呪術廻戦 喪呪路   作:四月三十日

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最寿旅

◆◆◆

 

決戦前

 

喪呪路(もじゅろ)は、撤去しなくてもいいんじゃない?」

 

 五条は、まるで思いつきの雑談でも始めるような口調で言った。

 しかし、その場にいた誰もが、それを軽い話として受け取ることはできなかった。

 

「僕の死体を使う案があっただろ」

 

 五条は自分の目元を指し、続ける。

 

「戦いが終わったあと、僕の六眼(りくがん)と脳が無事に残っていたら、それを基に呪具を作って、喪呪路に組み込んでほしいんだよね。真依ならできるでしょ」

 

 もちろん、僕が生きているなら話は別だけど。

 五条はそう前置きしてから、自らの考えを淡々と語り始めた。

 

「全国に広がった喪呪路を撤去するとなれば、相当骨が折れる。全部掘り返して処分するより、そのまま使ったほうがいい」

 

 喪呪路は、日本各地へ張り巡らされた巨大な呪力伝送網だった。

 

 その規模ゆえに、一度完成したものを完全に取り除くことは容易ではない。ならば、危険な構造物として封じるのではなく、別の目的に転用する。

 

 五条が提案しているのは、そういうことだった。

 

「喪呪路全体をアップデートする呪具を作る。この眼で見て、仕組みはだいたい把握した。僕の六眼と脳を組み込めば、良い感じに制御はできると思う」

 

 真依は眉をひそめた。

 

 五条は構わず続ける。

 

「まず問題になるのは、呪力をそのまま伝送することだ。呪力が漏れれば周囲に悪影響を与えるし、経路そのものが呪いを放つ可能性もある」

 

 五条は自分の頭を指先で軽く叩いた。

 

「だから、喪呪路に反転術式の機構を組み込む。僕の脳には、反転術式を常時稼働させるための仕組みができている。これを利用すれば、集めた呪力を一度、正のエネルギーへ変換してから流せるはずだ」

 

 負の感情から生じる呪力を、反転術式によって正のエネルギーへ変える。

 それを全国へ張り巡らされた喪呪路へ流し、循環させる。

 

「正のエネルギーとして伝送するなら、周囲への悪影響はほとんどない。途中で漏れたとしても、呪力が漏れるよりはずっとましだ。むしろ、多少いい影響があるかもしれないね」

 

 喪呪路は髪を媒体に作られた、肉体に近い性質を備えた生体呪具でもある。

 正のエネルギーを絶えず循環させることで、経路の損傷を自動的に修復できる可能性もあった。

 

 真依は、五条の説明を最後まで聞いてから口を開いた。

 

「でも、それはまだ仮説ですよね」

 

「なるさ」

 

 五条は即答した。

 

「これは勘だけど」

 

 家入(いえいり)が呆れたように息を吐く。

 それから五条を見つめ、僅かに声を低くした。

 

「死んだあと、呪具になったからといって、それで終わりじゃない。喪呪路に組み込まれれば、この先ずっと、あれと一体になって管理を続けることになる」

 

 それが十年なのか、百年なのか、それ以上なのかは分からない。

 意識が残るのかさえ、誰にも断言できない。

 

 人間として死んだあとも、六眼と脳だけが呪具として残り、日本全土を巡る巨大なインフラの礎となる。

 

 家入が言っているのは、そういう未来だった。

 

「死んだあとのことだろ」

 

 五条は、ほとんど考える間もなく答えた。

 

「気にしないよ」

 

 家入は何も返さなかった。

 五条が強がっているわけではないことを、彼女は知っていた。

 

 だからこそ、何も言えなかった。

 

「喪呪路が完成すれば、自然発生する呪霊はほとんどいなくなるだろうね」

 

 五条は窓の外へ視線を向ける。その表情は少し柔らかい。

 

「人から漏れ出した呪力を、呪霊になる前に回収して循環させる。そのエネルギーは、別のことにも使えるかもしれない」

 

 呪術師だけが呪力を扱い、非術師が無自覚に呪いを生み出し続ける世界ではなくなる。

 術師が非術師を守り、非術師が知らぬ間に術師を追い詰めるという、歪んだ関係も変わっていく。

 

「回収される呪力は、もう呪術師だけのものじゃない」

 

 五条の声は、いつになく穏やかだった。

 

「本当の意味で、術師と非術師が一緒に生きられる未来が来る。きっとね」

 

 五条には、その未来が観えていた。

 かつて夏油傑が望み、そして辿り着けなかった世界。

 呪いによって人が苦しまず、術師だけが犠牲になることもない世界。

 

 五条は夏油の代わりに、その未来を語った。その表情と声色は夢を語る子供のようだった。

 

「だから頼んだよ、真依」

 

 五条は、真依へ向き直る。

 

「喪呪路が完成したら、その呪力を少しくらい使ってもいいからさ」

 

 冗談めいた口調だった。

 だが、真依に託そうとしている役目は、決して軽いものではない。

 

 五条の六眼と脳を呪具に変え、喪呪路へ組み込む。

 

 それは、真依にしか成し得ない仕事だった。

 五条は僅かに目を伏せた。

 

「それに――」

 

 脳裏に浮かんだのは、かつて夏油と決別した日の光景だった。

 

 背を向け、五条の前から去っていった親友。

 

 最後まで同じ場所に立つことのできなかった、たった一人の親友。

 

「アイツが遺した理想は、俺が責任を持って見届けたい」

 

――俺は、あのとき置いていかれた。

 

 最強になり、誰よりも遠くまで行けるはずだったのに、夏油の苦しみに追いつくことはできなかった。

 

 隣に立っていたつもりで、その心が離れていくことに気づけなかった。

 

――けれど。

 

 五条は目を閉じる。

 

――ようやく、追いつけるかもしれない。

 

 

◆◆◆

 

 とてもよく晴れた昼下がりだった。

 

 高専施設の屋上には、柔らかな風が吹いている。

 遠くまで澄み渡った空の下、家入は手すりのそばに立ち、復興の進む街を見下ろしていた。

 

 倒壊した建物は減り、新しい足場や重機が並び、人々が行き交っている。

 失われたものは多い。

 元に戻らないものも、数え切れないほどある。

 

 それでも、街は少しずつ前へ進んでいた。

 

「バカ二人が」

 

 家入は、もうここにはいない二人へ愚痴をこぼす。

 

 一人は、理想を抱えて道を違えた。

 もう一人は、その理想を拾い上げ、自分の死後まで使って形にした。

 

 どちらも自分勝手で、最後まで周囲を振り回した。

 

「まあ、男子なんてそんなもんか」

 

 小さく息を吐いてから、家入は背後にいる真依へ振り返った。

 

「それより、体調はどうだ?」

 

「ええ。大丈夫です」

 

 真依は、切断されていた右腕を軽く動かしてみせる。

 

 腕は完全に繋がっていた。

 指先の感覚も、関節の動きも、失われる以前と何ら変わらない。

 

 ただし、その腰元にリボルバーはない。

 

 真希の魂を宿し、数々の戦いをともにした呪具は、もう必要なくなっていた。

 

「そりゃよかった」

 

 家入は頷き、それから真依の背後へ視線を向けた。

 

「そっちはどうだ?」

 

 屋上へ続く扉が開く。

 

 そこから姿を現したのは、禪院真希だった。

 

「ええ。問題ありません」

 

 真希は、自らの身体を確かめるように肩を回す。

 真依はそんな姉を、ニッと笑顔で迎える。

 

「おかえり!」

 

 その声も、表情も、歩き方も、真依の知る姉そのものだった。

 

 真依の術式は、「過去(かこ)」の「構築(こうちく)」。

 かつて存在した状態を現在へ構築する、「再現(さいげん)」の術式へと発展していた。

 

 それは、完全な原状回復の術であり──

 

──死者の蘇生にすら手が届き得る反魂(はんこん)の術。

 

 もっとも、真希の蘇生は、術式の力だけで成し遂げられたものではない。

 幾つもの状況と条件、そして縛りが重なり合って初めて成立した、一度限りの奇跡だった。

 

 第一に、真希の魂が失われていなかった。

 

 真依は、真希の魂を宿す器としてリボルバーを構築していた。そのため、肉体を失ったあとも真希の魂は散逸せず、共振での会話ができるほど、劣化することなく形を保ち続けていた。

 

 第二に、術式を成立させるだけの膨大な呪力が存在した。

 

 完成した喪呪路から共有される、途切れることのない呪力。

 

 日本全土から回収され、正のエネルギーへ変換されながら循環するその力を借りることで、真依は本来なら到底維持できない規模で「再現」を発動することができた。

 

 それでも、条件が揃っただけでは、死者の蘇生は成し得なかった。

 

 真依は最後の代償として、自らに残されていた()()()()()()を差し出した。

 

 それだけではない。

 

 ()()()()()()を手放した。

 

 最愛の姉の手をもう一度掴むために、自らが持つ天賦の才も、呪いに愛された証しも、惜しむことなく放り出した。

 

 たとえそこまでしても、成功する保証はなかった。

 

 蘇った肉体へ魂が定着するのか。

 真希が再び目を覚ますのか。

 

 誰にも分からなかった。

 

 それでも真依は、僅かに残された可能性へ手を伸ばした。

 そして、その希望を手繰り寄せた。

 

 家入は真希の顔色や立ち姿を改めて確認し、医師としての口調に戻った。

 

「それならよかった。検査結果にも問題はなかった。ただ、完全に死んだ状態から肉体を再構築された人間なんて、私も診たことがない」

 

 真希は黙って話を聞く。

 

「今は異常がなくても、今後何が起きるかは分からない。無茶はするな。定期的に検査も受けろ。せっかく戻ってきたんだから、身体は大事にしろよ」

 

「分かりました」

 

 真希が素直に答えると、家入は僅かに目を細めた。

 

「随分と聞き分けがよくなったな、反骨心はどうした?」

 

「あぁ、黄泉(アッチ)に置いてきちまったからな」

 

 家入はやれやれと、屋上の扉へ向かう。

 

「じゃあ、私は戻る。何かあったらすぐ呼べ」

 

 扉が閉じる音が響き、屋上には真依と真希だけが残された。

 風が二人の髪を揺らす。

 

 互いに向き合ったものの、どちらもすぐには言葉を発しなかった。

 

 先に口を開いたのは真希だった。

 

「真依」

 

 迷うように一度視線を落とす。

 

「その……すまなかった」

 

 短い言葉の中には、あまりにも多くの意味が込められていた。

 

 置いていこうとしたこと。

 一人で強くなろうとしたこと。

 真依の気持ちを知りながら、振り返ることができなかったこと。

 そして、最後には自分の命まで背負わせたこと。

 

 真依は呆れたように眉を下げた。

 

「何言ってるのよ、もう」

 

 怒ることも、責めることもできた。

 けれど、再び目の前に立つ姉を見ていると、そんな言葉はどれも必要ないように思えた。

 

 真依は少しだけ笑う。

 

「護ってくれて、ありがとう。お姉ちゃん」

 

 真希は一瞬目を見開き、それから表情を緩めた。

 

「ああ」

 

 短く笑い、真依を真っ直ぐに見る。

 

「ありがとう、真依」

 

 呪力を持たない姉。

 呪力を棄て去った妹。

 

 二人を縛り続けていた禪院家は、もうない。

 

 互いを引き裂いていた呪いも、今はない。

 

 呪いから解放された二人の姉妹の人生(たび)は、ここから再び始まる。

 

 それは、誰かに決められた道ではない。

 一族の価値観に従うためでも、過去に復讐するためでもない。

 二人が自分たちの意思で選び、並んで歩いていく人生だった。

 

 しばらく街を眺めてから、真依が手を叩いた。

 

「さて。健康状態には問題ないってことだけど、ご飯でも行く?」

 

「そうだな」

 

 真希は少し考え込む。

 

「まずは……」

 

「まずは?」

 

 真依が首を傾げる。

 

 真希は真剣な顔で答えた。

 

「憂太に説教しに行くか」

 

 真依は一瞬きょとんとしたあと、声を上げて笑った。

 

「……ははっ。了解」

 

◆◆◆

 

 その後、二人は乙骨憂太のもとを訪れた。

 

 しかし、蘇った真希を目の前にした乙骨が人目も憚らず涙を流したため、真希の説教は当初の予定よりも大幅に短くなったという。

 

◆◆◆

 

 死滅回游は、その機能を完全に失った。

 

 結界の多くは消滅し、残されたものも順次解除されていった。

 

 日本全国は決戦と死滅回游によって甚大な被害を受けたが、生き残った者たちの手によって復興が進められている。

 

 瓦礫が撤去され、道路が繋ぎ直され、失われた街には少しずつ人が戻り始めた。

 

 受肉した過去の術師である泳者についても、検討と対応が進んだ。

 

 すべてが穏便に解決したわけではないが、無秩序な殺し合いは終わりを迎えつつあった。

 

 完成した喪呪路には、日本全土の呪力が流れ込んでいる。

 

 五条悟の遺志によりアップデートされた喪呪路は、集められた呪力を正のエネルギーへ変換し、各地へ循環させ続けていた。

 

 その影響か、以前のように澱んだ空気を感じる場所は少なくなった。

 

 人々から漏れ出した呪力が蓄積しにくくなったことで、自然発生する呪霊はほとんど姿を消した。

 

 回収した呪力をエネルギーとして活用する案も次々に出ている。

 

 呪霊による被害が完全になくなったわけではない。

 

 特殊な条件下で生まれる呪いは今も存在している。

 

 一方で、泳者を含む呪詛師による事件は僅かに増加した。

 

 呪霊が減ったことで、呪術師たちの主な役割は、呪詛師や呪物による被害への対処へと移りつつあった。

 

 呪いの存在は公のものになったものの、世界を満たす空気は以前より軽い。

 

 少なくとも、呪いが生まれ続けることを当然として受け入れる時代は、終わりへ向かっていた。

 

◆◆◆

 

 

 今は誰もいない、静かな部屋。

 

 窓から差し込む柔らかな日差しが、床の上へ細長く伸びている。

 

 机も椅子も、そこにいた者が少し席を外しただけのように残されていた。

 

 窓辺には、千切れた黒いミサンガが置かれている。

 

 風が吹き込むたび、切れた糸の先が僅かに揺れた。

 

 

 

 

「これからの彼らの――」

 

「――最寿(もじゅ)(たび)(ねが)うよ」

 

 

 

――『呪術廻戦 喪呪路』 了




次があれば
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