俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した   作:朝を数えない人

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明日が来ない王都

永昼三時間目、ニナが同じ水を二度飲んだ。

 

最初は見間違いだと思った。

 

杯を持ち上げ、一口。机へ置く。

 

薬箱を開き、包帯を数える。

 

また杯を持ち上げ、一口。

 

水の量が戻っている。

 

「ニナ」

 

「なに」

 

「今、水を飲んだ回数」

 

「一回」

 

「二回だ」

 

「見てたけど、一回」

 

ミレーユが聖刻で杯を調べる。

 

「十五秒、戻っています」

 

「人の時間は流れるんじゃなかったのか」

 

「起動時は。白冠が結界へ接続しています」

 

永昼は日付だけでなく、人の行動まで固定し始めた。

 

ニナへ手帳を渡す。

 

「十五秒後の自分へ書け」

 

《水を二回飲んだ。レイが見た》

 

彼女が書く。

 

十五秒。

 

文字が消える。

 

ニナはまた杯へ手を伸ばす。

 

俺が止める。

 

「何するの」

 

「三回目だ」

 

彼女の顔から血の気が引く。

 

「私、覚えてない」

 

「外へ出る」

 

解除鍵を持つ四人を集める。

 

俺、ニナ、市議会長、エドガー。

 

市議会長は同じ署名を繰り返していた。エドガーは鐘鍵を磨き、三十秒ごとに最初へ戻る。

 

二人とも記憶が続かない。

 

解除鍵を使う選択まで到達できない。

 

ニナは十五秒。

俺は戻らない。

 

ミレーユも。

 

錨と聖女だけが永昼の外にいる。

 

「なぜ二人だけ」

 

「私は起動者。レイは錨。術式の基準点は固定対象にできません」

 

「大司教は」

 

「白冠側の基準点なら、外にいる可能性があります」

 

つまりグレゴールも動ける。

 

王都の誰も新しい記憶を持てない中、大司教と俺たちだけが時間を使える。

 

「永昼は俺を守る檻で、あいつの作業時間にもなった」

 

「はい」

 

ミレーユは言い訳しない。

 

白冠の拍動を数える。

 

十五秒ごと。

 

二百九十残っていた白い鐘のうち、一つが灰色になる。完全な黒ではない。還暁一回ではなく、小さな差分を蓄積している。

 

「何周で一回分」

 

「推定五千七百六十周。二十四時間です」

 

永昼を一日維持すると、白冠が還暁一回分進む。

 

「二十四時間で解除しても、残数は二百八十九」

 

「はい」

 

「延長すれば毎日一つ」

 

「差分が増えるため、二日目から速くなります」

 

猶予を作る術が、猶予を食べる。

 

「期限まで何時間」

 

「二十時間四十分」

 

塔の壁へ大きく書く。

 

《永昼残り二十時間四十分。白冠残数推定二百九十。延長不可》

 

延長不可。

 

ミレーユにも署名させる。

 

「不可と書いても、技術的にはできます」

 

「知ってる。俺たちが止める判断材料だ」

 

紙だけでは魔法は止まらない。

だが、壁の文字は十五秒で戻らない。俺とミレーユの時間側にある。

 

彼女が意味を変えようとした時、俺も意味を変えようとした時、読み返せる。

 

最悪の形だ。

 

解除には四本の鍵が必要。二人は繰り返しの中。ニナも十五秒しか動けない。

 

「鍵を奪うなよ」

 

俺はミレーユへ言う。

 

「奪いません」

 

「俺たちだけで解除する方法は」

 

「四人の現在意思を術式が確認します。鍵だけ集めても動きません」

 

「なら、十五秒でニナへ理解させる」

 

一枚の板へ大きく書く。

 

《永昼で記憶が十五秒ごとに戻る。あなたは解除鍵を持つ。今すぐ鍵を床の円へ入れ、「解除に同意」と言え》

 

ニナの正面へ置く。

 

戻る。

 

彼女は板を読む。

 

鍵を出す。

 

「解除に同意――」

 

十五秒。

 

戻る。

 

間に合わない。

 

文を短くする。

 

《鍵を円へ。解除と言え》

 

戻る。

 

ニナが読む。

 

「罠かも」

 

鍵を出さない。

 

正しい警戒だ。

 

自分の字で書かせる時間がない。合言葉を置く。俺とニナしか知らない修道院の薬草棚。だが、永昼前の記憶はある。合言葉を見ても、今の選択だと証明できない。

 

「診察手順を使う」

 

ニナは緊急時、意識が混乱した自分向けに指示札を持っている。薬箱の赤札。本人の字と血印。術者に操られた場合の解除文。

 

赤札へ状況を書き足す。

 

戻る。

 

ニナが読む。

 

自分の血印を確認。

 

鍵を円へ入れる。

 

「解除に同意」

 

間に合った。

 

一つ。

 

次は市議会長。

 

戻りは三十秒。公印と、決議書。本人が永昼を起動しないと署名した原本を見せる。

 

「解除に同意する」

 

二つ。

 

エドガー。

 

戻りは三十秒だが、鐘守の緊急手順がある。鐘鍵を逆に三回鳴らせば、記憶に関係なく封鎖解除へ同意する職務契約。

 

三つ。

 

俺が四つ目を入れる。

 

「解除」

 

何も起きない。

 

「なぜ」

 

ミレーユが術式を見る。

 

「白冠が四人の同意を一周前のものとして無効化しました」

 

「今の選択だ」

 

「白冠にとって、今は十五秒前と同じです」

 

永昼の中では、新しい同意が生まれない。

 

大司教の狙い。

 

人々を同じ行動へ戻せば、解除へ必要な現在意思を奪える。

 

「お前なら解除できる?」

 

「起動者権限で強制解除できます」

 

「やれ」

 

ミレーユが杖へ手を伸ばす。

 

止まる。

 

「解除すれば、白化が一度に再開します。記録された差分も白冠へ」

 

「知ってる」

 

「ニナさんはすでに半分白化しています」

 

見る。

 

彼女の椅子だけでなく、左腕の輪郭が薄い。

 

十五秒ごとに戻るため、本人は進行を知らない。

 

「解除すれば消える?」

 

「可能性が高い」

 

「維持すれば?」

 

「同じ十五秒を繰り返します。消えません」

 

生きている。

 

選べない。

 

老いた骨の未来へ近づいた。

 

「俺は解除する」

 

「ニナさんを失います」

 

「失うと決まってない」

 

「推定八十七パーセント」

 

「十三パーセントある」

 

「王都全体では、二十万人以上が白化します」

 

数字が大きい。

 

怖い。

 

維持したほうが、目の前の全員は形を保つ。

 

パン屋はパンを切り続ける。子供は眠りに入る直前を繰り返す。怪我人は治療の途中。死なない。明日もない。

 

「二十四時間まで、壊す方法を探す」

 

自分の口から出た。

 

俺が永昼の延期を選んだ。

 

ミレーユだけの加害ではなくなった。

 

「記録しろ」

 

俺は言う。

 

《レイ、永昼即時解除を選ばず、期限までの維持へ同意。理由、解除時の大規模白化を避け、白冠破壊手段を探すため》

 

「私の判断では」

 

「俺の判断だ。混ぜるな」

 

自分で署名する。

 

ニナの十五秒を救う方法を探す。

 

最初に、記憶を外へ置く。

 

壁へ書いても消える。紙も戻る。永昼の外にいる俺とミレーユが持てば残る。

 

ニナへ毎周回、状況を伝える。

 

十五秒でできる仕事を一つ頼む。

 

一本目、白冠の進行を診察。

 

二本目、薬の反応。

 

三本目、錨の脈。

 

彼女は毎回初めて聞き、初めて判断し、結果を俺へ渡す。

 

同じ人を道具にしている気がする。

 

「ニナ、今の検査をしていい?」

 

毎回訊く。

 

毎回、彼女は状況を読み、同意する。

 

同じ答えでも、こちらが省略しない。

 

五十七回目、ニナが白冠の脈に気づいた。

 

「王都の鐘と同期してる。十五秒で一拍」

 

次の周回へ戻る。

俺は結果を持ち越す。

 

白冠の拍動間隔。

その間だけ、繰り返しの外へ情報を出せる可能性。

 

実験する。

 

ニナへ赤い糸を渡す。

 

十五秒目、白冠の拍動直前に切るよう頼む。切れた糸の片方を俺が持ち、片方を彼女が持つ。

 

戻る。

 

ニナ側の糸は元へ戻る。

 

俺の手の中には、切れた片方が残る。

 

同じ物が二つになった。

 

永昼の差分。

 

解除時に白冠へ流れる物だ。

 

「情報だけなら」

 

ミレーユが紙を細く切る。

 

「物質差分を最小にできます」

 

十五秒の間に、ニナへ一文字だけ書いてもらう。

 

白冠の拍動で紙片を俺へ渡す。

 

戻った後、文字は残る。

 

一周一文字。

 

遅い。

それでもニナ自身が選んだ情報を、外へ持ち出せる。

 

質問を書く。

 

《解除したい?》

 

九文字。

 

一文字ずつ状況を説明し、毎回同意を取り、答えを一文字ずつ受け取る。

 

《したい》

 

三文字。

 

推測ではない。

 

現在のニナが、繰り返しの中から出した選択だ。

 

「解除すれば八十七パーセントで消える」

 

十五秒で全部は伝えられない。赤札へ危険を書き、読んでもらう。彼女は毎回、同じ答えを選ぶ。

 

《それでも》

 

四文字。

俺は紙片を並べる。

 

《解除したい。それでも》

 

文としては逆だ。

 

次の文字。

 

《いい》

 

《解除したい。それでもいい》

 

ニナの選択。

 

ミレーユが読む。

 

「危険を理解した上で?」

 

「毎回、赤札を読んだ」

 

「十五秒では熟慮できません」

 

「お前は三秒で人を殺してきた」

 

言葉が鋭くなる。

 

ミレーユは反論しない。

 

「ニナの答えだけで全市を解除するとは言ってない。でも、本人の意思を《繰り返しているからない》と扱うな」

 

「はい」

 

次に市議会長。

 

一周一文字で全員は無理だ。代表ごとに赤札方式を作り、各区へ俺たちが運ぶ。時間の外へ出た紙片を集める。

 

解除賛成。

 

維持。

 

条件付き解除。

答えは割れる。

 

永昼前と同じ。

 

時間が止まっても、人々の選択まで一つにはならない。

 

「四本の鍵では足りない」

 

俺は言う。

 

「代表制を作ったのは、二十四時間の期限だけだ。解除の結果が変わった今、もう一度意見を取る」

 

「全員から一文字ずつでは、二十四時間を超えます」

 

「だから区ごとの標本。賛否だけじゃなく理由を取る。残りの人へは、白冠拍動に合わせて鐘放送を流す」

 

一周で一音。

 

王都全体へ、十五秒の外から言葉を送る。

 

《今、あなたは繰り返している。解除は白化の危険を伴う。維持は明日を奪う。壁へ希望を記し、拍動時に触れよ》

 

一音ずつ。

 

何百周もかかる。

 

俺とミレーユだけが、その全部を覚える。

 

「七百回より短い」

 

俺が言う。

 

「はい」

 

彼女の声は嬉しくない。

 

自分の苦痛と同じものを俺へ経験させたくないのだろう。

 

断定はしない。

 

「今、何を考えた」

 

「レイに同じ音を何百回も聞かせたくありません」

 

「でもやる。俺も選んだ」

 

「はい」

 

二人で鐘へ音を入れる。

 

五百六十周。

 

王都の壁に、人々の指が触れる。

 

拍動の瞬間だけ、文字が時間の外へ出る。

 

白塔の壁へ何千枚もの紙片が集まった。

 

明日が欲しい。

 

消えたくない。

 

子供だけ外へ。

 

夫を待つ。

 

解除反対。

 

解除して。

答えはばらばらだ。

だから本物だと思う。

 

ミレーユと二人で各区を回る。

 

街は夕方六時の動作を繰り返す。

 

市場の男が林檎を落とす。拾う前に戻る。また落とす。

 

子供が母へ走る。抱きつく寸前に戻る。

 

夫婦が喧嘩している。同じ言葉。謝る前に戻る。

 

「止めて」

 

俺が子供の背を押す。

 

十五秒以内に母へ届く。

 

抱きつく。

 

次の瞬間、戻る。

 

抱擁はなかったことになる。

 

俺だけ覚えている。

 

ミレーユが七百回見たものと同じだ。

 

「これをお前は、一人で」

 

「はい」

 

「何度も」

 

「はい」

 

同情する。

 

同情して永昼を許すのは違う。

 

「だからって、みんなへ同じものを押しつけるな」

 

「はい」

 

ミレーユは反論しない。

 

白塔へ戻る。

 

食堂は会議の途中で止まっている。人々が同じ頁をめくる。市議会長が同じ咳をする。エドガーが同じ鍵を磨く。

 

俺とミレーユだけが席へ座る。

 

「食事は」

 

「私たちは永昼の外なので必要です」

 

台所へ行く。

 

黒パン、豆、林檎。

 

最初の朝と同じ。

違うのは扉が開いていること。鍵は俺の内ポケット。ミレーユの杖は壁へ立て、手の届かない位置。

 

二人で豆を温める。

 

「塩を」

 

彼女が入れようとする。

 

「少なめ」

 

「第五百十二回目と同じですか」

 

「比べるな」

 

「はい」

 

少なめに入れる。

 

食卓へ向かい合う。

 

塔は監禁場所だった。

今は王都で唯一、時間の続く家になっている。

 

食後、寝室を分ける。

俺は元の監禁部屋。

 

ミレーユは向かいの客室。

 

「扉は閉める?」

 

「レイが決めてください」

 

「自分の部屋だろ」

 

彼女が考える。

 

「閉めます。鍵はかけません」

 

「俺も閉める」

 

非常鍵の透明箱は廊下。二人とも使える。

 

眠る前、窓の外を見る。

 

同じ鳥が羽ばたく。十五秒で戻る。

 

壁の向こうで、ミレーユの足音がする。扉前では止まらない。自分の部屋へ入る。

 

以前なら俺の呼吸を聞いていた。

 

今夜は追跡聖刻もない。

 

静かすぎて眠れない。

 

扉を開ける。

 

向かいの扉も同時に開いた。

 

ミレーユが立っている。

 

「何を」

 

「水を」

 

「水差しは部屋にあるだろ」

 

「廊下の水が飲みたいと思いました」

 

嘘が下手だ。

 

俺も眠れないと言う代わりに、水差しを取る。

 

二人で廊下の床へ座る。

 

扉は両方開いたまま。

 

「十五秒ごとに街が戻る音、聞こえる?」

 

「はい」

 

小さな風の音。

 

何百回聞いても慣れない。

 

「お前は還暁のたび、これを一人で聞いた」

 

「はい」

 

「今は二人だ」

 

「はい」

 

彼女の肩が少し下がる。

 

触れない。

 

廊下一本分の距離で、同じ音を聞く。

 

家は、抱きしめる場所だけじゃない。

 

別々の扉を開けた時、向かいに誰かいる場所でもある。

 

家。

その言葉を考えた自分へ驚く。

 

「何を」

 

ミレーユが訊く。

 

「顔を見るな」

 

「はい」

 

「いや、見ていい」

 

彼女が見る。

 

「ここを、家だと思った」

 

ミレーユの匙が止まる。

 

「監禁されてた場所なのに」

 

「今は扉が開いてる。鍵も俺が持ってる。外へ出ても戻れる」

 

「私がいるから?」

 

答えを急がない。

 

塔の机。手帳。五人分の封印鍵。ニナの薬箱。オスカーの死亡簿。エドガーの鐘鍵。人の物が増えた。

 

ミレーユだけではない。

 

でも、彼女がいることも含む。

 

「それもある」

 

正直に言う。

 

ミレーユの目が潤む。

 

泣かない。

 

俺も取り消さない。

 

家と呼ぶことは、檻だった過去を消さない。

 

檻だった場所へ、鍵を持って帰る。

 

同じ建物でも、関係は変えられる。

 

窓の外で、夕方六時の王都がまた十五秒戻った。

 

俺たちの食事だけが冷めていく。

 

「二十四時間で終わらせる」

 

俺は言う。

 

「はい」

 

「それまでここを使う」

 

「はい」

 

「お前の家でもある。ただし、俺の鍵で入る」

 

「はい」

 

ミレーユの返事が少し震えた。

 

明日は来ない。

それでも俺たちは、次の十五秒ではなく、二十四時間後の選択へ向かって食事を続けた。

 

食後、壁の残り時間を一つ減らす。

 

《十九時間五十九分》

 

数字は戻らない。

 

俺たちが使った一分は、本当に減る。

 

怖い。

だから価値がある。

 

減らない一日は、時間ではない。

 

使えば失う一分を積み重ねて、俺たちは明日を取り戻す。

 

壁の時計は止まっている。

 

俺の手帳では、次の一分が始まった。

 

ミレーユも、自分の記録へ同じ時刻を書く。

 

同じ一分を、別々の字で残す。

それが、この街でまだ繰り返していない行動だった。

 

次の行も、空けておく。

 

明日のために。

 

まだ見えなくても。

 

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