、伊織も視界に入れて逃さない二段構えは、我が妹ながら末恐ろしいな、と思った。
「改めてきこう、兄者から見て、伊織くんってどんな人?」
「いや急だな」
「うん急です。友達として側にいるの、一番長いのがお兄ちゃんだし」
「うーん……」
有希のその問いは、あまりにも不自然だった。大型イベントと伊織の関連性もよくわからない。取り敢えず興味本位で聞かれたか? と解釈する。
でも、政近には分かった。今日の有希は、この話がしたかったのだと、だから家に連絡も無く来たのだろうと。いや、連絡ないことは多々あるか……。でも、これが重要なんだということはわかる。
政近はコップへ視線を落とす。
麦茶の表面へ浮かぶ氷が、からり、と小さな音を立てた。
「兄者?」
返事がないことを不思議に思ったのだろう。
有希が小さく首を傾げる。
政近はすぐには答えなかった。
何から話そうか。
そう考えているというよりも、どこから話しても結局同じ結論へ辿り着く気がしていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……希少種」
ぽつりと呟く政近。
それを聞いた有希が瞬きをする。
「……はい?」
「だから希少種だって」
もう一度繰り返す。
その声には、どこか諦めにも似た響きが混じっていた。
「今どき、あそこまで共感できる、と言うかシンパシー感じる、なんて奴は滅多にいない」
政近は天井を見上げた。
その視線は、まるで遠い昔でも懐かしむようだった。
「深夜アニメが通じる。ラノベも、漫画も、ゲームも、ネットの話も、新作の情報も、発売日も、配信日も、何より限定版も」
指折り数えてあげていくのは、ある意味これまでの歴史だった。
大変だった中学2年の時代を生き抜くために、必要不可欠だったかもしれない栄養分。
「全部、普通に話が通じていた」
そこまで言ってから、もう一度息を吐く。
「……だから、貴重で希少なんだ」
その一言だけ妙に重かった。
「社会に出ると、そういう奴ってさ、友達間ではびっくりするくらい減るからな……」
「兄者、まだ高校生だよね? 達観しすぎてね? 転生してきた? ループしてる??」
「うるせ。気持ちの問題だ」
即答だった。
有希は思わず笑う。
政近はそんな妹を横目で見ながら、どこか遠くを見る。
「楽しかったのになぁ……。有希に話してなかったけど、ある日を境に、勉強ばっかになって」
「あぁ〜まあ、話さなくても順位見てたらわかるよね」
征嶺学園のテスト結果は大々的に公開される。故に皆が知る。
あの転入してきてから常に1位だったアリサの話は有名だし、中等部最後のテストで、伊織が1位になったのはちょっとしたお祭り騒ぎだった。でも、イメージはアリサの方が強いから、高等部では伊織がアリサより上になった、と言うのは浸透してないようだが。偶然かもしれない、という意見もあるから。
それにしても、あの飛躍を偶然の一言で片付けるのはどうかと思うが。
「食堂。今日の食堂でも、本読んでるだろ? 次狙ってる検定試験だと。中身英語っぽかったから、それに関連する何か。真面目に見てないけど」
「ふーん……」
有希は小さく頷く。
英語。
それだけなら、珍しくも何ともない。
征嶺学園では、将来を見据え、資格や検定へ挑戦する生徒は少なくなかった。
英検。
TOEIC。
あるいは、それ以外か。
春先に受験できるものも、いくつか思い浮かぶ、が重要なのはそこではない。
「だからか放課後も、さっさと帰るし、休日も勉強。アニメイトいかない、語り明かさない」
凄く、物凄く寂しそうだった。
「近くにいるのに、遠いところにいってしまった
決して責めているわけではない。
高校生なのだから、勉強へ力を入れるのは当然だ。
将来を考えれば、それが正しい。
頭では分かっているが呟きは、正しく本音だった。
有希は、一瞬だけ目を丸くした。
近くにいるのに、遠いところへ行ってしまった。
その表現に、胸の奥が少しだけ擽られる。
同時に、ヲタクとしてのこの後の展開に血が騒ぐ。
「(ふむふむ、なるほど、それ、ちょっと美味しい展開かも)」
勉強へ打ち込む秀才。
取り残された同志。
離れていく二人。
再会。
和解。
そして友情復活。
脳内では、ものの数秒で一本の青春ストーリーが完成しかける。
「(……断然あり!! 新たな扉開いちゃう!?? 腐女子のつもりなかったけど!!)って、まてまてまて!」
「??」
そこまで考えたところで。
有希は勢いよく首を振った。
違う。
違う違う違う。
今はそこじゃない。
「違うっ!」
勢いよく立ち上がる。
そのまま両手を大きく振り上げた。
「そこじゃないんだよ兄者!」
「……は?」
政近がきょとんとする。
「確かに! 兄者の気持ちは分かる! 分かるとも!」
有希は拳を握り締め、力説した。
「語れる同志が減る悲しみ! 推し作品を徹夜で語り明かしたいのに予定が合わない絶望! イベント後の感想戦ができない虚無! 私だって痛いほど分かる!」
「お、おう……」
「兄者とのオタトーク、この時間が削られたり、なくなったりしたら!」
大きく息を吸う。
「私は死んでしまう!!」
「そこまでか!?」
思わず政近が声を裏返らせた。
「そこまでなの! 息抜きないと死んじゃうの! 物理的に脳的に!!」
「お、おう、そうか。そうだよな……」
一歩も譲らない。
「だから兄者の悲しみは理解できる!」
有希は深く頷く。
本当に理解できる。
だからこそ。
だからこそ。
「でも違う!」
人差し指を勢いよく突きつけた。
「今日の大型イベントはそこじゃない!! あくまでお兄ちゃんと伊織くんの関係性イベは繋ぎ!!」
「大型イベント? あ、そんなこと言ってたな…」
「そう! 忘れないでよ!」
ばん! と立ち上がり、指をさす有希。圧倒されて気圧される政近。
「兄者は何も分かってないから、耳かっぽじってきけ!」
「だから何を」
「本日発生したのは!」
有希は両拳を胸の前で握り締める。
「私と――」
そこまで言って、勢いよく、宣言。
「いおりんとの新イベント! 新規分岐! 隠しルート発生なんだよぉー!!」
数秒。
部屋から音が消えた。
「…………はい? いおりん?」
政近がゆっくりと聞き返す。
有希は、フンスっ! と鼻を鳴らすのだった。