「……何故、そう思うのですか?」
秦碧玉は否定も肯定もしなかった。
趙活は手近にあった胸壁に腰掛けると、彼女にも座るよう促す。
「師妹が錦香宮に行った時の話を聞いたよ」
「…………」
「温夫人は君の願いを退けた事を『聖人不得已而用之』と評したそうだよ」
「李白の『戦場南』ですか」
「兵は凶器であり、聖人は
戦場南は戦争の理不尽さを詠った詩だ。その中で老子の言葉を引用しこう伝えている。
『戦争を行うのは凶器であり、聖人君子は仕方なく戦争する時にのみこれを用い、用いる時でもそれに執着しない』
執着。温夫人はその執着をこそ、秦碧玉の中に見出したのだろう。
秦碧玉の表情が険しくなる。どうやら当たりのようだ。
趙活は続けた。
「けれど俺には君が無意味に戦をしたがっているとはどうしても思えない。それならわざわざ唐門に来ないで、何処かで傭兵にでもなれば良い。君は武功を磨き、実力を持って戦に出て――そこで、意味のある死を迎えたい。そう思ってるんじゃないかってね」
「何故そんな風に考えたのですか?」
「俺にも一時期あったからさ。大侠として誇り高い死に様を示せば、そうすれば世間が俺を見る目もちょっとは変わるんじゃないかってね」
もっとも、そんな考えはすぐに吹き飛んだ。そもそも自分には才能が無く、日々を生きる事に追われていたからだ。まずは唐門の内弟子を目指す、そんな目先の目標を追う内に死のうなどという考えはあっという間に消えていった。
趙活が自嘲するように語ると、秦碧玉の表情は幾らか和らいだ。
彼女も趙活が自身と少しは似ている事をこの数か月で自然と感じ取っていた。
「趙師兄、少し話を聞いて貰えますか?」
趙活が頷くと、彼女は少しずつ自分の身の上を語り出した。
「私の父、秦鉅は臨安で大宋皇帝陛下にお仕えしていました。父が蕲州の副知事に任命された時の事です。廷臣の一部から声が上がりました」
『秦鉅はあの奸臣秦檜の曾孫だ、そんな人物に金との前線を任せて良いのか!?』
朝廷内でも既に秦檜の評判は散々なものとなっていた。孝宗が岳飛将軍の名誉を回復して以来、廷臣達の間でも秦檜は奸臣であり抗金の名将を陥れた者として扱われていたのだ。死後の王爵がはく奪されていた時期すらある。
そんな秦檜の子孫は当然朝廷でも良い顔をされず、このように万座であげつらわれる事すらあった。秦碧玉の父、秦鉅も例外ではない。
「それでも一部の将軍からの支持があり、父は蕲州へと赴任しました。家族も一緒で、私も少し前までは蕲州に住んでいました」
「少し前までは?」
「ええ。蕲州が金の侵攻を受けるまでは」
金軍、大挙して南下し蕲州へ侵攻。この時秦鉅は知事である李承志と共に出陣、壮絶な市街戦を繰り広げるも衆寡敵せず敗北した。李承志は戦死し、秦鉅は敗軍を纏め蕲州城まで撤退する。そして城や食糧庫に火を放った。
「兵達は父を助け臨安まで撤退するよう説得しましたが、父は聞き入れませんでした」
『私は祖国の為に死ぬ、お前達は生きよ!』
「そう叫び、父は壮絶な戦死を遂げました。兄の秦君と秦熙も父に殉じ、炎の中に身を投じ帰ってきませんでした」
「…………」
趙活は声も出せなかった。あの奸臣秦檜の子孫が、金との前線でそのような壮絶な最期を遂げていたなど知らなかったのだ。
秦碧玉は顔を歪め、嘲笑するように語る。
「父の死後、人々は掌を返すように父や兄たちの事を褒め称えました。彼らこそ抗金の名将、忠勇無双の烈士であったと。奸臣の子孫と罵倒した事などすっかり忘れて!」
「秦師妹、つまり君は……」
「私は悟ったんです。あぁそうか、私も……」
彼女は手をきつく握りしめ、絞りだすように言った。
「私も、同じように死ねば赦されるのだと」
趙活は己と秦碧玉の違いをはっきりと理解した。
彼女は赦されたい、自分が居ても良い居場所が欲しい、そしてその方法も知っている。彼女もまた、父と同じような最期を遂げる事で奸臣の子孫という汚名を雪ごうとしているのだ。
「君は、その為に唐門へと来たのか」
「……唐門の皆様が私を疑っている事は知っています。そして疑いながらも受け入れて下さった事には感謝しております。ですが私の目的はただ一つ、武芸を学び死に場所を得る事です」
「けれど、君もまだ外弟子で……」
「掌門から合同練習を見て学ぶ許可は頂きました。一人で学ぶよりかは余程良いです」
「師妹」
「話は以上です。おやすみなさい、師兄」
自分と彼女の違いがよく分かる。彼女は貴種であり、名誉を何よりも重んじるのだ。彼女にとっての人生とは、己に流れる奸臣の血、その汚名をいかに払拭するかの試行錯誤だったのだろう。
趙活は部屋へと戻る彼女の背中をただ見つめていた。
「馬鹿な女よね、本当」
声がした方を見ると、胸壁の下から葉雲裳が顔を覗かせていた。どうやら今の話を全て聞いていたらしい。
「そんな言い方は無いだろう。何を生きる理由とするかは人それぞれさ」
「美人だからって贔屓に見ちゃダメよ、それは私にだけすれば良いの!」
「君の傍若無人っぷりは相変わらずだな」
「あの人はね、自分から呪いにかかりに行ってるのよ。うちのお兄ちゃんと同じ、器用に生きられない馬鹿ってコトよ」
彼女の兄、蒼松剣客・葉雲舟。岳飛将軍の舟となる事を定められた男。
「葉兄は血を誇りに思っている、真逆じゃないかな」
「同じよ。自分に責任の無い事で自分自身の生き方を縛って、勝手に苦しんで勝手に自滅しようとしてる。ああ腹立たしい、本当にそっくりなんだから!」
「……そうかもな」
「その点趙お兄ちゃんは立派よ。自分に責任の無い顔の醜さで苦しんでるけど、それに縛られてはいないもの」
「褒められてるのか?」
「最大限の賛辞よ、感謝なさい~」
脇腹をぺしぺしと突かれ悶えながら趙活は考える。
彼女をどうすべきか。これからどのように扱うべきか。
彼女の死を望むわけではない。数か月とはいえ同じ外弟子として頑張ってきた身だし、多少は移った情もある。死んでほしいわけがない。
では彼女の意思を変えるべきなのか。それも並大抵の事ではあるまい。彼女に流れる血と『奸臣の子孫』という汚名。その苦痛は他人が計れるものではない。その苦痛を背負って生きろと言う理由も資格も、趙活には無い。
彼女の本懐を遂げる邪魔はしたくないが、死んで欲しくもない。二つの意思が趙活の中でせめぎ合っている。
「難しいなぁ」
「なぁにお兄ちゃん、これでもまだあの女に構う気なの?」
「放っておけないんだ、久々にできた外弟子の後輩だし」
「それに美人だし?」
「君はそればっかりだな」
「男が美人に弱くて世話を焼きたがるのを、身を持って理解してるってコトよ」
「そうだな、俺も小師妹の世話なら喜んで焼きたい」
「もう一人美人の妹も、でしょ?」
「はいはい、その通りでございます」
「よろしい!」
満足そうにふんぞり返る雲裳を適当にあしらいながら考える。この件は多分、自分ひとりでは解決しない。
自分と秦碧玉は似ているが、似ているが故に手出しできない部分がある。彼女の意思を変えるには、別の視点が必要になるのではないか。
しかし先程の会話でも分かるように、秦碧玉の意思は固い。彼女自身の何かを変えるなら、その利益になるようなものを与えつつ思考を誘導するような……
「……まぁ、やってみるか」
趙活はため息を吐いた。
掌門はこんな面倒な事になるのを分かって秦碧玉の世話を自分に任せたのだろうか。いや、多分分かっていたのだろうと、奇妙な確信があった。