雨の夜。緑谷出久の「擬似200パーセント」の光の残骸が、静かに煙となって消えていく。
「……終わったよ、遠野さん」
出久の手の中で黒髪に戻った遠野操が普通の女の子の涙を流していた。頭の中の「怪物の電波」は完全に沈黙している。ワン・フォー・オールの歴史を賭けて出久は確かに一人の少女の人生をその日常へと引き揚げたのだ。
「よかった……本当によかった……っ」
出久は安堵の息を吐き傷だらけの身体で彼女を優しく抱き起した。誰も殺さず誰も見捨てない美しいハッピーエンド。
――そのはずだった。
「……あは。あはははは!」
数キロメートル離れた避難シェルター。近代的なコンクリートの地下空間で、避難住民のパニック感情を個性で処理しきれず頭を抱えて頽れていた男がいた。
宮下蓮、26歳。ヒーロー公安委員会・情報管理課のシステムエンジニア。
「おい、大丈夫か!?」
周囲の人間が慌てて彼の肩に手をかける。だが次の瞬間、宮下の五体から、出久の拳に弾き出されたばかりの「最悪の精神の質量」が爆発的な出力で噴出した。
「あはは! 素晴らしい! 凄いよデクくん! まさか私のシステムごと、力任せに引き千切るなんてさぁ!」
宮下の口からその地声の裏から、鈴を転がすような、無邪気で残酷な「銀髪の幼女」の声音が重なって響き渡る。
ガチ、ガチガチガチ。
シェルターの壁が一瞬にして毒々しい原色のキャンディと「錆びついた鉄の歯車」の幻影へと書き換えられていく。
操の肉体から引き千切られたフランチェスカの概念電波は、消滅などしていなかった。彼女を救うために出久が放った「光」の熱量そのものをナビゲーションにしてこの世界で最も『受信強度の高い、次の最適なアンテナ(宮下)』へと、すでに自動転移(アップデート)を完了していたのだ。
「あーあ、操ちゃんの器すっごくお気に入りだったのにな! でもいいや! 君のあの狂った正義の熱量、最高にゾクゾクしちゃった!」
宮下が顔を覆っていた両手をゆっくりと離す。
きっちり整えられていた黒髪は一瞬にして冷酷な純白の「銀髪」へと染まり変わりスーツの奥の血管が青白く幾何学模様の形に発光していた。
宮下は操のように「普通の女の子に戻りたい」などという抵抗はしなかった。日々、公安の裏方としてヒーロー社会の「汚い裏側」を見すぎていた彼の精神は、フランチェスカの狂気を、まるで極上の救いであるかのように一瞬で受け入れて(降伏して)しまったのだ。
「ケラケラ、ケラケラゲラゲラゲラゲラッ!!! あはははははははは!!!」
地下シェルターに、最悪の不協和音が木霊する。周囲の人間たちが、彼の放つ『集合無意識の劇場配信』の即死級の幻覚に脳を焼かれ、白目を剥いて次々と倒れていく。
その瞬間。
操を救いようやく立ち上がろうとしていた出久のスマートフォンがけたたましく震えた。画面に表示されたのは公安委員会の暗号回線。
出久が怪訝に思いながらも通話ボタンを押し耳に当てた瞬間。
『――もしもーし! 繋がった! ねえデクくん、操ちゃんを救えて、今どんな気持ち?』
「……っ!? 君、は……!」
受話口から響いてきたのは聞き覚えのあるあの「銀髪の幼女」の声。だがそのノイズの裏から聴こえる地声は遠野操のものではない。明らかに見知らぬ「大人の男」の声音だった。
『あはは! 操ちゃんはね、もうただの一般市民だから優しくしてあげてね。でも残念! 次の三百九十九番目の私はね、公安委員会のデータベースの鍵をみーんな握ってるんだ! ねえ、明日はどのプロヒーローの「汚い秘密」を全世界にハッキング配信してあげようか?』
出久の顔からみるみるうちに血の気が引いていく。ワン・フォー・オールの面影たちが、彼の精神世界の底でかつてない絶望の悲鳴を上げて暴れ狂う。
『君たちが何度操ちゃんを救おうと、何回私をブン殴ろうと、私は次の誰かの頭の中に何回だって引っ越しちゃうもんね! さあ、第二幕の始まりだ! 世界がおもちゃ箱みたいに壊れるまでみんなで踊り明かそうよ!!』
プツリ、と不気味な笑い声を残して、通信が切れる。
見上げれば救われたはずの保須市の空が再びじわりと血のような赤紫色の帳に侵食され始めていた。
一人の少女を救ったヒーローの光の裏で国家の最高機密を握った「銀髪の怪物」が今度は政府の内側から世界をハッキングし、玩具にするインテリジェンス・ホラーの幕が開く。
打倒不可能。永続不変。
緑谷出久のそしてヒーロー社会の決して終わることのない、底の知れない悪夢の連鎖を予感させながら世界はケラケラとゲラゲラと冷酷に嗤う不協和音の中に沈んでいくのだった。
フランチェスカの不死性をヒロアカで再現したかった話です
不穏エンドです、お付き合いありがとうございました