マキマVS藍染惣右介VS羂索 作:夢女
人間には、どうしても認めたくない不都合な現実というものがある。
――自分一人では、どうしても届かない。自分一人では、誰も守りきれない。
どれだけ泥水をすすり、どれだけ綿密な準備を重ね、経験を積もうとも、この理不尽な世界には必ず自分より「強い存在」が立ち塞がる。
それは恥ずべき敗北ではないし、根源的な弱さでもない。ただの、動かしようのない事実だ。しかし、力を持つ者ほど、才能に恵まれてしまった者ほど、その事実から目を背ける。すべてを自分一人の両肩に背負おうとしてしまうのだ。
それが高尚な英雄願望なのか、歪んだ責任感なのか、あるいは「誰かに依存し、裏切られることへの恐怖」なのかは、俺には分からない。
ただ、一つだけ確信していることがある。
一人で戦うことと、一人で孤立して抱え込むことは、似て非なるものだ。
本当に守りたいものを守るためなら、プライドを捨てて他者の泥臭い手を借りること。それもまた、立派な「戦い」の選択肢なのだ。
俺は血に濡れた指で、懐から異質な端末を取り出した。
画面に表示されているのは、羂索の連絡先。本来なら、まだ決して信用してはならない男だ。目的のためなら何千年の呪いさえ弄び、世界を混迷へと陥れる怪物の頭脳。
世界を「善人」と「悪人」だけに綺麗に分けることはできない。
人間は誰かを救うための至高の優しさと、誰かを都合よく利用する冷酷さ。その矛盾した双方が一人の人間に平然と同居しているのが、現実の人間だ。
通話ボタンを押し、数秒のコールの後、耳元に滑り込んできたのは聞き慣れたあの軽薄な声音だった。
『やぁ、アゲハ。こんな夜更けに何かな? 君から連絡をくれるなんて、何かいいことであったのかい?』
俺は一度、深く息を吸い込んだ。両足の激痛が脳を揺らす。
誰かに「助けてくれ」と頼む行為は、想像を絶するほどに難しかった。その一言を発することは、己の無力さを完璧に敗北宣言として認めるように思えてしまうから。だが、違う。目的を果たすための最善の手段を選ぶことこそが、真の合理性だ。
「……夜科アゲハだ」
『うん? 知っているよ。どうかしたかい?』
「――レゼを助けたい。力を貸して、ください。……お願いします」
電波の向こうで、一瞬の、完全な沈黙。
誰も見ていない路地裏の泥の上。通信越しだというのに、俺はしっかりと頭を下げていた。ここで意地を張るプライドなんて、一銭の価値もない。今必要なのは、石田の腕の中で震えているレゼを救い出す、その一点のみ。
『……ふうん』
静寂を破った羂索の声は、ひどく愉悦に満ちていた。
『面白いね。君がそこまで他人に頭を下げるなんて。……では、ビジネスといこうか。ここで一つの縛りを結んでも良いかい?』
「……ああ、お願いします」
予想通りの展開だ。無条件の親切など、この男に期待する方がどうかしている。だが、俺もただ毟(り取られるだけのカモじゃない。
「ある程度の無茶な内容は飲む、飲みます」
しばしの沈黙。受話器の向こうで、羂索が小さく、感心したように笑う気配が伝わってきた。
『なるほど、本当に君らしいね。圧倒的な劣勢で力を借りる立場でありながら、魂の最後の一線だけは絶対に譲らない。君は本当に、強固な自意識を持っている。……いいだろう、承認するよ。ならば、縛りの内容はこうだ』
彼の声のトーンが、一瞬で冷徹な契約者のものへと切り替わる。
『私と君、お互いが「外敵から攻撃された時」は命を賭して助け合う。――ただし、それ以外のタイミングでは、私は君に何かを強制しないし、君もまた、私の目的や全てを救う義務はない。互いの自由を残したまま、危機だけを限定的に共有する。これならフェアだろう?』
脳内で瞬時に計算する。危険性、メリット、そしてこの先に待つ未来の不確定要素。
すべてを天秤にかけ――俺は答えた。
「その内容なら、縛りを結ぶ」
胸の奥で、不可視の呪力がパチリと弾けて契約が定着する。その瞬間、張り詰めていた全身の筋肉から、ほんの少しだけ緊張が抜けた。
状況は依然として最悪だ。レゼは石田に囚われ、俺の足は動かない。だが、「ゼロ」だった可能性のパーセンテージが、明確に跳ね上がった。
「……あ、それと、ついでに聞きたい、んですが」
俺はふと思い出して、少し決まり悪そうに付け足した。
「そっちの陣営に、まともな回復要員とか……いたりする、しますか?」
『敬語はいいよ。回復かい?』
「悪い。俺の能力は速度と消滅に特化しててさ。耐久面や自己修復は、お世辞にも高いとは言えないんだ。……格好悪くて悪りぃけど今は結果がすべてだ」
自分の弱点をあっさりと開示する俺の態度に、羂索は弾んだ声で即答した。
『見栄を張らずに実利を取るその姿勢、嫌いじゃないよ。……ああ、いるとも。まさに君の望む、最高のヒーラーがね』
「本当か? 呪術師か、それとも他の世界の――」
『うん。全知全能の少女が、ちょうど私の手元にいてね』
「……誰だ?」
一拍の不穏な間のあと、羂索は極めて滑らかな口調で、その禁忌の名前を告げた。
『――沙条愛歌。彼女なら、君のその傷など瞬き一つで無かったことにできるよ』
「っ……!」
その名前が鼓膜を叩いた瞬間、世界融合によって俺の脳内に蓄積されていた知識のアーカイブが、一斉に真っ赤な警告灯を点滅させた。
沙条愛歌は根源の渦に接続された、世界のバグそのもの。単なる「便利な治療役」などという枠には到底収まらない、世界そのものを容易に書き換えかねない圧倒的な怪物の本尊。
思わず絶句する俺の反応を、羂索はすべて見透かしているのだろう。受話器の向こうで、楽しげな笑みを深めている。
『さぁ、どうするかい? 彼女の力を借りるのが恐ろしいなら、ここで引き返しても――』
「……頼む。呼んでくれ」
俺はためらうことなく、端末を強く握り直した。
どうするもこうするもない。今の俺に、怪物の質を選り好みしている余裕などないのだ。
他者の力を借りるということは、己の限界を惨めに認めることだ。しかし、自分の限界を正しく知るからこそ、人間は次の一歩を正確に踏み出すことができる。
人間は、一人きりでは夜空を照らす大星にはなれない。だからこそ、歪で、危険で、時に相容れない互いの光を泥泥になりながら繋ぎ合わせる。
それこそが、この底知れない暗闇の中に、新しい道を切り拓く唯一の方法なのだから。