俺が死ぬたび世界を巻き戻す聖女は、七百一回目に俺を監禁した 作:朝を数えない人
青血糸を開く準備は、告白から始まった。
「好きだ」
俺が言うと、ミレーユは手にしていた封印鍵を落とした。
床へ当たり、甲高い音がする。
「拾え」
「今、何と」
「聞こえただろ」
「もう一度」
「鍵を拾え」
「その前です」
面倒だ。
だが、一度だけの音にして、後で都合よく解釈されるのも困る。
「俺は、お前が好きだ」
ミレーユが動かない。
呼吸も止まっている。
「息をしろ」
吸う。
「脈は」
「百二十七」
「自分の?」
「はい」
数字が正直だ。
場所は白塔地下の墓所。
七百枚の墓銘板の前。中央に青血糸の封印筒。五本の鍵。ニナ、オスカー、エドガーは十五秒の反復の中で、白冠拍動時だけ現在意思を出す準備をしている。
告白に向いた場所ではない。
だから今言った。
寝室や食卓で言えば、二人暮らしの暖かさに流された言葉にされる。墓所なら、彼女がしたことも俺が死んだことも目に入る。
「なぜ、今」
「これから青血糸へ入る。最初の俺とお前の記憶を見る。過去に引っ張られる前に、今の俺の状態を記録する」
手帳へ書く。
《七百二回目。永昼十二時間。レイは現在のミレーユへ好意あり》
「好意」
彼女が読む。
「好き、と同じですか」
「記録語としては」
「口頭では好き」
「そうだ」
嬉しそうだ。
それを見ると、俺も嬉しい。
同時に怖い。
次を書く。
《好意は、監禁、無断聖刻、ユアン白化、約束違反、永昼への同意を意味しない》
ミレーユの表情が止まる。
「嫌な顔をするな」
「していません」
「顔は監視項目じゃないけど、観察はできる」
「嬉しさが減りました」
それも正直だ。
「俺を好きなら、全部受け入れてほしい?」
「思います」
「でも行動は」
「要求しません」
「なぜ」
「レイが離れるから」
まだ俺の生存と滞在が基準だ。
「それだけ?」
ミレーユは考える。
「要求すれば、好意を対価に同意を買うことになります」
「そう」
今の答えは契約後に学んだ言葉かもしれない。口だけかもしれない。
だから、これからの行動で確かめる。
「好きだから、近くにいてほしい」
「はい」
「好きだから、俺の拒否を聞いてほしい」
「はい」
「好きだから、鍵を俺へ返せ、は?」
彼女の返事が遅れる。
「白塔の外鍵ですか」
「全部」
「緊急時に」
「ほらな」
愛される檻は暖かい。
食事がある。毒はない。死ねば戻してくれる。逃げても見つける。嫌われても離れない。
孤独になる心配がない。
その代わり、扉を開ける時刻は彼女が決める。
好意があれば、檻の鉄格子へ布が巻かれる。触っても冷たくない。だから檻ではないと言いたくなる。
言わない。
「鍵の話は、青血糸の後にする」
ミレーユが首を傾げる。
誤魔化す。
「今は手順」
五人の鍵を並べる。
開始前に、ミレーユも記録を書く。
《永昼十二時間。現在のレイから好意を告げられた》
そこで筆が止まる。
「続きを書け」
「何を」
「好意は同意じゃない」
「私の記録にも?」
「お前が後で好きと言われた部分だけ残さないように」
彼女は書く。
《好意は過去加害への同意・免責ではない。外鍵返還要求あり。回答保留》
「保留にしたつもりはない」
「青血糸の後に話すと」
「話し合いを後にした。返還は要求してる」
《返還要求あり。協議延期》へ修正する。
言葉の違いは小さい。
保留なら、彼女が判断を止めているように見える。協議延期なら、俺の要求は残る。
「好きだと聞いた時、最初に何を考えた」
「塔の鍵を増やしたいと思いました」
「なぜ増やす」
「レイがここを家と呼び、私を好きなら、外へ出る理由が減ります。内側からも鍵をかければ、二人だけで安全に」
本人も途中で間違いに気づいたらしい。
声が小さくなる。
「暖かい檻を強化する気だった」
「はい」
「行動は」
「していません」
「鍵を落としたから?」
「それもあります」
正直すぎて笑いそうになる。
「落としてなくても?」
「契約書を思い出したと思います」
「思います、か」
「自信はありません」
自信がないなら、手順を足す。
好意に関する会話後、二十四時間は施錠変更、追跡強化、同居条件変更をしない。変更する場合は第三者を含める。
永昼中の二十四時間は長すぎるが、解除後まで保留する。
「恋愛に冷却期間を入れる人、初めて見た」
ミレーユが言う。
「俺もだ」
「恋愛と呼んでよいのですか」
「好意。まだそこまで」
「好きなのに」
「好きなら全部同じ箱へ入ると思うな」
彼女は少し不満そうだ。
俺も自分の慎重さが面倒に思える。
好きだ。触れたい。背中合わせで眠った温度をもう一度欲しい。彼女が別室へ入ると寂しい。
同時に、鍵束を見ると身体が固くなる。脈へ伸びる手へ警戒する。永昼の空を見ると怒りが戻る。
どちらも本物だ。
「今、触れていい?」
俺が訊く。
ミレーユが固まる。
「何に」
「手」
「はい」
右手ではなく左手を出す。
彼女の左手。七百一の傷。
掌を重ねる。握らない。逃げられる形。
「痛い?」
「傷は痛くありません」
「今は」
「温かいです」
俺も温かい。
檻が暖かいのではない。
触れることへ二人で同意したから、手が温かい。
違いを記憶する。
離す。
ミレーユは追わない。
「今のは、次も触れていい許可じゃない」
「毎回聞きます」
「面倒でも?」
「聞けば触れてよい可能性があります」
前向きだ。
少し笑う。
ニナ側には赤札と生命糸。
オスカー側には墓誌暗号。
エドガー側には鐘鍵。
俺とミレーユは連続時間。
白冠拍動まで、十秒。
「怖い?」
ミレーユが訊く。
「怖い」
「中止しますか」
「しない」
「好きだと伝えた直後に死ぬ可能性があります」
「だから伝えたわけじゃない。遺言にするな」
「はい」
三秒。
二秒。
一秒。
全員が鍵を回す。
青血糸の第一結び目が開いた。
鐘楼の夜。
俺は十二歳。
ミレーユは十三歳。
現在の俺は、少年の目の中から場面を見る。
雨。
壊れた鐘。
少女が泣いている。
泣いている理由が、今度は見える。
先代聖女から、翌朝に大聖堂へ連れて行くと言われた。東鐘修道院を出る。聖女として教育を受け、家族も友人も捨てる。
少女のミレーユは鐘楼へ隠れた。
少年の俺は、別れを言いに来た。
二人とも逃げたかった。
「西の葬院はどこ」
「三日歩く」
「遠い」
「お前なら走れる」
「レイは?」
「荷車に乗る」
「ずるい」
子供の会話。
世界を戻す覚悟も、永遠の愛もない。
ただ明日から会えなくなる二人が、抜け道を探している。
「また会いたい」
少年の俺が言う。
「明日も来ればいい」
少女のミレーユが答える。
「修道院を出される。西の葬院へ行く」
「なら、私が戻す」
「何を」
「朝を」
少女は暁鐘の小さな欠片を持っている。先代聖女から盗んだもの。
欠片には先代の血が残っている。
少女は使い方を教わっていない。母の祈祷暦にあった《暁は血を覚え、鐘は失った朝を呼ぶ》という一文だけ知っている。
「危ない」
少年の俺が言う。
「レイは会いたくない?」
「会いたいけど、血は」
「一滴」
現在の俺の親指が痛む。
白冠庫へ入った時と同じ。大きな術は一滴から始まる。
少年は止めきれない。
会いたいと言われ、嬉しいから。
危険より、少女の涙を止めることを選んだ。
俺にも同じ傾きがある。
ミレーユだけの呪いではない。
だからこそ、今は第三者と手順を置く。
二人で指を切る。
血を欠片へ落とす。
「死んでも、次の朝に会える」
「死ぬ話をするな」
「お母さんは起きなかったから。今度は、起こせるようにする」
少年の俺は意味を理解していない。
また会うための約束だと思っている。
「じゃあ、次に会ったら、お前も逃げろ」
「どこへ」
「修道院でも聖女でもないところ」
「レイと一緒?」
「会えたら」
少女が笑う。
最初の約束。
また会う。
次は一緒に逃げる。
世界を七百回戻す同意ではない。
血が鐘欠片へ入り、青い糸になる。
少年の胸に錨刻印。
少女の手首に鐘の印。
その瞬間、先代聖女が現れた。
「何をした!」
少女を突き飛ばす。
少年の俺が庇う。
鐘楼の床が崩れる。
落ちる。
第一回目の死。
ミレーユが叫ぶ。
暁鐘を鳴らす。
朝が戻る。
記憶が途切れる。
墓所へ帰る。
俺は床へ膝をついた。
胸が痛い。刻印が青く浮いている。
ニナの生命糸が心臓へ繋がる。
「脈、百五十。落ちるよ。百二十、九十」
十五秒で戻る前に、ニナが数字を伝える。
ミレーユは俺へ触れない。
「治癒は」
「不要」
ニナ。
「呼吸して。四つ吸って、六つ吐く」
従う。
脈が七十へ戻る。
第一結び目は開いた。
還暁は起きない。
代わりに、墓銘板の一番古い板が割れた。
《鐘楼転落》
初回の死を刻んだ板。
中から青い光が出て、現在の俺の胸へ入る。
痛みはない。
身体の奥に、錨の結び目が一つ見えるようになる。
三本の血糸。
俺、ミレーユ、先代聖女。
「二人だけじゃない」
俺は言う。
「先代の血が錨へ混ざってる」
エドガーが記録する。
「初代術式の管理権だ。聖女と錨が合意しても、教会側が外せないようにした」
グレゴールが還暁を利用できた理由。
鍵は二人の愛や信頼だけでは解けない。
教会の権力を切る必要がある。
「よかった」
ミレーユが言う。
「何が」
「私たち二人の気持ちだけで解けるなら、レイが私を好きであることを利用してしまうかもしれません」
「今、利用したい?」
「はい。好きなら一緒に死んでもよいと、言わせたい気持ちがあります」
背中が冷える。
それでも彼女は言葉にし、術式へ使わなかった。
「俺は言わない」
「はい」
「好きだから一緒に生きる道を探す。死ぬ必要がある時も、好意を同意の代わりにしない」
「はい」
墓銘板の破片を三つの箱へ分ける。
一つは俺。
一つはミレーユ。
一つはエドガー。
先代聖女の血に関する証拠は、教会の外へも複写する。
白冠の残数も変わらない。
「最初の俺は、お前と逃げると言った」
「はい」
ミレーユの目に涙がある。
「覚えてた?」
「いいえ」
「今は」
「断片として」
記憶が完全に戻ったわけではない。青血糸を通じて同じ場面を見ただけ。
「俺へ約束を継がせたい?」
ミレーユは長く黙る。
「思います」
「行動は」
「要求しません」
「なぜ」
「今のレイは、今の私と逃げるか決めるからです」
合格。
また採点している。
でも、嬉しい。
「今の答え」
俺は言う。
「俺はお前が好きだ。一緒にここから出たい。けど、逃げるんじゃない」
「では」
「鍵を持って、扉を開けて出る。白冠を壊す。永昼を解く。お前がしたことも公開する」
「一緒に?」
「お前が来るなら」
「行きます」
即答。
それは彼女の選択だ。
青血糸の内部で、第二結び目が光る。
聖女側の記憶。
まだ切らない。
第一結び目から得た情報を全員へ分散する。
錨刻印は、二人の血と鐘欠片。
初回の死は鐘楼転落。
最初の約束は、再会と逃走。
記録し終えると、白冠核が揺れた。
残数表示が二百九十から、二へ変わる。
「二?」
エドガーが鐘鍵を読む。
「残り二日だ。回数じゃない。白冠が永昼の差分を日数へ変えた」
エドガーがさらに鐘鍵を読む。
「永昼解除まで十二時間。解除後、白冠起動まで二日。二つの期限だ」
壁へ書く。
《永昼残り十二時間》
《白冠残り二日》
安全な食卓で休める時間は、数字になった。
数字にすると少ない。
少ないから大切にして、延ばさない。
残り二日。
千回を待たず、大司教は白冠を起こす。
愛を告げた直後に、世界の期限が二日へ縮んだ。
「ちょうどいい」
俺は立ち上がる。
「何がですか」
「好きだと分かっても、同意は別だと試す時間が二日ある」
ミレーユが困った顔をする。
「短いです」
「延長はしない」
「はい」
「二日で、鍵を返してもらう」
「返した後、レイは出ていきますか」
「出る」
ミレーユの顔が白くなる。
「白冠を壊すためだけじゃない。自分で一度、塔の外へ出る。その後、戻るか決める」
「戻らない可能性は」
「ある」
「好きでも?」
「好きだから戻る、と今約束したら、鍵を返す条件になる」
彼女は黙る。
「返すことと、俺が戻ることを取引にするな」
「何も保証がないまま返すのですか」
「それが鍵を返すってことだ」
彼女は腰の鍵束へ手を置く。
まだ渡さない。
俺も奪わない。
二日で、彼女自身が選ぶ必要がある。
「保証ではないけど、一つ言える」
「何を」
「今、俺は戻りたいと思ってる」
「今だけ?」
「未来の俺を予約するな」
「はい」
それでも彼女の顔に色が戻る。
「もう一つ、お願いがあります」
「内容」
「抱きしめてもよいですか」
警戒より先に、嬉しさが来る。
その順番も認める。
「今だけ」
「はい」
ミレーユが近づく。
速くない。
俺が避けられる歩幅。腕を広げ、待つ。
俺から一歩入る。
抱きしめられる。
七百回、死んだ俺を抱いた腕。
今は生きている俺が許可した腕。
同じ腕でも、意味は同じではない。
鼓動が二つ聞こえる。
彼女は俺の脈を数えない。
背へ手を置くだけ。
俺も銀髪へ顔を埋める。石鹸と青鈴花。修道院から持ち帰った小瓶の匂い。
温かい。
離れたくない。
「終わり」
俺が言う。
ミレーユの腕が一瞬だけ強くなる。
そして離れた。
そこが一番大事だった。
抱きしめたことではない。
終わりと言った時、終われたこと。
「記録する?」
「します」
ミレーユが書く。
《相互同意で抱擁。レイの終了意思で終了》
色気のない記録だ。
でも今の俺たちには、どんな愛の言葉より必要だった。
愛される檻は暖かい。
だから自分の手で扉を開ける。
その扉の向こうにミレーユがいる未来を、俺は望んでいる。
望んでいるからこそ、鍵を彼女の腰へ残したまま愛を証明しない。
返された鍵で一度出る。
戻るなら、次は外から自分で開ける。
それが二日後の俺へ残す、今の選択だった。
明日の俺が違う答えを出しても、今日好きだと言った事実は消さない。
違う答えを出す自由も、一緒に残す。
それがなければ、好意も新しい鍵になる。
今。