俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した   作:朝を数えない人

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完璧に安全な食卓

永昼八時間目、俺は白冠のことを考えずに朝食を食べた。

 

朝ではない。

 

空は夕方六時で止まっている。俺たちが一度眠り、起きたから朝食と呼んだだけだ。

 

黒パン。

 

豆。

 

林檎。

 

珈琲は左。

 

ミレーユは向かいにいる。

 

窓は開いている。刺客は来ない。毒もない。荷車も看板も鳩も、十五秒の中で同じ動きを繰り返す。

 

安全だった。

 

完璧に。

 

「美味しい?」

 

ミレーユが訊く。

 

「豆は昨日より薄い」

 

「塩を減らしました」

 

「第五百十二回目と比べた?」

 

「今のレイが昨夜、少なめと言ったからです」

 

合格。

 

何の採点だ。

 

食事のたび相手を試すのは疲れる。それでも、彼女が過去でなく現在の俺を見ているか確かめたくなる。

 

「今日は何をする」

 

「白冠拍動を利用し、青血糸の第一結び目を安全に読む方法を作ります」

 

「解除前に?」

 

「錨の記憶だけなら、刻印自体は外れません」

 

「危険率」

 

「心停止十二パーセント。残響混線六十三パーセント。還暁自動起動三パーセント未満」

 

低くはない。

 

「ニナの蘇生準備が要る」

 

「はい」

 

ニナは十五秒を繰り返している。

今の状態では長い処置を任せられない。先に永昼解除か、彼女だけ反復から外す方法が必要だ。

 

「今日は結び目を切らない。設計だけ」

 

「分かりました」

 

ミレーユは反対しない。

 

食事を続ける。

 

外で誰も死なない。

 

大司教も攻めてこない。

 

白冠は拍動しているが、一日で一回分。残り二百九十。今すぐではない。

 

豆は温かい。

 

塔の扉は開いている。

このままでいい、と思った。

 

一秒だけ。

 

いや、もっと長い。

 

言葉にする前から、身体はこの安全を好んでいた。肩が下がる。右手の冷えがない。窓の音へ振り向かない。食べ物を一口ごと調べない。

 

七百一回死んだ記憶を全部持っているわけではない俺でも、疲れている。

 

ミレーユは七百一回分、疲れている。

 

休みたい。

 

今日をもう一日延ばせば、設計時間が増える。

 

白冠は一回分進む。それでも二百八十九残る。二日目から差分は速くなるが、対策できるかもしれない。

 

理屈が出てくる。

 

「延長を考えましたか」

 

ミレーユが訊く。

 

「顔に出た?」

 

「私も考えたので」

 

同じことを考えた。

それが怖い。

 

「何時間」

 

「白冠加速を含め、追加六時間なら残数消費は一・四回。ニナさんを反復から外す術式の成功率を十七パーセント上げられます」

 

具体的だ。

 

すでに計算している。

 

「延長したい?」

 

「はい」

 

「俺もだ」

 

認める。

 

ミレーユだけの欲望にして反対すれば、自分は正しい側へ立てる。今は俺も、安全な檻を暖かいと思っている。

 

「だから延長しない」

 

「なぜですか」

 

「今の俺たちは、延長を望む側へ偏ってる。時間の続く二人だけで、止まってる人の六時間を決めるな」

 

「一文字回答では、延長の利点を十分説明できません」

 

「説明できないなら同意も取れない」

 

「説明できるまで延長する必要があります」

 

円だ。

 

説明のために延長し、延長の同意を取るために説明する。

 

「壁へ《延長不可》と書いた理由、覚えてる?」

 

「意味を変えないため」

 

「なら変えない」

 

ミレーユは窓の外を見る。

 

「はい」

 

返事は苦い。

 

豆より。

 

「もう一つ」

 

俺は自分の皿を見る。

 

「延長したい理由に、ニナの術式成功率だけ書くな」

 

「他には」

 

「こうして二人で安全に食事できるから」

 

ミレーユの顔が動く。

 

「お前もそうだろ」

 

「はい」

 

「何パーセント」

 

「理由を割合にするのですか」

 

「お前なら計算してる」

 

彼女は少し迷う。

 

「ニナさんを反復から外す準備、三十二。白冠破壊設計、二十一。住民記録の回収、十八。レイと安全に過ごせること、二十九」

 

三割近い。

俺は自分の理由を分ける。

 

ニナを助ける時間。

 

白冠を調べる時間。

 

疲労。

 

ミレーユと暮らす時間。

 

最後がどれくらいか、数字にしたくない。

 

「俺も、同じ理由がある」

 

「二十九ですか」

 

「割合を訊くな」

 

「レイが先に」

 

「俺はお前の癖を指摘しただけだ」

 

言い合いが、少し楽しい。

その楽しさも永昼が作った余裕の中にある。外ではニナが十五秒を繰り返す。

 

楽しんではいけない、とは思わない。

 

罪悪感で食事をまずくしても、誰も戻らない。休息は必要だ。

ただし、休んだことを延長の正当化に使わない。

 

「一時間休む」

 

俺は決める。

 

「その後、ニナの家。次に白冠拍動と青血糸。残り十八時間で破壊手順を作る」

 

「休むのですか」

 

「俺たちは永昼開始からずっと動いてる。判断を鈍らせるほうが危険だ」

 

ミレーユは頷かない。

 

「お前も休む」

 

「結界維持が」

 

「自動化しただろ」

 

「レイの脈を」

 

「追跡聖刻は切ってる」

 

「目視で」

 

「俺を見ながら休める?」

 

「はい」

 

即答。

 

俺のほうが困る。

 

食堂の長椅子へ横になる。ミレーユは向かいの椅子へ座る。

 

目を閉じる。

 

視線を感じる。

 

「見てるだろ」

 

「目視で確認すると」

 

「休め」

 

「見ながら休めます」

 

「目を閉じろ」

 

「レイも閉じています」

 

「薄目だ」

 

「私も薄目です」

 

埒が明かない。

 

長椅子の端を空ける。

 

「ここへ座れ。背中合わせなら、どっちも見えない」

 

ミレーユが来る。

 

長椅子では狭く、背が触れる。

 

「一時間」

 

「はい」

 

温かい。

 

触れているのは背中だけ。腕も手も別々。彼女の呼吸が布越しに分かる。

 

最初は速い。

 

少しずつ遅くなる。

 

眠ったのか。

 

確認したくなる。

 

振り返れば起こす。

そのままにする。

 

俺も眠る。

 

夢は見なかった。

 

一時間後、壁の砂時計が鳴る。

 

二人とも同時に起きた。

 

ミレーユが俺の脈へ手を伸ばしかける。

 

途中で止める。

 

「生きていますか」

 

「見れば分かる」

 

「はい」

 

背中の温度が離れる。

 

寂しい。

だが、もう一時間とは言わない。

 

自分で立つ。

 

休息は延長ではない。

 

終わりを決めて戻れるなら、檻にもならない。

 

食後、ニナの家へ行く。

 

十五秒の彼女へ朝食を届けるためだ。

 

食べても戻る。栄養は増えない。空腹も戻る。それでも味を感じる十五秒はある。

 

赤札へ書く。

 

《永昼八時間。今から豆を一口食べる。食べたいなら頷く》

 

ニナが読む。

 

頷く。

 

匙を渡す。

 

一口。

 

「薄い」

 

十五秒。

 

戻る。

 

「今の感想、薄い」

 

次の周回で伝える。

 

「じゃあ塩足して」

 

戻る。

 

塩を少し足す。

 

もう一口。

 

「ちょうどいい」

 

戻る。

 

食事は残る。感想だけ俺が持つ。

 

「美味しかったって記録する」

 

ニナはまた最初へ戻り、赤札を読む。

 

自分が美味しいと思った記録を、自分では覚えられない。

 

安全ではない。

 

形が保たれているだけだ。

 

四号室の卓には椅子が二つ。

 

空の皿の前と、ニナの前。

 

白塔から三脚目を運んできた。俺たちが訪ねる時に使う。背へ《ニナ》と刻み、生活痕を支柱にした。

 

「薬箱を借りる」

 

赤札へ書く。

 

ニナが読む。

 

「何に使うの」

 

「青血糸の設計。今日は切らない」

 

「返して」

 

「必ず」

 

彼女が薬箱を渡す。

 

戻る。

 

薬箱は彼女の脇へ戻る。俺が持った分も残る。

 

差分が増えた。

 

使うのをやめる。複製された薬箱を白冠へ渡したくない。

 

「現物はここで調べる」

 

十五秒ごとに説明し、道具を一つ確認する。

 

時間がかかる。

 

でも、ニナの物をニナなしで使わない。

 

百二十周後、必要な蘇生器具の一覧ができた。

 

椅子へ座り、休む。

 

「ニナ」

 

名前を呼んだ。

 

三脚目の椅子が消えた。

 

音もなく。

 

背の名前だけではない。木も、座面も、床の脚跡も消える。

俺は立っていた。

 

さっきまで座っていたのに、最初から椅子がなかった形で立っている。

 

「何が」

 

ミレーユが杖を向ける。

 

「ニナの椅子」

 

「この部屋の椅子は二脚です」

 

彼女も忘れている。

 

錨と聖女は時間を持ち越せる。

 

白化した関係までは保証されない。

 

「三脚あった。白塔から持ってきた。背にニナと刻んだ」

 

手帳を開く。

記録がある。

 

《三脚目、ニナ用》

 

文字を見て、ミレーユの顔が変わる。

 

「思い出しました」

 

「記録がなければ?」

 

「二脚だと」

 

確認のため、部屋の物を数える。

 

空皿。一。

 

深皿。一。

 

平皿。一。

 

大型前掛け。一。

 

組合章。一。

 

薬箱。一。

 

家族写真。一。

 

手帳の過去記録では、深皿は二。平皿一。前掛け二。薬箱一。写真一。

 

空皿と呼んでいたユアン用の深皿は、数に入らなくなっている。

 

目の前にあるのに、数えようとすると飛ばす。

 

「これ」

 

俺は空皿へ赤い紐を結ぶ。

 

「皿は何枚」

 

ミレーユが数える。

 

「二枚」

 

「三枚だ」

 

指で一枚ずつ示す。

 

「深皿。空皿。平皿」

 

「深皿、平皿」

 

彼女の認識から、空皿が抜ける。

 

祈祷暦を開き、ユアン記録を読む。

 

「三枚です」

 

戻る。

記録を閉じると、また二枚になる。

 

「白化は物を消す前に、数から外す」

 

名簿の人口差と同じだ。

 

個別名はあるのに合計が一人少ない。

 

椅子も、消える前から合計へ入っていなかったのかもしれない。

 

「白冠破壊の前に、全市の数え直しはできない」

 

「生活痕記録から差分を取ります」

 

壁へ集めた何千枚の紙片。それぞれに家族、仕事、物。合計ではなく個別の痕。

 

「消えた椅子を戻せる?」

 

ミレーユが床へ聖光を流す。

 

輪郭が一瞬だけ浮く。

 

脚三本。

 

四本目がない。

 

「完全には」

 

「白冠の中に四本目がある」

 

俺の右手が冷える。

 

床へ触れる。

 

残響。

 

ニナが椅子へ座り、薬を調合する。

 

ユアンが背後を通り、椅子の背へ手を置く。

 

白冠が食べたのはニナだけの椅子ではない。

 

兄妹が同じ家で使った家具。その関係が強いから、先に引かれた。

 

「椅子の中にユアンの残響」

 

「なら、白冠は兄を核にニナさんを」

 

「つなげてる」

 

逆に辿れる。

 

消えた椅子の残響を白冠拍動へ合わせれば、ユアンの位置へ道ができるかもしれない。

 

「失ったものが、入口になる」

 

安堵とは別の希望が出る。

 

希望で危険率を下げない。

 

手順を書く。

 

椅子の三脚輪郭。

 

ユアン残響。

 

白冠拍動。

 

青血糸の第一結び目。

 

四つを接続し、失った時間へ入る。

 

「成功率」

 

「推定二十二パーセント」

 

「低い」

 

「永昼を六時間延長すれば」

 

「その話は終わった」

 

「はい」

 

ミレーユはすぐ引く。

 

俺自身も一瞬、延長を考えた。

 

成功率が上がる。

 

ニナを助けるため。

 

正しい理由。

 

正しい理由こそ、壁の《延長不可》を読む。

 

「二十二パーセントを、人手と準備で上げる。時間を止める以外の方法で」

 

「オスカー院長の墓誌暗号。エドガーの鐘鍵。市議会の生活記録」

 

「全部使う」

 

十五秒の中にいる人々へ、一文字ずつ協力を頼む。

 

時間はかかる。

 

期限は減る。

それでも、彼らの時間を奪って作った余裕ではない。

 

永昼は白化を止めていない。

 

消える瞬間を十五秒の外へ見せないだけで、内側では関係を食べ続けている。

 

次は薬箱。

 

空の皿。

 

ニナ本人。

 

安全な食卓ではない。

 

遺品が一つずつ消える待合室だ。

 

「今すぐ解除を」

 

ミレーユが言う。

 

「待て。ニナの白化率」

 

「九十一パーセント」

 

上がっている。

 

「解除すれば」

 

「消失推定九十六パーセント」

 

「維持でも消える」

 

「はい」

 

選択肢が狭まる。

 

「白冠を壊す」

 

「期限前に?」

 

「今から」

 

休みたいと思った。

 

延長したいと思った。

その俺が、椅子を一つ失った。

 

安堵は悪ではない。

だが、安堵を根拠に現実を見ないのは違う。

 

白塔へ戻る。

 

食卓の三つ目の席にも、《ニナ》と札を置いていた。

 

札だけが床へ落ちている。

 

椅子はない。

俺は札を拾い、壁へ打ちつける。

 

「完璧に安全な食卓なんて、なかった」

 

ミレーユが隣で頷く。

 

「はい」

 

「延長はしない」

 

「はい」

 

「今から、檻を壊す」

 

最初の協力者は、十五秒のニナだ。

 

赤札へ新しい手順を書く。

 

《椅子が消えた。兄ユアンの残響がある。白冠への道を探す。危険を理解して協力するなら、右手で卓を二回叩く》

 

戻る。

 

ニナが読む。

 

卓を二回。

 

「次に、何をする?」

 

「消えた椅子の位置へ薬師の生命糸を置いてほしい」

 

「兄に届く?」

 

「可能性はある。成功率二十二」

 

「低いね」

 

「上げる方法を探す」

 

「永昼を延長すれば?」

 

俺と同じ問いを、ニナも出した。

 

「延長しないと決めた。お前たちが繰り返す時間を増やすから」

 

ニナは三秒考える。

 

「なら、二十二で準備する」

 

十五秒。

 

戻る。

 

毎回説明する。

 

毎回、彼女は同じとは限らない小さな違いを出す。生命糸の太さ。結び方。床への薬。兄の名を呼ぶ時刻。

 

百回の同じ答えではない。

 

百回、現在の条件を見て選んだ改善だ。

 

紙片を時間の外へ出す。

 

成功率は二十八。

 

オスカーへ依頼。墓誌暗号を白冠拍動へ合わせる。

 

三十四。

 

エドガーへ依頼。鐘鍵で反復を一拍遅らせる。

 

四十一。

 

市議会の生活記録。ニナとユアンを知る人の痕を探す。

 

工房長が《車輪四七二》を出す。

 

四十八。

 

五割に届かない。

 

「まだやる?」

 

ミレーユが訊く。

 

「やる。ただし、俺一人で入らない」

 

「私が」

 

「お前一人でもない」

 

青血糸の封印鍵を持つ五人。反復の中でも、白冠拍動時に一斉に開ける手順を作る。

 

成功率は五十五。

 

半分を超えた。

 

十分ではない。

 

十分になるまで待てない。

 

「開始は永昼十二時間目」

 

壁へ書く。

 

残り十二時間。

 

失敗すれば、ニナの椅子だけでなく俺たちの記録も白冠へ引かれる。

 

「怖い?」

 

俺はミレーユへ訊く。

 

「はい」

 

「俺もだ」

 

怖いまま、全員へ開始時刻を一文字ずつ渡した。

 

家と呼んだ塔の扉を、俺は開けたままにした。

 

帰るためではない。

 

全員を、十五秒の外へ連れ戻すために。

 

出発前、食卓へ椅子をもう一脚置く。

 

新しい木。背にはまだ名を刻まない。

 

白冠がニナの名を食べるなら、名だけを頼りにしない。彼女が戻った時、自分で座る椅子を選べるよう、空席として置く。

 

ミレーユが皿を三枚並べる。

 

「食事は戻ってから」

 

「成功した場合の予定です」

 

「失敗したら?」

 

「失敗した記録を持って、別の手を探します」

 

戻すとも、止めるとも言わない。

俺は三枚目の皿を伏せず、上向きに置いた。

 

完璧に安全ではない食卓へ、戻る予定を作る。

 

予定は保証ではない。

それでも、止まった未来より俺には必要だった。

 

空いていることを、消えたことと同じにしないための予定だ。

 

戻る人のために空けた席だ。

 

今。

 

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