光射すスタジアムの青々とした芝の上。肺が焼け焦げるような荒い呼吸を繰り返し、両膝に手をついて立ち尽くす緑谷出久の眼前には、額に汗一滴すら浮かべていない涼しい顔の同級生、五条枢の姿があった。
「そんな、だって……さっきスタートしたばっかりなのに。いつ、僕たちを抜いて……」
続々とスタジアムへと帰還し芝生の上に倒れ込んでいく他の生徒たちを後目に、緑谷の震える声が眼前の五条へと向けられる。
先程のプレゼント・マイクによる絶叫めいた実況が正しければ、枢がスタートゲートを飛び出したのは自分たちが最終関門の地雷原に辿り着いた頃合いである。戦闘訓練で見せた彼の規格外な“個性”を考慮すれば、障害物を無視して一直線に突き進める理屈はわかる。しかし、五分という途轍もないハンデをひっくり返して首位に立つなど、到底不可能だと緑谷の頭脳は弾き出していた。
そんな疑問と驚愕、そしてある種の絶望感に満ちた緑谷の眼差しに応えるように。
枢はなんでもないことのように軽い調子で、遅れてゴールし唖然と立ち尽くしている轟焦凍と爆豪勝己へも視線を向けた。
「そう難しい話じゃないよ。『蒼』───つまり引力の対象を自分自身に設定してここまで引っ張ってきたってだけ。いつ抜いたのかって言われたら、緑谷が地雷かき集めてデカい爆発起こした時かな」
あれ煙かったわー、と枢は顔の前で手をパタパタと扇ぎ、アイマスクの下で碧眼を細める。
空間そのものを引き寄せる引力の操作。常人の理解を超越した移動手段の理屈もさることながら、緑谷は枢の言葉に含まれていた決定的な事実に息を呑んだ。自分が装甲板で地雷を集めていたこと。それは、あの煙と爆風に包まれた一瞬の出来事を、枢が真横で、あるいは上空から正確に視認していたという確固たる証明に他ならない。
「(本当に、あの爆発の最中に僕たち全員を置き去りにしたっていうのか……!?)」
嘘ではない。枢の言葉が紛れもない事実であると緑谷の脳は理解していたが、しかし、自分たちが泥に塗れ、文字通り死に物狂いでここまで辿り着いた血の滲むような過程を鑑みれば、そうおいそれと彼の言葉に納得を示すことなどできるはずがなかった。
そして、その事実を受け入れられないのはスタジアムを埋め尽くす観客たちも同様だった。
最初こそ、五分間の沈黙を破ってトップでゴールテープを切った白髪の少年に割れんばかりの歓声が送られていた。だが、熱狂が少しずつ冷め冷静な思考が戻るにつれて、観客席のあちこちからは驚愕と困惑、そして猜疑の眼差しが向けられ始めたのだ。
『おい、いくらなんでも早すぎないか……?』
『本当に外周四キロのコースを守ってゴールしたのか?』
『空中に浮いてたし、ショートカットしたんじゃないのか。あるいはワープ系の“個性”とか……』
『そもそもマイクが言ってた無限を操るってどういう“個性”なんだよ』
群衆心理が生み出す、得体の知れない存在への疑念。理解が及ばないことを良いことに不正をしたのではないかという声が飛び交い、スタジアム全体に不穏なさざ波が広がっていく。
しかし、疑いの声を一身に浴びる枢本人は、悪びれる様子もなくただ苦笑を零すだけだった。スタート前に『検証の用意をしておいてくれ』とミッドナイトに告げていた通り、この状況すら彼にとっては計算済みの光景であり、焦りなど微塵も存在しなかった。
「───静粛に!!」
不穏な空気に包まれ始めたスタジアムの観客たちを一喝し沈黙させたのは、全選手のゴールを確認し終えたミッドナイトからの鋭く通る一声であった。
演台の上に立つ彼女は、鞭を高く振り上げ、若人たちの懸命な青春に根拠のない疑念で水を差そうとする不届き者たちへ向けて抑えきれない怒りを露わにしていた。
「生徒の純粋な努力と実力を疑うなんて大人として恥ずかしくないのかしら! ……でもこうなることは予想していたので、彼の言う通り運営側で検証映像の準備は万全にさせて貰いました!」
ミッドナイトが手にした鞭を勢いよく振り下ろすと、スタジアムの四方に設置された巨大なメインモニターの画面が切り替わった。
彼女は枢がコースを逸脱するなどの不正を一切行っていないという明確な証拠を提示するため、中継用のカメラが捉えた映像をスタジアム全体に映し出すよう指示を下したのだ。
「…………は?」
数秒後。
メインモニターに映し出されたその光景を前に、思わず緑谷の口から気の抜けたような、間抜けな声が零れ落ちた。
彼の視線の先。そこには障害物競走のコース各所に設置された定点カメラの映像の一部が映し出されており、コマ送りで出力されるその鮮明な画像の中には確かに五条枢の姿が記録されていた。
元より、緑谷は枢が不正を行うような人間だとは露ほども考えていなかった。圧倒的な実力を持つ彼が、自らのプライドを汚すような小細工をする必要など皆無だからだ。
しかし緑谷が呆然と声を漏らした原因は、枢が映っていたことそのものではなく、その映像に切り取られた
「何やってんだ、てめェ……」
緑谷の横で、爆豪が地の底から響くようなドス黒い声で唸り、額に何本もの青筋を浮かび上がらせていた。
その怒りに満ちた言葉を受け、枢は全く悪びれることなく、むしろ当然のことだとでも言わんばかりに肩を竦める。
「いや、こうなるって分かってたし。だったら映りは良くしときたくない?」
「……バカ目隠しかよ」
最早怒りを通り越して深い呆れを露わにする爆豪。彼らのやり取りを聞き、放心していた緑谷は改めてメインモニターを仰ぎ見た。
第一関門『ロボ・インフェルノ』の巨大な鉄屑が降り注ぐ死地において、背後の爆発をバックにカメラ目線で満面のダブルピースを決める枢の姿。
続く第二関門『ザ・フォール』では、深い谷底の上空を引力で飛翔しながら、中継ドローンのレンズに向かってアイマスクを少しだけズラし、ウインクを投げかけている。
極めつけは最終関門の地雷原。緑谷が起こした大規模な連鎖爆発の猛烈な炎と土煙を背景に、まるでファッション誌の表紙かのように風に煽られる白髪を片手で優雅にかき上げ、流し目でカメラを見つめる謎のモデルポーズ*1をキメていた。
圧倒的な速度で移動する最中、各所に配置されたカメラの位置とシャッターのタイミングを『六眼』で正確に逆算し、その一瞬のためだけにポージングを決めるという、無駄すぎる労力と異常なまでの余裕。
観客が抱いていた「ワープをしたのではないか」「コースを外れたのではないか」という猜疑心は、各関門を確実に通過している決定的な証拠写真によって見事に払拭された。しかし同時に、あまりにもふざけきったその写真の数々は、必死に泥に塗れてゴールを目指した生徒たちと、真剣にレースを見守っていたプロヒーローたちの感情の行き場を完全に失わせていた。
「───はい。という訳で、彼が不正などを行っていないことは全員確認できたわね? それじゃ結果発表に移っていくわよ!」
『『『はいじゃないが!!?』』』
スタジアムを包む得も言われぬ沈黙を強引に打ち破ったのは、進行を滞らせるわけにはいかないミッドナイトの強硬な宣言だった。あまりにも力技すぎる切り替えに、数万の観客から一斉に統制の取れた見事なツッコミがこだまする。
時間も押しているため、これ以上の追及を諦めて早く次の競技の説明に移りたいミッドナイト。
いやあのポーズ群は何なんだと、モニターの映像に対する説明を求めるプロヒーローたち。
それはそれとして、大画面に映し出されたアイマスクを外した枢の端正な顔立ちとモデル顔負けのスタイルに黄色い悲鳴と歓声を上げる観客たち。*2
「バカだらけかよ……」
「は、はは……」
数万の人間がそれぞれの感情を爆発させ、混沌と化したスタジアムの中心地。
その喧騒の只中で、深い嘆息を零す爆豪勝己と、もはや乾いた笑いを浮かべることしかできなくなった緑谷出久という、ある意味で雄英らしい奇妙な日常の光景が広がっていた。
☆
波乱と困惑、そして前代未聞のパフォーマンスによって幕を閉じた第一種目、障害物競走。
スタジアムを包み込んでいた異様な喧騒が緩やかに落ち着きを取り戻していく中、広大な芝生のフィールドには、過酷なサバイバルレースを生き残った四十三名の生徒たちが集結していた。
泥と汗に塗れ肩で息をする彼らの姿は、外周四キロメートルの悪路でどれほどの死力を尽くしてきたのかを如実に物語っている。しかし、その集団の最前列に立つただ一人の少年───五条枢の体操服にだけは、土埃一つ、汗の染み一つ見当たらない。
その異質すぎる光景が放つ強烈な存在感を前にしても、進行を務める18禁ヒーロー・ミッドナイトはプロとしての矜持を保ち、手にした革鞭を空中で鋭くしならせた。
空気を裂く硬質な破裂音が、会場を再び引き締める。
「───それじゃ気を取り直して、第二種目の発表よ! 栄えある本戦第一回戦、第二種目は……コレ!!」
彼女の背後に設置された巨大なメインモニターに、幾つもの競技名が敷き詰められたデジタルのルーレットが映し出される。
目まぐるしい速度で回転する文字の羅列を、本戦へと駒を進めた四十三名が固唾を呑んで見守る。やがて回転は徐々に速度を落とし、赤い矢印が一つの枠を指し示して停止した。
モニターに大写しにされた競技名を見て、観客席からどよめきが沸き起こる。
『騎馬戦』
体育祭の定番として親しまれてきたその名に、枢はアイマスクの下で僅かに目を丸くした。
「へー、珍しい」
思わず感心の声が零れ落ちる。
どちらかと言えば、この手の競技は体育祭本選の合間のレクリエーションとして用意されるのが定石だ。しかし今回、個々人の圧倒的な“個性”がぶつかり合うヒーロー科の体育祭において、他者との連携を強制される前時代的な団体競技が本選で鎬を削る役割として組み込まれている。
運営側が一体どのような意図を持ってこの競技を持ってきたのか。その悪戯心に満ちた采配に、枢は口端を吊り上げて楽しげな笑みを浮かべた。
「参加者はまず、二人から四人のチームを自由に組んで騎馬を作ってもらうわ! ただし、普通の騎馬戦と違って特殊ルールが二つ存在します!!」
ミッドナイトは演台の上を艶かしく歩きながら、ルールの詳細を説明していく。
曰く、先程の障害物競走の順位によって各生徒にはあらかじめポイントが割り振られているという。最下位の五ポイントを起点に、順位が上がるごとに十、十五と五ポイントずつ増えていく。そしてチームを組んだメンバーの合計値がその騎馬の『保持ポイント』となる。
騎手を務める選手は合計ポイント数が印字されたハチマキを頭部に装着し、競技終了の合図が鳴るまでそれを奪い合い、最終的な保持ポイント数を競うのが今回の目的だと彼女は告げた。
「与えられるポイントは下から五ずつ増えていく……障害物競走を一位で通過した彼を除いてね」
その瞬間。
ミッドナイトの蠱惑的な声音に、微かな、しかし明確な嗜虐の響きが混じった。
「……ん?」
誰と騎馬を組むべきか、そもそも自分の能力を考えれば誰と組んでも同じではないかと漫然と思案していた枢は、不意に投げかけられた不穏な気配に小首を傾げる。
そんな枢の反応を面白がるように、ミッドナイトは唇を三日月の形に歪め、スタジアムの隅々にまで届く声で高らかに宣言した。
「第一位に与えられるポイントは一千万!! よって、予選通過トップの五条枢くんのみ、持ちポイントが一千万になるわ!!」
一千万。
その途方もない数字がスタジアムに響き渡った直後。フィールドの空気が、文字通り一変した。
「面白いじゃん」
枢の全身に、四十二人分の射抜くような鋭利な眼差しが一斉に突き刺さる。
ミッドナイトの言葉が意味するところは明白だった。どれだけ底辺の成績で這い上がってきた者であろうと、合計ポイントの低い寄せ集めの騎馬であろうと、たった一つ、あの白髪の少年の頭に巻かれたハチマキさえ奪い取ってしまえば、問答無用で首位に躍り出て本戦通過が確定する。
五条枢という存在は、この瞬間から全員にとっての『勝利の切符』そのものへと変貌を遂げたのだ。
障害物競走においては誰も触れることすら叶わない理不尽なまでの実力差を見せつけられた。だが今回の競技は個人戦ではなく団体戦。一人でダメでもチームでならと言わんばかりに、一千万という莫大な賞金首を前に生徒たちの瞳に宿っていた畏怖が野心と闘争心という名の炎へと塗り替えられていく。
爆豪が獲物を狙う猛禽類のように枢を睨みつけ、轟の瞳の奥には静かな闘志の火が揺らぐ。緑谷は思考をフル回転させるように顔つきを引き締めていた。
全員が自分の首を狙ってくる。誰一人として味方など存在しない、四十二対一という包囲網。
四面楚歌の状況下に置かれたというのに、枢の端正な顔立ちには焦りの色など欠片も浮かんでいない。むしろ退屈な日常に極上のスパイスが投下されたことを喜ぶかのように、不敵な笑みが深まるばかりだった。
「そして特殊ルールの二つ目。例えハチマキを取られようと、騎馬が崩されようと、その選手たちはアウトにはならないってところ!」
ミッドナイトの追加説明が、生徒たちの間にさらなる衝撃をもたらす。
つまり、一度ハチマキを奪われたからといって諦める必要はない。奪われたならば奪い返せばいい。時間制限が訪れる最後の1秒まで、誰もが勝者になる可能性を残されたまま、絶え間ない略奪劇が繰り広げられるということだ。
「諦めない限りチャンスは時間いっぱい存在し続ける───十五分間の下剋上サバイバルよ!!」
観客席から、血湧き肉躍るような熱狂的な歓声が沸き起こる。
競技者たちの疲労を度外視した、残酷なまでにエンターテインメント性に特化したルール設定だ。
「もちろん、予選同様に“個性”の発動はアリ。ただし、これはあくまで騎馬戦よ。悪質な崩し目的での攻撃だったり、騎馬という形態を無視した度が過ぎる単独行動はレッドカード! 一発退場とするから十分に気を付けるように!!」
注意事項を述べる際、ミッドナイトの双眸が意図的に、そして極めて露骨に枢へと向けられた。
それは運営側から突きつけられた名指しの警告に他ならない。
障害物競走において空間ごと自身を引き寄せるというデタラメな移動手段を見せたこの少年が、騎馬を組まずに単独で空へ逃亡してはゲームそのものが破綻してしまう。それらの行為を未然に封じるためのルール設定なのは明白。
「(信用ないなぁ……)」
自分に向けられた無言の圧力に対し、枢は内心で苦笑を零しながら肩を竦めた。
しかし運営側が頭を悩ませて用意したその枷すらも、今の彼にとっては遊戯のルールの一つとして心地良い制限でしかない。枢はミッドナイトの懸念を払拭するように、了承の意を込めて軽く頷きを返した。
「それではこれより十五分、チーム決めの交渉タイムを設けます! ───よーい、スタート!!」
開始を告げる号砲がスタジアムに鳴り響く。
その瞬間、芝生の上の生徒たちの間に、かつてないほどの激しい動揺と困惑の波が押し寄せた。
「おい、どうする!? 誰と組む!?」
「とにかく機動力がある奴と……いや、一千万を狙うなら攻撃力の高い“個性”が必須だ!」
「いっそのこと五条と組むってのは……いやでも、それは正直プライドが……」
「でも五条と組んだら、問答無用で全員から狙われる的になるってことだろ……!?」
一千万という莫大なポイントを前に、生徒たちの思考は二極化していた。
枢を打倒し、名実ともにトップの座を奪い取るための最強の布陣を模索する者。そして、枢と同じチームになれば騎馬戦通過は確実だと理解しつつも、他の騎馬から集中砲火を浴びるという余りにもリスキーな立場を恐れ、彼への接触を躊躇う者。
打算と恐怖、野心と保身が入り混じり、誰もが互いの顔色を窺いながら牽制し合う息の詰まるような交渉の時間が始まった。
しかし。
周囲の生徒たちが誰に声をかけるべきか迷い、蜘蛛の子を散らすように距離を取り始めたその只中で。
渦中の人物である五条枢は、周囲の迷いなど端から存在しないかのように真っ直ぐに演台の前へと一歩進み出た。
その堂々たる歩みに、周囲の生徒たちの動きがピタリと止まる。
全員の注目が彼の一挙手一投足に集まる中、枢は空を見上げ、その右手を高らかに天へと掲げた。
人差し指を一本だけ立てる。まるで幼い子供が公園で遊び仲間を募るかのような、ひどく無邪気で、それゆえに常軌を逸したポーズ。
そして静まり返ったフィールドに、朗らかで絶対的な自信に満ちた彼の声が響き渡る。
「騎馬戦勝ち上がりたい奴、この指とーまれ!!」
一千万という十字架を背負う自覚など微塵も感じさせない、あまりにも軽薄な勧誘。
自分に群がってくるであろう四十二人の猛者たちを前にして、敗北の二文字など脳裏の片隅にすら存在しないことを証明する大胆不敵な宣言だった。
「あ、ちなみに早い者勝ちね」
付け足すように放たれたその言葉に、生徒たちの間に一瞬の、氷のような静寂が走る。
圧倒的な強者の余裕。あるいは、自分たちを数すら数えられない有象無象として見下す傲慢。
真意を測りかね、誰もが一歩を踏み出すことを躊躇った、永遠にも似た数秒間。
だが、その均衡は唐突に破られた。
「ハイハイハイハイハイッ!」
張り詰めた空気などお構いなしに。恐怖や打算といった感情など一切持たないかのように、迷う様子を微塵も見せずに集団の輪の中から抜け出した影が一つ。
誰よりも早く、一直線に枢の元へと駆け寄り、その高く掲げられた指へ向けて自らの手を力強く伸ばした一人の少女がいた。
「一位の人! 是非、私と一緒に組みましょう!!」
高く掲げられた枢の右手へ力強く自身の手を重ねた少女の名は、発目明。
頭部に装着した特注のゴーグルが示す通り、彼女はヒーロー科の生徒ではない。雄英高校の開発工房で日夜機械と向き合うサポート科の所属でありながら、並み居る実力者たちを押しのけて過酷な障害物競走を勝ち上がってきた異端の存在だ。
そんな彼女の瞳の奥には、恐怖や緊張などという感情は欠片も存在しない。自らが丹精込めて作り上げたサポートアイテムを全国中継されるこの大舞台で大企業にアピールしたいという、燃え盛る商魂と狂気的なまでの情熱だけが渦巻いていた。
「あなたと私のドッ可愛いベイビーたちが手を組めば正に鬼に金棒! 必ずや勝利をお約束します!!」
発目は握りしめた枢の手を上下に激しく振り立てながら、周囲の目を一切気にすることなく怒涛の勢いで捲し立てる。
今このスタジアムで最も注目を集めているのは、紛れもなく常軌を逸した手段で予選を一位通過したこの白髪の少年だ。彼と組めばカメラの焦点は否が応でも自分たちに向く。それこそが彼女の最大の狙いだった。
「申し遅れました、私サポート科の発目明です! サポート科はヒーローの“個性”をより扱いやすくするための拡張装備を開発する部門! 私、今回の体育祭に向けて数多のベイビーたちを用意してきましたので、きっとあなたに見合う最高の相棒が見つかると思います!!」
息継ぎの暇すら与えない矢継ぎ早なアピール。彼女は身につけた様々な機械部品を指差し、金属の摩擦音や小型モーターの駆動音を響かせながら自らの発明品の素晴らしさを熱弁していく。
「これなんてどうでしょう! とあるヒーローのバックパックを参考に独自解釈を加えた、まさに今回の騎馬戦に打ってつけと言えるベイビーなんですが───」
「うん、採用!!」
発目が背負った重厚な金属製アイテムのプレゼンを始めようとした矢先。
枢は彼女の言葉を遮るように、いっそ清々しいほどの即答で親指を立ててみせた。
一千万ポイントという十字架を共有するチームメイトの選定。他の生徒であれば、“個性”の相性や身体能力を慎重に見極めるであろう重要な交渉を、枢はたった数十秒でアッサリ終わらせてしまったのだ。
思考回路は至極単純。「サポートアイテムという未知の装備を使って遊ぶのは純粋に面白そう」という、ただそれだけの理由である。ヒーロー科の生徒たちが抱くような泥臭い勝利への執着や因縁よりも、自らの好奇心とエンターテインメント性を優先する枢にとって、発目のような私欲と情熱に満ち溢れた人間はむしろ好ましかった。
「本当ですか!? やりました、慧眼です一位の人!!」
枢の快諾に、発目は歓喜の声を上げてその場で大きく飛び跳ねた。
「それではあなたの体格と戦術に合わせて至高のベイビーたちを厳選してきます! 準備が出来たらすぐにお持ちしますので、少々お待ちください!!」
言い残すや否や、発目は自らの工房エリアとして割り当てられている待機所へ向けて弾かれたように駆け出していった。
嵐のように現れ、嵐のように去っていった少女の後ろ姿を眺めながら、枢は呆れるどころかアイマスクの下で愉快そうに目を細めていた。
「(面白い子だなー。自分の目的のためなら周りの空気とか一切読まないあの姿勢、ぶっちゃけ嫌いじゃないよ)」
誰もが一千万という数字に及び腰になる中、己の利益のために真っ先に飛び込んできた彼女の精神力はある意味でヒーロー科の誰よりも強靭かもしれない。
そんな感心を抱きつつ、残りのメンバーをどうするかと思考を巡らせようとしたその時。枢の傍らへ、音もなく忍び寄る二つの人影があった。
「俺たちもいいか?」
「……」
落ち着いた、しかしどこか影のある低い声。
振り返った枢の視界に映ったのは、無造作に逆立った紫色の髪を持つ少年と、その後ろで操り人形のように力なく佇む金髪の少年の姿だった。
紫髪の少年───心操人使は、以前1-Aの教室前に集まった群衆の先頭に立ち、ヒーロー科へ向けて明確な宣戦布告を叩きつけてきた普通科の生徒である。
その後ろに控えているのは、枢の同級生であるヒーロー科の青山優雅。しかし、その虚ろな双眸には一切の光が宿っておらず、まるで意識を別の場所に奪われているかのように焦点が定まっていなかった。
これによって発目を含めて四人という騎馬戦の最大定員を確保したわけだが、枢はすぐに首を縦には振らず、アイマスクの下の『六眼』で彼らの状態をじっくり観察しながら問いかけた。
「いいの? 俺、一応君が目の敵にしてたヒーロー科の人間なんだけど」
つい先日「宣戦布告に来たつもり」と敵意を露わにしていた男が、よりによってその筆頭とも言える自分に擦り寄ってくるという矛盾。
意図を問う枢に対し、心操は自らの首の後ろを軽く掻きながら、至極冷静な声で言葉を紡いだ。
「別にヒーロー科の生徒全員を無条件に恨んでるって訳じゃないさ。俺はただ、ヒーロー科の席を奪い取るための最短ルートを選びたいだけだよ」
心操の視線が、未だチーム結成に手こずっている他クラスの生徒たちを横目で捉える。
「それに俺の“個性”の性質上、できることなら本戦の最終種目まで能力の詳細を隠してなるべく温存しておきたいんだ。……だったら、自分一人でもどうとでもなりそうなアンタを利用して、安全に上へ連れて行ってもらうっていう判断は合理的だろ?」
一千万という莫大なポイントを保持している以上、枢のチームは競技開始と同時に全チームからの標的になる。しかし裏を返せば、枢の圧倒的な“個性”を盾にできれば、自分は労せずして決勝トーナメントへ進出できるという算段だ。
プライドを捨てて最強の虎の威を借る。真っ向からの力勝負に不向きな自身の“個性”を理解し尽くしている心操ならではの、狡猾でクレバーな生存戦略だった。
「はは、相澤先生が好きそうな考え方だ」
その徹底した合理主義に、枢は担任の顔を思い浮かべて声を上げて笑った。
無駄なプライドに固執して敗北するより、利用できるものは何でも利用して勝利をもぎ取る。ヒーローとして生き残るために必要な冷徹な思考を、普通科の彼がすでに持ち合わせているという事実は枢にとって非常に興味深いものだった。
「……いいよ。どっちにしろ誰でも受け入れるつもりだったし」
枢は心操の提案をあっさりと受け入れた。
ただし、と。枢は薄く口角を吊り上げ、背後で虚ろな表情を浮かべている青山へと視線を流す。
「いざっていう時は、後ろの青山みたいによろしくね?」
その瞬間。
余裕の表情を崩さなかった心操の顔が微かに強張り、額の端を冷たい汗の雫が伝い落ちた。
「……やっぱバレてるんだな」
心操の“個性”は『洗脳』。
自らの問いかけに答えた対象の意識を乗っ取り意のままに操ることができるという、使い方次第では凶悪極まりない能力だ。彼は事前に青山に声をかけ、返答を引き出すことで洗脳下に置き枢の前に駒として連れてきていた。自分の能力の正体は、予選通過のために利用した生徒以外にはまだ誰にも知られていないはずだった。
しかし眼前の白髪の少年は、青山の様子を一目見ただけでその異変の正体を、そしてそれが心操の仕業であることを完璧に見透かしていたのだ。
「目がいいもんで」
「そりゃ頼もしいよ」
枢は短く答え、自身の目元を覆う漆黒のアイマスクを指差して見せた。
『六眼』の視界において、青山と心操の間に繋がる微細な“個性”のエネルギーパスなどは隠すことのできない明白な事実として全てが視覚化されている。どれだけ巧妙に隠そうとも、この眼の前で秘密を保持することなど不可能なのだ。
底知れない洞察力と能力を前に、心操は小さく息を吐き出しながらも安堵の混じった笑みを零した。
能力がバレたという焦りは選手宣誓の枢の言葉から薄々察していたためそこまで大きくはない。むしろ、これほど圧倒的な情報収集力と実力を持つ人間が味方にいるという事実が、自らの計画の成功率を飛躍的に高めてくれると確信したからだ。
自らの欲望に忠実なサポート科の奇才、発目明。
冷静沈着に虎視眈々と下克上を狙う普通科の策士、心操人使。
心操に洗脳され、己の意志を持たない砲台と化した同級生、青山優雅。
そして、全ての競技者を蹂躙し得る規格外の存在、五条枢。
各科から集まった異端児たちによる、あまりにも異様な騎馬戦チームがここに誕生した。
「(さぁて、どうなるかな……)」
十五分という制限時間が訪れるのを待つ間、枢は周囲の空気が徐々に闘志と野心に満ちていくのを感じ取っていた。
A組のクラスメイトたちをはじめとする全競技者の視線が、一千万という数字を掲げる枢の頭上へと鋭く向けられている。
誰もが彼を出し抜きその首を狩ろうと牙を研ぐ中、枢は悠然と立ち尽くし、これから始まる血湧き肉躍るサバイバルショーの開幕を心待ちにするように、静かな愉悦の笑みを深めていくのだった。
ちなみにこの後、青山くんには洗脳を解いて事情を説明し、本人同意のもと騎馬戦に協力して貰うことになったとか。