俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した 作:朝を数えない人
違反を記録しても、私は杖を床から離さなかった。
離せば、内三区の時間が動く。
白化が進む。
ニナの椅子が消える。
レイの右手が冷える。
だから握る。
理由を順に並べれば、正しい選択に見える。
私は、正しくないと知っている。
全代表の署名は《永昼を起動しない》。私は署名した直後に起動した。
目的、範囲、解除条件、責任者を紙へ書いた。
それでも違反は違反だ。
レイは私を見ない。
市議会長と結界図を見ている。内三区の範囲、白化の停止位置、二十四時間後の解除手順。怒っていても、先に住民の状態を確認する。
第五百十二回目もそうだった。
比べない。
今のレイが今選んだ行動だ。
「外三区の白化が加速!」
騎士が駆け込む。
王都は六区。
白塔、大聖堂、王城を含む内三区へ私の局所永昼が届いた。西区、東区、南区は結界外。時間が動いている。
内側で白化が止まった分、白冠は外側を先に食べ始めた。
想定していた。
違う。
可能性として知っていた。
それでも内三区だけを止めた。白塔にレイがいるから。
「範囲を広げます」
私が言うと、市議会長が首を振る。
「これ以上、勝手に」
「外三区が一時間で白化します」
「だから全員で決める!」
「決める間に消えます」
同じ言葉。
私は七百回、この言葉で人の選択を飛ばした。
今は本当に時間がない。
過去にも、本当に時間がなかった回はある。
時間がないことと、一人で決めてよいことは同じではない。
分かっている。
それでも杖へ力を流す。
「待て」
レイが私の前へ立つ。
「外三区へ説明する。十五分くれ」
「十五分で推定一万二千人が無名化します」
「七の記録で速度を落とす」
「記録できる人員が足りません」
「鐘放送を使う。各自で書く」
「文字から消える人もいます」
「生活痕なら残る」
「十五分後に同じ結論なら、範囲を広げるのですか」
「代表が決める」
私はレイを見る。
十五分。
彼が生きている十五分。
外で一万二千人の名が消える十五分。
私の中で、秤が動く。
一万二千人は重い。
レイ一人より、数として重い。
それでも私の手は、彼の側へ傾く。
世界より軽いもの。
レイの命。
軽いから片手で持てる。片手で持ち、世界の反対側へ置く。私は七百回、重さを正しく比べたことがない。
「十分」
私は言う。
「十二分」
「十一分」
「分かった」
十一分、待つ。
待てたことを進歩とは呼ばない。
一万二千人のうち、八千人が名を書けた。二千人は生活痕。残りは移動中か、すでに白化。
鐘放送で選択肢を伝える。
外三区を局所永昼へ入れる。
入れずに白冠破壊を急ぐ。
城外へ出る。
回答は割れた。
西区は永昼賛成六割。
東区は反対五割。
南区は避難希望が最多。
一つに決まらない。
十一分が終わる。
「区ごとに分ける」
レイが言う。
「西区は結界。東区は記録を続ける。南区は門を開けて避難」
「結界境界で白化が集中します」
「対策は」
「三つの区を完全に切り離す。行き来はできません」
「説明して選ばせる」
「時間が」
「もう結果は出た」
西区は永昼を望んだ。
東区は望まない人が多い。
南区は外へ出たい。
私は三つの結界を作ろうとする。
杖が拒む。
暁鐘の術は、世界を一つの朝へ揃えるためのもの。異なる時間を並べられない。
「できません」
「技術的に?」
「はい」
「なら、誰の選択を優先する」
答えられない。
多数決なら西区。
危険が差し迫るのも西区。
避難で別の危険がある南区。
正しい結果はない。
「全市を止めます」
口から出た。
その言葉には、過去がある。
第百七十回。
疫病が王都へ入った時、私は城門の時刻を一時間だけ止めた。感染者を門外へ残し、内側の人々を救った。門外で百二人が死んだ。還暁後は疫病自体を止めたため、誰も覚えていない。
第二百八十八回。
王城の爆発まで八分。私は城内の時を止め、レイを探した。爆発は止まったが、城外で時間が進み、大司教が鐘を操作した。レイは時の境界で身体を二つへ裂かれた。
第四百四十回。
レイの毒が心臓へ届く直前、彼の身体だけを一秒へ固定した。治療法を探す間、彼は瞬きの途中で止まった。
三日探した。
解毒法はなかった。
固定を解けば死ぬ。
私は三日目も、七日目も、解除できなかった。
十四日目、エドガーが私を鐘から引き離した。レイは一秒の続きを生き、死んだ。私は戻した。
永昼は、今日初めて思いついた術ではない。
小さく、何度も使った。
危険が起きる直前を保存し、選択を後回しにする。後回しにした時間で答えが見つかると信じる。
見つからなければ、さらに延ばす。
私にとって時間停止は、殺傷より優しい選択だった。
レイが苦しまない。
死なない。
拒否の声も聞かなくて済む。
優しい。
だから信用してはいけない。
「過去にも使いました」
私は全員へ言う。
「局所停止を三回。最長十四日。十四日止めた時、私は自分で解除できませんでした」
レイの目が細くなる。
「なぜ先に言わなかった」
「永昼とは規模が違うと分類しました」
「自分に都合よく」
「はい」
現在の決定に関係する過去だった。
契約違反をもう一つ書く。
《永昼類似術の使用歴を未開示。最長十四日。第三者による強制解除》
市議会長が怒る。
「そんな者へ全市の時間を預けられるか!」
「預けないでください」
私が答える。
「ですが、今止められる術者は私だけです。起動後、解除権を分散します」
起動する前提で話している。
また順番を奪う。
レイが気づく。
「先に解除術式を作れるか」
「起動中でなければ構造を固定できません」
「起動と同時に鍵を分ける」
「全市拡大の間、術式変更はできません」
「何分」
「五分」
「その五分はお前一人が鍵」
「はい」
全員が、その危険を知った上で決める。
私が勝手に起動する事実は変わらない。それでも、隠したままよりは止める準備ができる。
「なぜ」
レイが訊く。
「三つに分けられない。白化を止められる唯一の範囲だからです」
「本当の理由」
「レイが内三区にいるからです」
言う。
市議会も、騎士も、住民代表も聞いている。
「内三区だけなら、あなたを二十四時間生かせます。外三区を止める必要は、あなたのためにはありません」
「それでも全市へ広げる?」
「はい。外三区を見捨てたくありません」
善意。
私の善意を信用してはいけない。
「望まない人も止める」
「はい」
「南区の避難を十一分待ったのに」
「門を出た人は結界外です。残った人を止めます」
「今出てる途中の人は」
「境界を閉じるまで三分待ちます」
「三分で足りない」
「白化の加速まで三分です」
また時間。
私の術はいつも、相手へ短い期限を渡す。
選択肢がある形に見せ、選べる人だけを救う。
「六分」
レイ。
「四分」
「五分」
「分かりました」
五分。
鐘放送で秒を数えない。秒読みは人を急がせ、転倒を増やす。門ごとに騎士が残り時間を伝え、荷物を捨てて人を先に出す。
私は追跡聖刻を広げる。
レイではなく、三つの門へ。
生命反応を数える。
南門、二千八百。
東門、千百。
西門、四百。
三分。
人数が減る。
二分。
南門で子供が転ぶ。
治癒ではなく、近くの騎士へ場所を伝える。騎士が抱き上げる。
一分。
老婆が門の内側へ戻る。飼い猫を探している。娘が止める。二人とも残ると決めた。
十五秒。
東門を荷車が越える。
車輪が片方、境界に残る。
人は全員外。
ゼロ。
私は全市へ永昼を広げた。
青い光が城壁まで走る。
外三区の白化が止まる。
消えかけた文字は戻らない。
それでも新しく消えなくなる。
太陽は同じ位置。
王都の六区が、初夏月二日午後六時へ固定された。
門の外では夕日が沈み続ける。
結界の境界で、空が縦に割れている。
内側は夕方。
外側は夜。
人々が両側から見る。
結界内の変化を確認する。
水時計は流れる。砂時計も落ちる。人の脈、呼吸、代謝は進む。
暦時計だけが進まない。
空の太陽と星の運行が固定され、王都の外部時間との接続が切れた。
「作物は」
工房長が訊く。
「光はあります。成長します。ただし夜がないため、多くは二日目から弱ります」
「水路は」
「外から入る水は境界で複製されます。出る水は消えます」
「それ、世界を増やしてない?」
ニナ。
「結界解除時に差分が白冠へ流れます」
言った瞬間、全員の顔が変わる。
永昼で使った水、燃やした薪、食べた物。外の時間との差が増えるほど、解除時の白化が大きくなる。
「一日止めるだけでも、代価がある」
レイが言う。
「はい」
「なぜ先に」
「私も今、術式から確認しました」
嘘ではない。
だが、知らない術を全市へ使った事実は残る。
「消費を減らす」
市議会長が命じる。
火を最小限。水を配給。食事は保存食。工房停止。人の生活を止めれば差分は減る。
永昼の中で、街を静かにする。
白化を止めるため、生きる行為を減らす。
矛盾している。
「工房は白冠破壊に必要な分だけ動かす」
レイが修正する。
「施療院も止めない。食事も必要量は配る。差分を恐れて人を置物にするな」
私は反対しかける。
差分が増えれば解除時に危険。
でも、老いた骨の未来では人々が同じ動作を繰り返した。安全のため生活を減らせば、同じ方向へ進む。
「同意します」
私の術の中で、私の安全基準だけを使わない。
家族を分けた境界。
私が作った。
「解除条件を更新しろ」
レイが紙を出す。
「全市拡大。対象人数。反対票。避難者。境界で分離した家族。全部」
私は書く。
《違反継続。全市局所永昼。対象二十八万四千。反対票推定九万。避難完了一万一千。境界分離、集計中》
「目的」
《白化停止。レイを含む内三区の生命保全。外三区を見捨てないため》
最後の文を見て、私は止まる。
見捨てない。
その言葉で、望まない人の明日を奪った。
消すべきか。
消さない。
合理的な理由だけへ書き換えない。
「二十四時間後、必ず解除しますか」
市議会長が訊く。
答えられない。
白冠が壊れていなければ、解除で白化が再開する。
レイが死にかけていれば。
ニナが消えかけていれば。
私はまた、言葉の条件を変えるかもしれない。
「約束はできません」
怒号が上がる。
正しい。
「だから、解除鍵を私一人から外してください」
杖を床へ置く。
「エドガー、ニナさん、市議会長、レイ。四人の鍵が揃えば、私の意思と無関係に解除できるよう術式を変えます」
「お前は?」
レイが訊く。
「鍵を持ちません」
自分を締め出す。
私には、守るための判断を止められない時がある。
なら、止める権限を他人へ渡す。
「術式変更中、結界は不安定になる」
「危険は」
「三分間、白化が再開する可能性」
「対策」
「記録結界を全市へ。住民が書いた生活痕を支柱にします」
人々の文字が、私の術を支える。
私一人の記憶ではなく。
変更を始める。
三分間、壁の文字が青く光る。
サラ。靴職人。辛い豆。
名を言えない人。左利き。犬二匹。
ハロルド。妻と意見が違う。同じ家へ帰る。
二十八万人の生活痕が結界を持ち上げる。
白化は進まない。
四本の解除鍵ができる。
レイが一本を受け取る。
「これで、俺たちはお前を止められる」
「はい」
胸が痛い。
安心もする。
「今、何を感じていますか」
ニナが訊く。
診察ではない。
記録のため。
「鍵を失うことへの恐怖。自分が延長したい時に止められることへの怒り。レイが鍵を持つことへの安心」
「順番は?」
「恐怖、怒り、安心」
「身体は」
「左手の震え。胸部圧迫。杖を取り戻したい衝動」
「今、取り戻す?」
「いいえ」
衝動と選択を分ける。
レイは解除鍵を首へかけない。内ポケットへ入れ、上から契約書を重ねる。
「二十四時間後、俺が解除を選んだら止める?」
「止めたいと思います」
「行動は」
「他の三人へ反対理由を説明します。鍵は奪いません」
「俺が死にかけていても?」
答えが止まる。
その条件では、奪う。
今の私はそうする。
「奪う可能性があります」
「なら対策」
「解除時、私は白塔の外へ出ます。杖はニナさんへ預けます。レイへ近づけない拘束を、自分へかけます」
「自分で外せる?」
「エドガーの鐘鍵で封じます」
エドガーが頷く。
未来の私を、現在の私が信用しない。
それは自己否定ではない。
私が変われる可能性を残すため、変われなかった場合の手を他人へ渡す。
安心したことを、傷つけられたふりで隠さない。
世界は重い。
二十八万人。
反対した九万人。
外へ出た一万一千。
境界で分かれた家族。
全部、レイ一人より重い。
それでも私の手は、彼一人を先に掴む。
だから、その手から鍵を外した。
結界起動から一時間。
午後六時の鐘は鳴らない。
代わりに、人々が壁へ時刻を書く。
《永昼一時間目。夕食を食べた》
《永昼一時間十分。息子が眠った》
《永昼一時間二十分。境界の外の夫と手を振った》
暦が進まなくても、生活の時間は進む。
私は白塔の窓から記録を見る。
レイが隣へ来る。
一歩の距離。
「お前を許してない」
「はい」
「全市へ広げた判断に、助かった人はいる」
「はい」
「だから正しかった、とも言わない」
「はい」
「でも鍵を渡したことは、次の判断材料にする」
胸が少し開く。
許しではない。
評価が一件増えただけ。
それで十分だと思う。
十分という言葉で、もっと欲しい感情を隠さない。
私は彼に許されたい。
隣へ戻りたい。
鍵を持っていてほしくない。
全部ある。
それでも手を伸ばさない。
王都の外で夜が来る。
内側では夕日が止まっている。
二つの空の境界を見ながら、私は永昼一時間三十分と記録した。
初夏月二日はもう時刻の名前ではない。
私が奪った明日の手前で、二十八万人がそれぞれ進んだ時間の記録になった。
その全てを、レイ一人の脈へ置き換えないために書き続ける。
私自身が読みたくなくなっても、消せない場所へ。
世界の側へ返す。
私の外へ。
鍵と同じように。
今。